伊須流岐比古神社

石動山の「伊須流岐比古神社(いするぎひこ)」は本来は石動山山頂にありましたが、麓にあった天平寺が明治の廃仏毀釈により徹底的に破却され、本来の主神の「伊須流岐比古神社」だけが残されています。
この神社は能登二ノ宮に挙げられています。
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石動山の名前の由来は、
はるか昔、この山に流星が落ち,石となり鳴動し続けたそうです。そこから石動→せきどう→いするぎ 能登や本来の読みは「せきどうさん」ですが加賀・越中では「いするぎやま」と読むことが多いです。
この石の鳴動を鎮めるために造られたのが石動山の山頂におかれた「伊須流岐比古神社」です。開山は崇神天皇6年(BC92年)と、養老元年(717年)白山開山の泰澄によるという2説があります。
古くからの伝承もあり修験道のメッカでもありましたから、山頂の祠(大宮)が以前からあり崇拝が続き、養老令により寺社を建立したというのが正確なところのようです。
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加賀一ノ宮の白山比咩神社とは対をなす存在とされており、伊須流岐比古(石動彦)と白山比咩神(菊理媛)はイザナギ・イザナミに比称されています。明治以前の神仏習合では石動権現(五社権現)と白山大権現(白山妙理権現)。本地仏は虚空蔵菩薩と白山妙理菩薩(十一面観音)。ですから、能登と加賀は石動山と白山で夫婦の関係と思っていただければ^^
全国に広がる白山神社の総鎮守は白山比咩神社ですが、荒廃し郷社に格下げされた伊須流岐比古神社にもここを本山とする「石動神社」が秋田・山形・新潟・富山・岐阜・愛知・滋賀に数は少ないですが点在しています。
元々山岳神なので一部を除き、山岳地だった場所にあるようです。

ちなみに本地仏の虚空蔵菩薩は前田利家の天平寺攻めの際に人質となり、富山・小矢部市の今石動城の愛宕神社に移り、現在は小矢部市内(石動地区)の聖泉寺にあります。

現在の伊須流岐比古神社は拝殿と本殿、石動山の登山道途中に行者堂と山頂に祠があるのみで、寂しい雰囲気です。
拝殿は元禄時代1701年に建立された物でなかなか立派な造りです。
元々は現在地にあった天平寺の一部で五社権現を表す5基の神輿を安置していた神輿堂(権現堂)だったものです。神輿堂というと小振りなものを想像すると思いますが、飾り気のない建物ですが桁行13メートル・梁行7.2メートルの大きさには驚きます。ところがこの拝殿の外周に大きな礎石があり、以前はもっと大きな建物があったようです。
拝殿から階段で繋がる本殿は1653年に加賀藩主・前田利常が寄進したもので、元々は山頂・大御前にあったものを明治7年(1875年)に移したものです。保護のため囲いがされ姿形は解り難いですが、唐破風を施した秀麗なものです。
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時間がなく、山頂や行者堂の画像はありませんが、深い森に囲まれた静かな神社ですが、本来ならば能登一の宮と呼ばれてもおかしく無い神社の歴史を持つものです。時間が許せば山頂や修験者が歩いた山や滝を巡れる場所です。

旅行日 2011.11.02

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