浮御堂

大原から途中峠越えで懐かしの滋賀県に。。守山市の国道477号線沿いに住んでいたので、琵琶湖大橋に来るとホッとする部分があります。琵琶湖大橋交差点にスーパーいずみやとヤマダ電機のある場所に当時はびわ湖タワーの遊園地がありましたねえ。。当時、びわ湖タワーは経営不振で寂しい雰囲気でしたが、娘が小学校の低学年ということで良く遊びに行っていました。その時にはびわ湖タワー自体はバンジーになっていましたが、世界最大の観覧車「イーゴス108」があって、1.2度だけど娘と乗った時の眺めは良い思い出として残っています。(嫁さんは高所恐怖症で観覧車は断固拒否、でもバンジーとコースターは乗ってたなあ)
びわ湖タワーは、石川に戻ってしばらくして閉園のニュースを聞きました。イーゴスも数年前に解体されてベトナムに送られたと聞いています。ちょっと寂しいですね。
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この琵琶湖大橋の側でもう一つ観損ねていて心残りの場所がありました。
守山にいた頃に1.2度行こうとしたんですが、入り組んだ場所と時間的に混雑する道で断念してたんです。
それが近江八景のひとつ「堅田落雁」として知られる「浮御堂」でした。
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近江八景

以前のブログ
の中で触れたことがありますが、日本の八景の中でも最古に近い選定になるものです。また、八景の名所が完全とは言えないまでも場所や名所が残る希少なものです。

近江八景はこの堅田落雁の浮御堂の他はといえば。。。
石山秋月・・・石山寺   ・・・紫式部が源氏物語の着想を得た場所として知られています。
勢多夕照・・・瀬田の唐橋・・・古来、京都へ向かう際に瀬田川に架かる唯一の橋でした。そのため古来から合戦の場にもなっています。日本の三名橋・三古橋の一つとされています。三名(古)橋(瀬田の唐橋・宇治橋・山﨑橋)
粟津晴嵐・・・粟津原   ・・・瀬田の唐橋から膳所に向かう東海道の松原、源義仲の戦没地。
矢橋帰帆・・・矢橋     ・・・草津の現在は矢橋帰帆島がある辺りの港町、八景では唯一こん跡がないのですが、港風景はありませんが琵琶湖の眺望は綺麗で、公園が広くて天気が良いと良い風が吹いてハンモック型ジャングルジムの天辺でよくお昼寝してました^^;
三井晩鐘・・・三井寺  ・・・園城寺の別名、天智・大友所縁の寺として創建、延暦寺との抗争でも知られています。豊臣秀吉の廃寺命令ですべてを失った所から復活して不死鳥の寺とも呼ばれています。
唐崎夜雨・・・唐崎神社 ・・・境内に唐崎の松があることで知られています。
比良暮雪・・・比良山系 ・・・琵琶湖西岸の山並、琵琶湖バレーのケーブルや登山が人気

もちろん八景は季節や時間に制約があるんですが、上記の七か所は滋賀に在住中に観て廻ったんですが(季節や時間は度外視で^^;)、唯一観ていなかったのがこの浮御堂でした。大原の寂光院と共に心残りの場所だったんですよ。
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浮御堂の創建は延暦寺天台宗の源信(942~1017年、恵心僧都・横川僧都)が隠棲していた横川の恵心院から湖上を眺めていた際に毎夜湖に光る場所を観て改めて網で掬わせたところ黄金の阿弥陀仏が現れたため、湖上に千仏閣・千体仏堂を建てて千体の阿弥陀像と共に納めたのが始まりと云われています。湖上安全と衆生救済を願って千体阿弥陀を祀る仏堂は、その千体仏堂の先鞭をとるものと云われています。

源信は延暦寺の学僧ですが、叡山きっての俊英でした。逸話も多く、更に物語にも登場人物として出てきます。9歳で入門して叡山中興の祖・良源に師事します。13歳で得度しますが、わずか15歳で村上天皇臨席・百官揃い踏みの場で八講師の一人に選ばれ、天皇の下問にも応答し、地位と多くの褒賞品を授かっています。
これにも有名な逸話があって、源信も相当嬉しかったようで入門以来会えていなかった大和の母親に対して使者と褒賞品を送っています。ところが褒賞品は封も切らずに和歌一首の諫言と共に送り返されてきました。
その和歌には・・・後の世を渡す橋とぞ思ひしに 世渡る僧となるぞ悲しき まことの求道者となり給へ
意訳すれば、僧侶として将来は世のため人のためになると思い送り出したのに、おまえは名声や実利を求める僧になろうとしている。人を幸せにするように努力、導く者に成れ。。。。
この母の言葉に反省した源信はこれ以降は、当時は叡山でもはずれに当たった横川の恵心院に念仏修行に篭ったと云われます。これに関しては政治への介入や僧兵の創設など、実利名声を求める叡山組織を避けたとも言われています。

その間も学習や創考に費やされたと思いますが、源信が著述を表すのは師の良源(18代座主・慈恵大師) の死後となります。源信の学僧としての研究範囲は広いのですが、特に力を入れたのが極楽や地獄などで、念仏を唱えるしか極楽往生の道はないと説いています(浄土教の観点)。源信はそうはいっても、天台・密教・禅の一致を目指しており、その後は弟子一門からも高僧が出て恵心派と呼ばれる天台教学の一翼を担っています。
源信が経典や仏典から極楽往生に関する物を集めたのが「往生要集」。この要集は浄土思想の教典としてその後に現れる法然・親鸞に大きな影響を与えています。浄土真宗では「往生要集」は聖教とされており、真宗ではお馴染みの正信念仏偈(しょうしんねんぶつげ・正信偈)では七高僧の第6祖に源信を当てています。(ちなみにこれは師・法然の上位で日本では一位、日本での歴代一の高僧と認めたものです。)
更に「往生要集」は中国(宋)に逆輸入されています。当時の中国は唐の末期や五代時代の廃仏活動により経典や仏典が散逸していて、往生要集によって教義が持ち直したと云われています。この功績により中国天台山から「日本小釈迦源信如来」という如来号を贈られています。
往生要集で説かれている「厭離穢土(おんりえど)」「欣求浄土(ごんぐじょうど)」の思想は法然・親鸞と云った後の宗教家に受け継がれますが、その後の物語や随筆などにも多くの影響を与えていますし、徳川家康の旗印でも知られています。

物語にも横川の僧都として登場しています。有名な所では紫式部の源氏物語、芥川龍之介の地獄変など。。地獄変では最後の評論家的言葉だけですが、源氏物語(宇治十帖(うじじゅうじょう))では宇治川に身投げしようとして物の怪によって山中に迷い倒れたのを救助し、物の怪の除霊をし、出家の受戒をするなど、重要な登場人物になっています。源氏物語の初出は寛弘5年(1008年)で、源信の逝去は寛仁元年(1017年)ですから、生前中から突出した高僧であり、病平癒・怨霊封じの祈祷にも通じた高僧として知られていたようです。

源信が建立してから後は水面にあるため荒廃することも多かったようですが、多くの文人・歌人・俳人・画人などが多く訪れています。満月寺横の広場や境内には歌碑が幾つかありました。
こちらは松尾芭蕉・・・「鎖(じやう)あけて月さし入れよ浮御堂」 「比良三上雪さしわたせ鷺の橋」
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芭蕉は奥の細道を終えた年末から義仲寺の無名庵や石山寺の裏山になる幻住庵に過ごしていました。この時に湖南の各地を訪れており、浮御堂には弟子たちと共に月を愛でながら舟で訪れたそうです。その際にたまたま住職が浮御堂の扉を開けていたそうです。聞けば阿弥陀仏に月の光を見せるためだったそうです。
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浮御堂は阿弥陀仏を安置していることから、西方浄土を表していますから、当然、扉は東の湖面に向かっています。月光の射しこんで輝く千体の阿弥陀仏は芭蕉に感慨を与えたようです。僕たちは昼間の阿弥陀像を観ましたが堂内の姿もなかなか美しい物がありました。
ちなみに橋を渡った正面にも賽銭箱や蝋燭立がありますが、正式には湖面を背中にして拝まないと御利益はありません。

芭蕉が観た浮御堂の後、桜町天皇が禁中の能舞台を寄進して昭和までその姿が残されていました。しかし、昭和9年(1934年)、室戸台風により倒壊。昭和12年に現在の浮御堂が再建されています。
現在の浮御堂は湖上に建つ三間仏堂に湖畔から17メートルの石橋によって繋がっています。設計は奈良県技師・西崎辰之助(当時の社寺建築の修復・建築、遺跡調査の第一人者でした。)
昭和57年にも大規模な改修が施されています。

昭和に入って再建された新しい仏堂ですが、歴史的景観に寄与しているものとして国登録有形文化財に平成12年に登録されています。なお、浮御堂ばかりが注目されていますが満月寺の山門や本堂も指定を受けています。特に山門は竜宮造りと呼ばれるもので、お伽話の絵本に描かれる竜宮城の入り口のようなものです。異国風な造りもあり国内でも数が多くなく興味深いものです。
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新聞やニュースで琵琶湖の藻が異常発生して景観を損ない、異臭があると聞いていましたが、訪れて観れば琵琶湖は美しい青さと静かなさざ波で、美しい姿が観られました。満足・満足
あまり風景の写真を撮らない嫁さんが嬉々として撮っていました。僕はバッテリーがなくて、浮御堂の全景を撮れませんでした。これは心残り
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浮御堂を後にして、琵琶湖大橋を渡りまして(相変わらず有料なんですね。。200円)、本当に懐かしい守山市に入りましたが幹線道路沿いは本当に様変わり。。昔目印にしていたものが、目立たなかったり無かったり。。そりゃそうだ。。20年近くもたつんだから。。
お腹もすきまして、昔家族でよく行ったお好み焼き屋さんに。。北陸にも徐々にだけど、お好み屋さんも増えてきましたが、それでもお好み焼きは関西や広島には到底及びません。。子供の頃、お好み焼き屋さんが皆無に近いくらいなかった上越生まれの嫁さんにいたっては、お好み焼きを20歳過ぎまで食べたことがなかったし、好きでもないから結婚するまで2回しか食べたことがなかったらしい。
滋賀に来たら、濃口好きな嫁さんにはうどん屋さんや蕎麦屋さんは到底受け付けなくて(僕は好きだったんだけどなあ)。。お好み屋さんに行く機会が増えてました。。ただ欠点は臭いが服につくと云って、石川に戻ると滅多に行かなくなってしまいましたが。。

でも久しぶりだし、今回は僕と娘の強い要望で。。。お店があればという条件でGO!!
バイパスが出来ていたりでチョット迷っちゃいましたが、お店を見つけて僕と娘は大喜び 以前京都行きのついでに寄ったことがあったんで、10年ぶりかなあ^^; バッテリー切れで、お好み焼きの写真だけでご勘弁を
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以前来た時も家族で入りやすい店でしたが、今回訪れて観るとメニュー内容や店内は少し若い人向けになってました。おかげで、あまり聞いたことのない「もちチーズ入り」を注文した二人。。僕は普通に豚さんと焼きそば
以前は4人前分くらいのジャンボミックスがあったんだけど(ボールでかき混ぜるだけでたいへんで、ひっくり返すときは塵取りみたいのを使ったんだけど。。今はやってないみたい。。ちと寂しい)
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お店の名前は「お好み焼き のん 本店」 本店という名称が増えてましたが、支店があるんでしょうかね。。。栗東市十里にあります。カジュアル感覚ならおすすめです。

その後、母娘のリクエストで竜王アウトレットに寄りまして、長いショッピングを待ちながら車で2時間半ほどまどろんでおりました。それにしても店舗も広いけど、駐車場も広い。。車が入れ替わり立替わり。。。相変わらず人気があるみたいですね。

帰り道は意外に空いていたんで、途中で高速に乗るつもりが最後まで国道で走り切っちゃいました。遅い晩御飯は滋賀に行ったということで、小松のココスで食べて。。。家路に。。。久しぶりの日帰りロングドライブでした。
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旅行日 2014.08.31

浮御堂


お好み焼き のん 本店

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この記事へのコメント

  • がにちゃん

    懐かしいですね 琵琶湖タワー 昔はよくいきましたよ
    浮御堂も・・・琵琶湖大橋歩いて渡って来て またまた歩いて浮御堂へ ここから月見がしてみたいと思いましたわぁ
    2014年09月30日 16:39
  • 流布院

    浮御堂へは7年くらい前だったかに行ったことがあります。
    確かに入り組んだところにあって、本当にここにあるのかと思ってしまいました。
    2014年09月30日 23:18
  • つとつと

    がにちゃんさん
    石川県人も男同士なら雄琴温泉、家族ならびわ湖タワーって感じで頭に刷り込まれていた感じ、学生で湖西線で遠目に始めて観た時はここだけ違って見えました。
    浮御堂は始めて観ましたが、良い雰囲気でした。昭和の造りとは思えない情緒がありました。浮御堂と湖水に月見は綺麗でしょうね。

    流布院さん
    堅田の交差点近辺は車が渋滞していて、曲がっても狭い通りばかり。。初めてだと躊躇しちゃいます。
    浮御堂の近辺まで行くとも水路や寺社、武家屋敷など昔の風情の町ですね。ゆっくり見て歩きたい場所でした。また行ってみたいなあ
    2014年10月01日 08:10

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