長町武家屋敷群

金沢の繁華街の片町・香林坊の西側の大野用水沿いにあるのが長町武家屋敷群です。この辺りは江戸期には下級・中級武士の屋敷が集中していた場所です。明治期に入り、士族は没落して屋敷土地を切り売りしたりして没落していきましたが、屋敷群の風情がこの地区には残っています。
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大野用水路に沿ったこの道路には板葺や瓦葺の屋根を持つ塗り壁や土壁の塀が続いています。道路はアスファルトですが、ちょっと違った世界にタイムスリップした雰囲気があります。またこの塀には冬になると雪よけのためコモが架けられ、また違った雰囲気を感じられます。
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長町のこの通りには、長町交差点側に前田土佐守資料館や老舗記念館なども新設・移築されています。

お奨めとしては、
前田家八家老の一つ、「前田土佐守家資料館」
前田利家の次男、前田利政を祖にした家系で、多くの資料が保存されています。特に室町期の甲冑や書見は貴重なものばかりです。母親(まつ)が心配のあまり送った手紙などもあります。
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前田利政は長男の利長に比べ勇猛な性格で徳川嫌いで知られた人物です。利政は利家死後、能登22万石を継ぎましたが、関が原戦では東軍についた利長と共に西軍の大聖寺城を陥落しましたが、東軍参入を嫌い仮病で再途上せず、所領没収を受け(所領は利長に与えられた。)京都で余生を過ごしました。
大坂の陣では両軍から勧誘を受けましたが参加せず、大坂方に参加しなかったことから徳川家康から10万石復帰を打診されましたが断っています。理由が「大野治長の指揮下に入りたくなかっただけで、関東方への忠節を尽くす行動ではない。」 そのまま風雅に過ごす余生を娘の嫁ぎ先で送りました。

前田土佐守家は利政改易後、利政の子供・直之を芳春院(まつ)が養育して始まったものです。最初は2000石でしたが、芳春院死後に彼女の化粧領を相続して10000石になり、加賀藩八家老の筆頭の家柄でした。

薬の混元丹の「金沢市老舗記念館」
この建物は近年まで使用されたものです。当時の店舗の造りが見られますし、2Fには金沢の伝統工芸品や水引などの超お宝が展示されています。

1200石前田家直臣だった「野村家」
ここの庭園は必見です。何年か前にアメリカの日本庭園ランキングで、初年度ですが3位に上げられた庭園です。

この3つと大野用水は武家屋敷とは別に覗かれる事をお奨めします。

前田土佐守家資料館  http://www.kanazawa-museum.jp/maedatosa/
老舗記念館        http://www.kanazawa-cci.or.jp/shinise/memorialhall/index.html
野村家           http://www.kanazawa-kankoukyoukai.gr.jp/sp_detail.php?sp_no=206

旅行日 2009.5.31




敗者にあらず前田利政/野村昭子
オンライン書店boox
著者野村昭子(著)出版社北国新聞社発行年月2009年08月ISBN9784833017091ページ数



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  • 玉龍寺 (前田対馬守家菩提寺・墓所)
  • Excerpt: 加賀藩では人持組頭として1万石以上の所領を受け、家老として藩政に常時参画する資格を持つ一門衆・重臣の家系を別名で加賀八家と呼んでいました。他藩の年寄役に当りますが、所領を見ても解るように、外様陪臣とは..
  • Weblog: つとつとのブログ
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