芦城公園(ろじょうこうえん)

芦城公園小松城の三の丸跡に作庭された公園です。
公園内には図書館・博物館・公会堂・本陣記念美術館の公共施設、茶室「仙叟屋敷ならびに玄庵」が建てられています。仙叟屋敷、玄庵前田利常に御茶堂として仕えた千家4代・仙叟宗室(せんそうそうしつ)の没後400年(平成9年)に裏千家15代・仙叟宗室が建築寄贈したものですが、こちらも解放されていますが事前予約が必要です。
園内には桜池あやめ池の二つの池を巡るように小山(桜山・うずまき山)と数種の橋を介した泉水式回遊和風庭園を成しています。三の丸跡ということで、江戸期の庭園のように感じますが、実は明治末期以降の作庭です。兼六園に雰囲気が似ています。
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四季それぞれに違った顔を魅せてくれる庭園です。北側には松の名木があり、桜、藤、つつじ、百日紅、紅葉更には冬には雪釣りも施されます。
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特に桜は小松でも随一の人を集める名所になっています。ソメイヨシノ110本、しだれ、八重桜約130本。
この公園には何度か訪れているのですが、なぜか桜と藤の季節に訪れたことがなかった僕。
初めて桜の季節に訪れたものです。ただし、日頃の行いと、仕事途中のおサボリですから、お天気はあいにくの雨ふり。。ですが。。。画像のご紹介ということで。。

公園の北面には松の名木が多く植林されており、その中に石塔や名石が配されています。一部ですが小松城時代の物もあります。

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北西部にある「あやめ池」の奥には「うずまき山」(標高7.36m)に登ると、あずまや越しにあやめ池を真直ぐに眺めることが出来ます。うずまき山には頂上付近に古風な五重の石塔や芦の滝の強い落水も見られます。あやめ池には小島があり、木製八つ橋錦橋という赤い欄干の虹橋で繋がれています。
木に囲まれて、ちょっと薄暗い所ですですが、眺望は落ち着いた美しい風景が観られます。夏場には避暑にはばっちりの場所です。




もう一つの泉水・さくら池やその周辺にも、注目すべきものがあります。
まずは、さくら池の住人達、綺麗な鯉たち。。。平成21年(2009年)に亡くなった人間国宝・三代目徳田八十吉氏が自宅で愛育していた鯉です。徳田八十吉氏の死後に小松市に寄贈されたもので、小松市では「五彩の鯉」と名付けてこの池で飼育しています。どれも大きく立派な鯉です。
徳田八十吉氏は作品の思索をするときにこの鯉を観ていたそうです。ついでに八十吉氏は多趣味で知られていましたが、お魚関係では海釣りが大好きだったそうです。
ちなみに三代目・徳田八十吉氏は九谷焼作家として彩釉磁器の名品を作製した人です。九谷五彩の釉薬の内
赤を除いた黄・緑・紫・紺青を使って、抽象画のグラディエーションのように描いた作品を輩出して、九谷焼の新境地というか革命を起こした人です。
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博物館よりの所に、焼け焦げた木が建っています。珪化木です。
この珪化木は小松市瀬領町湯の谷の千山谷という所で発掘されたそうです。昭和32年(1957年)に小松市に寄贈されたものです。
珪化木は倒木や木に火山灰が積もり、長い年月に廻りの鉱物・岩石から珪酸が浸透して、気の形態を残して珪化・石化した物のことです。これが更に進むと礫岩になって、土、石や岩石に変化して行きます。
芦城公園にあるこの珪化木は、約2000万年前の熱帯性植物のテリハボク、シマボウだと云われています。
この植物の珪化木としては、これだけの大きさのものは珍しいそうです。
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更にここには、巨大な藤の木があります。まるで蛇がとぐろを巻くような主幹から枝が伸びて藤棚に絡みついています。その形状は、異様な威圧感と生命力の発露を感じさせます。そういえば、長らくのこの藤の花が咲くのを観ていません。今年は忘れずに、花の咲く頃に訪れて観たいものです。画像を取ったら再UPするつもりです。 
この藤の主幹は、幹回り2.14m・根回り5.35m。全国的にも最大級の藤の木です。
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そして、この公園の主とも云える前田利常公の銅像
小松城の城主であり、小松の町の基礎を築きあげた人物として、小松市では敬愛されている人物です。
この銅像は大正5年(1916年)に建立されたものです。この像の完成で自他ともに認める芦城公園が完成したともいえます。
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ところが第2次世界大戦の戦時供出で、この銅像も供出の憂き目に遭っています。ところが、この銅像の原型が小松天満宮に保管されており、更に戸室石の台座も同じく小松天満宮に保管確保されていました。正確には隠してあったとも噂されています。それはともかくとして昭和41年(1966年)に、前田利常公銅像を再建。芦城公園のシンボル的存在として現在に至っています。













廃城令により小松城の取り壊しが始まった明治5年(1872年)、三の丸には懲役所が置かれました。
懲役所に収監された囚人たちの主要業務が小松城の取壊し作業になっていました。小松城は堀が埋められ、建物は取り壊され、名木は伐採され昔日の姿を失って行きました。この作業進行の速さに小松市民(当時は能美郡小松町)は茫然としていたというのが現実だったようです。

その後、市民有志から公園化の要望が起こりましたが、なかなか実現化には進みませんでした。
懲役所が金沢への併合拡張で移る決定後、三の丸の公園化要請がなされていましたが、この時期はロシアとの緊張状態から日露戦争へと突入する時でした。政府は戦争のために外貨・資金を得るため必死の時で、国内は財政の緊縮状態でした。公園に金を掛けるなどもってのほかでした。

このために小松からの公園化交渉は難航したそうです。小松町が逆転を狙って行ったのが、三の丸用地の国への献上でした。一種の賭けでしたが、これによって神妙誠実であるということで、三の丸用地は逆に国からの永代無償貸与で土地を借り受けるという体制で決着。大きな理由として戦争継続がありました。日露戦役には旅順攻略第三軍・奉天会戦に活躍した第九師団本部が金沢ということもあり北陸からの出征者が多く、激戦地での戦死者も多いこともあり、住民感情に考慮した面もあったと思われます。
明治37年(1904年)11/26に「小松町公園」として開園しています。この日は203高地を攻略した第三次旅順攻撃の開始日になります。資金面に関しては地元の織物問屋有志が多くを担ったと云われています。明治39年に日露戦役記念として「蘆城公園(芦城公園)」に改称して正式に現在の名称の公園となったものです。
永代ですから現在も継続中で、芦城公園は国有地を無償貸与の土地を利用した公園になっています。

ここからは小松市民が読むと怒られそうですが、芦城公園の名称は、小松城のあった場所が梯川の川べりで芦原になっており、そこに一向一揆衆の若林出羽守によって小松城が建てられたことから、「芦原にある城」として名付けられたと云われています。ところが、確かに江戸期の半ばぐらいから芦城という言葉は存在したのですが、利常が居住した霞島の別称であり、誰れもその姿を確認したり文書があったわけではないのです。
前回の小松城のブログでも書きましたが、前田利常が小松城を再興する以前の鎌倉期から戦国にかけての小松城や近在の様子を記したものが抜け落ちているのです。

平安末期で小松の地は小松の名の元になったと云われる平清盛の長子・平重盛の所領の記述です。(別説で花山法皇の「園の小松原」という説もあります。)
平重盛は清盛の跡継ぎとして平家一門でも重視された人物で、平治の乱でも大いに活躍しており、平家一門でも絶対的存在の清盛に対しても、意見を通し諌めることも出来た唯一の人物とされていました。また、平家物語ではボロクソに貶される平家一門の面々ですが、例外として武士の手本として賞賛を受けていた人物と云えます。
重盛は京都六波羅の小松第に住んだことから「小松殿」と呼ばれていました。寺社に対する信仰心も厚く、京都・三十三間堂、越前の織田剣神社など多くの寺社の再建建立を行っています。また、全国に散らばる自分の所領に「小松寺」を建立しています。行く行くは全国六十六州に小松寺を建立するのが望みだったと云われています。この小松寺は現在も各地に残っているそうで、僕が知るだけでも、小牧市、滋賀五箇荘、広島鞆の浦に存在します。肝心な小松市にも小松寺が建立されていたのですが、それが小松城と同じ土地だったと云われています。その当時は芦原ではなく、松並と小笹の原だったと云われています。芦原という言葉は平原や荒野という意味に使われることが多く、実際の小松の地は小笹の原の中が真相のようです。

旅行日 2013.04.06



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この記事へのコメント

  • がにちゃん

    静かな良い公園ですね
    櫻の頃に・・・良いですねぇ
    2015年01月11日 17:30
  • つとつと

    がにちゃんさん
    落ち着いた和風公園で樹木が多い公園なんですよ。
    今の時季だと雪吊りも施されていますが、やはり天気の良い桜の時期が一番の公園です。それから藤の巨木の花も綺麗な花ですよ^^
    2015年01月12日 11:17
  • go

    つとつとさんこんにちは、小松の芦城公園の名前はよく聞きましが未だ行ったことが有りません、小松城の敷地に造られたのですね、つとつとさんの写真を拝見すると兼六園によく似ています、明治期の作庭ということですので兼六園をモデルにしたのでしょうね、プチ兼六園のようです。
    2015年01月12日 12:03
  • つとつと

    goさん
    芦城公園はやはり兼六園をモデルに作庭されたようですが、木々が多いので桜や藤や紅葉の季節はなかなか良い場所です。しかも奥の方は意外に人が少なく、静かに散策できます。3.4月の桜、5月の藤は必見です。
    泉水の回遊式なので、木陰が多い分、夏の避暑にも適しています。
    白山市に居ると、ついつい金沢方向に買い物なんかも行ってしまうんですが、小松も巡ってみると落ち着いた街並みと、個性的な店舗が多い町です^^
    2015年01月12日 18:36
  • 家ニスタ

    芦城公園、もうちょっと古城の雰囲気が残っているといいんですけれど・・・。
    せめて堀跡でも残っていれば、曲輪がどういう形をしていたかたどれるんですが。
    懲役所の作業がお城の取り壊しじゃ、しょうがないですかね。
    2015年01月15日 21:57
  • 流布院

    桜も良さそうですが藤はもっと良さそうですね。
    下から上にわーっと伸びる枝がすごい。まるでエイリアンのよう。
    真上から見ることができたらもっとすごそうですね。
    2015年01月15日 22:52
  • つとつと

    家ニスタさん
    小松城を訪れる人のほとんど人が通るんですが、やはり城だと思ってる人は少ないと思います。まあ、ものの見事に取り壊したと思います。街を歩いてもどこが堀かわかりませんから。。ただ、昔の梯川の流れの痕跡はたどると名残はあるんですが、特に末広園地の辺りは面白いです。

    流布院さん
    この藤の木は咲いてるのを観たことがありますが、盛りを過ぎた時期で花は大きくなかった印象です。花も葉もないこの時期に観るとまさしくエイリアンですねえ^^
    2015年01月16日 20:06

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