二俣本泉寺

本泉寺は戦国期において、加賀一向宗の加州三ヶ寺として波佐谷松岡寺(小松市)・山田光教寺(加賀市)と共に中心的な存在でした。ただ真宗独立王国・百姓の持ちたる国と云われた時期は二俣から若松(現在の金沢市若松町)に移っていました。


二俣(金沢市)は山深い場所ですが、加賀から越中・砺波に抜ける最短コースにあります。江戸期には参勤交代もこのコースを通っていました。

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浄土真宗は当時幾つかの派閥に分かれていましたが、戦国期初期においては主流は他派閥が大きく、現在隆盛を誇る本願寺派(東・西本願寺)が教勢を大きく伸ばしたのは、8代教主・蓮如になってからです。そして蓮如が最初に教勢を伸ばした地が北陸という地でした。


現在、宗教界で大きな勢力の浄土真宗・日蓮宗・曹洞宗の開祖死後の隆盛は北陸から派勢しているのが共通で興味深いものがあります。当時、仏教の本場は京都・奈良で、国教扱いだった高野山・比叡山でしたが、前述の三宗派それから時宗・臨済宗・浄土宗などの開祖も両山で勉強・修行した人達です。

この開祖たちに共通するのは宗教は特別な人間の物なのか、民衆には無用な物なのかという疑問から始めていることです。もちろん教義に関して修行や善行の必要性に対する疑問もですが。

当時の宗教は民衆の物ではなく、貴族階級の物でしたし、京都・奈良近隣では両山の影響力が強すぎて、独自の宗派や教えを延ばすのは排他的で難しかったというのが実情でした。その点から関西圏から近く、文化吸収には柔軟な北陸の地に避難・進捗は当然の流れだったかもしれません。もう一つは鎌倉期に勢力を伸ばした五山派が東海から関東に強いというのもあったみたいです。


今の北陸から見ると「文化新種吸収・柔軟?えっ?」という人がほとんどと思いますが、古代から大陸との交流は北陸が窓口で、新興なものには結構柔軟性が高かったようです。近年は江戸期の鎖国・戦後の他国関係(中国・ロシア(ソ連)・韓国・北朝鮮など)・産業の表日本集中が影響しましたから。当時の感覚は今とは逆と思って貰った方が良いかもしれません。


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蓮如が教勢を北陸で伸ばせた下地はもちろんありました。

それが、蓮如より三代前の5代教主・綽如(しゃくにょ)でした。綽如は教主就任後10年(35歳)で長男に教主を譲り、地方への布教を目的に越中に向かいます。その布教は10年(44歳で死去)に満たない物でしたが、現在北陸随一の伽藍を誇る瑞泉寺の基礎を造り、越中に基盤を作っています。ちなみに綽如は頭脳明晰で知られ、明皇帝の書簡の三文字の解読・返書をしたことで知られ、瑞泉寺はその功績で朝廷から勅願所の勅許を貰っています。その綽如が越中に向かう途次、しばらくの期間、庵を結んだ場所がこの二俣の本泉寺の地でした。

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綽如が瑞泉寺に移ってからは加賀二俣房と呼ばれ、その後、瑞泉寺の跡を継いだ如乗が寺院として「本泉寺」を創建したそうです。瑞泉寺からここまでが真宗の教生地区となっていました。その如乗の跡を継いで、更に発展させたのが娘婿の蓮乗です。蓮乗は蓮如の次男になります。ちなみに蓮如の叔父・如乗も変わった経歴の持ち主でした。前の今江城で紹介した室町6代将軍・足利義教が義円と呼ばれ青蓮院の門主だった時代に、義円と張り合って反抗したため、後刻、還俗した義円改め足利義教に追われて、各地を流浪逃亡して瑞泉寺に辿りつき綽如の娘・勝如の婿となった人物です。


20後半から30代前半、蓮如は父の7代教主とともに関東から北国にかけて開祖・親鸞の足跡を追うように、布教の旅を行い、京への帰途、井波の瑞泉寺に立ち寄り、更に加賀の入口になる本泉寺に逗留しました。

もちろん頼ったのは瑞泉寺と本泉寺で、叔父の如乗が住職だったことが第一です。

そもそも蓮如が教主の座につけたのも、この如乗の発言力が反対者を抑え込んだと云われています。

如乗も蓮如の才能を見込んでいたと云いますから、その縁を頼ったものと思われます。


蓮如は3年間ここに滞留して加賀や福光で布教に努め、加賀の教勢拡大の下地を作っています。

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その後、本泉寺には蓮如の次男・蓮乗が如乗の養子となって住職として入り教勢を広げていき、更に七男・蓮悟が更にその勢力を伸ばしていきました。この間に蓮如は吉崎御坊を造り、吉崎御坊と本泉寺を拠点に加賀・越前の教勢を確固としたものにしています。その期間約4年でしたが何度か本泉寺にも訪れており、本泉寺の堂塔の修繕や「九山八海の庭」の作庭も行っています。背後の断崖と泉水や石が調和するように配置されています。断崖から推測すると泉水はもっと広かったかもしれません。

この九山八海の庭は石川県内では最古の中世庭園です。整備や手入れがイマイチですが、貴重な存在です。


他にも(これは後世の物と思われますが)蓮如ゆかりの腰掛け石・硯り石・御背丈石などが配されています。御背丈石は蓮如の身長に合わせたそうですが、比べてみると結構高い身長だったのでしょうか、175センチはあったみたいですね。

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また蓮如の死後になりますが、遺骨の一部(頭頂部骨)が蓮如ゆかりの本泉寺に贈られています。本堂横に入ったところに蓮如の墓所がありますが、その頭骨を治めたそうです。現在もこの辺りには敬虔な真宗門徒が多く、蓮如と共に眠るため、この墓所に骨を納めることが続いているそうです。

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蓮如の布教活動は、土地の坊主・長・年寄を改修させ講(信者が集まって話し合う場)と道場(講が大きくなり集会場として設けられた特別の場)更に寺という場所を設け、結束力を強めさせ、規模によってピラミッド型の宗教組織を作り上げていきました。また、阿弥陀仏の前の平等を簡易簡明に「御文(おふみ)」「御文章(ごぶんしょう)」という手紙形式によって信者に講や道場において広めています。この方式は爆発的に一般階級に広まっていきました。また、これは違った見解ですが、北陸では白山信仰により阿弥陀仏が一般にも広がっていたという素養も一助になったと思います。

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ただ平等を唱え結束を強めたことが、守護や領主との軋轢や本願寺本体からの暴走(一揆)を生んだ要因にもなってしまいました。蓮如自身も富樫家のお家騒動に巻き込まれたり、加賀門徒が富樫政親を高尾城に攻め滅ぼしたりで、暴走する加賀門徒を抑えきれず蓮如の吉崎退去になってしまいます。更には身内のはずの本願寺同志の戦いになる大一揆・小一揆の乱に繋がってしまいます。


蓮如が吉崎御坊退去後の本泉寺ですが、三代目・蓮悟によって金沢市街に近づく若松本泉寺(現在の若松町・専徳寺)が築かれ本拠を移転して松岡寺の蓮綱(蓮如の三男)と共に権力が絶頂に達していました。本泉寺と松岡寺は両御山と呼ばれ、実質の国守扱いになっています。先日、近くに寄ったので現在の専徳寺の写真があります。建物は当然に往時の物とは別物ですが、石垣は当時の物を利用したものだそうです。


専徳寺(旧若松本泉寺)

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しかし、前述の本願寺本山との争いの大小一揆によって、大一揆側の焼き討ちを受け若松本泉寺は焼亡し、蓮悟逃亡、松岡寺占領で蓮綱幽閉死となり加賀の国は実質的に本願寺直接支配(代官派遣)に変わっています。


二俣本泉寺は蓮悟が若松に移転後、時宗に預けられ、騒乱後に瑞泉寺の管理に戻され住職も瑞泉寺から入り復興、本願寺の末寺として存続してきました。しかし、天正年間、佐々成政の兵乱で焼亡。江戸期になって、加賀藩主・前田利常によって堂宇が再建されました。

現在の山門や本堂は江戸期後期の物で、重厚な物で造りも明治期以降の寺院建築の規範になっているものです。山門や本堂には瑞泉寺と同じく井波の彫刻が配されており、なかなかのものです。是非、井波瑞泉寺と合わせてみて、井波彫刻の粋を観て欲しいものです。


本泉寺 山門 

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本泉寺 本堂

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本泉寺 式台

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余談ですが


今回は思ったより長い文章になってしまいました。取っつき難い宗教話の上、似たような名前が並んできますから尚更解り難いかも、、、

当時の日本の宗派の中で唯一と云ってよい(開祖・親鸞は妻帯を認めていましたが、宗門継続は望んでいませんでした

血縁継承を自認する本願寺派ですから、どうしても相続関係や血縁関係で僧名も似た者になっています。

あ~~ややっこしい


更に蓮如は、日本史上でも傑出する精力家としても知られています。生涯で5度の結婚をし、その全ての相手と単独で添い遂げています。(つまり、4人の妻と死別、最後の妻は自分より生きたということ)、(側室や妾は持たなかったということで奥さんも重なっていません、つまりかあちゃん一筋)。そして5人の妻全員に自分の子を産ませています。その数、男子13人・女子14人の計27子(早世したのは女2のみ、残り全員成人しています。)。

まあ、これだけ多く、しかも全員の名が「蓮・如・妙」だらけですから、もうたいへん


日本記録は僕の知る所では別名オットセイ将軍・徳川家斉の53人ですが、この人の場合、大奥内に16人の妻妾を抱えていましたし(要はとっかえひっかえ)、成人したのは28子と約半分。

蓮如の場合、いつも側に女性がいるわけではなく、単身赴任・旅行出張が多かったのですから、、さらに生まれた子供の成人率の高いことは当時の出生率から考えると驚異的です

いかに蓮如が凄いか解ろうというものです


旅行日 本泉寺 2013.05.08・14   専徳寺 2013.06.18


二俣本泉寺



専徳寺(旧若松本泉寺)




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この記事へのコメント

  • 流布院

    うーん・・・難しい。
    蓮如の凄さだけは分かりました
    2013年06月27日 23:02
  • つとつと

    (笑)我が家は一応、浄土真宗なんだけど。。それでも、訳解らなくなりますよ^^;
    昔、祖父がいろいろ教えてくれたけど、チンプンカンプンで。。。
    歴史本などを読んで少しずつ覚えて来ると、ちょっと納得。。で、個人を観ていくと、真宗の坊さんの生臭いのの多いこと^^;
    2013年06月28日 03:43

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