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zoom RSS 境関所B 境神社〜護国寺

<<   作成日時 : 2016/12/26 20:32   >>

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境関所跡があった境小学校跡のグラウンドの東端参道を進んで、急な長い階段を登った裏山の中腹にあるのが境神社になります。拝殿前には境関所跡を広く見渡せる好眺望の展望台があります。
展望台になるところに枝を広げた木が邪魔をしていますが、春には美しい花を見せてくれる桜の大木だそうです。
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社歴碑がないので詳しいことが解りませんが、江戸時代の境関所の絵図面にはこの神社は描かれていません。
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このことから、江戸末期から明治期の創建ではないかと思われます。ただ高台にあるために海風を受けることから拝殿は風化が窺われ、古い造りのようにも見えますが、拝殿規模が大きくやはり明治以降の建立だと思われます。予想ですが、お隣の真言宗仁王山・護国寺から神仏分離で独立したのではないかと思います。
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拝殿右横には海辺の町に多く見られますが、大正11年(1922年)建立の金毘羅大神の石塔が鳥居と共に建てられています。ちなみに、金毘羅(こんぴら)は水運の神様として認知されることが多く、琴平の金刀比羅宮(ことひらぐう)は総本宮として知られています。また薬師如来を祀る寺院では、如来を守る十二神将の筆頭・宮比羅(くびら)と同神としても知られています。
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同じ敷地越しで、お隣の護国寺に行けますが、改めて表参道から登り直してみました。
小さな軽自動車がやっとな参道沿いには、小川に沿って地蔵尊が在ったり、綺麗な花を見れたり、山頂に近づくと無骨ですが目を惹きつける巨木も見られます。
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仁王山・護国寺は大同4年(809年)弘法大師・空海によって開基されたと云われています。元々の位置は境川沿いの護摩谷と呼ばれた渓谷の境川岸辺にあったと云われています。開基以降の寺名は不明ですが地名のように密教修験の地になっていたようです。
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しかし国境の地であり源平・南北朝期には度重なる兵乱によって荒廃していたと云われています。永徳2年(北朝、1382年、弘和2年(南朝))に東寺法輪院・蒙覚によって一度は再建され復興を果たし、五大明王を本尊として越中守護の寺院として「護国寺」と名付けられたと云われます。しかし続く戦国期にも越後・越中間は敵対関係の係争地で、度々兵火を被り荒廃しきっていきました。
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加賀藩の新川郡領有となって境関所が開設されて実力者の2代目奉行・長谷川宗兵衛吉久が就任した時代に、荒廃した由緒ある寺院ということで関所近くの現在地に移転させたと云われています。移転後は加賀藩からは毎年50石が寄進されていたと云われます。
加賀藩は伝統的に藩内外の寺社仏閣の保護と寄進が行われています。前田家はもとを質すとよそ者の家柄ですから、地域住民の鎮撫の為に繋がりの深い寺社を潜在的に物心両面で保護したと云えます。
前回に記していますが、長谷川吉久が罪科で長男・次男と共に切腹し、匿われていた幼い三男も捕縛され斬首されていますが、憐れんだ付近住民が移転誘致・許可を出した所縁の護国寺境内に長谷川親子を偲ぶ地蔵尊(長谷川地蔵)を建立しています。地蔵尊は入口側の鐘楼堂の向かいの土蔵の隅に寂しげに建っています。対照的ににこやかなお笑い地蔵が鐘楼堂前からこの地蔵尊を見つめています。

移転後には徐々に伽藍も整備されていったようですが天保5年(1834年)に火災により全焼。改めて再建されたようですが、昭和24年(1949年)再び火災により全焼、2年後に本堂のみが再建されましたが、寂れるままに放置されていたそうです。山上中腹にあることと寺院への道路がないために消防車やポンプが入れず、燃えるがままになってしまったようです。
現在の表参道は昭和41年(1968年)本堂横に五大力堂(五大明王堂)を建設するために造られたもので、それまでは人力で登って搬入するしかないものだったそうです。
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真言宗寺院は日本特有に変化した大乗仏教の流れが主流の中で、即身成仏や密教を宗旨にすることから。修験など個人の昇華を目指すなど、国内では一番小乗的な宗派といえます。現代の真言宗寺院も多くがこの流れを受け継いだせいか、十八本山や諸流本山など独立意識が強い機来があるようです。とはいえ端から見ると同じように観えるんですが。。個人的見解で申し訳ありませんが、どういう理由かは解りませんが、真言宗寺院は本堂などの内部の地味さ、神厳さに比べ、伽藍周囲の庭園やモニュメントと云っては何ですが石像や構築物の派手さが目立つように思われます。この参道のおかげで護国寺五大力堂と共に五大力滝や仏塔など華やかさが一気に整備されたようです。
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ちなみに五大明王とは、密教で表される明王名で呼ばれる尊格・尊称の中で主要となる5名の明王を組み合わせるものです。真言密教では不動明王を中心にして、(東・降三世明王、西・大威徳明王、南・軍荼利明王・北・金剛夜叉明王)になります。彫像もありますが曼荼羅図で表されることが多いようです。ちなみに密教の呪法に五壇法というのがあるんですが、この五大明王を五つの壇に安置して行うものですが、現代では時たま見世物のように行っている寺院がありますが、本来は八世紀末から個人や寺社での私的使用は禁法で、国家危難、国家平安などの国家行事としてしか使えないものでした。後年には一部貴族内で隠れて八壇、十三壇と数を増やすものもあったようですが、正式なものは五壇で、鎌倉時代の元寇の時に亀山天皇が怨敵調伏・退散のこの呪法を阿闍梨に命じたのは有名なお話です。

須弥山を守護する三十三天部と対比する存在で、外部からの侵入を防ぐ傍ら一般民衆を導く役割を担ったのが明王でした。脅してでも帰依させるという気迫が憤怒の鬼神の姿で現わされると云われていて、一般民衆や異教徒と触れ合うため、その煩悩や悪行が須弥山に入り込まぬように、不動明王のように退魔の剣を持ち悪気を焼き尽くす炎を背負うのだと云われています。憤怒の姿からこの五大明王を五大龍神に見立てる考え方もあるようです。

聖観音像広場・西国三十三カ所砂踏霊場
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ちょっと横道に逸れちゃいましたが、この護国寺の見どころは何と言っても庭園になります。
前述した車の登れる表参道が完成したおかげで、庭石や仏塔などの石材が境内に搬入できるようになりました。五大力堂の建築と共に、泉水式庭園が作庭され昭和53年に完成しています。
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本堂前の庭園、本堂裏・住職宅裏の庭園には秋には紅葉も観られるのですが、なんといっても4月から5月にかけてがお薦めです。シャクナゲ(石楠花)ツツジ(躑躅)が植木されていて、泉水と共に美しい景観を織りなします。このことから護国寺は別名で「花の寺」「石楠花寺」と呼ばれています。近くの宮崎海岸はヒスイが拾えることから翡翠海岸と呼ばれて知る人ぞ知るですが、花の季節には北陸道のついでに立ち寄るには、なかなかのお薦めスポットです。






護国寺住職宅裏庭園・本堂裏庭園
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旅行日 2016.10.22




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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
なかなか見ごたえのありそうな 苔むした大木がすごいですね  長谷川親子 そうなんですよねぇ 昔は家族・親族連帯責任 私らの中学生時代までですね綿々と受け継がれていた連帯責任 一人が何かをすれば クラス全員でうさぎ跳び 運動場三周なぁ^んてすぐに言われました
がにちゃん
2016/12/28 21:48
がにちゃんさん
石楠花とツツジが咲くと綺麗だと聞いているんですが、なかなか時期がうまく合わせられなくて、まだ花の寺には会えてないんです。いつかは観たいと思ってるお寺です。山の中腹にあるのでなかなかの木が残っています。この木もツタが絡まっているんですがどうかしたように見えるでしょ。
そうそう、連帯責任、小学校の頃、クラスで先生に言われたなあ。。
つとつと
2016/12/29 08:38
境神社から護国寺まで、
旅先で歩いてるような気になりました。
護国寺のお庭は立派なものですね。
本筋から外れますが、「翡翠の拾える海岸」
という部分に、思わず目が留って…。
昔々、古代史に興味を持って、古墳巡りを
してた事があったんですが、その翡翠は
古代人が好んだ新潟の姫川流域の原石が流され、
海岸に打ち上げられたものでしょうか。
久し振りに古代のロマンを感じました。
yasuhiko
2016/12/31 16:44
yasuhikoさん
おっしゃる通りです。翡翠の産地として知られる姫川の河口はここから20キロの場所になりますが、姫川の翡翠石と世界最古の製造工場のあった長者ヶ原遺跡は有名ですが、青海川、境川でも小振りな翡翠石が採集されています。そして、宮崎・境海岸には小振りな翡翠が打ち上げられるそうです。どの河川かははっきりしませんが。。ただこの三河川は同じ山脈山地に属するようです。
古墳と云えば、北陸最大の前方後円墳は石川県の能美市にありますが、近年国指定史跡になったので、調査・整備が新しく、形状や構造が解りやすい状態です。機会があれば必見ですよ。
つとつと
2016/12/31 22:27

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