埴生護国八幡宮

古代、加賀と越中をつないだ旧北陸道は倶利伽羅峠という天嶮を通っていました。国道8号線を走れば県境は多くの昇り降りと長いトンネルを潜ります。昔はそんなものはありませんでしたから、この峠越えの道は貴重な存在でした。つい近年まで加賀の津幡町と越中の小矢部市にとって貴重な生活道路にもなっていました。

そんな倶利伽羅峠において源平の大きな戦が行われました。「火牛の計」で有名な「倶利伽羅合戦」です。源氏は源(木曽)義仲軍、平氏は平維盛軍。結果は源氏の圧倒的な勝利、平氏は壊滅的な敗戦となりました。この源義仲が本陣を置き戦勝祈願を行ったのが「埴生八幡宮」です。
この倶利伽羅合戦の戦勝により、その後の戦国・江戸期を通じて武将たちの尊称を受け、多くの寄進や祈願を受けつづけました。
源義仲の戦勝祈願文写、武田信玄・佐々成政・豊臣秀頼・徳川家などの古文書、鎧兜、采配などが現在も宝物館にあります。
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「埴生護国八幡宮」は養老2年(718年)九州の宇佐八幡を分霊して建立されたものです。主祭神は八幡神(応神天皇)。
古代においては越中の国府は氷見に置かれていましたが、その頃から北陸道を来た往来人はこの神宮を越中への出入口としていました。万葉歌人としても有名な大伴家持も越中国守時代にこの神宮で祈願をした記録が残っています。

地元にも深く根ざしていたようで、平成14年に神宮前の「倶利伽羅源平の郷 埴生口」の建設工事の際、小判12枚・明治の金貨など1275枚入りの甕が掘り出されました。明治初頭に埋められたと思われるものですが、現代価値で3700万円相当 ある所にはあるもんです。
源平倶利伽羅の郷にはこの埴生や倶利伽羅・小矢部の観光案内になっています。事前に観ておくと面白いですよ。埋蔵金のレプリカまであります。
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八幡宮の入口には巨大な源義仲の騎馬像があります。これを見るとここは義仲の神社だと思えてしまいます。
昭和58年に倶利伽羅合戦八百年祭を記念して高岡の竹中製作所が製作した物です。騎馬像は高さ3m、台座を含めると8mになります。人物の騎馬像では日本有数の大きさです。昨昨年、修理が施され美しくなっています。ちなみに富山県高岡市の銅器の製造は日本一で、全国の銅像の7割以上が高岡のものです。

社務所横には義仲軍が倶利伽羅山中で鳩に導かれて見つけた「鳩清水の滝」から引いているという「鳩清水」が御手洗違石鉢に注ぎ込んでいます。この水は富山の名水にも選ばれています。
鳩は八幡神の化身と言われ、鳥居の額の題字の八が鳩になっています。
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社務所と鳥居を抜けると急で高い石段が眼に飛び込んできます。
この石段は五百年程前、蓮沼城主・遊佐慶親によって寄進された物です。寄進当時は108段あったそうですが、現在は103段だそうです。煩悩と運動不足の僕ですが、何とか登れました^^

石段を登りきると目の前に弊拝殿が出迎えてくれます。木々に囲まれた建物はなかなか幽玄な雰囲気を感じます。
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建物は本殿・釣殿・弊拝殿の四殿三建になっており、各建物は加賀前田家藩主の利家・利長・利常の三代に渡るものです。
屋根はこけら葺き・建物は素木造り。江戸期には13年に一度、現在は25年に一度の屋根の吹替えが行われています。国の重文指定。

ちなみに元々は「埴生八幡宮」と呼ばれていましたが、2代藩主・利長が飢饉の終息と自身の病気平癒を願って「護国」の文字を奉納して「埴生護国八幡宮」になったものです。名を聞いて、護国神社との関連を考察する人がいますが関係はありません。

埴生護国八幡宮  http://www.geocities.jp/kjybp425/

旅行日 2011.4.19




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