小濱神社

小濱神社は内灘町で一番大きな神社です。
毎年行われる秋季例祭では獅子舞が町内を練り歩いていますし、多くの人々が集まっています。伝統に根付いた盛大な祭礼がおこなわれています。
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創建時期は不明ですが、元々はお隣りの宇ノ気町(現、かほく市)の小四角数字0磯崎(現、大崎海岸)に鎮座していました。当時から加賀二宮加賀郷総鎮守と呼ばれていたようです。
養老2年(718年) 黒津浜の松林内に朝廷により変遷させられ、何度も勅使を受けていたようです。ちなみにこの年に能登国が立国されており、能登への中継点の役割もあったようです。この場所は以前紹介した「着弾地観測棟遺跡」の側にあり、町の立札と整地の中に礎石跡が確認できます。。当時は松林の並木があったようですが、現在はニセアカシアの林というより藪の中という感じです。
着弾地観測棟遺跡」 http://72469241.at.webry.info/201209/article_75.html
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戦国期には守護・富樫家に肩入れした為、一向一揆による焼き討ちなどを受けています。その後天正年間、羽柴秀吉が柴田勝家攻めの際、戦勝祈願に立ち寄り兵を宿泊させたという社伝が残っています。

加賀藩になり初代前田利家の寄進から始まり、歴代藩主の崇敬を受け続け、廃藩まで社殿造営・神具調達等を前田家から受け続けました。前田家は毎年春秋に1度ずつ社殿などの修復・修築を恒例にし、これが現在の例祭に繋がっているようです。加賀前田家の崇敬所としての小濱神社の社紋は巴紋ですが、拝殿の社頭・欄間には前田家の梅鉢紋が配されています。
天保3年(1832年) 内灘の南はしの五郎島に遷座、現在は砂地に石碑があるだけです。五郎島は石川の名産品「五郎島金時」の名で産地ですが、広い砂地が広がり更に一番奥の為一般車では入りにくい場所です。
内灘は鳥取砂丘に次ぐ規模の砂丘地帯。また千里浜と同じく車が入れるほどきめが細かい砂地ですが海岸では風化や浸食がはげしく、過去何度も遷座しているのはその為と思われます。

明治22年(1889年) 現在地の大根布(おおねぶ)に遷座して現代に至っています。境内や社殿の裏には大きな松が多くあり、松の中にある神社という趣です。大きな拝殿も松林に合い、なかなかの風情を感じさせますし、周りが閑静な住宅地なので、境内に居ても町の喧騒や物音がせず静かな佇まいです。ただ踏み石以外の土面はすべて砂地なのですが、神主さんや氏子さんの毎日の努力により綺麗に掃かれており、踏むとしっかり自分の足跡が残るんでちょっと気が引けるのが玉に疵^^;
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なお、拝殿に繋がる本殿は天保3年に五郎島に遷座した際に造営された物を移築したものです。本殿内に棟札が残っており、大工・職人全員の名が解り貴重な資料になっています。
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旅行日 2011.10.19

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