銭五の館

銭屋五兵衛記念館から公園を挟んで、海側バイパスの県道8号線(松任・安原線)沿いにあるのが「銭五の館」です。元々、10年程前まではお隣の「百楽天」というラーメン屋さんの部分も資料館・売店でしたが、公園に記念館が完成して隣り部分の資料や遺品が記念館に移され右側の建物と蔵が記念館の別館として展示公開されています。
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銭五の館」の建物は金石町(かないわまち)の銭屋五兵衛の本宅に在った蔵を移築改築したものです。
内部も本宅を再現したものになっていたり、北前船に使われた板を使った場所もあり貴重な建物です。記念館を訪れた人はここを見忘れる方が多いのですが、こちらの建物や資料価値も高い物が多いのでお忘れなく。
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銭屋五兵衛は非常に筆まめな人物だったようで、記念館の方にありますが「年々留」という留帳が残されています。五兵衛が長男・喜太郎に当主を譲る辺りから商家としての銭屋の家訓から船の状況・購入品など細部にわたって受牢寸前まで書かれており、銭屋の最盛時の状況・様子が解る資料です。

そんな五兵衛は趣味の道具類も絵入りで注釈を書いたりしています。その一枚一枚の細かいこと^^;また愛用した杖など、散逸を免れた遺品が展示されています。
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また土蔵内には文書類が展示されており、五兵衛の書簡の他、永代渡海状、千賀女の代牢願などがあります。特に千賀女の代牢願は繊細で丁寧な文字がびっしりと書かれた物です。祖父や父(長男・喜太郎)への愛情が伝わるもので、文字の美しさも芸術品に値すると思います。
銭屋一族の多くは俳句と茶の湯を嗜んでいましたが、その中でも千賀女は一番の才能に恵まれていたようで、幼い頃から多くの句を残しています。
その才能は多くの文人からも認められ、千代女の再来と期待されていた女性です。しかし、疑獄事件により永代牢となった父や一族の赦免に駆け回り5年後に父の赦免を受けましたが、3年後にカリエスで26歳の若さで亡くなっています。
ちなみに父・喜太郎もその後、富山城端の善徳寺で一族の供養後、福野の安居寺に向かう途中の駕籠の中で自殺しています。南砺市宗守に供養碑がありますが、自殺の原因は諸説多くありはっきりしません。

旅行日 2011.12.10







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  • 海月寺
  • Excerpt: 江戸期、金沢の金石は宮腰(みやのこし)と呼ばれ北前船の母港として栄えました。 そんな金石の東方の一画に海月寺という小さな寺院があります。ここに銭屋五兵衛の三男・要蔵の墓があります。
  • Weblog: つとつとのブログ
  • Tracked: 2013-07-15 22:28
  • 本龍寺 銭屋五兵衛の墓所
  • Excerpt: 金沢西警察署を更に西に向かうと、江戸期に北前船の港湾として栄えた宮の越(金石)の町になります。
  • Weblog: つとつとのブログ
  • Tracked: 2013-09-21 13:02

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