卯辰山三社

金沢の卯辰山の菖蒲園にある鳥居をくぐって梅林園に着くと、長い急な石段が見えます。この石段は三つの坂で構成されていて、各々「一の坂・二の坂・三の坂」の名称がついています。登るのにもなかなかの体力が必要です。途中には庭園跡や大村益次郎と共に兇刃に倒れた安達幸之助(徴兵令・廃刀令などを立案した人物)の碑(撰文は勝海舟)、北越戦争の戦死者碑など興味深い物が多くあります。
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この長い石段を登りきると三つの神社の建物があります。豊国神社・卯辰神社(天満宮)・愛宕神社(愛宕白山社)がこの内訳です。
豊国神社は、元々2代藩主・前田利長が利家の遺志をついで豊臣秀吉を祭神として木像を修めて創建したのが始まりですが、途中から3代利常も祭り、江戸期を通じて「山王社」の名称で幕府の目を逃れていました。代々藩主には産土神として崇敬されていました。神社拝殿の裏側の本殿の庭を覗くと、豊臣家の五三桐の家紋が多く配されていました。明治になって幕府の眼もなくなり、改めて豊国神社と名称を改めました。明治中期20年程、金沢の中心街の尾張町に移っていましたが、その後この地に戻って造営されました。
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上杉謙信が七尾城攻めの本陣を置いた場所に建てられたのが卯辰神社の始まりですが、江戸末期に兼六園の竹沢御殿にあった天満宮を移築し、撫育所の守り神としました。加賀前田家の祖先とした菅原道真を主神にしています。
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愛宕神社は卯辰山系の別の場所で愛宕白山社として慶長5年(1600年)に創建されていました。当時の武士が誓約や決意表明の際「「山城の愛宕権現 、加賀の白山権現よ、照覧あれ」と名にもされていました。
明治になって豊国神社と合祀されましたが、有志によって社殿を造営したもので卯辰神社横にひっそりと建っています。
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もうひとつ境内には貴重なものがあります。
世阿弥の作として、能の代表曲の一つで「井筒」というのをご存知でしょうか?伊勢物語の在原業平の妻を描いたものですが、亡霊の妻が覗き込む井戸の囲い(井筒)。これが卯辰神社前にあります。奈良の在原寺から持って来たものだそうです。
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残念なのは訪れる人が少ないせいか、整備が行き届いておらず。もうちょっと手を加えた方が良いかも。反面、静かに散策できる場所でもあります。
登りの辛い人は、豊国神社の裏側にも入り口があります。覚林寺近くの急カーブにある鳥居が目印です。

旅行日 2011.3.19

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