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zoom RSS テーマ「源平合戦」のブログ記事

みんなの「源平合戦」ブログ

タイトル 日 時
宮崎城址
宮崎城址 平安末期から鎌倉初期にかけて、越中最東部・黒部川東部一帯を支配していたのが宮崎党でした。北陸宮の御所警護の名目で築かれたのが、城山(当時は八幡山、脇子山)山頂の宮崎城になります。 ...続きを見る

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2017/08/17 09:49
倶利伽羅 猿ケ馬場
倶利伽羅 猿ケ馬場 倶利伽羅公園側の山塊が平家軍撤退戦の最激戦地で、源平両兵士の巨大な供養塔(昭和49年建立)や奮戦した平為盛の墓(源平盛衰記では戦死、平家物語では生存。平清盛の弟・頼盛の次男)など、顕彰碑や歌碑が点在します。 ...続きを見る

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2017/05/29 03:14
根上(ねあがり)の松
根上(ねあがり)の松 能美市は野球の松井秀喜の出身地の根上町・九谷焼の産地の寺井町・いしかわ動物園のある辰口町の三町が、平成の大合併で誕生したものです。この能美市の在る位置は大規模な古墳群が示すように江戸期以前は加賀の中心地で、古くから歴史の端々に挙がってくる地域でもありました。 ...続きを見る

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2016/09/30 12:20
平時忠墓所&則貞家
平時忠墓所&則貞家 平時忠(たいらのときただ)という人物をご存知でしょうか? ...続きを見る

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2013/09/16 15:44
倶利伽羅不動尊 鳳凰殿
倶利伽羅不動尊 鳳凰殿 倶利伽羅不動尊から出て、このまま帰るのもなんなので、源平合戦で有名な合戦跡を通って小矢部に行ってみようかなと ...続きを見る

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2012/11/25 01:39
首洗池
首洗池 斉藤実盛は単騎奮戦した際、最後に一騎打ちを行い打ち取ったのが手塚光盛という若武者でした。手塚光盛が単騎残って戦う武者に一騎打ちを自分の名を名乗り挑んだ際、斉藤実盛は「事情があって名を名乗ることはできないが、良き武者に出会い嬉しい。お相手する。」と答えています。 長い時間の奮戦と老齢により息切れした実盛は、馬が稲刈り後に足を取られ、その隙を光盛によって討たれています。 ...続きを見る

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2012/10/27 06:51
実盛塚 篠原古戦場
実盛塚 篠原古戦場 加賀市篠原町は海に近く松林が続く風光明媚な場所です。平安末期の頃は葦の原野が広がっていたと云われています。この地は倶利伽羅合戦で敗走した平維盛軍を追尾した源義仲軍が追い付いて合戦になった地です。結果として平家軍はここでも完敗、京へと落ちていきます。この戦いで最後尾の殿(しんがり)を引き受け討ち死にした武将が今回の「実盛塚」の主・斉藤実盛です。 ...続きを見る

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2012/10/26 21:42
源氏ヶ峰砦・城
源氏ヶ峰砦・城 倶利伽羅合戦における平家軍の配置は猿ケ馬場の本陣からこの源氏ヶ峰の砦にかけての街道沿いに布陣していました。 その平家軍に対し義仲軍は夜襲の奇襲攻撃「火牛の計」などにより、深い谷底に追い落とし勝利を掴んでいます。 その後、この峰の砦を義仲の源氏軍が占領したことから「源氏ヶ峰」と呼ばれるようになりました。 ...続きを見る

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2012/09/21 22:26
巴塚 葵塚
巴塚 葵塚 埴生八幡からの源義仲軍の進撃路は3路と云われています。 一つは現在はふるさと歩道とよばれ、毘沙門川を経由して埴生大池を抜ける険しい迂回路。現在も車が一台がやっとの幅で山間を上り下りします。 更に当時の北陸道で、長坂山を越える縦貫路。近年までこの道に茶店もありました。現在は山越え部分が「いにしえの街道」として保存整備されています。義仲の本軍はここを進んでいます。 そしてもう一つが古代北陸道でこの合戦で一番重要な役を演じた樋口兼光が進んだ道です。この樋口兼光は同じ源義仲四天王の今井兼平、巴御前... ...続きを見る

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2012/09/21 18:01
埴生護国八幡宮
埴生護国八幡宮 古代、加賀と越中をつないだ旧北陸道は倶利伽羅峠という天嶮を通っていました。国道8号線を走れば県境は多くの昇り降りと長いトンネルを潜ります。昔はそんなものはありませんでしたから、この峠越えの道は貴重な存在でした。つい近年まで加賀の津幡町と越中の小矢部市にとって貴重な生活道路にもなっていました。 ...続きを見る

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2012/09/21 15:04

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