源氏ヶ峰砦・城

倶利伽羅合戦における平家軍の配置は猿ケ馬場の本陣からこの源氏ヶ峰の砦にかけての街道沿いに布陣していました。
その平家軍に対し義仲軍は夜襲の奇襲攻撃「火牛の計」などにより、深い谷底に追い落とし勝利を掴んでいます。
その後、この峰の砦を義仲の源氏軍が占領したことから「源氏ヶ峰」と呼ばれるようになりました。
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源氏ヶ峰の標高は240mですが見晴らしが良く北陸道を見渡せる位置にあり、裏間道の上に立地していました。この好条件の砦陣地を奇襲したのですから、源氏軍が巧妙だったのか平氏軍に余程油断があったとしか思えない場所です。
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倶利伽羅合戦後は重要拠点として、戦国時代も佐々成政が大掛かりな改修を加えて要塞化し前田軍に備えたと云われています。
その際規模が大きくなり曲輪内を間道が通る形に成っていました。
また堀切・切岸が施されているのが解ります。

北陸道街道から土塁に登れるようになっており、そこから約1キロ進むと主曲輪がある峰の山頂に行けます。その間は堀切・切岸が施されているため両側が崖になったような馬の背のような道を歩けます。
なかなかハードな道ですから覚悟を決めて登って下さい。特に主曲輪の目前は急ですんで気をつけて。。山頂には石柱が建っているだけ。。裏間道も草木でこれ以上は解りません。昔は滝までの間道があったんですが。。
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源氏ヶ峰の入口横のガードレール上から、平家軍が落ちた地獄谷が眺められます。他の場所にも展望台が設置されていますが、ここからの眺めが一番解り易い地点です。急カーブの場所なので車には要注意
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旅行日 2011.4.29




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