木谷公園 木谷藤右衛門本宅跡

以前紹介した銭屋五兵衛の記事で「加賀の豪商を一人挙げろと云えば、10人中9人以上が銭屋五兵衛と答える」と書きましたが、それじゃ残りの一人以下が答えるのが今回の「木谷藤右衛門」です。

銭屋五兵衛 http://72469241.at.webry.info/201210/article_39.html

銭五と同時期に北前船の海商で活躍しました。あまり資料文書などが残っていないため、意外に県内でも知らない人が多いのが影響しているようです。知っているのは一部の関係者や歴史好きな人くらい。。しかし、最盛時の規模は銭屋どころではない規模でした。若き日の銭屋五兵衛は木谷家の木屋に修行奉公をしていたそうです。実は木谷藤右衛門が加賀最大の豪商というのが本当と云われています。

代々の当主は「藤右衛門」を名乗っており、初代は江戸期初頭から名前が見られます。木谷家が大きく隆盛したのは大野川の改修がなされてからと言われているので、元禄から正徳にかけて(1700年前後)の3代目からと言われています。大野川は河北潟から外海に流れる唯一の河川で、金沢から潟に流れる浅野川の2河川は加賀藩の重要海運経路になっていました。木屋は河北潟の手前の大野川沿い中継点に位置し海川の運送を一手に担っていました。
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当時はこの辺りは粟ヶ崎村と呼ばれていましたが、現在の金沢市粟崎町の木谷公園が木屋の本宅があった場所だそうです。今は松林と散策路のみですが公園敷地は広く往時の規模がしのばれます。
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木屋としての木谷藤右衛門は加賀藩の御用商人として藩財政に貢献するだけでなく、他藩の調達商人として大きく係っておりその数は解るだけで10藩以上、不明文書も多くその数は相当数に上ると云われています。
木谷藤右衛門の資産の物凄さは天保元年(1830年)の全国長者番付では西の横綱になっています。ちなみに東の横綱は三井八郎衛門(三井財閥の創始者)。有名な大阪の天王寺屋は東の大関、鴻池は東の関脇。
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幕末には銭屋と同じく政争に巻き込まれ、取り潰しの危機もありましたが明治期にもその名を遺しています。銭屋は悪徳商人として地元民からも見捨てられてしまいましたが、木屋は取り潰し危機の際には地元住民の嘆願が引きも切らず、謹慎没収後に藩から罰を撤回され財産返還・家名存続を許された経緯があり庶民には人気が高かったようです。この辺りは銭屋とは好対照です。

明治に入り海運から金融業に変わり銀行創設に係り頭取として本格的にかかわりました。本拠地も粟崎から金沢市街の武蔵が辻の近く彦三(ひこそ)に移りましたが、デフレにより銀行が破綻、財産も破産となり歴史の陰に消えたそうです。その後、詳しくは知りませんが本家は復活を果たし現在も家名は続いているそうですが表舞台には出てきていません。

木谷家の名残は金沢を中心に石川県内の各地に残っています。
特筆すべきは。。金沢の一番の観光地として有名な「兼六園」ですが、兼六園の顔ともいえる「徽軫灯籠(ことじどうろう)」と反りのある石橋「虹橋」は木谷藤右衛門が献上したものです。ただし今の灯籠は2代目で、献上された物ではありません。献上された初代は兼六園施設内で大事に保管されているそうです。

本宅に使用されていた建物も各地に点在しています。僕が観たことあるものは。。

金沢市本多町の中村記念美術館の耕雲庵・・http://www.kanazawa-museum.jp/nakamura/index.html

深谷温泉の元湯石屋・・http://www.motoyu-ishiya.jp/index.html

津幡町の大正楼・・http://www.taishourou.jp/room/index.html

旅行日 2012.02.25

この記事へのコメント

  • tor

    木谷藤右衛門。知りませんでした。番付表を見ても知らない方ばかりで…。驚きです。
    2017年11月05日 22:34
  • つとつと

    torさん
    本地元でも知らない人がほとんどですが、全盛期の銭五もかなわない財力と規模と云われています。僕もほとんど知らない人ばかり。。大文字の半分くらいの名前だけならといった感じです
    2017年11月06日 12:02
  • きやとみ

    加賀市山代温泉出身の名古屋市在住「木谷富之」77歳です。
    2011年に友人から戦後70周年に当たり自分史を書いてみないかと勧められ、その後ルーツを調べているうちに”つとつと”に辿り着きました。
    前田加賀藩・大聖寺藩や兼六公園の「灯篭・石橋」寄贈の話を祖父祖母から聞いた記憶・・・・懐かしく、機会を作って粟崎辺りを探索します。
    2019年04月11日 16:11
  • つとつと

    きやとみさん
    @@; まさか木谷家の子孫の方から、コメントを戴けるなんて感激ものです。
    そうでしたか、お住まいは山代温泉の方に移られていたんですね。。
    僕のような歴史愛好家にとっては木谷家の存在は誇れる存在です。加賀藩を支え、明治には金融の先鞭を取った大きな存在です。ぜひ、自分史を書き上げてください。記事が古くて申し訳ありません。。末尾のリンク先の大正楼は廃業していますが、耕雲庵・深谷温泉の石屋は健在です。
    それから、木谷家のルーツの資料ならば内灘町歴史民俗資料館「風と砂の館」が木谷家文書が保管しています。江戸後期から明治までの他藩との関係書類から個人の領収証まであるそうです。場所は医科大前から内灘大橋を渡ったすぐ右側になります。また、粟崎八幡神社には木谷家が奉納した持船の大絵馬が9点残っています。ぜひ、粟崎から足を延ばしてみてください。
    わざわざ、お立ち寄りいただいてありがとうございました。
    2019年04月11日 20:49
  • きやとみ

    早速の情報提供に感謝申し上げます!
    我が一派は「藤右衛門」の分家で従来「重栄」を名乗って来ましたが明治に入り男子誕生を見ず継承はなくなりました。私は昭和19年父の戦死により母の実家である名古屋に戻り今日に至っております。跡目を継いでいた伯父も昭和44年に屋敷・田畑・お湯の権利を処分して京都へ・・・・。
    現在は墓のみとなっております。
    一時「大聖寺高校」へ通ったこともあり昔を偲びたくもあり、見たくも無し。
    栄枯盛衰は世の常、人の常を痛感します。
    自分史は大手広告代理店でコピーライターとして活躍した友人が定年退職後出版社に就職し本を出したらとの誘いに乗って書き出しては見たものの、戦後のドサクサの中でナンの不自由もなくイマに至っている恥ずかしさでタイトルとあらまし程度で筆を折ったままです。
    今日この頃は「学生時代」や「商社時代」の仲間と「終活談議」に花を咲かせております。取り止めの無いコメントでスミマセン。またの機会に「前田大聖寺藩」と我が一派のつながりに触れてみたいと思います。
    お目に掛かれる機会があれば幸甚に存じます。きやとみ拝
    2019年04月12日 16:50
  • つとつと

    きやとみさん
    確かに小学校、中学校などは逆に懐かしいのですが、高校はあっという間に過ぎて、どちらかと云えば懐かしいけど苦い思い出も多くて、あんまり見たいとは思えないですねえ^^;でも近くを通ると懐かしいものがあります。
    僕は河北郡の津幡で小・中・高と近いというだけで通っていましたが、そのためか大聖寺近辺になるとまだまだ勉強不足が否めません。高校卒業後は学生の大阪に始まって、新潟や滋賀などで20年以上過ごして、白山の旧松任に戻って、前職とは違う営業職で県内をウロウロ。。おかげと云っては何ですが、好きな名所旧跡を巡りながら、学生時代の歴史や地理を呼び覚ましています。ところが、津幡出身の僕としては、あまり縁のなかった加賀・大聖寺のことが浅学で、廻るごとに勉強させられています。大聖寺川が新旧の日本になっているんのもしりませんでしたから。。大聖寺藩に関しても調べ始めたのがここ15年程で、まだまだ知らないことだらけで、ご教授いただければ幸いです。
    山代温泉のことを云われて、そういえば木屋の旅館名をどこかで観た記憶が。。
    昭和40年代では幼過ぎて、1.2度家族やバス旅行で訪れた程度でまったく記憶がないんですが、振り返れば、魯山人のいろは草庵跡での案内で戦前の山代温泉の旅館名16軒で観ていたようです。山代温泉も総湯が新しくなり町の区画も大きく変貌していますが、通りも良いですが服部神社からの山越えなどは美しいと思えます。
    木谷家と大聖寺藩の係わりが深いのは解るのですが詳しいことは勉強不足です。ぜひ、ご教授いただけると幸いです。
    2019年04月13日 22:24
  • きやとみ

    小・中・高から学生時代までを名古屋で過ごしましたが一年間だけ「大聖寺高校」に(訳あって)通いました。
    ★「津端(竹橋宿)」は源平合戦で戦に敗れた平家の落人が移り住んだと言われるところで、我が祖先も学生時代に蔵の中で目を通した古書に平家に加担して「倶利伽羅峠」の戦で敗れ五ヶ山に落ち延び云々と記されてあったのを記憶してますが・・・・。
    ★確かに山代の総湯前で戦前は「木屋」戦後は「立美家」の屋号で昭和44年まで商いをしておりました。
    また「魯山人」に関しては大正4年に山代にやって来て「よしのや」の離れに寄宿。我が「祖父甚太郎」と馬が合ったらしく、屋敷も近く大正4年は父生誕の年でもあり連日の酒盛りだったと何度も聞かされました。
    ★昭和52年に「伊藤忠商事」に吸収合併された「安宅産業」の創始者と我が一族何代目かの「重栄」との「縁」・・・でスカウトされたこと等を加筆して行こうと思います。
    自分史も未だ未完成ですが・・・・・ご笑読いただく時が来れば幸甚に存じます。きやとみ拝
    2019年04月14日 17:52
  • つとつと

    きやとみさん
    大聖寺に一年間、ほとんど知らない土地で1年を過ごすのは結構きついかもしれませんねえ^^; 就職してからですが前職は転勤族で、大人になっていたとはいえ、短い時には1年満たずに動いていましたが、やはり辛かったですから。。しかも一番多感な時ですからねえ。。

    倶利伽羅峠には倶利伽羅不動発祥の長楽寺(現在は不動寺・手向神社)がありますが、それが倶梨伽羅峠の名の由来になります。そこでの源平の戦いでの平家の落武者が造った集落と云われるものが多く津幡に残っています。平野・平村さんなど平のつく名字ばかりの平谷(へいだん)が津幡では知られています。
    そうそう五箇山といえば、世界遺産になっている相倉集落が平家の落武者の隠里として知られています。白川郷・五箇山の合掌造は有名ですが、その中でも相倉(あいのくら)は、合掌造の家には人が住んでいて、今も生活感を感じられます。山に囲まれた集落で、町から隔絶した場所でもあり、白川村・荻村・長倉といった観光地化して観光客だらけの集落群よりも相倉集落は畑地や田地の景観の道も生活感と共にかつての原風景そのものでお薦めです。
    2019年04月16日 22:42
  • つとつと

    きやとみさん
    15年程前から魯山人が寄宿したいろは草庵が、改修と共に公開されていて、そこの展示でお名前を観たんです。そのような親密なつきあいがあったんですねえ^^
    安宅産業の創始者と云えば安宅弥吉氏ですね。安宅氏の墓所は三カ所(鎌倉・西宮・石川)あるんですが、石川の生誕地・大野の本龍寺の銭屋五兵衛の墓のお隣にあります。https://72469241.at.webry.info/201309/article_5.html
    2019年04月16日 23:30
  • きやとみ

    貴重な情報を頂き感謝!
    安宅産業の創始者弥吉翁と「銭五翁」の墓地が隣り合わせとは・・・・。
    是非折を見て両翁の墓参に出かけようと思います。
    総合商社「安宅産業」へは途中入社とは言え「縁」あって消滅の昭和52年まで
    在職。・・・忖度を受け良い思いをしたことなど墓前で吐露したいと思います。
    銭五翁にも昔の話が聞けたら良いのですが・・・忍ばせていただきます。
    ★大聖寺高校の時代は最も多感な年齢でもあり「山代のきや」と言えば電車も止まる勢いの中でアッという間の1年間でした。
    戦後の食糧事情の悪いころ母に連れられ名古屋から8時間SL列車に揺られ、
    山代まで栄養補給によく行きました。
    中学に入ってからは一人で春・夏・冬の休みに顔を出していたので何一つ違和感はありませんでした。今思えば「懐かしい」の一言です。
    いつも取り止めの無いコメントでスミマセン!
    次回は「木屋の横門」・・・正門より大きな横門のイワレ・・・。
    「加賀温泉駅」成り立ちの由来(片山津温泉・山中温泉・山代温泉の営業事情)。
    また名古屋にある「前田利家」生誕の地「荒子観音」や織田信長の家臣で
    岡部某が「利家」を偲んで建てた「前田速念寺」について・・・。
    ・・・・などを載せていこうかと思います。
    ☆彡30年も前になりますが仕事で野々市の「木谷商店」を訪ねたことがあり「藤右衛門」の分家と聞き及びました。その折「婿殿」を迎えたこと。
    又婿殿の実家は前田藩の「御殿医」だったとも・・・・。
    「御殿医」についても追々語らせて下さい。
    明日20日は「学生時代」のOB会が有り終活談議に花を咲かせます。
    メンバーの一人「K川くん」が「つとつと」へ立ち寄り多彩な情報源にご満悦のようです。
    お騒がせしてスミマセン。きやとみ拝

    2019年04月19日 13:02
  • つとつと

    木谷商店はやはり同じ一族になるんですか@@名前を観ていて、宋なのかなあと思ったらやはり@@ 金沢から野々市と本部を移していますが、昭和末に本社を基のナガマチに戻して、15年ほど前に僕の住む白山市(旧松任市)の徳光海岸近くの上小川町に営業本部を移して、鞄のエースの物流センター近くです。そういえばエースの創業者・新川柳作は松任の足袋職人の家に生まれています。
    加賀藩の御殿医の家系@@; 僕が思いつくのは高峰家、草鹿家の名前くらいで詳しくないのです^^;期待しています。
    恥ずかしい^^;まだまだ底が浅いですが。。。ちょっとでも喜んで頂ければ幸いです。
    2019年04月22日 23:02
  • きやとみ

    木谷商店を訪ねたのは昭和の末期でしたが、主からは「藤右衛門」の一派であり婿殿の実家は「御殿医」云々と記憶にありますが・・・旧姓までは聞いたかもしれませんが記憶にありません。
    ☆カバンと言えば「エース」。ビジネス用に出張用に東京浅草橋で品定めしたことが昨日・今日のように偲ばれます。
    ※「木谷の横門」
    「前田利家」の孫にあたる加賀大聖寺藩主「利明」公の子女が木屋に嫁いだ折、姫が里心つかぬよう日頃使用していた通用門を移築した。と聞き及んでいます。
    正門より大きな通用門を誰言うことなく「木屋の横門」と呼ばれていました。
    蔵の中で学生時代に見た古文書に「利明公 〇女 輿入れ」と有りました。
    今では父が出兵時に家族と中庭で撮った記念写真の一角で偲ぶのみです。
    「つとつと」さんからの情報で昔をしのばせていただき感謝!感謝!申し上げます。
    クダラヌことばかりコメントしてスミマセン。

    2019年04月26日 16:05
  • つとつと

    きやとみさん
    前回の自分のコメントを観て、二つ入れたつもりが先のが入っていなくてアチャッ@@; 何を書いたか、。。。思い出しながら後程書いてみます。
    エースの流通センターは創業者の所縁ということで置かれたようです。松任博物館には創業者が寄贈した焼失前の法隆寺金堂壁画の原寸大写真画像が展示されています。全国では23組の貴重品です。今の復元された壁画が作成されたのも、京都の便利堂に原盤が残っていたおかげだそうです。
    利明公と云えば、大聖寺藩二代藩主の名ですねえ@@ 山代の木屋家が300年以上前の大聖寺藩草創の頃から藩主の娘を迎え入れるとは、由緒を感じますねえ^^今は横門は残っていないのでしょうか。。
    大野湊神社の横の公園の一角に銭五記念館が新設され、銭五の館などにも偲ばせる展示がありますし、旧宮ノ腰の町にはいくつか所縁の場所がありますが、木屋家とは違って家財没収・断絶(後に復活)を受けて多くは残っていませんが、所縁の場所が散っています。三男の要蔵の墓が移された海月寺には、就職したばかりの室生犀星が下宿した部屋が保存されているそうです。https://72469241.at.webry.info/201307/article_5.html
    2019年04月29日 10:52
  • きやとみ

    室生犀星と言えば犀川大橋から桜田橋(犀星のみち)の桜は雄大ですね!
    学生時代、友人の父親が〇〇生命金沢支店長で犀川端に社宅があり訪ねて行っては二階から眺めていました。そういえば5月は「百万石まつり」ですね。久しく行ってません。木屋の横門は明治の初めに再築(手直し)したようですが昭和44年屋敷・田畑を手放した数年後の火災で焼失。その後は「はずちお楽堂」と言う温泉協会のPR会館になっているようです。
    山代湯の曲輪16軒、南東角の服部神社へ向かうところに「田中屋」があり、現在は「四季亭たちばな」と名を変えて健在です。この「田中屋」には祖母の姉妹が嫁いでおり従兄の頃までは交流がありましたが性が変わると意識も薄れるようです。・・・が「木谷・前田」の血が流れています。
    いろいろ情報を頂き昔を偲んでおります。感謝!


    2019年05月06日 15:19
  • きやとみ

    総湯16軒の「南東角」服部神社云々・・・は「南西角」の間違いです。
    「百万石まつり」は6月でしたね。
    5月は山代温泉の「しょうぶ祭り」でした。思い出すと香りが漂ってきます。
    2019年05月07日 09:05
  • つとつと

    きやとみさん
    いえいえ、今年の百万石まつりは5/31~6/2で、間違いではありませんよ。
    二日目の百万石行列がメインなために、意外に知られていないのですが、前日には金澤神社のお水取りと献茶、尾山神社の祭りの祈願と、鳳輦への利家の魂入れが行われるのが好例になっています。
    百万石行列も年々華やかになって、参加者やグループが増えて金沢駅前から金沢城内を全てが入るのに4時間近くかかっています。僕が覚えている頃は1.2時間でしたが倍以上の時間になっています。そうそう、今年は前田本邸のある関係で、目黒区が4代光高、板橋区が5代綱紀を演じるそうです。
    前田利家・お松の方もすっかり俳優が定着して、今年は加藤晴彦・藤本美貴さんだそうです。昭和59年の加賀丈史から石川県関係が続きましたが、何せ利家役は乗馬が出来るが絶対条件で、けっこう人選に苦労しているようです。昔はいろんな場所から見られましたが、今は凄い人出で、ここ何年かはすっかりテレビ観戦になっています^^;
    山代温泉にもしばらくご無沙汰しているのですが、そういえば「四季亭たちばな」さんは今月大幅なリニューアルオープンと聞いています。ここ何年かは女性に人気があるそうです。我が家の嫁さんも@@な眼でCMを見てたような。。ただお値段見てため息ついてました^^;まあ、加賀パフェと総湯で我慢してもらって山代に連れて行ってやりたいと思っています。「はずちお楽堂」は入ったことがないんで行ってみたいと思います。服部神社と云えば、スダジイの巨木もありますが、歴史好きには明覚上人の供養塔が一番興味を引きますねえ^^
    2019年05月12日 14:06
  • きやとみ

    「はづちを楽堂」はまさに「木谷の横門」のあった場所です。
    魯山人が寄宿していた「よしのや」の隠居屋敷から「専光寺」横を数十メートルのところに木谷の蔵屋敷がありました、今では取り壊されて駐車場になっているようです。
    「山代も内湯を有する曲輪16軒も随分様変わりです。
    加賀市の市長を務めた「山下屋」は大江戸グループの傘下に。
    魯山人が足繁く通ったお気に入りの有形文化財「白銀屋」は星野リゾート「界 加賀」となり、「花屋」は「加賀百万石ホテル」を華々しく立ち上げましたがJTB傘下となりその後多額の負債を抱えて破綻しました。
    現在の山代温泉は内湯を有しないイワユル外湯(総湯)を利用させた2流館と言われた「宿」が頑張ってます。
    ☆彡★今月15日に孫(18歳男子)がUSAロスアンゼルスに留学と称して旅立ちました。2年近く合えそうもありません。そのうち元気を出してこちらから会いに行こうか・・・昔の仕事仲間にも再開できるかもと検討してます。
    17日には前田利家公ゆかりの「前田速年寺」へ出向きご住職に孫の無事を祈願してきました。
    「百万石まつり」には毎年運営委員会からの招待があり、今年はお庫裏さま(住職婦人)が行かれると聞き及びました。
    因みに利家公役の加藤晴彦は名古屋の出身です。
    ・・・・追々「加賀温泉駅」や「ホテル百万石」の由来を載せさせていただきます。
    2019年05月19日 10:08
  • つとつと

    お孫さんが海外留学ですか。。そりゃ寂しくなりますねえ^^;
    それでも、会いに行けるんなら、それは検討の余地ありですねえ。しかも、昔の知り合いが居られるんなら、行きやすいかもしれませんねえ。
    百万石まつりの利家役の俳優起用は加藤晴彦さんまでで延べ36人、お松役は12人にもなりますが、だぶらずによくも指名求人できたと思います。最初は加賀丈史さんのような石川出身、名高達郎のような金沢工大出身とか石川絡みだったんですが、そこは有名俳優や芸能人出身者が少ない石川県。。奥さんの祖母が石川県人とか苦しい世界に陥って今は関係なしに乗馬が出来るという指名依頼しているようです。関係者の苦労が偲ばれます。
    ホテル百万石が倒産閉鎖されてからすったもんだの末、あの大きなホテル施設や寮の建物が野ざらしになっていましたが、「みやびの宿・加賀百万石」として昨年12月にリニューアルオープンしています。ただ、あの大きな施設ですから、突貫工事が、営業に合わせてまだまだ続いているようですが。。。運営は確か、大阪のビッグ開発だったと。。
    老舗旅館の多くが、やはり消えていくのは寂しいですねえ。。粟津温泉では昨昨年・喜多八、昨年・かめたにが火を消しています。喜多八は別会社がそのままの名で引き継いだようですが、出来れば伝統の灯は消さずにおいて欲しいものです。、いまは○○リゾートや奇をてらった観光ホテルが多くなってしまったようです。ごはんはバイキングとかセルフとかビジネスホテルのような看板のけばけばしさは、温泉にはそぐわないですね。
    2019年05月22日 23:01
  • きやとみ

    昨日 池田公一著「名君 前田利長」を購入し 帰宅後年表を見ていた処「つとつと」さんのブログ「山ノ下寺院群 実性院」にたどり着きました。
    まだ江沼郡山代と言われた幼少の頃に伯父に連れられ行った記憶があります。
    @ホテル百万石が何故あの総湯の曲輪から離れた場所に建設されたか・・・・
    昭和39年の東京オリンピックに向け地元の背泳選手「田中聡子」育成のために昭和34年に湯量の多い山代に「温泉プール」が作られたことに由来します。
    当時「加賀温泉協会会長」で市議会議員だった伯父が桑畑千坪を寄贈し当時の赤城農林大臣(絆創膏の赤城大臣の爺さま)に「三個」持参して農地に建築許可を取り付けたことで総湯源泉から公費で給湯配管工事を行ったからです。
    その間に「花屋」の吉田翁が水面下で土地を買いあさっていた。
    という事情があります。・・・・・ホテル百万石誕生。
    山代は地形上地盤が弱く曲輪16軒地帯は3階以上の建築許可が下りず バスツアー客受け入れのため苦慮して「吉田屋」なども山に上がり「山王閣」として・・・・。今はどうなっているのでしょう。
    @前田利治公が創始した九谷焼は総湯から西へ行ったところに「九谷美陶園」があります。昭和3年に俳人であり、陶芸家の寺前晴山(英一)氏と伯父が創業しました。今では2代目「寺前英(王ヘンに英)生」も亡くなり三代目で交流が途絶えました。初代・2代目の作品と晴山王の句集「松並木」が伯父や戦死した父を偲ぶ・・・ヨスガです。
    どうもPCが苦手で思う半分も書けません。・・・・アナログ人間です。
    2019年05月24日 10:15
  • つとつと

    きやとみさん
    実性院は白萩の名所として、花の咲くころに行きたいと思いながら、いつも時季を逸しています。大きな寺院作りと歴代藩主の廟所も障壁画を含め興味深いものです。
    「温泉プール」は「田中聡子」さんの為に出来たプールだったんですか@@
    小学生の頃、2回ほど行った記憶があるんですが、、、大きなプールで端は1m程でしたが、中央は2メートル程の深さで、石川初のスライダーの後に温水プールにドボンと入ったら深さにびっくりしました^^;背が立たないどころじゃなくて大慌てしました^^、
    吉田屋山王閣はまだ健在です。泊ったことは無いんですが、2.3年前に前を通りました。https://www.sannoukaku.com/
    でも、近くの緑水園・百万両・萬松園は廃墟のままになっていて、散策路の奥はちょっと寂しい状態です。
    九谷美陶園の通りも一時期寂しい感じになっていましたが、百万石の復活で賑やかになるのを期待しています。九谷美陶園には入ったことがないんですが、何年か前に近くのコンビニに寄ったら、ウィンドウが工房の展示がされていて驚きました。夜間に照明で輝いて綺麗でした。https://72469241.at.webry.info/201211/article_3.html#comment
    2019年05月29日 16:09
  • きやとみ

    九谷美藤園と云えば昭和63(1988)年にオノヨーコが訪れ「卯」年の干支皿を買い求めて帰られました。同じ窯のモノを平成23(2011)年には飾りましたが次の「卯」年は・・・飾れましょうか・・・。
     @唐突なお尋ねでスミマセン。
    金沢観光会館ホールは現存してますか?
    学生時代の昭和39(1964)年に県人会の要請を受け、全日本学生大会で優勝実績の有る20名編成のジャズバンドを引き連れてステージに立った想い出があります。この学生バンドは今年で結成60年を迎え意気軒高です。
    仕事に就いてからは活動できませんでしたがリタイヤ後の平成12(2000)年に昔のジャズ仲間を集め20名編成の ”A”TeamBigbandを結成。
    来年は20周年年を迎えられそうです。
    華やかな世界に飛び込んだ者もいましたが9分9厘「線香花火」状態。
    趣味に留めて良かったです。
    ご興味がお有りでしたら「木谷富之 A’TeamBigband」に
    お立ち寄り(検索)下さい。
    2019年06月12日 15:55
  • つとつと

    きやとみさん
    金沢観光会館は施設はそのままで10年程前に名称を金沢歌劇座として現役です。さすがに老朽化が進んでいて近年建て替えが検討されているそうです。金沢にも金沢市文化ホール・北国新聞赤羽ホール・石川県立音楽堂・本多の森ホール(旧厚生年金会館)などコンサートや劇場も増えてきました。とはいえ、僕たちの年代には観光会館が一番身近な存在ですねえ^^あそこでステージに立たれたんですか@@
    中学・高校の頃、僕は放送部に在籍していまして、その関係イベントが向かいのMROホールで行われていました。で、娘がコミックに嵌ってコミケに通うのに付き合わされたのもMROホールでして(今は勤労者プラザのようですが)
    この二つのホールは身近な存在になります^^
    ”A”TeamBigband@@ そんなアマチュアバンドじゃなくて、プロのジャズバンドじゃないですか^^;ブルーノートにも出演してるんですから(驚) たまたまなんですが、大阪の友人との連絡用にFBにページを作らされた時に、検索でさまよったときに知りまして^^まさか発足者とは驚かされました。FBは友人との連絡にたまに使う程度なんですが。ジャズを含め音楽は聴くのは好きなんですが、楽器は一切駄目で、演奏が出来る方は羨ましいは尊敬ものです@@ 僕のは趣味で終わっていますから^^;
    2019年06月21日 12:44
  • きやとみ

    MRO・・・懐かしい社名に出会い半世紀以上も前に引き戻されました。
    1964(S39)年、山代「白銀屋」のご主人正木さんに入社を勧められましたが演奏会の打ち合わせ等で華やかさの裏側「ケ(非日常)の世界」を見ているので断りましたが、もしMROに入っていたら「つとつと」さんと顔を合わせていたかも。
    祖父・伯父から趣味を仕事にするなと言われ続けてきたのも一因かと思います。
    「ハレ(日常)の世界」の商社も結構ドロドロしてました。
    違った意味で「ケの世界」よりもっとドロドロ・・・・・。
    世の中ウエートの違いこそあれ裏と表で一つの世界ですね。
    お嬢様の「コミケ」とはどんなモノなのか年寄にはわかりませんがMROつながりでしょうか!
    本家の従兄は学生時代放送部に籍を置き活躍してました。帰省するとアカイやソニー、ティアック、レボックスのオープンデッキをいじっていました。
    ・・・がベシャリではお国言葉のintonationに悩んだようです。
    @書籍発刊されましたら是非ご一報願い上げます。
    「つとつと」さんのブログに私事ばかり載せてスミマセン!
    支障がありましたら叱責下さい。
    2019年06月25日 09:24
  • つとつと

    きやとみさん
    コミケは漫画・コミックの愛好会みたいなもので、同人誌や個人誌・イラストや好きなコミックを自分で描いたりで個人ショップで販売したり、登場人物に扮装するコスプレなどが行われています。メイド喫茶のメイド姿もこの流れになります。娘に連れて行かれた頃は、ゲームの露出系が多くて目のやり場に困ったものです。漫画やコミックが好きな人にはたまらない世界かもしれません。僕も妻も嫌いではないので。。三種三様のコミック本が家に溢れかえっています。
    アカイ・ティアック・サンスイ・トリオ 僕もいじっくっていました^^好きが高じて大学もそっち方向の学科でした。でも、ミキサー志望だったのに学科内の全員参加のオーディションに受かってしまって、好きでもないアナウンスに回されて挫折してしまいました。アクセント・イントネーションにうるさかった昔は、加賀は日本一の駄目地方で関東関西の悪い部分が寄り集まった感じで、悪戦苦闘しました。ちなみに当時一番標準語に近いアクセントやイントネーションを持っていたのが新潟と北海道で正直羨ましかったです。それと当時の放送界は縁故主義でなおさら。。
    僕の行った大学は南河内の奈良との県境で葛城山・金剛山を越えると当麻や飛鳥の地で近つ飛鳥と呼ばれた地で、同じ町内近辺に聖徳太子・西行法師・源頼義、義家(八幡太郎)の墓所や飛鳥時代の古墳が点在する地。。おかげでもう一つの趣味とも云える歴史好きがうずうず。。結局学業ほったらかして歴史散策をしていました。中学・高校の歴史の蓄積はもちろんですが、この時の実地探索は僕のベースになっています。20年程前に再訪していますが、また行ってみたい場所の一つです。
    2019年06月27日 11:01
  • きやとみ

    名古屋へは2年に一度来られている事・・・読みました。
    書式が変わったのでしょうか?
    再三コメント入れては「霧散(失敗)」してます。
    Testコメント発信します。届きますように。
    2019年07月04日 10:50
  • つとつと

    きやとみさん
    2日に大規模リニューアルがあって、トラブルが続出しているようです。しばらく苦労しそうです。特に記事幅が狭くなって、画像と文章がガタガタになってしまいました。。

    20数年前まで服飾関係だったおかげで、岐阜や一宮・名古屋のメーカーや問屋に行く機会が多く、そのおかげで何人か知人がいて、けっこう遊びに行っていたんです。ただ今の仕事になって以来、逆に県外に出ることが出来なくて、どんどん疎遠になってしまいました。ちょっと困ったことも多々。。

    昨年も名古屋まで足を延ばすつもりだったんですが岐阜止まりで滋賀・福井経由で帰宅になってしまいました。
    そのおかげとは言っては何ですが、旧柳ケ瀬・北陸線(廃線)の明治14年完成の現存鉄道トンネルの小刀根トンネルを歩いて通って観ました。久しぶりに明治15年完成の柳ケ瀬トンネル(現役・車専用トンネル)を車で通りました。交互通行のトンネルで運が悪い、良いと6分以上の赤信号が経験できますよ^^;
    2019年07月05日 23:26
  • きやとみ

    いつも郷愁を覚える多彩な掲載事項に感謝します。
    @@@9日朝の洗髪時にトニックシャンプーが目に入り思わず強くこすったのが原因で右眼角膜を裂傷しました。
    ハズキルーペを掛けても片目では文字が読みにくく難儀しています。
    ★「コミケ」「南河内」「奈良」「アパレル業界」etc・・・治癒したら思いのタケをコメントさせて頂きます。
    私事を載せてスミマセン!
    2019年07月10日 16:23
  • つとつと

    きやとみさん
    あちゃ~~ それは痛そうですね~~ 大事にしてください・
    それにしても、朝シャンとはおしゃれですねえ^^
    さすがに歳のせいで、近頃はだいぶ上がってきましたが、元が低血圧だった僕は朝シャンどころか、ここ30年近く毎朝、おしゃれを通り越して朝風呂です^^;30分ほどお湯に浸かってないと目が覚めない身体が動かない。。習慣とは怖いものですねえ^^;
    お元気になるのをお待ちしています。それまでには少しは見やすいページになっていると思います。たぶん。。。
    2019年07月11日 21:52
  • きやとみ

    酷暑お見舞い申し上げます。
    名古屋は連日北陸のフェン現象を思わせる暑さです。
    @角膜はほぼ治癒し視力も7~8割ほど回復したようです。
    ・・・が2年前に右眼上直筋に腫瘍が見つかり検査の結果ガンでは無いが「IgG4免疫グロブリン疾患」と言うことでまだまだ病院通いが仕事です。
    @仲間にも低血圧症状者が居ますが寝起きのエンジンが中々かからないと嘆いています。降圧剤はありますが血圧を上げる薬は無いのでお察しします。
    @@南河内と言えば大阪教育大と芸大が有りますね。ひと山越えれば「奈良」。
    現役時代に沖縄県を除く 北は北海道旭川から南は九州鹿児島まで飛び回っていましたが「奈良は?」と問われても企業名が出てきません・・・思い浮かぶのはシカと法隆寺だけです。
    ★アパレル業界と云えば尾西・一宮に友人の平X毛織・浜X紡績・小X紡績・近X紡績がありましたが1972(S47)年の日米繊維協定締結後衰退の一路で廃業に追われました。
    地下鉄東山線「伏見駅」の真上に安宅の名古屋支社が有ったので活気にあふれる「長者町」は眼下。現在 昔の面影はありません。
    @月刊誌{サライ」7月号に金沢特集記事がありボツボツ目を通します。
    2019年08月05日 17:01
  • つとつと

    きやとみさん
    7月の梅雨明けまではどうなることかと思っていました。今年も暑い日々ですねえ。。しかも今年の日差しはきつくて、肌を射すとはこのことです。
    医学用語には弱いのでよく解らないのですが、何かや奴そうな名前の疾患ですね。悪性がんではないとのこと、養生してください。
    よくご存じですねえ^^;芸大の方です。。ほんとに二上山を越えると奈良でした^^;そうそう、忠岡町一町の泉北郡がありますが、大阪では数少ない郡でした。大学の周りは歴史に出る人物の墓所だらけ。。聖徳太子・推古天皇・小野妹子・八幡太郎義家と源氏三代、西行法師、歩ける範囲にありました。郡と言えば、桃山学院や帝塚山は狭山市ですが、当時は飛び地の同じ郡で狭山町でした。
    奈良の企業…確かに思いつかないですねえ^^;墨や筆、茶筅、伝統産業の中心地ですが、大きな企業名が出てきませんねえ^^;
    前職は店舗担当だったのでメーカーに行くのは多くなかったのですが、それでも店発注の関係で一宮・名古屋と岐阜はよくいっていました。滋賀の頃は大阪もでしたが。。
    2019年08月07日 16:45
  • きやとみ

    酷暑お見舞い申し上げます。
    例年にない天候不順で予定は先送り状態です。
    もう30年近く前になりますが「大芸」は関西代理店の担当者と同行の折「近くまで来たのでチョット母校を」と言って立ち寄った記憶があります。
    ☆先般買い求めた月刊誌「サライ」7月号の特集記事「金沢」に懐かしい「料理旅館山乃尾から見た ひがし茶屋町」と1980(S55)年に稲本家を訪ねた折に散策した県立美術館と市立中村美術館を結ぶ「本多の森(美術の小径)」の風景写真に出会いました。
    その後で「つとつとのブログ」を開いた処ナント8月16日に「本多町」の掲載・・・・・・。 再訪したいものです!
    2019年08月22日 10:11
  • つとつと

    きやとみさん
    お盆の間の台風10号の影響でのフェーン現象で体温より暑い日々ですっかり弱ってしまいました^^;昔の店舗仕事の時にクーラー病に罹って以来、クーラーが苦手な僕は、扇風機ですが、暑いものは暑いで水を飲んでは汗たらたらの日々でした。。あげくに家族に風邪を貰って咳が止まらずで二重苦でした。今日は星稜が負けてガックリ、今日の投球は抑えの聞かない高めばかり、なぜ準決勝で先発させたという後悔ばかり^^星稜出身の妹も嘆いていました。
    30年前というと、校舎類はまだまだコンクリート打ちっぱなしの時代ですねえ^^そういえば長いこと母校を観ていないので、僕も機会があったら覗いてみたいですねえ^^;僕の頃はまだまだ無名校でしたが、その後の卒業生のおかげで有名校に^^;滋賀に努めていた頃に出身校を聞かれて答えたら、驚かれてしまいました。後で聞いた話ですが学力も学費も僕らの頃の3倍はアップしているそうです@@今では学力も金銭でも絶対行けませんねえ・・
    山乃尾ですか@@ 入ったことは無いのですが、昼の東茶屋街の屋根風景 夜の金沢の夜景は素晴らしいと聞いています。近くの松魚亭からは素晴らしい眺望でした^^
    本多町の中村美術館といえば、木谷家の茶室「耕雲庵」がありますねえ。耕雲庵の横から鈴木大拙館まで旧本多家の森を縫うように緑の小径が整備されています。鈴木大拙館の完成によって、それまで非公開だったMROの松風閣庭園が公開されています。なかなか良い小径でおすすめですよ^^そうそう、今秋完成、来夏には以前まで本多蔵品館(旧美工大図書館)の跡地に国立近代美術館工芸館が開館します。内心、本多家の上屋敷と下屋敷を繋ぐ旧階段の復元を期待している僕です。同じ来夏には鼠太門と鼠太橋が復元されて、尾山神社と金沢城が連結されます。機会があったら是非再訪してみてください。
    2019年08月22日 23:20
  • @夏風邪とはひどい目に合われましたね。お悔やみ申し上げます。冬の風邪なら暖かくして体を休めれば回復も早いでしょうに大変でしたね! 小生もクーラーが大の苦手でシャワーと扇風機で暑さをしのいでます。現役時代は我が儘を言って冷房の弱い場所に部署を移動させていました。一番喜んだのは女史事務員。冷え過ぎは体に悪いですよね。
    星稜は残念でした・・が松井OBのコメントで救われた気がします。
    先日図書館で金沢市喜楽彦三氏所蔵の大野川絵巻「蓮湖西岸の真景遠景」の村、山、大野川を往来する和船各種類を描いたもの。「蓮湖東岸の真景」中央右に粟ヶ崎船団を代表する「木谷藤右衛門の屋敷が描かれている、に出会いました。個人の所有で拝観は無理でしょうがコピー写真で偲んでます。
    @視力は裸眼で「1」まで何とか回復しましたが自慢の絶対音感と記憶力は音を立てて崩れてます。足腰の癒えぬうちにご案内の「尾山神社」と金沢城との連結路を散策します。
    @9月には同期の〇〇大学名誉教授M浦クンと門司・博多まで1000キロのドライブ予定です。無事帰還しましたら北陸への旅スケジュールたてます。
    朝夕の寒暖差で体調崩さぬようご自愛ください。
    2019年08月28日 12:00
  • つとつと

    きやとみさん
    風邪がだいぶ収まったと思ったらお腹に来て、ここ2.3日トイレの往復ですっかり干からびてしまいました。やはり夏風邪は応えますねえ。。
    記憶力はあんまり人のことは言えません、年々衰えているような。。絶対音感に至っては理解不能の世界観です^^;
    「蓮湖西岸の真景遠景」は正直知らなくて、思わず検索したら金沢市の文化財紹介に小さな画像でしたが見ることが出来ました。緻密な絵に驚きました@@昔の大橋まで描かれていて感動モノでした。作者の佐々木泉玄は父の泉景と2代続けて法橋を得ていて、江戸後末期の金沢画壇の第一人者です。泉景の金沢城二の丸御殿風景を観たことが有るんですが緻密さは父譲りですねえ。。野田山の東の方にに泉景の墓石を観たことが有るんですが、名前を度忘れしましたが、江戸末期三筆の貫なんとかの書いた墓碑銘だそうです。
    喜楽家は、金沢では一番と云われている大野町の宝生寿司の近くにある船問屋や銀行も営んだ旧家で、傍に船着き場がある大きな家です。まだ入ったことはありませんが、蔵品を展示した家宅内の見学ができたはずです。これだけの絵図なら展示しているのではないでしょうか。宝生寿司は味ネタ共に絶品の店です。お値段は覚悟してください。。ついでに、大野醤油のもろみ蔵カフェもお薦めです。https://www.housyouzushi.co.jp/
    門司博多ですか@@いいですねえ。。ロングドライブ気をつけて行ってきてください。博多と云えばブログ仲間のtorさんにいつも見せびらかせて貰ってて、行きたいとこだらけ羨ましい限りです。いつかは九州もゆっくり回ってみたいものです。
    2019年08月29日 19:59
  • きやとみ

    体調は戻りましたか。仕事に支障はありませんでしたか。お見舞い申し上げます。@@是非とも佐々木泉玄の作品や喜楽家の所蔵品をジックリ鑑賞したいものです。@宝生寿しは昭和42(1967)年か43年の正月に伯父とタテ型ヘッドライトのセドリックで立ち寄った記憶があります。あれから「半世紀経過」とは素晴らしいですね。ついつい欲が出て「つば陣」にも寄りたいし「大野醤油カフェ」にも魅了され 現在何とか節制して70Kgをキープしてますが負けそうです。@16日から悪友仲間と行き当たりばったりの旅に出ます。門司からの帰りは「しまなみ海道」で四国に渡り愛媛と香川に木谷藤右衛門の一族を名乗る創業2百年の「木谷仏壇店」に立ち寄り、鳴門海峡・淡路島経由で・・・と検討・思案中。また暑さが戻ったようです。何卒ご自愛ください。
    2019年09月03日 12:05
  • つとつと

    きやとみさん
    今週やっと風邪もお腹も治りました。すっかりお客さんにも迷惑をかけて、取り返さないといけませんねえ^^/
    宝生寿司も何年か前に、以前あった店舗の隣の旧家を改造して新店舗になっています。喜楽家は宝生寿司から金沢港に少し行ったところにありますから、是非立ち寄ってみてください^^僕も機会があったら寄ってみたいと思っています。大野の町も一時期寂しくなりましたが、からくり館が出来た頃から、アート系の人が移り住んで徐々に復活の兆しがあるようです。けっこう、歴史の深い町なので金石と合わせて観ると穴場ですねえ。。
    そうそう、近江町市場が観光地化して、地元の人の行き場がなく、地元買い物客が減っていたんですが、大野の入り口にいきいき魚市場が出来て、地元の人はそちらの方に行くことが増えてきました。金沢港にあるおかげで、人気が上がっています。https://ikiiki.or.jp/
    お~~@@四国にも立ち寄るんですか@@この記事を書いたときに、検索で調べていたら丸亀の木谷仏壇が目に入って、木谷家に繋がるとは目にしたんですが、詳細が解らなくて割愛してしまいました。その後TVの和風総本家で仏壇修理でこの木谷仏壇店が放映されていましたが、その時も繋がりについては何もなく気になる存在でした。仏壇の金箔押しも行っていますから金沢とも深いつながりはあるんだろうとは想像してたんですが。。もし寄られたらご教示ください。それにしても楽しい旅になりそうですねえ^^
    2019年09月04日 11:14

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  • 鈴木大拙館
  • Excerpt: 昨年(H23)10月に開館した「鈴木大拙館」に行ってきました。
  • Weblog: つとつとのブログ
  • Tracked: 2012-10-25 09:05

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