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zoom RSS 養老山 大王寺

<<   作成日時 : 2017/12/05 14:07   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 54 / トラックバック 0 / コメント 14

祈りの小径からの終点が粟津白山神社大王寺になります。

さてどちらから書こうかと迷いつつ、どちらも由来や縁起を読めば、泰澄上人の開湯から始まりますし、元は一体の寺院だったと思われます。まあ、祠が先か寺院が先かという余地はありますが、地形は山裾に張り付くように敷地が重なっていますから、共存していたと思われます。
西国三十三カ所 第一番 如意輪観世音菩薩 大王寺・白山神社の中間点 泰澄上人坐像の前にあります 
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祈りの小径の始点で考えれば、、やはり大王寺からになると思うのでそちらから。。大王寺はのとやの脇を通って80段の石段を登ったところにあります。
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大王寺の縁起を撮影して、後で転写・参考にと思ったんですが、見事なピンボケで判読不能状態。。まずは大王寺のHPからご住職のご案内を転写でお許しを。。 養老山 大王寺 HP

当寺は約1300年前の養老二年(718年)に泰澄大師(泰澄神融禅師)によって開かれた「高野山真言宗」の寺院です。
泰澄大師は、聖域として禁則の地であった霊峰白山を白山神(白山妙理大権現)に導かれて開山された高僧です。
白山の山頂で修行中の泰澄大師の元に再び白山神が十一面観世音菩薩のお姿で現れ、「この白山のふもとから山川を越えて五、六里行ったところに粟津という村があり、そこには薬師如来の慈悲による霊験あらたかな温泉がある。しかしながら、まだ、だれ一人として地中深くに隠れたその霊泉のことを知らぬ。お前は、ご苦労ではあるが山を下りて粟津村へ行き、村人と力を合わせて温泉を掘り出し、末永く人びとのために役立てるがよい」と告げられました。
霊告に従い粟津の地を訪れた泰澄大師は村人とともに温泉を掘り当てました。この時、そのお力に感嘆した住民の請いに応じて、泰澄大師は首に掛けた掛佛薬師如来と自ら刻した聖観世音菩薩を守護仏として残され、「泰應寺(たいおうじ)」と名づけられました。これが当寺の開創であります。
その後、中世期に戦火のため建物が焼失した時期もありましたが、 延亨二年(1745年)に僧来順によって再興、「養老山 大王寺」と号し、現在に至ります。
本堂には、一寸八分の掛佛「薬師瑠璃光如来」が、等身大の「聖観世音菩薩」の光背中央に掛けられており、貴重で稀な不二一体の秘仏となって鎮座なさっております。

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養老2年(718年)、十一面観音(白山妙理権現)の夢のお告げを受けて、白山を下山した泰澄上人は村民を集めて源泉を発見し、粟津温泉を開湯したわけです。その際に同行していた雅亮法師に湯守を命じ、湯屋を開設させます。この湯屋・湯宿が現在の温泉宿・法師になるわけです。泰澄は自ら刻んだ聖観音像とお守りとして首に掛けていた薬師如来像を残していきます。


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雅亮と村民は温泉守護として大王寺の前身「泰應寺(たいおうじ)」を建てて二つの像を安置しています。その後、雅亮法師は湯屋の主人として還俗し、善五郎となり1300年続く旅館・法師の初代に。法師の主人は代々「善五郎(近代は法師善五郎)」を名のっており現当主は46代を数えています。ちなみに、粟津温泉は湯量豊富で、先に泰澄が発見した源泉はあくまで法師の源泉で、各温泉施設は独自で温泉を掘削して使用しています。
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泰澄が残した二つの仏像は秘仏として33年に一度の開帳が行われています。昨年2日間の特別公開がありましたが、前回は昭和62年(1987年)で本来は3年後ですが、来年は1300年の区切りの記念年として開帳法要を2年前倒しの計画だそうです。
ちなみに、まだ拝観したことは無いのですが、体高7.80pの聖観音像の後光円(光背)の上部に5pほどの薬師如来が掛けられているそうです。大王寺HPのキャラクター画「るり姫ちゃん」の円上部の座像が薬師如来。ギャラリーに開帳時の画像がありますが、ちょっと解り難いかも。。
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訪れた日は木曜日で大王寺開放デイに当たっていまして表戸が開けられていました(ちょっとラッキー)。ただ、夕方でしたから本堂内には入れませんでしたが、渡り廊下・外陣は結構うろうろしちゃいました。だれかに観られたら完璧な不審人物に見られたかも。。でも、ちょっとラッキー。。午前中なら内部まで入って瞑想できるそうです。午後からは華道・写経・仏写画などに参加もできるそうです。



HPを観た人はお解りでしょうが、和尚(わじょう)は女性住職で北原華蓮さん。名前の通り美しいご住職として知る人ぞ知るの存在です。女性らしい細やかさが寺院には感じられます。うろ覚えですが、たしか七尾市ではちょっと知られた真言宗寺院の娘さんだったような気がしますが、間違いなければ、そこにしかないという梵鐘を持つ寺院です。機会があればご紹介したい寺院の一つ。。
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上:本堂象嵌は珍しい獅子になっています。しかも口を開けて吠えています@@
右:僧坊 大方玄関 屋根の羽が目を惹きますねえ 相当の重みがありそうです。@@
ちなみにちょっとした豆知識です。お寺の住職を皆さんは何とお呼びしていますか。実は微妙に宗派で変わります。大王寺の住職の呼び名・和尚を「わじょう」とフリガナしましたが、これは真言宗の呼び方で、わじょうさまと様づけが正式です。もちろん、地域や宗派内によって変わるときがありますが、基本的には同じ文字(和尚)を使う所では、天台宗は「かしょう」様、浄土宗・臨済宗は「おしょう」様、違う呼び方をするのは曹洞宗方丈(ほうじょう)」様、日蓮宗お上人(しょうにん)」様。浄土真宗ではかしこまった時は「ご住職」様、平素は「お寺さん」になることが多いようです。
前にも書いたように地域や宗派内宗派で呼び方は変わります。僕の里では「御坊さん」が訛ってかしこまっても平素も「ごぼさん」になっていました。

泰澄が創始して雅亮が建立した「泰應寺」ですが、、
正暦元年(990)花山法皇が巌屋寺に参拝し那谷寺に改名した際に、粟津温泉に訪れ、それ以降も何度か温泉に訪れたと云われています。花山法皇は前回に書いたように西国三十三カ所を再興したことで知られていますが、この西国三十三カ所が凝縮されているとして名付け親となったのが那谷寺になります。また梯川(かけはしがわ)の畔に花園と松を植えて別荘を建て、住民からその跡地を「園の小松原」と呼ばれていました。この園の小松原は、小松市の名の由来の候補と云われています。江沼の地と言われた時代、那谷寺周辺は花山法皇の荘園地であり諸国巡行をしたときに長く逗留したとされています。
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大王寺の外陣の左突き当り上部に閻魔大王が祀られていますが、この閻魔大王には花山法皇が関係しています。
閻魔大王は皆さんもご存知の如く地獄・浄土の門前で裁判官として、罪業を調べて浄土行・六地獄行にと刑を言い渡す権限と地獄の管理権限を持っています。

大和国・長谷寺の開基・徳道上人は62歳で一度亡くなり(仮死状態だったと云われます。)、地獄の門前で閻魔大王と会談します。どう気に入られたのか閻魔大王は困りごとを徳道に伝えます。
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閻魔大王の言葉(ちょっと創作しています。)
「和尚殿は本来なら浄土へ行くべきだろうが、子供の頃の悪さがあるから2.3日地獄に行かねばならない。だがなあ。。近頃は罪業を抱えてやってくる人間が多すぎて地獄も満杯状態なのだ。。しばらく、ここで待ってもらわねばならん。それにしても、これ以上、悪さをする人間が増えてはどうにもならん。そもそも、わしの身も持たんしな。。」
「そこでじゃが、和尚殿を見込んで、しばらく生き返らせてやるから、わしの願いをかなえて欲しい。」
「観音菩薩さまは33のお姿に変身して衆上を救おうと現世に向かわれている。ここに観音菩薩様の居場所を示す33の宝印と起請文を授けるから、和尚殿は現世に戻ってこれらを証明と力として観音菩薩のご利益とありがたさを説き、観音菩薩様を巡礼させて悪人を滅罪させよ。とにかく地獄行を減らして欲しいのだ。」

と、いうわけで、徳道上人は現世に戻ってきたわけです。この後、徳道は三十三カ所観音巡りを流布し閻魔大王との約束を果たしたわけです。その期間は18年。徳道は80歳で示寂しています。
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ところが徳道の死後になると三十三カ所巡りは忘れられていきます。これは宝印の法力が強すぎるために悪用されては困るので、徳道が石棺に納めて隠したとされていました。それが第24番中山寺(現・兵庫県宝塚市)でした。

これを200年後に三十三カ所巡りを探求した花山法皇が発見、三十三カ所を再興して巡り、高い法力を得たと伝わっています。花山法皇は閻魔大王と観音菩薩の法力を得たとして所縁の寺院に閻魔大王が祀られていることが多いのです。
もちろん、閻魔大王は地蔵菩薩の化身とか眼病の神様という側面で祀られているものもありますから、すべてが花山法皇絡みではありませんが。。

その後は薬王寺と呼ばれた時代もあったようですが、源平の兵乱・戦国時代の争乱に巻き込まれて荒廃衰退していたと伝わります。再興されたのは延亨2年(1745年)、僧侶・来順によってとされており、この時に寺名も大王寺に改められたと伝わっています。建物もその当時のものだと伝えられているようです。


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大王寺から粟津白山神社に向かって歩いて行くと右手に泰澄上人像。岳山登山口の泰澄上人像に比べると、ずいぶん厳つくごつい感じの座像です。威厳を感じますが、泰澄の伝承や伝説を読んだり聞いたりしていると、役小角と同行した際のハツラツとした白髪・総髪で若くスマートな印象を受けます。ちょっと違和感を持ってしまう僕なのです。。粟津開湯時の泰澄は35歳。少し老けすぎているかも。。まあ、誰も会っていないんですから人の印象・創造はみんなが違いますから。。ただ僧侶ということでどこへ行っても坊主頭、どちらかと言えば泰澄は山岳修験者と言えますから。。総髪があってもいいんじゃないかと。ちなみにこの像は大王寺の管理のようですから仕方ないか。。
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大王寺の梵鐘 鐘撞き堂は白山神社の拝殿前から降りて行かないと見られません。ちょうど泰澄上人像の上あたりになります。このような配置を観ると、大王寺白山神社は古い時代は神仏習合で一対だったと思われます。
梵鐘は竜頭も深い装飾で趣きもありますし、乳頭も突起が大きいのが特徴的です。姿形が美しいものです。さすがに鐘を勝手に突くわけにいかないので、音色は聞いていません。。
刻印には「温泉繁盛 衆病悉除 三界萬霊 〇澄菩提」の願文、昭和23年(1948年)6月、発起人:温泉組合・信徒総代、寄進:大王寺護持会、鋳物師:越中国高〇市(高岡市?) 長橋〇之助


この神仏習合的な雰囲気に大王寺の本堂前で柏手を打つ人が多いそうです。でもそこは国内では一番神仏習合に近い真言宗寺院。許容されていて、逆に打つ方が良いかもという話が。。。

旅行日 2017.11.09





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コメント(14件)

内 容 ニックネーム/日時
生き返り きっとあるんだろうと思います  三途の川を渡りかけていた話何ぞよく聞きますもんね  徳道上人 80歳まで頑張って、閻魔大王との約束を守られたのですね
三途の川から戻ってきたとゆう同級生は向こう岸で手招きしていた女性が皆ばあさんだったから何ぞと不徳なことを言ってましたわぁ
昔のお上人さんのパワーの凄さに脱帽ですね

がにちゃん
2017/12/05 17:27
がにちゃんさん
古代には現代医療はありませんから、仮死状態からの復活というのが結構多かったようなんですよ。そういう臨死体験の話が地獄や極楽浄土、三途の川などになったようです。天皇や豪族の死の際に殯(もがり)と言って、死を悼む儀式が埋葬まで何カ月何年と続けられたんですが、まあ、今のお通夜に繋がっています。用は本当に亡くなったのかの確認作業ですね。この期間に生き返った人が結構いたようなんですよ。
僕も可愛い女の子が手招きしてたら、ホイホイ渡っちゃうかも^^;
それにしても、徳道上人、閻魔様に再会した時褒めてもらえたんでしょうかねえ。
つとつと
2017/12/05 20:38
今回も見所満載ですね。温泉発見の話は温泉地ではよく聞くような…。湯守を命じられた雅亮法師の子孫が「旅館法師」を続けられているのはすごいですね。住職の呼び名については知らなかったです。死にかけた徳道上人が現世に戻ってきた話。がにちゃんさんの同級生と同じような話を事故で1週間意識不明だった同僚もしていました。不思議ですね。
tor
2017/12/05 21:44
おはようございます。
徳道上人は当然浄土へ行かれたのでしょうね。
呼び方も宗派によって変わることを知ることが出来ました。今まで、月命日にお参りに来てもらう時に知り合いによって微妙に呼び方が違いどれが正解か悩んでいました。
四国八十八ヶ寺は弘法大使なのに対し西国三十三ヶ寺との違いはどう違うのでしょうか。
してその目的に微妙な違いがあるのですか。
地獄もやはり込み合っているのですね、お邪魔しないように残りの人生を清く正しく美しく暮らして・・・???。
ゆらり人
2017/12/06 10:57
torさん
温泉地の多くは山岳地帯に多く存在しますから、泰澄や空海のように山岳修業で発見した伝承が多いようです。他にも白鷺の舞い降りた地など、、でも各地の開湯伝承は似通ったものが多いですね。加賀温泉郷には四つの温泉地があるんですが、粟津は泰澄、山代は行基が発見したとされています。山中は白鷲です。残りの片山津は湖の中から噴出した自然発生。みんな違いますが、パターンは他県に似ていますね。
意識不明で生還した人は見な似たお話を聞きますね。。やはり、別世界があるんでしょうかね。交通事故と言えば、僕も小3の時、ダンプに負けて頭から着地^^;頭痛を和らげるのに3日ほど薬で眠らされましたが、お花畑でボ==っとした夢を見ていました。
つとつと
2017/12/06 12:53
ゆらり人さん
起源は西国三十三カ所が最初のようです。目的は滅罪と極楽往生でした。その後、これを習ったように各地に観音霊場巡りが登場するんですが、四国八十八カ所、北陸三十三観音、坂東三十三観音など多くの観音霊場が登場しています。西国は都の近くということで気楽さもありますが、重犯罪者には捕縛逮捕の危険が伴うこともあって地方の人気はさらに上がったようです。現在は四国八十八カ所が有名になって観音信仰のメッカになっていますね。当初の目的は滅罪がメインだったんですが、僻地ということで困難さと山岳修験者の信奉する薬師如来が重なって病気平癒が追加されていったようです。四国はそれが尚更強調されていったようです。でも、メインは滅罪と極楽往生で共通項です。
そうそう、地獄も満杯で、閻魔様のためにも長生きして、お会いするのは極力遅らせて、裁判も簡単に終わってもらいましょう^^
つとつと
2017/12/06 13:26
こんにちは〜
いつも真っ白な脳なし頭なのですが、内容濃い歴史で頭の中がぐるぐるまわってしまいます。
大王寺の梵鐘一つにとっても深い歴史があるのですね。
時代の深さ歴史を感じます。
梵鐘は結構低い位置にあるので、つい鐘を突きたくなりますね。
泰澄上人像 ごつい感じが老けて見える感あるのでしょうか。
つとつとさんの言われるように誰も見た人はいないんですよね(笑)
イータン
2017/12/07 17:08
イータンさん
昭和20年代に製造された梵鐘には年代的に深い意味合いがあるんですよ。
太平洋戦争で多くの梵鐘が戦時供出で鋳つぶされているんです。それも慶長以降の梵鐘で文化財でない物はすべて対象でした。この為戦時中に多くの寺院の梵鐘が消えたわけです。江戸末期の大砲製作、太平洋戦争の供出は寺院の梵鐘はほとんど消えたといって良い状況でした。終戦後、梵鐘製作が行われましたが製作するメーカーが大幅に減り、単純な形に観えますが製作工程の多く技術者もそれほど残っていなかったんです。
さらに複雑な工程は当然費用もかさみます。終戦後ではどこも資金が足らない状態。
そんな終戦間もない時期に作製された梵鐘は、信徒も製作者も熱意がないと難しい時期なんです。イータンさんも梵鐘を観た時に江戸時代と昭和20年代前半の梵鐘を観たら貴重品と思って結構ですよ^^
古代の人の銅像はどのようなイメージかは製作者次第とはいえ、伝承などを読むと泰澄はアニメに出てくるようなスマートでハツラツとしたイメージを僕は受けるんですよ^^タイムマシンで会いに行けると良いんですけどね^^
つとつと
2017/12/07 19:42
粟津白山神社と大王寺、
なるほど神仏習合の様子が窺えて、
興味深く感じられました。神社の拝殿前から
下って行かないと、お寺の梵鐘に
辿り着けないというのは、両者の関係を
よく物語っていると思います。
多分に政治的な神仏分離、廃仏毀釈の
運動によって、見えにくくなった
昔の信仰のあり方を窺わせてくれますね。
yasuhiko
2017/12/08 16:05
住職にもいろいろな呼び方があるのですね。
まったく知りませんでした。
わが家は真言宗ですが、正確には“おしょう”ではなく“わじょう”と呼ばなくてはいけないんですね。
今まで失礼なことをしてしまっていたかもしれません。
神仏習合だと、寺の前で柏手をうってしまう人が多いのですね。
気もちはわかります。
明治時代はどのように生きのびたのでしょうか。
家ニスタ
2017/12/08 23:27
yasuhikoさん
本当はは白山神社も併せてアップするつもりだったんですが、相変わらず余計なことを書いて長くなってしまうので、大王寺で終わってしまいました。白山信仰は神仏習合的な信仰ですから神と仏が共存する世界が多いと思います。白山は開山が奈良時代ですから仏教思想が強いのは否めないと思います。それを無理に引きはがしたのはやはり損失が多くなったと思います。次回に書くつもりですが神社の本尊は仏像でしたが、脇侍として堂内に置かれています。こういう無理が解りづらくしてしまいます。これだけ境界が解り難い寺と神社は久しぶりでした。
つとつと
2017/12/09 08:05
家ニスタさん
呼び名はあくまで基本的なようで、無理に変える必要はないようですよ。
堂宇が神社の拝殿のようですから、なおさら叩きそうですからね。廃仏毀釈に関しては粟津では神社の方に変更が強く影響したようです。本尊が小さいことで隠していたようで、ほとぼりが冷めた時に脇侍として拝殿内に安置し直していたようです。近くの神社でも花山法皇一行の僧体の像をひたすら隠して、ほとぼりが冷めたところで本尊にした神社があります。けっこう地元民の抵抗というよりごまかしたという方があう逸話が粟津では多いようです。
つとつと
2017/12/09 08:16
私も、幾度かそのずっと手前で戻された口なのですが、まだこの世に未練はありますし、少しでも世の為人の為に功徳を積まなければと思います
kazukun
2017/12/10 18:41
kazukunさん
コメントありがとうございます。
今も昔も人間は未練もあれば、欲もありますし、出来れば苦しみではなく楽に過ごしたい希望を持っています。ただ生きている限りは知らぬうちに他人に迷惑や罪を犯している後ろめたさがあるんでしょうね。滅罪思想の裏返しがこの三十三カ所巡りに現れているんだと思います。
でも、生きると云うことは、その逆に他人に希望や信頼を自分の気づかぬうちに与えてもいると思うんですよ。あまり気張りすぎずに、自分の好きなことを伝えるのも良いことだと思います。お互いに生きるという功徳を積みましょう^^/
つとつと
2017/12/10 19:29

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