板屋神社(板屋兵四郎)

金沢と云えば武家屋敷や老舗など加賀百万石の伝統と街並みを残している街。金沢城や多くの寺社が伝統文化を伝えています。特に観光客や市民が多く訪れる兼六園は水と緑が織りなす庭園が人気になります。
兼六園と云えば、霞ヶ池や瓢池(ひさごいけ)や噴水など多くの水で観光客を和ませています。ところがこの泉水の水がどこから来ているか知っている人は意外に少ないはずです。
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加賀百万石文化が花開こうとしていた矢先の寛永8年(1631年)、長町武家屋敷の南西、法船寺門前の民家(現在の中央通町11)から出火、原因は武士による放火、俗にいう「寛永の大火」
江戸期を通じて金沢は大火に何度も襲われていますが、その最初の大火がこの「寛永の大火」。
この大火は南西からの強風に乗って、金沢の町を総なめにして、金沢城にも火が掛かり全焼、焼失家屋1万戸以上の大火となりました。金沢市の地図が大幅に変わり、現在の町割りになったのはこれ以降です。
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もちろん強風による被害も大きかったのですが、消火の水がないことも大きな被害に拍車を掛けました。
特に金沢城中には井戸しかなく、堀はあっても空堀で水はなし。燃えるに任せた状態でした。過去にも落雷などで何度も金沢城は火災に遭っていました。その度に建物は燃えるに任せた状態で、金沢城に天守がないのも慶長7年(1602年)の落雷によるもので、それ以降幕府との関係上造れず、歴代藩主にとっては屈辱の一つでした。

そんな時に起こった寛永の大火は、金沢における弱点をさらけ出したものでした。
あまりの惨状に、当時の藩主・前田利常は用水路・水道の整備を決断します。それが、辰己用水の掘削と整備でした。任命されたのは総括奉行に御算用奉行・稲葉左近。そして、工事の設計と監督に抜擢したのが板屋(下村)兵四郎でした。

利常や稲葉が考えたのは、犀川の水を城中や堀、田畑に引き入れること。常識的に考えると金沢城中や金沢市内を満たす水と云えば誰もが思いつくのが、当時から水量豊かな犀川の水。
大きな問題は現在の金沢城や兼六園を観れば一目瞭然なんですが、共に高台にに在るということ。当然な話ですが、水は高くから低い方に流れます。これをどうするのか。
もうひとつが、城の堀や城中に水を満たすというのは当然ながら防御機能になるということ。お殿様としてはそれを持つのは当然の事なんですが、そのための工事を大掛かりに長期間を掛けることは、幕府の警戒と要らざる警告を招くことになります。それを避けるには、幕府の気づく前に工事を短期間で終わらせること。
この二つの重要課題が板屋兵四郎の肩にのしかかってきたわけです。

結果から言えば、上辰巳から小立野台地、兼六園、金沢城、大手掘の約12キロに及ぶ辰己用水の大工事を1年未満でで完成しています。一年に満たない土木工事ですが、投入された人員は約14万人。毎日500以上の人員がいろいろな場所に分かれて同時進行で工事を行ったそうです。もちろん、完成後の手直しや木管から石管への交換などはその後に行われています。また取水口もその後2度、水量を増やすために上流に移動しています。現在の東岩は安政年間(1855年頃)に変更したもので初期よりも730メートル上流になります。
1年の短期間工事ですが、その完成度は高いものでした。
江戸期に作られた日本四大用水(信濃佐久・五郎兵衛新田用水(1630年)、金沢・辰巳用水(1632年)、江戸・玉川上水(1654年)、箱根用水(1670年))がありますが、完成時のままの隧道がそのまま現在も使われているのは辰己用水のみです。隧道の長さも明治以前の用水隧道として名高い箱根用水の約3倍の4キロに及びます。

もう一つの課題である高低差のある地形を登らせるために、板屋兵四郎が行った画期的な方法は、
※取入口は犀川が直角に曲がる地形を利用して造って大量の水を勢いのまま、隧道に流し込む。
※隧道は落盤や用水保護のために軟弱地盤を避け、固い岩盤を選んで屈曲させながらも、水流を緩めないように正確無比な勾配をつける。
※究極の技術として、貯水池となる兼六園の霞ヶ池から高低差50メートル以上の水圧を利用した導水管(完成時は木管でしたが、その後は石管に交換しています。)を使った伏越(ふせごし)手法。現代用語では逆サイフォン。

これらの技術や工法を実践するには、高度かつ正確無比な測量技術と土木技術が必要だったはずです。
残念ながら金沢城への導水は今では見られませんが、霞が池の徽軫灯籠(ことじとうろう)の側に、導水管への取水口があります。誰も見ないみたいですが小さな看板表示もありますので、興味のある人は覗いて見て下さい。時々、写真屋さんが通せんぼしてますけど。。ちなみに池の西側に降りた所に、日本最古の噴水がありますが、この噴水も霞ヶ池からの逆サイフォンを利用して水が噴水しています。この噴水の水の高さが、霞ヶ池の水位になるそうです。
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尚、この石の導水管は街の所々に展示されています。僕が覚えている場所としては、石川県立博物館の前庭・尾山神社の庭園の脇、袋板屋の八幡板屋神社、板屋神社の境内など。

辰己用水が完成した当時は4キロの隧道から後は開渠(上が開いた水路)がほとんどだったんですが、現在はほとんどが暗渠(上蓋や隧道)に変えられています。兼六園の水も生活用水の流入で濁ったため、現在は末町浄水場から農業・生活用水と別ルートで兼六園に送っています。開渠部は限られてしまいましたが、錦町から大桑町の約2kmの「辰巳用水遊歩道」末町浄水場の北側にある水路など見応えのある場所があります。市街にも広坂通の中央水路や石引などが開渠部として見られます。

板屋兵四郎ですが、これだけの大胆かつ正確な土木工事を行いながら、加賀藩の資料にはあまり多くは残されていません。本来ならば、大人物として後世に名前を残す存在であろう人物でした。
ところが、この辰己用水完成後しばらくして忽然と歴史史料から姿を消しています。辰己用水の機密保持のため毒殺・暗殺された。名前を変えて越中の工事に専念した。諸説紛々です。
有力な説に前述した上司・御算用奉行・稲葉左近が辰己用水完成の数年後に切腹させられていることです。罪状は辰己用水の工事費用捻出のためと称して、幕府に無断で大阪への米輸送路を整備して利益を捻出、一部を横領したというものです。板屋兵四郎は稲葉左近の下で働いていたため、同じ罪状連座で粛清されたのではないかというものです。
ただ、その後の加賀藩各地の治水工事は、辰己用水の技術が使われていることから、名前を変えて生存したのではないかとも言われており、加賀藩の中では謎の人物の一人です。

実際、加賀藩には傑出した業績はあるものの、実行監督した人物の名が表に出ないことが多いのも原因の一つで、上下関係が厳しく、個人の立身を好まない傾向が強いのもあるのかもしれません。

数少ない資料から解ることは、板屋兵四郎は小松の町人出身または大阪から小松に移り住んだ町人とも言われています。。前田利常の会話や事績をまとめた「三壺聞書」には「小松町人板屋兵四郎と云ふ者算勘の上手にて」と、記されているように、元々から和算・測量・数学では知られた人物だったようです。
前述のように、稲葉左近に重用され、能登の塩田開発白米の千枚田の整備、治水などで頭角を現しています。
ただし、能登時代の名前は下村姓になっており、同じ兵四郎なので同一人物と推測されているんです。

現在も石川県内の土木工事・治水工事・水道工事関係者には「板屋兵四郎」の名前は神様的存在で崇められています。実際に神様になっていて、兼六園にある金沢神社の境内の林に遥拝所の祠があり、工事前の業者などが安全祈願や工事成功の祈願にやってきています。
この遥拝所と神像は昭和33年(1958)に子孫と云われる人物が奉納したものです。5年前ですが、50年ぶりにこの神像が開帳されました。僕も存在は知っていましたが、像の写真は初めて見ました。興味のある人はこちらをどうぞ→ 
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この遥拝所の本社は末町浄水場を通り越した上辰巳町にあります。 「板屋神社」
犀川上流に向かう道沿いに自販機がある山岸商店の脇に板屋神社の鳥居があります。北陸電力の変電所に向かう道を横目に山に登って行くと、急坂を登り切ったところにあります。途中の道は落葉が降り積もったり、濡れていると滑るので要注意。なかなかハードな場所ですが、土木関係の人がよく参拝に来るそうです。
お社が一つポツネンとあるだけですが、遥拝所と地域の住民と同じ子孫の方が建てたそうですが、私費で建てたものとは思え無い雰囲気があります。昭和33年、金沢神社の遥拝所と同時に創建。
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板屋兵四郎関連の神社はもう一つ存在します。八幡板屋神社(袋板屋神社)
東浅川小学校の横をまっすぐ入ったところにあります。こちらも鳥居から長い階段を登った先にあります。
辰己用水工事の際に、作業人はこの辺りに住居や仮小屋を置いたそうです。板屋兵四郎も作業人夫と共に住み込んでいたそうです。その間、この辺りの住民との交流も良好だったようです。
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辰己用水工事の際は難工事を短期間に完成させていますが、やはり隧道工事では落盤事故が発生して多くの犠牲者を出しています。元々は名前の通り、応神天皇を祀っていた八幡神社でしたが、辰己請という住民の資金集めによって、板屋兵四郎と犠牲になった作業人を祀って整備して来たものです。
境内は狭いながら参道の長さや整備は良好で、昭和初期の金沢市長で建築家としても著名な片岡安(かたおかやすし)が撰文の板屋兵四郎顕彰碑もありました。
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袋板屋町には作業員たちが犠牲となった仲間の霊を慰めた唄の文献が昭和50年代に発見されており、これに節と踊りをつけて、9月に神社の奉納がされています(兵四郎節保存会)。
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旅行日 2012.11.25


板屋神社


板屋神社 遥拝所


袋板屋神社(八幡板屋神社)



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この記事へのコメント

  • がにちゃん

    凄い方がおられたのですね きっと名前を変えてその後も大活躍されていたと信じたいものですね
    2013年06月28日 15:12
  • ツナギスト木下

    つとつとさん!凄いなあ~。感動もんですね!
    2013年06月28日 19:34
  • つとつと

    がにちゃんさん
    たぶん、生きてたんじゃないかと思うんですが、全く不明なんですよ。
    加賀藩関係のこういう専門職が徐々にだけど見直されてきています。
    映画の昨昨年の堺雅人・仲間由紀恵主演「武士の家計簿」の猪山直之・成之親子(御算用者)、今年は年末に高良健吾・上戸彩主演の「武士の献立」で加賀藩料理人で舟木伝内が主人公です。加賀料理の伝書を残した人物です。こういう隠れた人材にスポットが当たるのは期待してるんです。

    木下さん
    話した通り、歴史オタク全開でしょ^^; 

    2013年06月29日 00:52
  • tor

    どの藩にも凄い土木技師が居たのですね。兼六園の噴水の原理は知っていましたが…。板屋兵四郎さんは知りませんでした。
    2017年08月26日 20:06
  • つとつと

    torさん
    加賀藩では身分制度がはっきりしていて、専門分野の偉人の名前が表に出る機会が少なく、専門分野では知られていても全国的には無名の人が多く存在します。
    現在の石川の観光の目玉の兼六園・千枚田・珠洲塩田など板屋兵四郎の功績が大きいものです。
    近年になって、明治政府発足の会計方になった猪山成之の武士の家計簿・カナザワ料理の基礎を残した舟木伝内の武士の献立などの映画で専門職の人材が注目されて来ています。
    2017年08月27日 07:57

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