六斗の広見 玉泉寺

金沢は加賀百万石の城下町として発展しましたが、江戸時代草創期には何度かの大火に悩まされました。特に寛永8年の大火では城下町の大半が焼けたほどです。
そのため、城下町のあちこちに「広見」が作られました。
「広見」というのは、防火上から道路を広くして広場のようにして延焼を防ぐ場所です。
金沢には現在も当時の「広見」が何か所か存在します。その最大の広さがあるのがこの「六斗の広見」です。
画像

広小路近くの蛤坂を右折して路地を通って、忍者寺で有名な妙立寺を通り過ぎて真っ直ぐ行くと突然とても広い場所に出ます。そこが「六斗の広見」です。観光の人は忍者寺までしか入って来ず、とても静かな場所です。意外に知られていないスポット。観光の際には是非、奥まで入ってみてください。広い道に驚くこと請け合いです。静かな場所なので、路肩の歩道で周りの寺の塀を眺めるのも良いものです。
画像

元々、忍者寺前や広見がある道は、白山麓や野田山に向かう旧鶴来街道の一部です。道幅も江戸期以来の広さのため車がすれ違うのもたいへんで、観光の車も入ってきませんが、地元の人には貴重な抜け道になっています。また、寺町と並んで寺社の多い場所です。由緒のある寺社も多い場所です。

現在は小さな祠があるだけですが「六斗の広見」で一番の由緒を誇るのは「玉泉寺」。名前が示すように二代藩主・前田利長室・永姫の寺です。元々、利長の死後、永姫が富山から金沢に移り、富山の浄禅寺を勧請して「玉泉院」と号し、利長の菩提を弔ったそうです。玉泉院の死後は位牌所となっています。境内の奥には玉泉院の供養塔があります。
江戸期には1万㎡の規模を誇りましたが、明治に焼失。今は緑の木陰と小さなお堂と地蔵尊があるのみです。
画像
画像

旅行日 2010.8.19

この記事へのコメント

  • go

    昨日あの辺を散策して六斗の広見を見てきました、寺町1丁目から歩き始めて忍者寺の方から沼田町の方へ向かった歩きました。
    広見の近辺になんと寺が多いことか、昔、泉野町に住んでいた事があるので知っていたのですが改めて驚きました。
    2012年09月12日 08:08
  • つとつと

    goさん  寺町1丁目からだと結構距離があったでしょう。
    でもあの辺りは歩きの方が正解ですね。車だと狭いし、停める所も少ないし^^;
    広見の近辺もなかなかのホントにお寺が多いです。高峰譲吉の菩提寺やお殿様御用達の竹林の寺、いろいろあります。僕も今度は歩きか自転車で回ってみたいです。
    2012年09月12日 18:45

この記事へのトラックバック

  • 多太神社
  • Excerpt: 小松市街にありながら大きな本殿と参道を合わせ持ち、社域には大きな木々と三社の摂社を抱えているのが「多太神社」です。創建は当社縁起から武烈天皇5年(503年)。祭神は衝桙等乎而留比古命(つきほことおるひ..
  • Weblog: つとつとのブログ
  • Tracked: 2015-01-22 19:22
  • 玉龍寺 (前田対馬守家菩提寺・墓所)
  • Excerpt: 加賀藩では人持組頭として1万石以上の所領を受け、家老として藩政に常時参画する資格を持つ一門衆・重臣の家系を別名で加賀八家と呼んでいました。他藩の年寄役に当りますが、所領を見ても解るように、外様陪臣とは..
  • Weblog: つとつとのブログ
  • Tracked: 2016-07-10 22:22
  • 月照寺 玉泉寺
  • Excerpt: 以前ご紹介した加賀八家・前田対馬守家の菩提寺・玉龍寺。金沢に多くの寺院が林立する寺町に隣接する野町にあり、周囲に多くの寺院が林立します。加賀藩三代・前田利常を養育した前田長種を祖にしています。
  • Weblog: つとつとのブログ
  • Tracked: 2017-10-26 13:05

最近のコメント