木舟城址

以前、紹介した前田利家の末弟・前田秀継が生涯を閉じたのが「木舟城」
高徳寺址 前田秀継夫妻の墓所  http://72469241.at.webry.info/201210/article_33.html
真光山 永傳寺            http://72469241.at.webry.info/201210/article_34.html
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天正15年(1585年)に起こった天正大地震は震源はいろいろ推測されていますが、飛騨・伊勢の連鎖地震だと推測されています。広範囲に被害が起こり、岐阜だけでなく北陸・関西にも甚大な被害を与えたことが伝わっています。有名な城でも、大垣城・長浜城が全壊、未だに場所も特定できない埋没した帰雲城。近年、液状化の痕跡が確認された清州城など大きな被害を受けたようです。この木舟城も同じく陥没全壊しています。
幻の帰雲城  http://72469241.at.webry.info/201209/article_22.html

木舟城」は元暦元年(1184年)に石黒光弘によって築城されたと云われています。石黒光弘は越中の地方豪族で、木曽義仲に従い倶利伽羅合戦で活躍しています。その後、石黒氏はこの城を本拠に戦国期までこの辺りから福光に至る一帯を治めていたようです。
戦国末期に入り、越後の上杉謙信の配下になった時期もありますが、謙信死後に勢力を伸ばしてきた織田信長に与しましたが、上杉軍との共謀を疑う信長によって近江長浜で当主・石黒成綱が謀殺され断絶、本能寺の変後は越中支配の佐々成政の配下・佐々左ェ衛門の持城となりました。
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豊臣秀吉の佐々征伐後、前田秀継が4万石を与えられ木舟城を本城として入城しましたが、そのわずか3か月後に大地震が発生。秀継夫妻を含め多くの家臣が犠牲になっています。
秀継の息子・前田利秀は最初はこの城と城下の復興を試みましたが果たせず、今石動城に本城を移し小矢部城下を整備しました。

今石動城址  http://72469241.at.webry.info/201210/article_32.html

木舟城下も修復不能の状態で多くの住民は小矢部に移りましたが、一部の住人は高岡にも移住しています。高岡城の南西で高岡大仏の近くに「木舟町」がありますが、この城下から移住した町民によって作られた町です。

現在の木舟城址は広い田園の中にポツンと小さな丘があるだけです。この丘も本丸の一部分で、実際の大きさは東西1.2キロ・南北1キロ。3重の濠と当時流れていたと云われる二筋の木舟川に挟まれた沼地の上にありました。戦国期には何度も戦乱の中心地になっていますが、発掘調査によると広範囲な城下と共に大規模で堅固な城だったようです。
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今は田園の真ん中に小さな丘の姿のみの静かな風景の中心です。
道路を隔てた場所にある貴布称神社は江戸期には「古城中有明神社」と呼ばれており、神社も木舟城内の跡地と云われています。訪れた際にはこちらにもよることをお勧めします。

旅行日 2012.02.19

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