七尾城址

能登を代表する山城「七尾城」別名は「松尾城」と云います。

七尾の名は七尾城の位置する城山の七つの尾根から来ていると言います。
七つの尾根の名は松尾・竹尾・梅尾(鶴尾)・菊尾(烏帽子尾)・亀尾・虎尾(袴尾)・龍尾(牛尾)ですが、七尾城が築かれたのはこの内の北端の松尾になり、別名では松尾城という記述もあります。石動山系の北端に位置しその規模・威容は難攻不落と云われた物でした。
日本五大山城・山岳城に数えられる名城です。ちなみに他の四城は春日山城(新潟)・月山富田城(島根)・観音寺城(滋賀)・小谷城(滋賀)。山岳城の場合は小谷城の代わりに八王子城(東京)がこれに加えられます。
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七尾市という所は面白い所で昔にあったものが町名になったものが多いのです。七尾城の在る場所は現在は古城町と呼ばれ、その外側が古屋敷町と当時の配置が解るようになっています。ちなみにこの古屋敷町には畠山氏の子孫が建てた「七尾城史資料館があり、能登畠山氏の資料や城から発掘された物など七尾城の事前勉強にうってつけです。同じく隣の「懐古館 飯田家」がありますが、現在の七尾城が荒廃せずに残っているのはこの大庄屋・飯田家代々の整備・手入れのおかげと云っても過言ではありません。

七尾城に登るには2つコースがあります。一つは昔からの登城口から三の丸を超していくコース。こちらは本丸までは直線で3キロ程ですが途中に虎口や七曲り、2の丸と3の丸の間の大堀切など急こう配が多く倍以上を歩く覚悟が必要です。一度歩いたことがあるんですが、足腰に来る覚悟が必要です。もう一つが車で車道を登って一気に本丸下の長屋敷跡近くの駐車場に行くコース。途中から狭くカーブの連続ですので気を付けて下さい。
どちらから行っても城郭部の大きさが解ると思います。今回は一人だし、このまま石動山越えの予定だったので、本丸横駐車場まで一気に車で^^;

七尾城は築城年ははっきりしていません。畠山本家9代目当主・畠山満慶が兄に家督を譲り能登守護として下向した1428年頃、現在の三の丸か安寧寺址に砦を築いたのが始まりのようです。当時は府中町に守護所が置かれ、そこで政務をとっており、1500年頃守護所を七尾城に移したことを考えると、この頃が本格的に築城されたようです。
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七尾城は戦国期に入り更なる増強を加え、麓から「千門万戸」の城下町に天空に輝く城郭と、歌人にも歌われています。この七尾城と共に能登畠山家はお家騒動や家臣間の権力闘争を繰り返しながらも170年の長きを生き抜いています。

難攻不落と云われた城でも内部組織が崩壊すればもろい物です。1577年上杉謙信の2度目の侵攻において謙信は支城攻略には成功したものの本城攻撃には出られず兵糧攻めに徹していましたが、城内での疫病発生・城主(春王丸10歳)の病死・家臣間抗争により重臣・遊佐続光・温井景隆が内応して自落しています。この落城後、本丸において上杉謙信が詠んだ漢詩「九月十三夜陣中作」は有名です。
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翌年の謙信死後、織田信長が奪還、前田利家が能登を与えられ城主となりましたが、拠点は小丸山城に移り次男の前田利政が入りましたが、1589年廃城となっています。廃城となったものの大きな開発や天災を受けておらず、建物屋敷類はありませんが城壁や曲輪はそのまま残っており、貴重な城郭資料として城の中心部分が昭和初期に国指定史跡になっています。更に昨年申請が行われ、史跡指定の拡張が内定し4倍の広さになる予定で、今後の調査が期待されています。

小丸山城  http://72469241.at.webry.info/201209/article_73.html

場内を歩くと解りますが、武器武具を保管装備した調度丸から調練場の桜馬場にそびえる5段石垣、野面積みの3段石垣の本丸、2の丸側の9尺石、温井屋敷・遊佐屋敷の石垣土塁更には側溝跡、建物の礎石などこの峻険な山上にこれだけの石を運び上げたのか、山上の整地された広場を観るにつけ相当の労力と費用が掛かったと思われます。
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観光の方は大概二の丸までで断念するようですが、是非見て欲しいのは二の丸と三の丸の間の大堀切。この落差は驚くほどの規模で尾根をうまく利用したものです。
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謙信が漢詩や手紙で「加越能随一の景色風景」と絶賛した本丸からの眺めは現在も変わらず美しく、是非山頂本丸には登って欲しいものです。
七尾湾・能登島から半島を見渡す景色は絶品です。

旅行日 2011.11.02

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