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zoom RSS 白山七社A 岩本神社

<<   作成日時 : 2017/06/07 20:32   >>

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だいぶ日が経ってしまいましたが、白山七社シリーズに戻ります。
前回のブログ ⇒ 白山七社@ 古宮公園(白山本宮跡)周辺

白山山頂の奥宮へと参拝する禅定道は、加賀・越前・美濃の三道がありました。古来の禅定道は信仰の道ですから、自分の足で歩くのが基本でした。どんな有力者・分限者であれ変わりはありませんでした。
古く伝統のある神社や寺院の入り口では観ることがあると思いますが、下馬下乗の石碑や掲示札(下馬札)があります。

大きな神社になるとその神域は広大なものになっていきます。白山神の神域もなかなか広大なものになります。最初に元も子もないことを書いてしまいますが、白山という名の山は本来はここには存在しないんです。御前峰(2702m)・剣ヶ峰(2677m)・大汝峰(2684m)の白山三峰、三県が跨る別山・三ノ峰を加えた白山五峰を中心にした山地の総称が白山になり、正式には両白山地・白山連峰といいます。ただ両白山地にしてしまうと、富山・石川・福井・岐阜;滋賀の山並みのほとんどになってしまうので、白山と云えば前述の五峰を中心にした連山を指して言います。白山開祖の泰澄上人が拝んだ別山・御前峰・大汝峰白山三山と云います。この三山にそれぞれ別山神社・白山奥宮・大汝神社が置かれています。この三山が白山神の総称地になります。

当然ながら、この神の山地・越のしらやま・白山に登る禅定道も神の道ということで、下馬下乗の対象になったわけです。加賀・越前・美濃の三禅定道が成立したのは平安時代初期で、その起点(加賀・越前・美乃(美濃))に馬場が置かれ、そこが下馬地になったわけです。三箇の馬場(ばんば)と呼ばれていました。
天長9年(820年)この起点地の三馬場にそれぞれに白山寺(加賀馬場)・平泉寺(越前馬場)・長滝寺(美濃馬場)という神宮寺が建てられました。

この三神宮寺はそれぞれの発展を遂げて、各馬場の顔となっていきます。
美濃の長滝寺(ちょうりゅうじ)白山中宮長滝寺となって、最盛期は六谷六院三六〇坊を数えたと云われ、系列の白山神社は8000社を数え、三か寺では最多を数えます。今でも白山神社の数は岐阜県が最多です。
越前勝山の平泉寺(へいせんじ)霊応山平泉寺となって、巨大な宗教都市を構成して、僧兵8000人を抱えていたと云われます。その兵力は北国合戦の源平戦の主役を演じていますし、戦国期も朝倉氏と肩を並べる越前の一大勢力でした。
加賀の白山寺白山本宮白山寺として発展。禅定道の行程が長いこともあって白山七社・八院が点在して、それぞれの勢力を誇ることから共同統治のまとめ役の頭的存在となります。

本来は白山山地を取り囲むように存在して協同すべき三か寺ですが、会社が大きくなると頭に立ちたがるものです。長い期間、平安時代から白山山頂の管理権・祭祀権を争っています。一応の決着を見たのが江戸期の寛永8年(1688年)に幕府の裁定で白山麓18か村を天領にする条件で、白山山頂は平泉寺領とされ山頂の管理権・祭祀権がゆだねられます。
ところが明治の神仏分離で、平泉寺と白山寺が廃寺、それぞれ平泉寺白山神社白山比盗_社となります。長滝寺は廃寺は免れますが、長滝(ながたき)白山神社と境内を共にしながら一隅に追いやられています。
ここで明治政府は延喜式神名帳に白山本宮の名しかないという理由で白山比盗_社に白山山頂の管理権・祭祀権を委ねています。江戸期の裁定もひどい政治的配慮の偏見的ですが、明治の裁定もひどいもので、無理に神仏分離を行って神ありきの裁定はどうかと思います。ただこの三か寺(現在は神社ですが。。)は、現在の白山信仰でも重要な役割・足跡を残すもので、優劣はないと思います。

この三か寺と白山三峰の三社(白山比盗_社平泉寺白山神社長滝白山神社)は是非訪れてみてください。白山信仰を知るには打ってつけです。そして白山神への参拝路の三禅定道。それぞれに特色があります。そうそう、江戸以前の神仏習合の名残なら、山頂の下山仏を安置する白峰の林西寺をはじめ、幾つかの神社に点在しています。

白山への直接の登山道になる平泉寺、石徹白(いとしろ)の白山中居神社を登山口に持つ長滝寺が神宮寺として、越前・美濃のトップとして隆盛したのに比べて、加賀の白山麓では禅定道の行程が長いことと、白山関連の寺社が加賀国内全体に広がり、とくに政治・民衆の中心地・加賀国府が南西にあるために、禅定道とは別に、三坂峠越えの道で別宮を経由して禅定道に合流する道があり、禅定道馬場のある本宮四社と三坂峠越え中宮三社に勢力が分散し、このために双方をまとめた白山七社として、それぞれの力を持ったまま運営されていました。例えば京に神輿を押し出した安元事件にみるように中宮が惣代になっていたようにです。白山寺は議長・代表みたいな存在と云えました。

加賀白山衆の全盛時の社領地の範囲は加賀全土といって良いくらいに広く、平泉寺や長滝寺の一地域の単独支配が難しかったという事情もあります。点在する白山神社関連の寺社の統括を行ったのも白山七社(白山七宮)の各宮の元に白山八院と呼ばれた寺院が配下となり、共同体的組織になっていたわけです。それだけ白山七社の各宮の存在は大きかったと云えます。
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前置きが長くなりました。白山七社はそれぞれに権限が強かった七宮ですが、戦国期の一向一揆衆の台頭や明治の神仏分離で大きく衰退し、白山本宮白山比盗_社、鶴来町の名のもとの金剣宮を除けば、伽藍を置くために広い敷地が必要なために、山上や山中に離れており、無人で静かな田舎の神社になっています。
岩本神社も広大な能美平野の東端の山裾の高台にあり、近郷に大事にされている神社のようで、広い公園のような境内敷地も綺麗に草の処理を施されて美しい神社です。白山七社の中では一番美しい環境かも^^
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このブログではすでに、今は無き三宮の地、その地に遷座した本宮(白山比盗_社)、剣宮(金剣宮)中宮(笥笠中宮神社)を紹介しています。前回の本宮・三宮につづいても本宮四社の一つ・岩本宮をご紹介します。
これで、本宮四社(本宮・三宮・剣宮・岩本宮)は全部紹介したことになります。
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まずは、境内にある能美市教育委員会の案内板から・・・

能美市指定文化財 史跡 岩根宮(いわねぐう)

岩根宮は白山比盗_社の白山七社(中宮、別宮、佐羅、金剣、下白山、三宮、岩根宮)に数えられ、鎌倉時代の文献「白山之記」には「岩本宮」として「宝殿・拝殿・講堂・鐘楼・水宮・小社・巨多(こた)也、但奥宮に 白鳥と云て尼神也」とあるように広大な神域に大小多くの建造物があったと想像される。

室町時代の文献「大永神書」には「岩根宮仁明天皇御宇嘉祥元年戌辰(848)月日、本地十一面御垂迹(すいじゃく)僧形高皇産尊(たかむすびのみこと)」と記され、本尊には十一面観音像が祠られている。

室町時代の文献「義経記」には「後鳥羽上皇、文治二年(1186)二月十日、源義経通夜す」とあり、義経一行が安宅関を越えた後、白山(本宮)を拝もうと来宮したが警戒が強いので岩根宮の十一面観音に詣でて、武運を祈願し通夜したとされている。

昭和39年5月1日指定  平成17年2月1日 能美市教育委員会

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源義経通夜記念の碑 源義経通夜記念 文治二年〇二月十〇
裏面は摩耗で建立年月は不明

※簡単な解説 単純な文献の引用の羅列ですが、大永神書は知りませんでしたが、白山之記は承安2年(1172年)に書かれた白山宮最古の縁起です。各神社や県市町村などはこの文献を重視して、由来碑や縁起碑、案内などに引用しています。神仏習合の思想が強くなった時代で、仏教思想・表現が強くなり始めた傾向があります。
文中の「下白山(しもはくさん)」「岩根宮」は本宮・岩本宮の古称・別称ですが、後で書きますが、岩根宮には僕は疑義を持っています。 巨多(こた)は「たくさんある、数多ある」という意味。 白山神(白山奥宮)は菊理姫神という女神で、白山の白い姿から白鳥・白馬・白蛇などに化身すると云われています。

左下:嘉永2年(1849年)8月銘の寄進灯篭
右下:境内の巨樹跡



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※解説の続き 垂迹(すいじゃく)は、本地垂迹とも云いますが、仏教と神道が結びついた思想で、仏・如来・菩薩が人々を救うために、日本の神々の姿で現れるという考えです。 岩根宮では高皇産尊(たかむすびのみこと)を本地としています。高皇産尊は天地開闢の造化三神の一神。ただ十一面観音は白山信仰では菊理姫や天照大神に擬するのが多いので、本尊がなぜ十一面観音かというのはちょっと不明。。別の伝承では岩根宮は白山第二王子とする伝承があるんで男神は間違いないようです。
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※解説の続き 義経記では安宅関の記述はなく安宅の渡しを通って源義経の参拝は岩本宮で通夜しての翌日、本宮・金剣宮に参拝としています。金剣宮は本宮の裏山筋で隠れて過ごすのは良しとしても、本宮や剣宮に行くには手取川を渡る必要があります。当然ながら警戒厳重なら岩本の渡しは警戒ポイントの最たるものでよく渡れたものです。
その後、義経一行は宮腰(金石)に向かい、弁慶一人が布市(野々市)の富樫館に向かいます。
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いきなり「岩根宮」の名前を冠していますが、この岩根宮については、岩本宮をもって岩根宮に比するのには僕は疑義を持っています。
岩本神社では岩根の謂れとして、以前紹介した天狗壁の頂上にある磐座に関するように伝えていますが、それではちょっと違和感が強すぎます。岩根というより岩上になってしまいます。更に言えば、もう一社、岩根宮だと伝承する神社があります。白山麓の奥にある白峰に岩根神社というのがあります。こちらも岩根宮だと伝えています。
岩根神社は白山登頂から下山した泰澄上人と市ノ瀬の住人・笹木源五郎を迎えたのが起源とされる国選択無形民俗文化財指定の「白峰かんこ踊り(神迎踊り)」の発祥地ともいわれる神社です。
この岩根神社は、今は一つになっていますが、かつて大きな巨岩が三つあってその上に社が置かれていました。さらに大ケヤキがこの岩に根を張っていたと云われます。今もその痕跡が残っています。この謂れからも岩根宮は岩根神社が有力だと思われます。
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※加賀では珍しいのですが、この神社の狛犬は左右共に獅子という古い形態です。建立は新しそうですが古い形式をとっているようです。阿吽の形態は獲っていますが、、、加賀では通常は角のある狛犬と角無しの獅子が対の場合がほとんどです。

ただ岩根神社にも弱みもありまして、この神社のある場所は加賀禅定道とは遠く離れており、越前禅定道の経路上ともいえます、、今は一般に人気のある砂防新道・観光新道の始点になる別当出合や市ノ瀬ビジターセンターに向かう白峰口から少し行った道ぞいになります。また白峰(古名は牛首)は平泉寺のある勝山との関係が深く、加賀よりも越前の影響力の強い地で、史上でも越前・加賀の境界争いの地にもなっています。中世も混乱は続き両国の間を行き来していました。、江戸時代には、越前・加賀に幕府裁定が入り幕府天領となっていました。それでも、岩根宮の伝承はどうみても、岩根神社の方に分があると思います。機会があれば岩根神社も近いうちにご紹介しますね。
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白山之記に記されている岩本宮は、まちがいなく岩本神社のことで、加賀禅定道創始期(820年)はともかくとして加賀国が成立(823年)して平安末期、白山之記が書かれた頃には岩本宮が白山七社と認識されています。個人的見解では当初加賀国成立時は岩根宮は白峰で、混乱期に白峰が越前領になった際に、岩本宮に変わったと思われます。
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手取川に架かる天狗橋の辺りには、かつては能美の岩本宿と鶴来の大国町を繋ぐ渡し船がありました。別名を「岩本の渡し」。以前も書いたように加賀国府から加賀馬場に向かうにはこの岩本の渡しは必須の交通機関でした。岩本宿はこのために大いに賑わったと云われ、その宿場の取り纏めとなる岩本宮は重要な存在と云えました。
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安政年間の地元史家・小倉有年が記した鶴来から山代までの紀行文にも岩本の渡しが出るように、岩本の渡しは長い期間、一般人にも開放されていたことが窺われます。また岩本宮が白山七社として、認識されていたことも窺われます。唯一、白山七社の中で、加賀禅定道の上にあるわけではありませんが、本宮の玄関口としての役割は大きく、加賀禅定道を踏破しようと考えれば、当時の加賀(江沼)・小松や能美の人たちにとっては、必ず通る宮や宿場になり重要度は高かったと思われます。当然ここで渡し船の手続きや待合になったと思われます。
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岩本神社の境内は住宅道から見上げると大きく感じませんが、登ってみると往時を思わせるように境内敷地は広く感じます。岩本神社の資料には「仁明天皇嘉祥元年の創建にて白山記中の白山七社のその一白山第二王子にして岩本宮宝殿拝殿講堂五間二面鐘楼水宮小社巨多也」とあるそうです。この敷地なら5間四方(約9m四方)の宝殿(本堂・神殿?)、拝殿が2棟は他の施設があっても余裕で建てられていたと思われます。

拝殿前にある旧の手水石の大きさや五輪塔などの石塔も、様式は古の古さを思わせてくれます。

追加 岩本宮が白山第二王子となっていますが、第一王子は剣宮になります。つまり、金剣宮と岩本宮は兄弟神を祀ることになります。

旅行日 2017.05.15

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コメント(10件)

内 容 ニックネーム/日時
書かれていらっしゃるように 清められてすっきりしたお社ですね

お花も綺麗に咲いていて・・・

五輪塔が 片寄ってるようで 印象的です
メミコ
2017/06/08 09:50
こんにちは、何気なく白山比盗_社のお参りに行っていますが、明治の神仏分離令によって白山信仰も紆余曲折があったようですね、泰澄上人が白山三山を開山してから1300年の節目の年で市や那谷寺では各種イベントを行っていますが、1300年という長い歴史があるんですね。
白山信仰で白山を冠した神社が全国で2700社もあるようですが、驚きました。
前から気になっていたのですが、福井の大野より薄墨桜に行く温見峠に登山口がある「能郷白山」という山があるんですが、白山連峰と何か関係があるのですか、気になっています。
go
2017/06/08 12:22
がにちゃんさん
本当に見事というくらい綺麗に草処理をされていて、境内が広いので新緑に囲まれて気持ちの良い神社でした。斜面に五月が多く植えられていてもう少し早ければもっと見事だったと思います。
五輪塔は見た感じ鎌倉・室町期の形状に近いと思うんですが、神社に五輪塔があるということで神仏習合の寺院だという証明になります。けっこう目立つ場所に並んでいました。

goさん
開山1300年であっちこっちでイベント的なものが行われていますが、思ったよりは静かな雰囲気です。あまり賑やかでもどうかと思いますからねえ。
白山神社は山岳信仰から山の民などを受け入れた経緯があって、石川・福井・富山・岐阜・新潟だけで半数以上を占めています。神社の中でも人気を集めていますから。。
文中に書いた両白山地は越中・加賀・飛騨・越前の白山連邦を中心にした加越山地と、越前・美濃・近江北部の「能郷白山」を中心にした越美山地で構成されているんです。兄弟みたいな山ですね。
泰澄上人が白山連邦に登った際に、山頂からこの能郷白山の姿が見えて、感化されて後に山頂に白山寺から勧請して祠を置いたのが命名の由来なんだそうです。登山道に向かう途中に白山神社がありますが、そこが明治に造られた本宮になるんだそうです。
つとつと
2017/06/08 14:25
自分のコメントに 片寄ってると書きましたが  肩寄せ合ってると書きたかったのです  つい文字が書けていませんでした

片寄ってませんよね  すみません
メミコ
2017/06/09 09:44
メミコさん
肩寄せ合ってる、確かに誰の墓標かは解りませんが、大きさが違って家族のように見えますね。
書き間違いは僕も多々あります。今見たら、メミコさんをがにちゃんさんにしてました。見事なくらい失礼を侵してましたTT
つとつと
2017/06/09 10:38
明治の神仏分離令は、その強引さで、
日本古来の信仰のあり方を見えにくく
してしまいましたね。しかも、
神社が寂れる原因の一つにもなって…。
ただ今のような静かな佇まいも、
趣があっていいなあと思いました。
yasuhiko
2017/06/10 10:31
yasuhikoさん
明治の神仏分離は極端に走りすぎて、多くの社や仏像を失ってしまいました。
信仰心のあり方が変わったおかげで、順応性は強くなりましたが、心のゆとりがなくなったと云われます。ドラマや映画では犯罪現場や危険な場所みたいに扱われますが、実際には神社がある地区の方が犯罪率が低いそうです。
僕らの子供の頃は縁日や祭事は楽しみでしたが、平日も楽しい遊び場でした、
今は静かな散策と、車での休憩場所になっています。
つとつと
2017/06/10 11:48
(笑)  コメント書こうと思ったら返事が先に・・・お気づきになられてほっ!
でここでコメント 今度白山に行く機会があればお詣りして行こう  前回はお詣りせずに登ったら見事にアクシデントで頂上に建てませんでしたん もう1度登れるかなぁ白山
がにちゃん
2017/06/10 14:41
がにちゃんさん
がにちゃんさんのブログ読んでから、メミコさんの返事を書いたら大失敗(T_T)
もし、白山に行くとき、たぶん砂防新道に向かう別当出合いからになると思うんで、お薦めは意外な所で、白峰の林西寺に白山下山仏と泰澄上人像があるし、岩根神社は無事に体調が下山した地で参拝するとご利益あると思いますよ^^大丈夫^^日頃、あれだけ歩ければ^^/
つとつと
2017/06/10 18:17
岩本神社について詳しく書いて頂き、ありがとうございます。
私は、神社の前に住まいし、屋号は「ジョウジャ」と言い、昔から岩本神社の氏子さん達が集まって勉強したりする「道場」だったと聞いています。

白峰にも「岩根宮」があると聞き、そちらも「白山七社」の1つであるらしく、岩本神社との関係を不思議に思っていましたが、白峰の方が「岩根宮」である可能性が高いのですね。

近々、白峰に赴任する事となり、その不思議な一致に神様の導きを感じています。

また、両神社の繋がり等についてお分かりになられる事がありましたら、ぜひお知らせ頂けると幸いです。ありがとうございました。
峰子
2017/07/24 22:15

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