プラチナルート⑤ 帰雲城 ~ 長滝白山神社

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白川郷で上越組と別れ僕達は156号線を南下、白鳥町に向かいます
東海北陸自動車道が出来たおかげで、観光客の車は高速に廻ってくれるので、国道も日曜ですが車も少なくすんなり走れます

白川郷からしばらく行くと「帰雲城」の文字を見つけて立ち寄りました
歴史好き・お城好きの人には有名なお城です。
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室町・戦国時代、白川郷を治めていたのは内ヶ島氏という一族でした。
内ヶ島氏は飛騨の金山を採掘管理をしていて裕福な一族として知られていました。古くは足利義政の銀閣寺、織田信長の安土城、豊臣秀吉の大阪城の建築予算の多くは内ヶ島氏が負ったといわれています。
秀吉の越中の佐々征伐では佐々成政の援軍として従軍しましたが、その後秀吉に帰順して許され、本城である帰雲城に帰っていました。しかし3ヵ月後、天正の大地震で帰雲山が崩壊、庄川を塞ぎ山津波で一族郎党・城・城下町が全滅消滅してしまいました。ちなみにこの日は城中で本領安堵を祝って宴の真っ最中で、一族郎党が集まっていたそうで、生存者は他国に使者として出ていた4人のみと云われています。
長い日本史の中で、自然災害でひとつの城下町が一夜で消滅したのはここだけです。この城址碑の向こう、東の山肌には現在も崩落の爪あとが見られます。別名日本のポンペイとも言えます。

戦国期、金山の収益は採掘者の総取りでした。内ヶ島氏は前に書いたとおり、飛騨に七箇所の金山を持っていました。当然、その金塊は居城の帰雲城に置かれていたと云われています。その額、数兆円相当と推定されています。ところが、このあたりは災害後、液状化もあり危険地帯として人跡未踏になって長く放置され、現在も調査は進んでいるそうですが、城のあった位置が解からなくなっています。この城址碑も推定の有力地のひとつになっているだけだそうです。魅惑の幻の城&黄金伝説になっています。

城址碑の向かいには地元有志の作った帰雲神社の祠があります。
右上の写真の位置から祠を見上げると、武将と姫女の顔が浮かぶそうです。
一種のミステリーサークルしかし、僕には見えませんでした皆は見えますか?写真はクリックすると大きくなります。
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白鳥町に入ったあたりに大きな神社があります。「長滝白山神社」
神仏分離前は「白山中宮長滝寺」と呼ばれていました。現在は神社と長滝寺に分かれています。でも、同じ境内に存在します。元々ここは白山登山の三つの登り口の禅定道入口のひとつです。美濃馬場と呼ばれた地です。
建物群は明治に焼失して大正期のものですが趣があって、特に本殿の大きさは眼を引きます。
参道途中には郡上一揆の義民慰霊碑など、大きな寺域は一つ一つ見て廻るのも良いですね。
宝物殿には普賢菩薩と四天王像・一切経などが展示されていましたが、宝石や色彩豊かな装飾は一見の価値ありのものでした。
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白鳥町の賑やかな通りまで来て白鳥町振興センターの駐車場に入り、面白そうな木遊館の木製品を見て廻って少し遅めのお昼ご飯にしようと、側の蕎麦屋さんに入ったのですが、何人も居る店員の挨拶もなし、レジ奥から僕らが入るのを見ていたおばさんも居たのに。。。忙しいわけでもないのに
元々、店舗での販売職の経験が長かった僕と嫁さん。店で挨拶も笑顔もない所は大嫌い美味しい不味い以前の問題
ついでに言えば、我が夫婦は初対面の相手にはたとえ子供でも敬語なんです。いきなりゾンザイ語の相手は苦手だし大嫌いよくあるのが始めての店に友人と行った時でも、友人が始めての店員さんにゾンザイ語を使うのを見ると、その友人とは食事や買い物にはつきあわないほど。。まあ、偏屈なんですよ。そういう所は。。。。

で、白鳥の商店街にまだ行った事がないことに気づいた僕
それで、入った所が「そば勝更科本店
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商店街の一角にある和食のお店です。優しそうな奥さんが切り盛りしていました。
笑顔も挨拶もさっきとはえらい違いです。当然我が家の3人も

乾麺を店内で販売しており、ざる蕎麦が売りのようです。
ざる蕎麦の文字を見てニンマリした娘は「更科定食」 に即決
「更科定食」には岩魚や山菜もついていて、魚好きの娘はますますニンマリ
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暑いときには熱いのが良いと僕が頼んだのが「味噌煮込みうどん」
「味噌煮込みうどん」は地元産の郡上味噌を使用していて、コクの強い味でした。味噌に大豆が残っていて野趣あふれるものです。ついでにアツアツの文字に釣られてコロッケもプラス
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嫁さんは「山かけ蕎麦定食」 これから、まだまだ先は長いということでスタミナつけなきゃ(嫁さん談)
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昨年3月に読売系テレビで放映された、荘川桜の植樹を続けたバス運転手を描いた「さくら道」に主演した緒方直人さんのサイン色紙と写真が飾ってありました。ちょうど、そのロケの途中に寄って行ったそうです。そのドラマは僕も観ました。
そういえば緒方さんは映画の「郡上一揆」にも出ていました。岐阜に縁があるみたい

日記日 2010.0718

帰雲城


長滝白山神社


そば勝更科本店




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著者加来耕三(著)出版社メディアファクトリー発行年月2011年12月ISBN978484014344


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この記事へのコメント

  • 家ニスタ

    こんばんは。
    僕は城好きですが、帰雲城のことは知りませんでした。
    そもそもどう読むのかがわかりません。
    一夜にして城下町がなくなってしまうとは、おそろしいことですね。
    もし城の場所がわかって、発掘できたら、それこそポンペイのように被災当時のことがはっきりとわかるかもしれませんね。
    2013年04月29日 22:34
  • つとつと

    家ニスタさん
    なにせ跡形もない城で史実だけの存在ですから。家ニスタさんのように実際に踏査する人には知られていないかも。名前の読みは「帰雲城(かえりくもじょう)」と云います。場所が特定されると良いんですが。
    北方から白川郷を過ぎて156号沿いの採石処理場の隣りにありますから、機会があったら寄ってみてください。城址碑の前に立つと遠くの帰雲山の崩落跡が今も見られますよ。
    天正の大地震は多くの城で被害が発生しています。陥没圧潰で城主夫妻が圧死した越中の木舟城。全壊し山内一豊の娘が圧死した近江の長浜城。尾張の清州城も液状化の跡が確認されたそうです。
    2013年04月30日 00:32

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