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zoom RSS 今江城址(御幸塚城)

<<   作成日時 : 2013/06/16 20:36   >>

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前回の記事の浅井畷の合戦を書いた際、前田利長の別働隊が布陣していた城が今江城だとしたので、以前訪れているのでご紹介します。
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今江城の別名・御幸塚(以前はみゆきづか、現在はごこうづか)の起源は、花山法皇(968-1008)がこの地に滞在中に、加賀三湖(今江潟・木場潟・柴山潟)を眺めるために近くの三湖台という丘に登ったことからこの辺りを御幸と名付けられたものです。花山法皇の伝承の足跡としては、近くの那谷寺の名にも残されています。

1960年代までこの城の西側には今江潟という湖が広がっていました。その大きさも結構大きくて、ここから小松空港までの間にありました。その後、干拓によって今は広い田園地帯になっています。城があった当時は側の湖を利用した堀に囲まれていたようでなかなか堅固な城の要素があり、加賀平野の要衝点ということで古くから重要視された城でした。
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築城年ははっきりしませんが、富樫泰高が加賀守護職に初めて就いた辺りではないかと云われています。そうすると1441年以降となります。

この人物はなかなか波乱万丈の生涯を送っていて、加賀守護・富樫家の衰亡期を逞しくまたずるがしこく送っています。そもそも富樫泰高は守護職には縁がないはずでした。守護就任前は醍醐寺の修行僧で喝食(食事の報告係)をしていたという経歴があります。ところが守護だった兄・教家が室町幕府6代将軍・足利義教の不興を買って失脚した際に還俗して家督を継いだ曰くつきでした。その後、兄・教家の復権で守護争いをし加賀分割統治、その後教家の子・成春に守護を奪われましたが、その死後に復権しています。その数年後に成春の子の政親に守護職を譲って隠居。ところがそれで終わらなくて、富樫政親が一向門徒に高尾城で攻め滅ぼされた際には門徒衆の旗頭に担がれて、またまた守護職に就任しています。計4回の守護職、3回の富樫家当主になるという異色の人物です。

(ちなみに余談ですが、足利義教も僧侶から還俗した人物で、準后・天台座主・大僧正と僧侶としても最高位を極めた人物です。4.5代将軍が後継者を決めずに死んだため、なんと籤引きで選ばれたという異色の人物です。将軍就任後は幕府復権のために苛烈誅求な行動で恐怖将軍の異名を持ちました。ちなみに、比叡山焼き討ちは織田信長の代名詞みたいに云われますが、実はそれ以前にこの人が行っています。義教は短期間で嘉吉の乱で暗殺されましたが、それまでの行動は織田信長の行動に似ており、信長は義教を手本に行動したのではないかと思われます。この人がもう少し長生きしていれば歴史は大きく変わったかもしれない人物です。でも、子供があの義政ではダメかな。。。)
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話が横道に行っちゃいましたが、富樫時代はこの城は重要な城で、分割統治では泰高が、政親の守護就任後に一時期、また応仁の乱時には政親と争った弟・幸千代が本城にしていました。富樫家の衰亡後は一向門徒の持城でしたが小松城の支城になっています。
織田信長の侵攻時は佐久間盛政が尾山御坊に金沢城を築くまでは、ここが加賀の前進基地に成りました。
本能寺の変時には一向宗徒にまたまた奪還された時期もありましたが、その後は丹羽氏、前田氏の持ち城と変遷、江戸期になって廃城となりましたが加賀藩の収蔵蔵が置かれて存続していたようです。
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今江潟が干拓されたこと敷地に小学校と帝人工場(二の丸・三の丸があった?)が建てられており、城ということには気づきにくいですが、小学校の校庭の南側の高台に登ると、本丸跡・櫓台跡がありそこから眺めると、城としての地勢が解ります。なかなか大規模だったことが解ります。また北側の小学校の入口から見ると、堅固な高台になることが解ります。

城跡の痕跡はあまり見られませんが、戦国期、主要な城としての姿は垣間見られます。
城の周囲を巡る道路(現在の城周りの道路は堀跡を利用したと云われています。)や今江春日神社を合わせて観ると城の規模や地勢は解る存在です。

櫓台跡の斜面には今江町関係や小学校関連の記念碑やモニュメントもありました。
なかなか面白いものがあるんで、ついでに
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旅行日 2012.09.30





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