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zoom RSS 埴生護国八幡宮〜砺波の関〜倶利伽羅不動尊・鳳凰殿

<<   作成日時 : 2014/06/25 09:54   >>

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嫁さんが頭の中で膨らませた如来寺の牡丹はちょこっと空振りだったため、盛りは過ぎてるだろうけど倶利伽羅の八重桜を観に行こうと意見の一致をみました。山側環状から国道359号を経由して小矢部に廻って倶利伽羅峠越えを目指すことにしました。

まずは、何はともあれお昼ご飯ということで、3対1(義兄は中華にしたかったみたい。残念でした。)の多数決で、御蕎麦が食べたいということで、ナビで検索して一番近いお店に。。 花そば やぶ
お昼時とはいえけっこう駐車場に車が停まっていました。内は満席でしたが、すぐに席が空きましてメニューと睨めっこ@@; 表看板や駐車場の看板は蕎麦だったのに、一品料理、丼物、定食、うどんもありの食堂と云った感じ。。丼の文字につい眼が行っちゃうけど初志貫徹で御蕎麦に(でも誘惑に負けて天婦羅定食のお蕎麦付)
麺はまずまず つゆが思ったより美味しいのが驚き 天婦羅もべたつかず、カラッと揚がって美味しかった
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埴生護国八幡宮は倶利伽羅合戦において、源義仲が最初に本陣を置いて戦勝を祈願した場所です。
騎馬像としては日本有数の大きさを誇る源義仲像(ちなみに近くの高岡は銅器製造が盛んで全国の7割以上の銅像製造を行っています。)、100段以上の急な石段(室町・戦国期に蓮沼城主・遊佐慶親が寄進したもの)、本殿拝殿は江戸期に前田利家・利長・利常と三代に渡って造営したものです。
元は埴生八幡の名でしたが、前田利長の時代に飢饉と自身の病気平癒を願って、護国の字を奉納して「埴生護国八幡宮」となっています。
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埴生護国八幡宮については、以前もアップしていますんで、詳しくはこちらをどうぞ ⇒埴生護国八幡宮
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長い階段を観て慄きながらも全員でフウフウ言いながら登ってきましたが、以前来た際に修理中だった四殿三建の杮葺き(こけらぶき)の屋根も綺麗になってました。
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源義仲率いる源氏軍は埴生護国八幡宮から三軍に分かれて進軍したのですが、この合戦で一番活躍したのが左翼を努めた樋口兼光の軍でした。
樋口兼光は源義仲の乳母の子に当たり股肱の臣で義仲四天王(樋口兼光,今井兼平,根井光親,楯親忠)の筆頭でした。また、今井兼平、巴御前の実兄と云われています。また戦国武将として有名な直江兼続(樋口与六)・大国実頼(樋口与七)兄弟はこの人の直系子孫と云われています。
この樋口兼光が進んだ道が古代北陸道に当り、現在の源平ラインと呼ばれる道路です。
春には道沿いに植えられた約8000本の八重桜が観られます。

小矢部側の入り口に小さな石碑と祠があるんですが、ここが砺波(となみ)の関跡になります。関址に関しては、実際にはここから倶利伽羅峠の裾野までに及んでいたようです。
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古代においては朝廷の勢力圏は近畿以西に限定されていたようですが、それが徐々に東へと勢力圏を伸ばしていきました。それに伴い北陸道・東山道(中山道)・東海道と云った具合に道が整備確立され、その勢力圏を示すように要所や国境に関が設けられて行ったわけです。関と聞くと室町期や江戸期の関所のように通行税徴収所や通行管理所を想像しそうですが、平安期以前は関は常備軍が置かれ武器庫を擁した警察・軍事拠点となっていました。
古代から名ははっきりしませんが存在していたようで、近江朝(天智天皇)の頃から地名がはっきり出て、天武朝(672年頃)に正式に設置され、大宝元年(701年)に大宝令として正式に三国の関・三関(さんかん)として(不破関(美濃国)、鈴鹿関(伊勢国)、愛発(あらち)関(越前国))が発足しています。尚、弘仁元年(810年)の薬子の変以降は愛発関から逢坂関(おうさかのせき、近江国)に変わっています。

古代から平安時代にかけて、福井より北、山形県の一部にかけてを越の国と呼んでいたのですが、越には同じく三関がありまして、前述の愛発関(越前国)、鼠ヶ関(越後・出羽国境)とここ砺波の関。
加賀・越中国境の倶利伽羅峠の東麓に当たります。和銅5年(712年)に設けられたと云われます。伏木(現・高岡市)に越中国府があり、京から派遣される国司はこの関を経由して赴いたと云われます。万葉歌人の大伴家持は越中守として天平17年(745年)27歳の頃、約5年間を過ごしており、その間に223首の歌を作っています。倶利伽羅峠やこの近辺にも家持の歌碑が多くあります。この関の標柱にも歌が刻まれています。

焼大刀(やきたち)を 礪波(となみ)の関に 明日よりは 守部(もりべ)遣り添へ 君を留めむ

この歌は、東大寺占墾地使の平榮の送別の宴の際に詠んだと云われています。

倶利伽羅峠にある「くりから公園」にある大伴池主(家持の椽(じょう、判官として仕えた)が家持に送った贈答歌の碑(H24.04.30撮影)
贈答歌は「砺波山手向の神の歌」と呼ばれ、長歌一首・短歌二首からなっており、万葉集にも収められています。
この倶利伽羅峠は砺波山と呼ばれており、この山が越の国の境界を表すと云われ、家持と池主の惜別が表されていると云われます。ちなみに「手向けの神」とは、旅人の道中の安全を守る神のことで、山・峠・坂上に祀られていたそうです。倶利伽羅不動尊・山頂堂の入り口に手向神社がありますが、本来は前身・長楽寺以前は古代北陸道沿いに手向神の祠があったようです。
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巴塚・葵塚のある堤池を横目に源平ラインを走ったのですが、何たることでしょう。。盛りを過ぎた最後の八重桜は前日の風雨で、見事に散っていました。。道路の上はその残骸でピンクになっていました。。残念無念

ついでなので、倶利伽羅不動尊山頂堂に寄って行くことに、倶利伽羅不動尊の御本尊は剣にとぐろを巻いた火竜です。よくお不動様と云えば、いかつい鬼のような姿を想像しますが、実体は炎と剣なんです。その筋の人達に人気のある刺青の倶利伽羅紋々はこの本尊がモデルです
本尊は秘仏として山の奥の院に納められているのですが、空海が本尊を写して掘ったと云われる仮本尊が、本殿に安置されており、8の付く日に開帳されています。僕も子供の頃何度か見ているんですが、機会がなく30年以上拝んでいませんでした。。
倶利伽羅不動尊は以前アップしてるんで興味のある人はこちらもどうぞ ⇒ 倶利伽羅不動尊
でも、さすがGWです、今回は開帳されていたんですよホントにラッキー

麓に鳳凰殿という別館が出来たおかげで、参拝客や観光客が分散したとはいえ、本殿内は人で混んでいましたが、意外に本尊を拝む人が少なく、護摩木やお守り・お土産を観ていて、ゆっくりじっくり拝ませて頂きました。
残念ながら、護摩炊きは行われていませんでしたが、、、、ゆっくり拝観させてもらいました。(ところがなぜか、撮影した画像が消えちゃってました。。。ショック)

最後に鳳凰殿にも寄って来ました。鳳凰殿は、長楽寺時代に西の坊として存在したとされる地に、平成10年(1998年)に再建されたものです。正式名は「倶利伽羅不動尊 西の坊 鳳凰殿」。
名前の通り鳳、凰が翼を広げたような建物になっています。もちろん、祭壇や須弥壇を持った宗教施設なんですが、鳳凰ということで宇治の平等院をモデル、というより模倣したものになっています。建物の前の泉水もそのものずばり宇治の平等院そのもの。建物は鉄筋RC造り・バリアフリー、更に社務所は食堂兼お土産売り場。宗教施設というよりは観光施設ですね。
観光施設としてみるならば、なかなか素晴らしいものです。寺院の境内も広く、花木を植えて散策が出来るようになっています。牡丹園、サツキ園、更には藤の大木など、GW期間には花が満開になっています。

正直、ここには2.3度それも冬場にしか着たことが無かったんですが、こんなに花を観賞できる場所になっているとは思いませんでした。来年のGW前後、立ち寄ってみることをお勧めします。 冬の鳳凰殿(雪はないけど。。)⇒ 

ここの写真も一部しか残っていなかったんですが、、、、
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旅行日 2014.05.04

埴生護国八幡宮


花そば やぶ


砺波の関


倶利伽羅不動尊 西の坊 鳳凰殿




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タイトル (本文) ブログ名/日時
倶利伽羅峠 手向神社 倶利伽羅公園@
前々回の記事では、倶利伽羅不動尊の西之坊・鳳凰殿をご紹介しました。 僕の子供時代と云えば、山頂本堂に初詣でに行くのが、当たり前になっていました。倶利伽羅駅から反対方向に父方の本家があって、年始がてら伺って、軽トラで乗せてって貰うか、坂戸口や九折(つづらお)から、てくてくと登って行ったのを覚えています。その頃は、そんなにきつい印象の記憶がなかったんですが、改めて車で登ると結構どちらの道も険しく厳しい道のりです。若かったのかなあ。そういえば、小中学高校の頃、歩くことには全然苦にしてなかったな... ...続きを見る
つとつとのブログ
2017/05/21 19:15

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コメント(7件)

内 容 ニックネーム/日時
お花綺麗ですね
直江兼続 ついつい妻夫木君を想像してしまいます(^_^メ)  
直江兼続とこんな所で繋がっているのですね  巴御前ともつながっている\(◎o◎)/!
階段 まっすぐですねぇ  後ろ振り向いたら怖いような気がしませんか
がにちゃん
2014/06/25 21:56
私もそばは好きでいろいろな所で食べていますが、やはりいちばんは越前おろしそば。
こう書いているだけでもまた食べたくなります。

いつも知らない所の記事なので色々行きたくなりますが、高速代が元に戻りつつありガソリンも高いとなかなか厳しい〜。
流布院
2014/06/25 22:31
がにちゃんさん
そうそう、戦国武将とかはつい大河の俳優さんを思い浮かべちゃいます^^
兼続・妻夫木君の弟・与七は小泉幸太郎君でしたねえ。巴御前は小池栄子の印象が強いです^^;
階段けっこう急なんですよ^^登りはひたすら前向き^^;帰りは横の道を遠回りする人が多いみたい^^

流布院さん
越前おろしそば僕も好きですよ^^もうちょっと量があればということなしなんですが。。でも、熱い出汁の蕎麦も大好きです^^
ガソリンの高騰はきついですねえTT 仕事廻りや観光もほとんど車の僕は半泣き状態ですTT
つとつと
2014/06/26 10:44
木曽義仲、北陸では人気があるんですね。
全国的にはあまり人気のない人物でも、地元では尊敬を集めていたりします。
吉良上野介あたりも地元じゃ名君ですし、豊臣秀次も、近江八幡では町の基礎を築いた人物として、尊敬されていますね。
それぞれ地元の特色が出て、面白いですよね。
家ニスタ
2014/06/27 22:58
家ニスタさん
そうそう、地方では全国的にはマイナーだったり悪役が、人気者だったりします。
北陸だと福井の新田義貞、富山の佐々成政もいます^^ところが、能登・加賀には特出される人がいないんですよね。蓮如とか峨山とか宗教家ばかり。。越前・越中・越後。現在の石川には越の字がないんです。昔は加賀は江沼で越前の一部、能登は越中の一部でしたから^^;印象が薄いんです。
明治以降は逆に石川から福井・富山が分離してるから、福井・富山の印象が薄くなっちゃってます。越前・越中の方が馴染んじゃってます^^
つとつと
2014/06/28 19:21
つとつとさん
こんにちは、倶梨伽羅不動尊には時々参拝に行きます、行きはJR倶梨伽羅駅先から右に曲がって行きますが、帰りは埴生に出て小矢部側から帰りますが埴生護国八幡宮のことは知りませんでした、源義仲が倶梨伽羅の戦のときに初めに本陣を置いて勝利を祈願した場所の様ですが、それ以前から社を構えていると云う事は随分歴史が古いんですね、今度不動尊に参拝した帰りには寄ってみたいと思います。
鳳凰殿の藤やサツキは綺麗ですね、つとつとさんの行ったのは5月4日になっていますが、GWに行けば綺麗なお花が見られそうですね。
go
2014/06/29 10:50
goさん
埴生八幡は養老年間に宇佐八幡から文例したと云われてますから、約1300年の歴史があるみたいです。越中国司の大伴家持が祈願寄進を行っていますから、奈良時代からの由緒があるようです。義仲のおかげで戦国武将の寄進も多く、社宝も源義仲の祈願状の写しはもちろん、武田信玄・佐々成政・豊臣秀吉が寄進した鎧・采配・兜もあるそうです。元日に公開するそうなんで毎年行こうと思いながら果たせずにいます。 鳳凰殿の花はこんなに見事とは思いませんでした。GW前半が狙い目だと思いますよ^^
つとつと
2014/06/29 12:42

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