伝燈寺 富樫守護家・終焉の地

金沢から越中福光に向かう旧街道にあるお寺で「伝燈寺」があります。
加賀伝統野菜の伝燈寺里芋でも知られる地区でもあります。
東金沢・森本方向から向かうのが本来の道筋ですが、金沢大学のキャンパスを抜けて福光に向かう県道から回った方が道が解りやすく、車も走りやすいと思います。
画像

「伝燈寺」の開山は元徳3年(1330年)、曹洞宗の太祖・瑩山禅師に師事し、大乗寺住持を継いでいた臨済宗僧・恭翁運良が大乗寺を出て開いたものです。正式名は「瑞應山 傳燈寺」。最盛期、室町時代には塔頭二十一ケ寺・末寺五十ケ寺を数えたと云われています。

長享2年(1488年)に加賀守護・富樫政親が高尾城で一向一揆に敗死しましたが、実権は本願寺派に握られていましたが加賀守護・富樫家は富樫館を中心に存続していました。ところが元亀元年(1570年)、北陸進出を狙う織田信長に呼応して加賀守護・富樫晴貞は加賀復権を狙って兵を挙げました。しかし、一向宗徒に敗れ富樫館は焼亡。最後にこの「伝燈寺」宗徒に匿われ共に篭りましたが寺は火攻めで焼かれ、晴貞は裏山で自刃したと云われています。裏山には晴貞の墓がありますが、これは江戸期に作られたものと云われています。また堀切などの跡や名残が一部にみられます。

富樫晴貞はこの寺の落城前に嫡子の富樫春友を越中に落ち延びさせたといわれ、その子孫は現在は福島県に在住だそうです。
富樫晴貞の死後、兄・泰俊が野々市で反抗して敗走していますが、実質的にはこの伝燈寺が加賀守護・富樫家の終焉の地となったといえます。

焼亡後の伝燈寺は加賀藩の保護・再建が試みられ、加賀での臨済宗の触頭になったりしましたが盛時の復興は遂げられず明治には廃仏毀釈で荒廃。明治34年に現在の本堂が建てられましたが、昭和初期には住職無住が続き荒廃は続きました。近年になって昭和62年に高岡の国泰寺の雲水だった現住職が入り、徐々に復興を遂げつつあると聞きました。3月15日には涅槃会が開かれ、団子撒きが行われているそうな。
画像

伝燈寺は民話や伝承などの舞台が豊富な寺社です。
「まんが日本昔話」で放映された「不思議な狛犬」・・狛犬が狼を退治するお話です。この狛犬はこの寺にあった白山宮の狛犬です。現在は隣りの牧地区にある三河神社に保管されています。機会があったら再訪するつもりです。

キリシタン伝説・・伝燈寺は加賀藩老臣・津田正勝(家老・津田玄蕃家の初代)の墓所・菩提寺になっていました。高山右近の影響で加賀藩には多くのキリシタン武士が存在しましたが、彼もその中心的存在でした。正勝の妻・海津夫人は禁教後は七尾の本行寺に永代謹慎となったことでも知られています。
本堂の真裏に洞窟があって寺では弁財天祠としていますが、十字架型になっていて地元キリシタンの信仰場所となっていたと伝わっています。裏山を東側に登ると津田正勝の立派な五輪塔があります。
画像
画像
その他、身代り地蔵伝説などもありますが、その多くの名残は見てもほとんどないといってよいのですが、裏山には水路や隠し道が多くあり冒険には良いかも、ただし万全の態勢を整えるのが条件かも^^;津田正勝の墓所横の洞窟を抜けると裏山の桟道に抜けられます。
画像

案外何も予備知識なしだとがっかりしてしまう典型の場所なので、予備知識を仕入れてから行くと面白い場所です。

瑞應山 傳燈寺  http://www3.nsknet.or.jp/~caga/

旅行日 2012.01.19

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 3

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
ナイス

この記事へのコメント

  • 巣鴨介

    伝燈寺・・・晴貞終焉の地となりますね。
    後年建てられたとは言え、命日は記録されているのでしょうか、墓碑銘等に?
    いずれにしても、訪れたい場所の1つです。
    2019年12月10日 04:01
  • つとつと

    巣鴨介さん
    長らく伝燈寺に行っていなかったんですが、往古には長江谷と呼ばれていたそうです。
    先月、二俣道が歴史の道百選に選定されたのですが、たまたま起案資料が残されていたので先日から読んでいたんですが、その中に江戸期に修繕された富樫晴貞の墓碑があるとなっていました。昨昨年の長江谷の町史があったので見てみると共同墓地の奥のようです。春に再訪して、結果はまたご報告しますねえ^^/ 町史によれば墓碑に元亀元年(1570年)夏五月十四日卒と入っているそうです。新暦なら6/17になりますね。
    2019年12月10日 15:36
  • 巣鴨介

    伝燈寺の説明、墓碑銘からの命日をお教え頂きありがとうございました。
    来年が冨樫晴貞没後450年となり(今年は冨樫泰俊没後445年)、畠山義綱さんと現地オフ会とかしたいものですねと話題にしていて、出来る出来ないは別に個人的には命日に近い日にちでと思ったりしていました(笑)現在、野々市市では没後400年に向けた企画などは無いようで残念ではありますが・・・。
    掲示板にも書いたのですが、もし行けるとしたら、野々市~白山~金津など廻りたいなと考え、その時は是非つとつとさんにもお会いできればと思っております。
    勝手な夢でありますし、如何せん自分が地理的にも仕事的にも難しいのはわかってはいるのですが、実現できればと願っています。
    https://531.teacup.com/97e1055/bbs?page=2&
    2019年12月23日 15:32
  • つとつと

    巣鴨介さん
    そうでした。450年になるんですねえ。富樫氏が加賀に居ついて600~700年、歴史から見るとこれだけの長期間を地盤にしたんですから、富樫氏を外して加賀を語ることはできませんねえ。。野々市では歴史的なイベントがないと云われていますが、この機会に是非共富樫館の発掘に出て欲しいものです。
    富樫関係となると金沢も観て欲しいですが、なにせとんでもない山中や登り降りばかりですから一日あっても足りないかも、高尾城や富樫家廟谷など最たるものですから。。そうそううっかりしてましたが、富樫家の廟所と昔から伝わっているのが富樫家廟谷ですが、政親は野々市大乗寺に葬られていますし、どうも重臣の額氏の廟所のようですが、とにかくとんでもない起伏の山の中・・https://72469241.at.webry.info/201210/article_6.html 高尾城郭も400段以上の階段を登らねばならず体力に厳しいですから 野々市、金津は良い判断かも、不規則仕事で時間が合わせられれば、と思いますが、是非声をかけてください
    2019年12月24日 13:30
  • 巣鴨介

    >富樫氏を外して加賀を語ることはできませんねえ。
    >この機会に是非共富樫館の発掘に出て欲しいものです。
    つとつとさんが書かれている通りだと思います。特に、富樫館の発掘は義綱さんも以前から強く望まれているところですが、如何せん土地収得が難しいようですね。

    >とんでもない山中や登り降りばかりですから一日あっても足りない
    そうなんですね!やはり地元であるつとつとさんの情報は有り難いです!高尾城や富樫家廟谷など本当に見てみたいのですが、それを聞くと短期では難しいと思わざるを得ないですね。
    それでも冨樫家への関心は止まないので今後につなげて行きたいです。

    残り8時間程で、令和元年も終わろうとしています。今年になってつとつとさんとこのようにやりとりさせて頂くようになり、前述通り冨樫家への関心が改めて強くなれたのもその御蔭だと感謝しております。その点でも、来年は是非、義綱さんとつとつとさんとの繋がりが結ばれ様々な冨樫、加賀の話題で語り合いたいものだと思います。
    お二人共ご多忙なので相互訪問が実現しておりませんが、どうかよろしくお願い致します。
    良い年越しをお過ごし下さい。
    2019年12月31日 16:16
  • つとつと

    巣鴨介さん
    富樫館跡は現在見つかっている堀跡が有力地ですが、それまでは候補地が多すぎたというのが実情だったのも発掘に描かれなかった要因だと思われます。堀の見つかった地は住宅地ですから今後次第でしょうね。でも長い目で見るとアパートや住宅の老朽の目立つ場所なので狙い目だとは思いますが、野々市の文化課の意欲次第だと思いますね。昨年、白鳳期の末松廃寺跡から全国初の巫女と思われる女性像を描いた線刻の土片が出て、歴史物を諦めかけた野々市も歴史に火が付きそうですから。。富樫家の歴史が600年以上に渡りますから小松・野々市・金沢南はまだまだ新展開がありそうです。
    巣鴨介さんも、良いお年をお過ごしください。
    2019年12月31日 21:10

この記事へのトラックバック

  • 二曲城(ふとげじょう)
  • Excerpt: 加賀一向一揆の最後の牙城として有名なのが「鳥越城」ですが、この鳥越城と連携して最後まで抵抗した城が「二曲城(ふとげじょう)」です。 鳥越城の規模が大きく有名すぎて支城扱いということもあり、更に発掘調..
  • Weblog: つとつとのブログ
  • Tracked: 2014-09-12 03:45
  • ②高山右近 前田利長時代
  • Excerpt: 天正16年(1588年)加賀に来た高山右近でしたが、前田利家時代にはそのほとんどが大阪での前田利家の相談役、外征と金沢城の修復・町割りの整備にと大阪・金沢間往復に忙殺されたと云えます。畿内の先進的な築..
  • Weblog: つとつとのブログ
  • Tracked: 2017-09-10 21:55
  • 永安寺①
  • Excerpt: 永安寺 本堂
  • Weblog: つとつとのブログ
  • Tracked: 2018-07-08 19:40
  • 本行寺② 隠れキリシタンの寺
  • Excerpt: 昨昨年(H29)2月、高山右近の列福式が大阪で行われ、福者の宣言がされた際に長々と3部作を書きました。
  • Weblog: つとつとのブログ
  • Tracked: 2019-02-01 21:09
  • 富樫家~押野後藤家
  • Excerpt: 平安中後期から戦国後期まで加賀国武士団の有力者の筆頭とされたのが、富樫氏でした。 野々市町小史の略系図によれば、藤原北家・藤原房前の五男・魚名の流れで鎮守府将軍・藤原利仁を祖にすると称しています。藤..
  • Weblog: つとつとのブログ
  • Tracked: 2019-06-19 12:43

最近のコメント