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zoom RSS 金沢駅東口〜石川県立音楽堂〜平岡野神社

<<   作成日時 : 2017/01/10 14:41   >>

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金沢駅東口がリニューアルされて鼓門(つづみもん)もてなしドームが完成したのは、早いもので平成17年(2005年)3月でしたから、もう12年も経つんですねえ。。

平生、完璧な車人間の僕は、電車や汽車を利用することはほとんどなくって、当然ながら駅構内に入ることはほとんどありえない世界が正直なところ。。最後に金沢駅のプラットホームに立ったのは、友人の娘さんの結婚披露宴の2次会で駅前のホテルのレストランに行った時(15年前)だから、まだ現在の東口改装の完成してない時で、百番街が出来た頃で、まだ懐かしい雑然とした駅風景でした。ついでにいえば、家族や知り合いの送り迎えも車の停車しやすかった西口が多かった(昨年からは西口もタクシー乗り場が増設されて一般車は停め難くなった)。。しかも西口から金沢駅構内には喫茶店や百番街に2.3度入っただけ。。
と、いうわけで、車では駅前道路を何度も通って鼓門やもてなしドームの姿は何度も見ているのですが、準地元ともいえる金沢駅なのに、表玄関の東口には前述の披露宴の2次会以来、立ったことがなかったんですねえ・・
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この新装になった金沢駅東口に、初めて立ったのはナントナント10年以上経った昨年(H28)10月になってしまいました。
建設時、完成時には正直高い金(詳しくは知らないけど50億以上をかけたと云われています。)かけて、能楽(加賀宝生流)に使われる鼓を2本立てたような門と、アルミパイプとガラスを組み合わせたもてなしドームの姿を観て「変なの掃除が大変そう」などと思ってましたが、ライトアップの夜景は美しく観えましたねえ。平成23年(2011年)にアメリカ大手旅行雑誌「Travel & Leisure(トラベル アンドレジャー)」のWeb版で「世界で最も美しい駅14選」で6位に選出されていました。やはり夜景のライトアップが決め手だったようです。
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ちなみに、もてなしドームに使用されているアルミ合金のパイプ3mを6000本組み合わせたアルミトラス構造でアルミ合金構造体としては日本最大級なんだそうです。これに1.5X1.5mの強化ガラスを3019枚組み合わせているそうです。もてなしドームのコンセプトは「雨風をしのぎ、金沢に訪れた人々に、そっと傘を差し出す金沢人の優しさ、もてなしの心を現す。」ということだそうです。知らんかったあれは透明傘だったんだ。
またとんでもない透明傘なんだなあ。

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昨年(H28)10月、久しぶりに家族の休みが重なった日、娘と嫁さんに頼まれて石川県立音楽堂まで送ってやることに。。この県立音楽堂は金沢駅東口の右手にあるコンサートホール。
悩みに悩んで、予約チケットを購入した二人。予定が不明だった僕は仲間はずれ。。ちなみにご購入したのは・・・

演奏:オーケストラアンサンブル金沢 指揮:田中良和 「ドラゴンクエストコンサート」
演目:すぎやまこういち 交響組曲ドラゴンクエストX天空の花嫁


クラシック音楽に造詣の深いブログ仲間の家ニスタさん あたりが見たら邪道だと怒られそうですが、、、
一時期、大流行したゲーム音楽のクラシックコンサートですが、ドラゴンクエストは昨年2016年で発売30周年のロングセラーになります。その30周年を記念したグッズ・ミュージアムなど多彩なものが販売・開催されていましたし、現在も各地で開催されているようです。クラシックコンサートも演目は違うようですが、10回ほど開催されていたようです。⇒ ドラゴンクエスト30年ポータルサイト
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ファミコン世代と云われる40.50代世代には身に覚えがあると思いますが、ファミコンでは画期的なトコトコ歩きにセーブの為に訳の解らん呪文を書き写しては失敗したり。。それですっかり嵌まり込んで、家族をほったらかして二次元世界に入っていたお父さんがいかに多かったことか。。御多分に漏れず僕も嵌まり込んでいて、すっかり嫁さんとの間に溝を作っていました。それは娘が幼かった頃も続いていて、スーパーファミコンになってからもお父さんっこだった娘は横に引っついてはドラゴンクエストの世界に魅入っておりました。
保育園・小学生の頃には、ドラゴンクエストに加えて嫁さんの実家で義兄のファイナルファンタジー(FF)も強奪して、すっかりゲーム大好き少女になっていましたねえ^^;ゲームの方はドラクエとFF以外には太鼓の達人とプヨプヨにちょっと手を出すだけでしたが、その後はオタク街道まっしぐらでアニメや漫画に嵌ってアニメイベントに出かけるほどに。。

さすがにコスプレは一度で断念したようですが、今でも冊子やラミネートグッズは続けているようです。。。そういえば何年か前まではイベント会場につき合わされましたねえ。なかなか同年配の人には出会わないんで恥ずかしかったですが、おかげで漫画家志望の子と何人か知り合いになったし(何人かは漫画賞に入選したりデビューした子もいましたねえ)、オークションでFFやガンダム、天野喜孝・吉田明彦のイラストポスターを買っていたなあ(僕と嫁さんが、、、、娘のじゃなくて自分用に、部屋にいくつか飾っています。)。

とポスター持って、テーブル見て回って、コスプレの凄さと見事さに目を点にして見ているおじさん・おばさんの図。娘の趣味嗜好は多分に両親の血のなせる業らしく、ばれたらグッズを捨てられると親の目を盗んでコソコソとイベント参加しているお仲間には、信じられないくらいアニメや漫画が好きで、理解のあり過ぎる両親は羨ましがられていたようです。ただ困るのは漫画本や小説本の趣味が家族で違い過ぎて、各自の部屋に本があふれているのが何とも言えないけど。。。
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そのような趣味の娘はドラクエ8の後はドラクエがDSやWiiに移行したこともあり、プレステのFFやテイルズに移行していましたが、ドラクエ自体が嫌いになったわけではないようです。自分でゲーム機を操作した初めてのロールプレイングだったスーパーファミコン「ドラゴンクエストX天空の花嫁」への思い入れは強く、もちろんプレステ用に再販売された1〜4はもちろん8まではプレーしたようです。確かに主人公三代を描いて、花嫁を選ばせるパターンはなかなか面白かった。ビアンカ・フローラの二人どちらを花嫁として選ぶか悩んだ諸氏も結構いたようです。ちなみに、僕はビアンカでした。あの流れでフローラを選んだら人でなしと云われそうでしたが、我が嫁さんと娘はフローラでしたねえ。。回復系のフローラの方が後々楽なのは確かなんですけどね。
FFでは「ファイナルファンタジーZ」がキャラクター・ストーリー共にお気に入りで昨年発売のリメイク版もしっかり手に入れた様子。僕は]の方が好みですけどね。でも10−2以降ゲームはしていないなあ。。

そして、ゲームに使用されている音楽がお気に入りになるのは当然の道筋で、娘にとってはすぎやまこういち氏と植松伸夫氏は神様みたいな存在。。何年か前にFFのコンサートライブに同じく嫁さんといったときに、閉会後の楽屋で植松氏と握手&会話の権利に当選というラッキーな機会を得たのに、感極まって握手の後は涙を流
して一言も話せなかったと嫁さんが言っていたなあ。植松氏も苦笑いしていたそうな。。。
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石川県立音楽堂は平成13年(2001年)に開館したコンサートホールで、金沢駅前の好位置にあります。コンサートホール1560席・邦楽ホール691席・イベント、練習、音楽交流などの多目的使用される交流ホールから構成されています。
コンサートホールはオーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)の本拠地になっていて定期・特別コンサートが頻繁に行われています。今回のドラクエコンサートもその一環の一つになるんですかね。
詳しくは県立音楽堂のHPをどうぞ、

地下駐車場があるらしいんですが、駅前には不案内な僕は駅前有料駐車場に駐車。
金沢駅近辺をうろうろすることに。。。ゆ っくり新しくなった金沢駅構内をのんびりと歩くのは初めてで、変わったのには目新しさと好奇心でうろうろ、、、ただ、ブランドショップや見慣れたというより観光目的のお土産品はみても面白くないので(百番街より実店舗の方が味わいがありますから)早々に退散。。とにかく、人混みは苦手
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日頃は通り過ぎるだけの駅近辺をしばらく散策して、音楽堂の喫茶コーナー・コンチェルトでTVにコンサート風景と音楽が放映されていたんで、のんびり聴きながら、二人を待っておりました。。。。コンチェルトではコンサートホール・能楽ホールが使用中の時はケーキセットはありません(残念)。パンになっちゃった。。
ケーキセットやワインを飲みながら至高の時間、OEKの演奏を間近で聴きながらも時間は決まっているようですが。。
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散策途中で立ち寄った平岡野神社
金沢駅から一番近い位置にあり、古くから尊宗を受けていたようです。駅近くの密集地ですが意外に境内が大きいことからも窺われます。この神社は初訪問でした。しげしげと境内を散策していると、拝殿を訪れて柏手を打っていく人が多いことに気づきます。

平岡野神社由緒書・・・
当社は古来山王の社、又は山王明神と称えられ、祭神は伊弉冉尊(いざなみのみこと)大山咋神(おおやまくいのかみ)大国主尊の三柱である。
歴史にも記されている旧社で「山王社略記」には、桓武天皇の延暦十二年(793年)泰範上人が直を給わり建立され、当時七堂伽藍が雲上にそびえ、美を極めたと記されているが、やがて神社のある平岡野小立林は「大日本史」や「源平盛衰記」に出てくる戦場の地となって、寿永2年(1183年)より数度の兵火を受けてはなはだしく荒廃したのである。
しかしその後、加賀の国守富樫氏が累代崇拝し、元応元年(1319年)足利高氏が愛染明王図絵塔婆を奉納して息災、延命、武運長久を祈願したのである、これは現在金沢市の重要文化財に指定されて、当社に宝物として現存している。
また前田利家や桃井直和、佐久間盛政等の武将達も戦勝を祈願して社料や刀剣を奉納したことなど記録に多く残されている。
さらに富樫氏の出身で豊田郷を領有していた豊田一族は当社を守護神として、社料など奉納し崇拝したので、豊田郷の総社と呼ばれて、郷民の崇敬も高くなっていったのである。
また「金府産神祭礼記」に旧暦九月七日の山王祭には当社の神輿は、金沢城下および郡地を渡御して藩侯親しくこれを迎へ、城下一体の総祭のありさまにて、すこぶる賑いを極めたと記されている。
明治維新の頃「日吉社」と言われたが、その後に平岡野小立林の地名にちなんで「平岡野社」と改称され、さらに明治七年(1874年)に石川県通達によって、「平岡野神社」となり現在に至っている。
明治三十九(1906年)年「村社」に指定され大正十年(1921年)に「郷社」に昇格して神饌幣帛料を供進された。
昭和二十八年(1953年)六月「宗教法人平岡野神社」として認証されたのである。
                                      平成元年五月吉日 宮司 

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平成に入って書かれた由緒書にしては微妙に読みにくいのは久しぶり。文内事象や人物の登場年代が前後するのは困りますね。更に下手に歴史を齧ると、えっ?となる部分が多いので、石川県神社庁平岡野神社の御祭神・由緒を観ると
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石川県神社庁HPから
御祭神
大山咋神 伊弉冊尊 大国主尊 

由緒
桓武天皇の延暦20(西暦802)年に天台第4氏の座主泰範上人が勅命により北辺の鎮護として坂本の山王権現を勧請建立し、古来石川郡豊田郷の総社として国守武将の尊信が厚く、富樫氏が代々尊崇した。また、足利尊氏(一説には近江国の守護佐々木・京極氏)が息災延命武運長久を祈願して当社に奉納した愛染明王国絵塔婆は、現在、市文化財に指定され現存。古くは平岡山王宮又は山王社と称し、維新当時は日吉社と改称したが、明治6年平岡野社、更に明治7年6月に平岡野神社と改称。大正10年郷社となり神饌幣帛料が供進された。

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由緒書からの考察・解説
古い神社を紹介する際に、以前から僕は延喜式神名帳を引用することが多いのですが、延喜式神名帳は延長5年(927年)に神祇官によって纏められたもので、その記述が全国に渡って残されているものですが、。それよりも先の貞観5年(863年)に太政官符で国司に管轄する国の神社と社格を載せた神社帳の写しを提出させたのが国内神名帳と呼ばれるものです。この二書が神社の公的な原戸籍のように扱われています。つまり、当時(863、927年)以前に存在が確認できる神社ということです。ただ遷座や復興もあるので要注意。。
ただし、国内神名帳は祀祭・参拝を重要業務とした国司の事務管理から記載したもので貴重な資料ですが、現存する物が18国と少なく、中世になってから加筆・修正が加えられているそうで、真偽とまでは云わないまでも不確かな部分もあります。加賀国関連では記載が残っているのは石川郡だけになっており、その数は17座(延喜式では10座)になります。

国内神名帳では神階から言えば、石川郡の山王明神は正5位上(下?拝殿前の石碑には正五位下になっていました)となっていたようです。ちなみに石川郡のトップは白山比当セ神( 白山比盗_社)の正一位。
以前、少しだけ紹介していますが、金沢港の発祥地ともいえる大野湊にある大野日吉神社も、近江坂本の山王権現を勧請した山王明神の後継と伝えています。大野も平岡も江戸期以前の資料があまり残っておらず、どちらがとは断定できないようです。余談ですが、大野湊も平岡野も江戸期以前は石川郡であり、湊から金沢城への重要路の金石街道の始点と終点になりました。平岡野は上の由緒内のようにに石川郡豊田郷と呼ばれていました。ただし平安末期に派生した豊田一族は富樫氏の庶流と書かれていますが、加賀介として在地豪族の主要な存在だった林氏から共に分かれた庶流として、当時は富樫氏とは同格の在地豪族の一員とするのが有力です。
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開基の泰範については最澄・空海という当代の2大傑物に師事しており名の知られた人物ですが、延暦寺が創建された5年後とはいえ、793年ではまだ15歳で最澄の弟子になっていたかも微妙なところ、。。神社庁の由緒の802年にしても延暦寺(山)に入って修行中の身で、この年は最澄の唐留学が決定した年で最澄を飛び越して天皇の勅命が直接降ることは考えられません。最澄もしくは他の人物だと思われます。

ちなみに泰範が表舞台に出るのは最澄帰朝後の弘仁元年(810年)、延暦寺の寺法・寺院を最澄と共に作ったところからで、3年後には最澄の病気時に総別当として法主代行の地位についていますが、延暦寺内混乱・紛争が収まらず責任を取って休暇願を提出して近江高島に隠遁しています。最澄はその後も泰範を後継者として考えていたようで、半年程後に空海に灌頂教授を受けるため高雄山寺(神護寺)に向かう際には泰範を誘い同行させると共に、延暦寺からの糧米の調達を指示しています。高雄山寺での2種の灌頂伝授の後、最澄と空海の対立によって、最澄と延暦寺の弟子は延暦寺に引き上げますが、密教伝授・探求に燃える泰範はそのまま在留し空海門下になります。最澄は泰範を諦めきれず再三に渡って復帰の手紙を出し続けていますが、空海に代筆の手紙を出させ最澄に別れを告げ、空海と行動を共にし、高野山開創には空海一族の弟子・実恵(道興大師)と共に奔走、草庵を作り、後には弘法大師十大弟子・四哲に数えられています。比叡山・高野山開創の双方に係わっており宗教界では重要人物ですが、晩年の詳細は表に出てきていません。ちなみに最澄は死ぬまで泰範の復帰を願い続けたと伝えられているそうです。

推測するに、神仏習合時代において平岡野神社は「平岡山顕證院」という真言宗系の寺院だったと云われています。山王権現は延暦寺のある比叡山の守護神であり、京からの鬼門の鎮護を先に進めた北陸道に同じ山王権現を置いたのは延長鎮護と言えます。当然、この発祥を引き継ぐには天台宗ですが、真言宗としては延暦寺と高野山双方に関係の深い泰範を開基として取り繕ったのではないかと思われます。
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社宝には「愛染明王国絵塔婆」という愛染明王図が描かれた掛け軸ですが、社伝では元応元年(1319年)に北陸巡業中の足利尊氏(高氏)が献納したものと伝えられています。しかしこれまた疑義があって、この年では足利高氏は15歳で元服・初叙任を受けた時で、同じ諱・高氏を持っていた佐々木(京極)道誉ではないかという説があります。ちなみに佐々木道誉は太平記でも尊氏のライバルであり、終生の戦友として準主役級の扱いです。室町幕府の立役者でもありバサラ大名の先駆者ともいわれる人物です。この当時は有力御家人の叔父・佐々木貞宗の家督を継いで京都在住だったと思われ、数年後には寺院・寺社とつながりの深い検非違使に就任していることから推測されているようです。
明治の神仏分離で仏神の愛染明王は、近くの真言宗寺院の放生寺に移され年2回の彼岸祭に「愛染明王尊大祭」として法要を受けているそうです。金沢市重文に指定されています。

足利尊氏・佐々木道誉の他で戦勝祈願をした武将に関して、、
南北朝期、足利尊氏・義詮・高師直と直義・直冬(尊氏の庶子、直義の養子)が身内で争った際に直義方に主戦力として味方したのが越中守護の桃井直常(ただつね)直和(ただかず)親子。特に直常はとにかく戦上手で、北畠顕家の2度目の上洛戦で戦死させており、観応の擾乱では打出浜で尊氏・高師直を敗走させ、直義死後の直冬の乱では北陸から駆け付け、再度洛中占拠を成功させて尊氏を敗走させています。この際に北陸道で立ちはだかったのが加賀・越前の豪族連合軍でしたが、最終的には加賀・越前・近江の尊氏方を蹴破って上洛占拠を果たしています。この合戦で在地豪族の多くが加賀の歴史から消え、富樫氏のみが後に復活しています。桃井親子(直和のみ?)は途上でこの神社(当時は平岡山顕證院)に立ち寄って戦勝祈願を行ったと云われています。
佐久間盛政は織田信長の北陸侵攻軍の柴田勝家の下で加賀を任されており、金沢御堂後の金沢城の初代城主になります。前田利家はその後に能登から金沢城に入城して加賀藩の基礎を築いた人物。
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由緒には書かれていませんが、拝殿前の嘉永2年(1849年)の彫り銘がある石祠に納められた2体の地蔵尊の傍らに松があります。石碑には源平合戦の頃、この松は見廻り一丈六尺(4.85m)・高さ十七間(約31m)あったと云われその当時から2体の地蔵尊があったとなっています。丈六は仏の身の丈、間は建物の寸法に使うことから大木ということを伝えたかったと思いますが、源義仲がこの大木の松に陣所を置いたと伝わっているそうです。
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多くの神社で見ることができますが、神殿の屋根の両端に角のような物がありますが「千木(ちぎ)」と言います。
この千木の先端が水平(内削)なものが女性神垂直(外削)なものは男性神を現すとされています。また千木の間の丸太のような物は鰹木(かつおぎ)といいます。これまた鰹木の数が偶数だと女性神奇数だと男性神を現すと云われています。多くの神社はこれに倣った造りになっています。
ところが、平岡野神社の神殿では千木は水平で、鰹木は5本で奇数になっています。ちょっと矛盾した不思議な造りになっています。三柱の神を祀って一応大国主を主祭神としているようですが、本来は別の男女同列の主祭神がいたのかもしれません。

これはうろ覚えなんですが、平岡野神社の秋祭りに出る獅子舞は矢口の大獅子と呼ばれて、ちょっと面長で口が変わった形だったと思いますが、北陸のダ・ヴィンチと呼ばれた大野弁吉作で、弁吉作では最大の大きさと云われていたと思います。
古くから伝わる古社、近在や旅人の厚い信仰と伝統があり、反面にいろいろな矛盾や不思議を抱えた神社です。。。

旅行日 2016.10.10










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コメント(5件)

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金沢駅 鼓門ともてなしドーム もうそんなに年数がたつのですか たったころに行った時 ちょっとびっくりしました 
がにちゃん
2017/01/11 02:21
金沢を旅行したのは20年くらい前。
駅の鼓門、もてなしドームは知りません。
「そっと差し出す傘」にしては、ずい分
大きくて目立つ傘という気もしますが、
濡れずに済む範囲が広いのならばいいですね。
そう言えば、久し振りに京都を訪ねた時、
京都駅のあまりの変わりように、
びっくりした事がありましたっけ。
yasuhiko
2017/01/12 14:26
がにちゃんさん
僕より先にがにちゃんさんの方が間近に見たと思います。
久しぶりに行ってみたら、金沢駅の構内も地下も地上も変わっていて、迷子になりそうでした。まだ歩きが多かった頃は地下道や地下街を通り道にしていたんですが、今はすっかり離れてて、異世界でした。

yasuhikoさん
そうそう京都駅もガラス張りで、僕も初めて見た時は驚きました。ちょっと見には京都駅にコンセプトは近いかもしれません。
僕も傘をイメージしてると云われて、物は言いようなんて思っちゃいました。改装したおかげで表を歩いても、濡れない場所は増えたようです。以前は地下街や地下道を抜けて武蔵に向かってたんですが、地下道は暗いイメージは消えたけど、広すぎて逆に寂しいかも。。
つとつと
2017/01/15 02:37
いえいえ、邪道とは思わないですよ。
ドラクエ・コンサートやスター・ウォーズなどのムービー・コンサート、今ではオーケストラの重要なレパートリーになっていると思います。
僕は世代的には重なっているんですけれど、ドラクエはなぜかはまらなかったんですよね。
最近はプレステ4でサッカー・ゲームなどをちょこちょことやるくらいですね。
FFなどは一度プレイしてみたいと思っております。
家ニスタ
2017/01/22 00:35
家ニスタさん
クラッしく音楽やオーケストラには日頃見向きもしない母娘ですが、ドラクエ・FFには聴きなれているのか、ホイホイ出かけていきます^^;
確かに云われてみれば、オーケストラのレパートリーになっていますね。何はともあれ聞いて貰えなければ始まりませんからね。
OEKは管弦楽がメインなので、駅広場などでもカルテットを披露しています。GWのラフォルジュルネが運営会社との契約解消で開催が危ぶまれたんですが、名前を変えて開催されるそうで胸をなでおろしているようです。今年はベートーベンだそうですが、以前のように著名な演奏家が呼べるかが課題のようです。
RPGはなかなか根気がいるのでしばらく離れていますが、またFFはプレーしたいと思っています。主題歌に名曲が多いのも特徴ですから^^
つとつと
2017/01/22 10:41

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