一閑寺 日本最大の自然石磨崖不動明王像

地元にありながら、まだ観たことがなかった「一閑寺の不動明王像
今回初めて拝観してきました^^V

一閑寺の本堂は「岡山」という小山の山肌に接して建てられており、内に入ると本堂の北側壁石面に彫られた不動明王が観られます。大きな岩石壁に彫られた彫像の髪・眉・眼・剣を彩色してあるので、ちょっとユニークなお顔をしています。不動明王と云えば厳つい顔が多いんですが、ここのお不動様は観るとちょっと笑いが出ちゃうお顔です^^;全長8メートル超、その大きさは自然石磨崖仏の不動明王としては日本一、側に立つとやはり圧倒されます。写真はピンボケですみません><
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この彫像の由来は寺伝によると養老元年(717年)白山開山の泰澄大師が鶴来に立ち寄った際、村人の眼病平癒のため祈祷し、岩山の岩石壁に不動尊を線で刻んでいったそうです。長年の歳月と風雨で明王図は薄れましたが信仰は衰えず、1631年に加賀前田家の菩提寺・宝円寺住職の雲堯禅師が「一閑寺」を開山したそうです。
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宝円寺については以前UPしていますが、近年になって風神雷神図で有名な俵屋宗達の墓が発見されて話題になっていました。興味のある人はこちらをどうぞ
宝円寺 → http://72469241.at.webry.info/201208/article_29.html

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天保年間(1830年~)火災に遭い焼失
18代 独角和尚は再建のため岩石壁の切り出しを行うため、石工の文助・七左衛門兄弟に命じたのですが、つるはしは折れるは二人が熱病で寝込むなど災難に見舞われます。祈祷を行う独角和尚に不動明王が立ち「この地は霊験あらたかな地、霊石の切り出しなどもってのほか!!我が姿を再び刻め!!」と、お告げがあったそうです。そこで病の癒えた兄弟と和尚がのみを持ち3年3か月の歳月を経て刻みあげたそうです。独角和尚はその他にも法華経の文字67304字を一字ずつ小石に書き込んで奉納した大法華塔も建立し、一閑寺の中興の祖になっています。その後、13代藩主・前田斉泰が援助・真筆の額・梅鉢紋の使用許可を与え今日に至っています。

一閑寺の後方に続く岡山は縄文土器や住居跡が発見されていますが、寺院側からは家型石棺が発見されています。寺では泰澄上人だと云っていますが、これはちょっと疑問。
年代測定では約1500年前の古墳期の物ではないかとされています。
屈葬されていた人物の頭蓋骨が前頭部が飛び出ていて特徴的なために、泰澄に繋がったようです。この頭蓋骨はレプリカが近くの「鶴来博物館」に展示されています。三層の城郭と石垣が特徴の博物館です。展示物は少ないですが建物が特徴的です。近いうちにご紹介しますね^^/ 別名 朝日城
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この家型石棺は一閑寺の墓地をはいった一番奥の高台にあります。この場所から発見されたそうです。屋根部分しか解りませんが、なかなか立派なものです。その横には独角和尚を含む墓塔もあります。独角和尚は真ん中ですがとっくり型のもあって面白い物です。

入口がいつも閉まっていますが、自分で開けて入りましょう^^
一閑寺の奥さんが本堂内を案内して下さり、ゆっくり世間話も楽しめますよ^^
世間話してたら、肝心の本堂内はあまり撮れなかったんで、磨崖仏の写真はこちらを → http://www.city.hakusan.lg.jp/kyouiku/bunka/jinjabukaku/ikkannji.jsp

※追記
磨崖仏は判断基準が大まかすぎるため、崖や石に刻んだ線描画も含まれてしまうため、もっと大きな磨崖仏が存在すると反論する人が多いと思います。で、ここでは磨崖不動明王としました。
一閑寺の不動明王像に関しては、一枚岩の自然石に彫られたもので、一個の自然石に彫られたものとしては最大級ということは確かです。

旅行日 2011.10.27

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