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zoom RSS 松任城址

<<   作成日時 : 2012/08/19 19:03   >>

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僕の家から一番近い城跡と言えば、この「加賀松任城」になります。
松任駅前の交差点の一角の公園がそうです。以前までの公園の名前は「オカリヤ公園」と呼ばれていました。オカリヤは昔、この場所に現在違う場所にある若宮八幡宮の御仮屋が置かれた所からつけられたそうです。
本来の城址はもっと大きく広がっていましたが、今はこの公園だけ。この公園がちょうど本丸跡になります。
昨年(H23.4)、改修工事が施されて、芝生広場が拡張されて「松任城址公園」と改称されました。
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松任城が大きな歴史に出てくるのは、上杉謙信と織田信長軍(柴田勝家主将)が唯一、直接対決した手取川合戦。この時、上杉謙信が攻略して本陣を置いたのがこの城です。天地人でご存知のように合戦は渡河作戦を決行した織田軍に対して、雨中の奇襲と追い討ちで上杉軍が勝利しています。

その後、柴田勝家に攻略され徳山則秀・前田利長・丹羽長重と城主が変わり、関が原後に前田家に編入されました。その後、佐々征伐で出陣して来た豊臣秀吉を前田利家が出迎えたのもこの城です。

今は、城の雰囲気はありませんが、駅前の森の公園といった雰囲気で、静かな佇まいです。避暑には最高の場所になってます。ちょっと暗いけど^^;
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旅行日 2009.5.8




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コメント(8件)

内 容 ニックネーム/日時
おはようございます、松任城跡は近くに住んでいながら未だ行ったことはありません、前を素通りしています。
おっしゃる通り城跡と云うより市民の憩いの森の様な存在ですね。
けれども歴史的にみると興味がわいてきました。
つとつとさんは随分歴史に詳しいですね、郷土の歴史を熱心に勉強されているのでしょうね、感心しています。これからも記事を読ませて頂きます。
go
2012/08/20 08:05
コメントありがとうございます。
昔から歴史や地理が好きで、城や神社は大好きなんですよ^^
つきあわされる嫁さんや娘は半分呆れ、半分諦めてるみたいです。

こちらこそよろしくお願いします。
つとつと
2012/08/21 18:22
子どもの頃、良くここで林さんの忠魂ひに登って遊んだものです。まだ横にお堀跡があり、警察署がありました。同級生の竹田産婦人科はお母さんが輪島の時国家から嫁ぎ、呉服屋長佐の先祖は元能登城主、新聞配達した家の蕪木さんは元松任城主。時折遊んだ幼なじみは吉田茂平からお母さんが嫁ぎ、隅谷さんもまだ醤油屋を、まだ歴史の欠片があちこちに残っていました。懐かしく読ませていただきました。家には千代女の軸を2本ほど。時折、しょうこう寺で遊んだことを懐かしんでいます。獅子舞も神輿も若宮までの祭露店がたのしかったものです。因みにエースバックさんは安田町出身。金剣神社にも沢山の寄付を寄せたと、幼なじみの宮司が。母は東京の駒込で前田家最後の殿様の教育係りをしていたそうで、先日、見学してきました。父の先生は226で処刑された対馬中尉。松任小学校へ通いつつ、みんなで飛び越えた西川通りも通した思い出です。懐かしく見せていただきました。ありがとうございます。
田舎懐古
2017/11/19 05:56
田舎懐古さん
松任には僕は24.5年前に最初に越してきました。その後3年程で4年ほど離れて舞い戻ってきました。ですから、まだ松任市役所が公園前で戻ったら現在になっていたという感じです。市役所の移転の際に城の遺構は出て来たそうです。出身は津幡の方でしたから松任の古い時代お堀があったというのは知らなくて、一度は見たかったなあと思います。最初は雅風堂の側でしたが滋賀から戻った際に東一番のクスリのアオキの会長の青木さんの近くでした。人柄の良い人でした^^
ここ二年ほど行けていないんですが、若宮神社の祭り、石同の露店も今も賑やかに出ていますよ。露店で交差点に出ているタイ焼き屋さんは家族のお気に入りです。東一番の頃は建具屋さんが千代女の親戚筋で町内会長さんで、青木さんちと二軒が市文化財の家でした^^
それにしてもこれだけ、僕が聞いたことのあるお名前がポンポン出てくるとはビックリしてしまいました。商店通りのあーけどが亡くなってしまって聖興寺の通りも雰囲気が全然変わってしまいましたが、また松任の記事を書かせていただきます。もし違っていたり、もっとこうだったよ、とお気づきの点がありましたらご教示くださると幸いです。先日、松任博物館で、お名前の挙がった隅谷さんの作品とエースの新川さんが寄贈した法隆寺の模写も久しぶりに観ました。お二人とも他界なさっていますが、作品はいつも見られることには感謝です^^
田舎懐古さんもまた松任に来られる機会がありましたら歩いてみてください。雰囲気は全く変わりましたが、小学校や安田町あたりの小路は並びは変わっておらず良い雰囲気を保っています。娘の通った小学校の大先輩^^

つとつと
2017/11/20 19:54
城の後ろの堀はゴミで一杯だったのを記憶しています。今はアスファルトの道のところですね。千代女の生まれた家とは別に、幼なじみの家に千代女の説明文がありました。大町のひぎし千代堂の向かいです。今は、駐車場のようです。そうですか、くすりのアオキの近所ですか?近くに早瀬病院、高森産婦人科の同級生がいました。隅谷さんも同級生でした。東町のほっさんの門は能登城主、長家のものを移築したもののようですね。僕は埼玉県の古民家に住み、幕末物の資料を。海舟、鉄舟、慶喜、平八郎、象山等々を。中でも鉄舟が気に入り。鉄舟印の解読をし読本にしたりしています。写しの資料は沢山ありますが、素人ですのでなかなか読みは進みません。何かの資料に松任城の辺りまで秀吉が来たとありました。楽しく読ませていただきました。ありがとうございます。
田舎懐古
2017/11/20 23:05
田舎懐古さん
松任城の本丸近辺はは公園や道路の拡張でますます小さくなってしまいました。
東一番に住んでいた頃は近所では一番若い部類の世帯主で、周りの方たちには可愛がっていただきました。面白い人たちが多かったですねえ。。
書などはかっちり書かれている分は何とか読めるんですが、崩した文字などは全くダメですねえ^^;ただ街中や名跡を回っていると時々有名な方の書や撰書に出会います。鉄舟ですと能登の永光寺の本堂に大きな文字の襖に書かれた文字を観ましたし、卯辰山の報告者の坂途中にある足立幸之助の撰文は勝海舟だったと思います。こういった具合に出会うのはうれしいのですが、なかなか読めないのが辛いところですねえ
つとつと
2017/11/29 13:28
ちょつと、卯辰山がでたついでに、笑い話のような昔話を。僕達のころ、卯辰山相撲では輪島が一番強かった。彼らが高校生の時、石川県の番長頭を決める決闘が、石川門前の坂の処で行われました。長さ1mの皮で腕を縛り、殴りあいしのびたら、負け。僕の友人がこれに2人参加。結果、輪島が石川県総番長に。僕の友人は全校生徒を運動場に並べて、往復ビンタをしたら、途中で手が腫れ上がって、痛かったらしいが番長足るもの、弱音は吐けないと殴り続けた強者。そんな昔懐かしい、誰も知らないお話。横綱輪島は、今どうしているのでしょう。話変わりますが鉄舟は、高岡の禅寺を再興するために、相当な書をしたためて、虚無僧達に持たせて寺院再興の資金を集めています。また、鉄舟は慶喜を支え、明治天皇の教育係りで導き、面白い足跡を印しています。清水じろちょうと共に静岡のみかん畑、茶畑を開墾し慶喜以下家臣の生活をもささえています。鉄舟をかきはじめると、とまりませんので、ここまでに。鉄舟、剣の悟りを開いた時のへんがく、我が家にかかっています。
田舎懐古
2017/12/02 00:15
田舎懐古さん
卯辰山高校相撲は人気があって、僕らの頃も各行が一堂に会して盛況でした。僕の母校は4年に一度の伝統参加でしたが、高1の時に応援に行きましたが熱気が凄く、選手を見ると同じ高校生には見えませんでした。母校もこの時、決勝トーナメントに進出して喝さいを浴びていました。優勝が石川水産で、能登勢の最期の優勝でした。
紺屋坂の話は何となく耳にした伝説話で、僕の学校もちょっとやんちゃな学校でしたから。。ただ僕らの次辺りに学区制がなくなって、スポーツ系の学生が金沢に集まるようになって能登が静かになってしまいました。でも当時活躍した選手は能登出身者が多かったですねえ。。
山岡鉄舟に関しては、江戸城の無血開城の道筋を作った人物というくらいで、あまり詳しくないのですが。。高岡の禅寺というのは伏木の国泰寺のことでしょうか。山岡鉄舟が再興に尽力したとは知りませんでした。一度、6月の開山忌に訪れて虚無僧の尺八の僧正を観ましたが凄かったです。なかなかあの姿を観るというのは少ないですからねえ。金沢の忍者寺・妙立寺の近くにこの寺を本山として同じ寺名の寺院があるのですが、タカジアスターゼの高峰譲吉の菩提寺になっています。
山岡鉄舟の書は有名で見聞きはするのですが、なかなか詳しく観たことが少なく、一度真剣に事蹟や書を見てみたいと思います。
つとつと
2017/12/07 02:23

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