つとつとのブログ

アクセスカウンタ

zoom RSS 七尾城址

<<   作成日時 : 2012/10/08 10:15   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 8 / コメント 0

能登を代表する山城「七尾城」別名は「松尾城」と云います。

七尾の名は七尾城の位置する城山の七つの尾根から来ていると言います。
七つの尾根の名は松尾・竹尾・梅尾(鶴尾)・菊尾(烏帽子尾)・亀尾・虎尾(袴尾)・龍尾(牛尾)ですが、七尾城が築かれたのはこの内の北端の松尾になり、別名では松尾城という記述もあります。石動山系の北端に位置しその規模・威容は難攻不落と云われた物でした。
日本五大山城・山岳城に数えられる名城です。ちなみに他の四城は春日山城(新潟)・月山富田城(島根)・観音寺城(滋賀)・小谷城(滋賀)。山岳城の場合は小谷城の代わりに八王子城(東京)がこれに加えられます。
画像

七尾市という所は面白い所で昔にあったものが町名になったものが多いのです。七尾城の在る場所は現在は古城町と呼ばれ、その外側が古屋敷町と当時の配置が解るようになっています。ちなみにこの古屋敷町には畠山氏の子孫が建てた「七尾城史資料館があり、能登畠山氏の資料や城から発掘された物など七尾城の事前勉強にうってつけです。同じく隣の「懐古館 飯田家」がありますが、現在の七尾城が荒廃せずに残っているのはこの大庄屋・飯田家代々の整備・手入れのおかげと云っても過言ではありません。

七尾城に登るには2つコースがあります。一つは昔からの登城口から三の丸を超していくコース。こちらは本丸までは直線で3キロ程ですが途中に虎口や七曲り、2の丸と3の丸の間の大堀切など急こう配が多く倍以上を歩く覚悟が必要です。一度歩いたことがあるんですが、足腰に来る覚悟が必要です。もう一つが車で車道を登って一気に本丸下の長屋敷跡近くの駐車場に行くコース。途中から狭くカーブの連続ですので気を付けて下さい。
どちらから行っても城郭部の大きさが解ると思います。今回は一人だし、このまま石動山越えの予定だったので、本丸横駐車場まで一気に車で^^;

七尾城は築城年ははっきりしていません。畠山本家9代目当主・畠山満慶が兄に家督を譲り能登守護として下向した1428年頃、現在の三の丸か安寧寺址に砦を築いたのが始まりのようです。当時は府中町に守護所が置かれ、そこで政務をとっており、1500年頃守護所を七尾城に移したことを考えると、この頃が本格的に築城されたようです。
画像
画像

七尾城は戦国期に入り更なる増強を加え、麓から「千門万戸」の城下町に天空に輝く城郭と、歌人にも歌われています。この七尾城と共に能登畠山家はお家騒動や家臣間の権力闘争を繰り返しながらも170年の長きを生き抜いています。

難攻不落と云われた城でも内部組織が崩壊すればもろい物です。1577年上杉謙信の2度目の侵攻において謙信は支城攻略には成功したものの本城攻撃には出られず兵糧攻めに徹していましたが、城内での疫病発生・城主(春王丸10歳)の病死・家臣間抗争により重臣・遊佐続光・温井景隆が内応して自落しています。この落城後、本丸において上杉謙信が詠んだ漢詩「九月十三夜陣中作」は有名です。
画像
画像
画像
翌年の謙信死後、織田信長が奪還、前田利家が能登を与えられ城主となりましたが、拠点は小丸山城に移り次男の前田利政が入りましたが、1589年廃城となっています。廃城となったものの大きな開発や天災を受けておらず、建物屋敷類はありませんが城壁や曲輪はそのまま残っており、貴重な城郭資料として城の中心部分が昭和初期に国指定史跡になっています。更に昨年申請が行われ、史跡指定の拡張が内定し4倍の広さになる予定で、今後の調査が期待されています。

小丸山城  http://72469241.at.webry.info/201209/article_73.html

場内を歩くと解りますが、武器武具を保管装備した調度丸から調練場の桜馬場にそびえる5段石垣、野面積みの3段石垣の本丸、2の丸側の9尺石、温井屋敷・遊佐屋敷の石垣土塁更には側溝跡、建物の礎石などこの峻険な山上にこれだけの石を運び上げたのか、山上の整地された広場を観るにつけ相当の労力と費用が掛かったと思われます。
画像
観光の方は大概二の丸までで断念するようですが、是非見て欲しいのは二の丸と三の丸の間の大堀切。この落差は驚くほどの規模で尾根をうまく利用したものです。
画像
画像画像
謙信が漢詩や手紙で「加越能随一の景色風景」と絶賛した本丸からの眺めは現在も変わらず美しく、是非山頂本丸には登って欲しいものです。
七尾湾・能登島から半島を見渡す景色は絶品です。

旅行日 2011.11.02

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(8件)

タイトル (本文) ブログ名/日時
椿原天満宮(椿原山砦跡)
先日、南米から戻った家ニスタさんのブログを読んでいたら、久しぶりのお城巡りをされていました。 昔の古城巡りですから、薮の中になっていたり、城の敷地や構造を利用して神社やお寺に変わっているものもあり大苦戦したようです。 僕も城跡巡りは嫌いじゃないですから、幾つかまわっているのですが、やはり寺社や薮の中はよくあります。中には古墳を利用して造られた城もあり、古墳調査と保存で城の遺構が解り難いものまであります。 ...続きを見る
つとつとのブログ
2013/12/11 18:43
呉竹文庫 熊田源太郎
手取川の河口にある美川湊は古くから漁業や北前船の中継地として栄えた町です。 ...続きを見る
つとつとのブログ
2014/05/16 03:12
津幡城址 為広塚 清水八幡神社
金沢市の北隣にある津幡町。現在は金沢市の衛星都市的な存在です。近年になって国道8号線・159号線のバイパス化で、主幹線道路が変わって西側を回るようになり、旧国道から商業地や住宅地が西方や北方の郊外に移り、元々の中央銀座商店街や津幡宿があったおやど商店街も少し寂しくなってきました。 ...続きを見る
つとつとのブログ
2014/11/21 21:35
宝乗寺
宝乗寺のある三谷地区は金沢から山越えで越中・福光に抜けられる国道304号線の県境近くの山間になります。金沢から富山方向に走って、古屋谷町の交差点を右折すると、これまた峠越えに医王ダムから流れる森下川伝いに、以前ご紹介した二俣本泉寺に抜けられるのですが(県道211号)。。右折してしばらく行くと山中に入るような車町という住宅団地があります。そして住宅街の一番奥に宝乗寺の駐車場があります。 211号沿いにも入口はあるんですが、長い階段をひたすら登ることになるし、そもそも駐車スペースはあるけど狭... ...続きを見る
つとつとのブログ
2015/01/15 11:49
瓶割坂(かめわりざか)@ 大蓮寺(だいれんじ)
国道157号線を野町広小路から犀川大橋に向かうなだらかな坂道があります。この坂は別名「瓶割り坂」と云います。古くから北国街道の主要道で、尾山(金沢市街)に入る入口になっていたようです。 瓶割坂の名の由来ですが、奥州逃避行中の源義経一向がこの坂に差し掛かった際、同行していた義経の妻が産気づき、慌てた一行が瓶に入れていた衣服を取り出そうとして、大事な瓶を割ってしまった所から来ていると云われています。 ...続きを見る
つとつとのブログ
2015/05/07 03:37
松波城 (奥能登の城@)
毎夏、仕事の関係で輪島まで行くんですが、お仕事は午前中のみ。で、毎回、その後に能登観光をしています。 今夏は新幹線効果とまれ効果もあり、石川に来る人が多いようで海浜道路(のと里山海道)も車が多くて、いつもより時間が掛かっちゃいました。最初、仕事でつきあえないと同行を拒否していた嫁さんは、休みが取れたと云って一緒に来てくれたから、1人よりはおとなしい運転ということもあったみたい{%顔文字ハートhdeco%}{%顔文字ハートhdeco%}{%ドライブうれしい(ブンブン)hdeco%}{%大変... ...続きを見る
つとつとのブログ
2015/09/03 17:58
玉龍寺 (前田対馬守家菩提寺・墓所)
加賀藩では人持組頭として1万石以上の所領を受け、家老として藩政に常時参画する資格を持つ一門衆・重臣の家系を別名で加賀八家と呼んでいました。他藩の年寄役に当りますが、所領を見ても解るように、外様陪臣とはいえ小大名以上で幕府でも別格扱いを受けており、明治には全家が男爵号を受けています。加賀八家の成立時期ははっきりしませんが、三代・利常から五代・綱紀にかけて成立して行ったようです ...続きを見る
つとつとのブログ
2016/07/10 22:22
中乃郷神社
少し前に自宅から二番目に近い神社として徳丸白山神社をご紹介しました。で、一番近い神社はというと、この中乃郷神社になります。神社の紹介をするときに、僕が参考にするのは神社にある社歴・由来碑が主になって、地誌や神社庁の紹介などを参考にして、地域伝承を調べて書いています。 ...続きを見る
つとつとのブログ
2017/03/19 15:20

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
七尾城址 つとつとのブログ/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる