お旅祭り 曳山子供歌舞伎

芦城公園を後にして、せっかくお祭りに来たということで、久しぶりに子供歌舞伎の曳山を観に行くことに
僕と嫁さんは何度か街中で観たことはあるんですが、娘は初めての体験。見たことがある僕と嫁さんも曳山の八基勢揃いは初めての観覧体験。
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お旅祭りは5月上中旬の三日間(金土日)に開催されていますが、
祭事の始まりについて、、、、寛永16年(1639年)三代藩主・前田利常が家督を息子・光高に譲り隠居。隠居城として小松城、隠居領20数万石で移り城下町を整備しました。慶安4年(1651年)菟橋神社(うはしじんじゃ)本折日吉神社(もとおりひえじんじゃ)の神輿が小松城内に参じて祭礼を行ったのが「お旅祭り」の始まりと云われています。
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前田利常は小松在城18年で亡くなり、小松城は加賀藩に戻されて支城として城代が置かれましたが、小松を城下町として発展させた利常の功績を慕う市民によって長くこの祭礼は続いています。3日間の祭礼の最終日(本折日枝神社は土日)には両神社の神輿が繰り出され、小松中心街を練り歩きます。

お旅祭りは小松の中心街の祭りとして、重機のコマツ(小松製作所)の公開展示や試乗体験、町家での催事販売、商店街での歌舞伎市などが行われています。また曳山が1.2台くらい年間展示されている曳山会館みよっさでもイベントが行われています。旧城下町の20町が隔年交代で10頭の獅子舞が演じられており、こちらは主に男の子がメインになっています。

ただ何といっても歌舞伎の町と呼ばれる小松ではGW5/4.5には全国子ども歌舞伎フェスティバルとして、歌舞伎専用舞台のあるこまつ芸術劇場うららで全国各地の2.3団体の演目と小松歌舞伎の少年達による勧進帳が演じられています。今年は大阪松尾塾の「傾城反魂香(けいせいはんごんこう) 土佐将監閑居の場」と山形酒田こども歌舞伎の「二人道成寺」、そして小松の「勧進帳」が演じられたそうです。
ちなみにこまつ芸術劇場うららの監修は先代・故市川団十郎、こけら落としも市川団十郎が勧進帳の弁慶を演じています。安宅関の展示館にその時の衣裳が展示されています。年に1.2度ですが子供歌舞伎の勧進帳の指導も行っていました。
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小松市街のいろんな場所で催し物が行われていますが、お旅祭りのメインとして人気を集めるのが曳山と呼ばれる山車の上で子供たちが演じる子供歌舞伎になります。現在は曳山を持つ8町の内、毎年交代で2町の曳山が町内を廻りながら演目を演じています。お休みの年の曳山も各町の車所で公開展示されています。演目や各町内の子供数によって男の子が入る時もありますが、基本的には小4~6の女の子が演じることになっています。今年は京町「壺坂霊験記」と大文字町「曽我十二時 揚巻助六の場」。役により一人二役、早変わりなども入ります。
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話は前後しますが前田利常死去により、小松城代が置かれたとはいえ多くの家臣団は、金沢に引き上げてしまいましたが、利常が発展・奨励させた文物は小松の町に根付いていました。その中でも絹織物は加賀絹と呼ばれ上方や江戸を含む全国各地に流通し、幾人かの小松商人によって富がもたらされ小松の町は金沢に次ぐ発展をみせます。上方に向かった絹商人が近江長浜の曳山祭や京都の祇園祭をみて、小松に曳山祭をの機運が盛り上がります。一説には祇園祭を観た利常が、祇園祭を小松に持って来ようという計画が基となったとも云います。また、小松城内や小松天満宮に舞台を作るほど歌舞伎や能にも素養が高かった利常の影響や、安宅関を抱えるように歌舞伎の舞台にもなったように、歌舞伎が盛んな土地柄が結びついたようです。
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明和3年(1766年)、お旅祭りに奉納する形で、曳山子供歌舞伎が始まりました。その際に作られた曳山は長浜の曳山を模したと云いますが、移動舞台のような形だったようです。現在の形態になった始まりは安永5年(1776年)長浜の古くなった曳山を貰い受けて始まりました。このため、長浜の曳山の流れが色濃く出ていました。
しかし、この最初の曳山というか移動舞台は松任町だったと云われていますが、貰い物だけで満足するわけがなく、小松の大工たちによって改良が施され高楼式の曳山が登場します。これに刺激されて近隣の町会が独自の曳山を作り最盛期には10数基あったと云われています。現在の八基共にこの寛政期(1790年代)に作製されたものです。
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その後も覇を競うように、近隣の能美・小松の九谷焼や細工物、金沢の金箔や螺鈿、輪島塗などの技術が導入されて独自の進化を遂げた各町独自の曳山になっています。ただ共通する形態としては歌舞伎舞台もですが、利常に所縁の深い那谷寺の寺院や鐘楼などの屋根が採用されています。
特に一番新しい補修を加えられ、最大の高さを誇る龍助町の曳山は、二重屋根に雲板が補修追加され螺鈿には輪島塗の人間国宝・前史雄が手掛けています。元々、天井には九谷の名工・松本佐吉が描いたものがあり八町の中でも豪華なものでしたが、更に華麗さを増しています。
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歴史の長い曳山子供歌舞伎ですが、度重なる大火などにより数を減らし、明治大正期には10基となっていましたが、昭和5年(1930年)の橋北大火で一番古い歴史の松任町の曳山を失い、昭和7年の橋南大火で東町の曳山を失い現在の八基となっています。

人気を博した曳山子供歌舞伎ですが、戦後はしばらく低迷します。2町のみの興業であり、広告宣伝もそれほどではなく、小松市自体が低迷期で、、他町村から「航空自衛隊とコマツが無ければただの町」と揶揄されるほどでした。曳山子供歌舞伎も近隣に知られる程度の祭礼になっていました。僕が始めて観た30数年前などは観客も少なく、細々と云った感じでした。
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平成2年(1990年)、小松市制50周年を記念した際に、初めて曳山八基の曳揃えという勢揃いが行われ、子供役者のお練行列が始められました。その後も橋南5基勢揃いや八基勢揃いが行われ、これに合せるように商店街や町並みでの歌舞伎市などが盛況になり、これを機に一気に人気と観客が集まり始め、現在ではすっかり知られる存在になっています。また15年程前ですが、京都の祇園祭にも特別参加して子供歌舞伎が演じられたのも良かったと云われています。

今年(H27)の当番町は京町と大文字町。基本的には橋南北の一町ずつが、それぞれの橋北と橋南地区を曳山が練り歩きながら3日間2~4回の演目披露を行っています。御休みの六町の曳山も祭礼期間は各町の車所でお披露目展示されています。
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裏方には各町会の若衆や大人衆が大活躍。語りや三味線、黒衣も若衆や大人衆。さすがに担ぎ手は町会の規模にもよるので募集を行ってまかなっている町会が多いようです。
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曳山の大きさの関係で楽屋というか隠し部屋は子供が入れるくらいの狭さです。曳山の裏側に回ると緻密な装飾が目を惹きますが、待機中の役者の姿が垣間見られます。表舞台ではみんな真剣に観ていますが、裏側では下から関係者や身内が役者に頑張れ~~って声を掛けたりしています^^;おちゃめな子は手をふったりしますが、雁九郎君(おっと失礼、結里子ちゃんという女の子)は超緊張状態、これからクライマックスの一つ、追い掛けの場の直前だから^^/
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宵闇が迫って暗くなると曳山につけられた電飾が一段と曳山を惹きたてます。ただ、夜に予定があって帰らなきゃいけなかったので(でも、しっかり仕事の約束を遅刻
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ちなみに、何度も橋北、橋南と書いていますが、小松市内の中心街を縦断するように東西に流れている九頭竜川という川がありますが、この川で南北に分かれる地区のことです。以前までは大きな橋が細工町の交差点に存在したためこのような地区分けになっていました。今も細工町の交差点の下には川が流れているんですが、両地区をわける分岐点である細工町交差点で曳山八基の曳揃えが行われます。

京町の演目は「壺坂霊験記」。
明治に作られた人形浄瑠璃の作品で、歌舞伎や講談・浪曲にもなっている作品です。「三つ違いのあにさんを~~」の下りや浪曲の「妻は夫を労わりつ、夫は妻を慕いつつ~~」で知られています。
奈良の壺坂寺を舞台に、座頭・法市と妻・お里の夫婦愛と悲劇、本尊の十一面観音が登場して二人を救うという物語です。浄瑠璃や歌舞伎ではあまりないのですが悪役としてお里に言い寄る遊び人・雁九郎が、子供歌舞伎では法市との1人二役で登場します。壺坂寺に向かう際の追い掛けの場での、法市⇒雁九郎⇒法市の早変わりは見せ場の一つになります。実際、法市・雁九郎を演じた子は良かったし、特徴のあるお顔でした^^僕は好きだったなあ、あの子^^


大文字町の演目は「曽我十二時 揚巻助六の場」。
この演目は中部地方に伝わる地場芝居の演目で、歌舞伎の「寿曽我対面(ことぶきそがのたいめん)」と「助六所縁江戸桜」を足して2で割ったような演目です。
吉原の花魁の揚巻は実は曽我十郎、揚巻に世話を受ける助六は実は弟の曽我五郎の兄弟。揚巻は花魁として、助六はケンカを売っては相手に刀を抜かせ仇を探していました。仇の工藤祐常が友切丸という源氏伝来の名刀を持つためでした。そんな日々の中、揚巻を見染めたお大尽が奴の幾助を連れて通ってきます。
実はこのお大尽が仇の工藤祐常、幾助が王藤内成景。そのやり取りを描き、最後に富士の裾野の許可状を祐常が兄弟に与え再会の約定を交わすというものです。ちなみにこちらはお大尽と工藤祐常を別々の子が演じていたようです。つまり二人一役。
実は、以前にこの演目を知る機会が在って、内容はおぼろに覚えていました^^Vでも今回の子供歌舞伎は時間が無くて観ずに帰ってしまいました。ちょっと心残りでしたが、、


曳揃えが行われる中日には、細工町の交差点広場から菟橋神社まで約500mの道路が歩行者天国となって、屋台が両側にずらりと並んで大盛況。。この辺りは学校関係が集まっており、土曜開催ということで屋台の通りは中高校生も多くて大混雑。。それにしても、しばらくこういった屋台や夜店の並びを歩いてなかったんですが、すっかり様変わりしていますねえ@@僕の感覚だと、屋台や夜店と云えば、たこ焼き・焼きそば・お好み焼き・タイ焼き・カステラ焼き・綿あめ、金魚すくい・お面なんかが主流だったんだけど、、、世の中変わったなあと思うのは歳ですかねえ、、クロワッサンタイ焼きとかケバブとか串肉巻とか@@ アナ雪グッズ店が目立ったなあ
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文字数オーバーになったので、次回はこのお旅祭りの主役の一つ、菟橋神社をご紹介します。またまた三部作になっちゃった。

旅行日 2015.05.09



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この記事へのコメント

  • メミコ

    子ども歌舞伎なんてあるんですね  わたしには珍しい記事でとても参考になりました  さて友人が相模人形芝居という地元の人形浄瑠璃を40年ほど続けています その演目に 壺坂はよくかかります  友人にも この記事の内容を伝えたいです

    曳山など今住んでいるエリアでは 絶対見ることができません 加賀の旅 是非 人気の北陸新幹線で行きたくなりました

    来月は たしか 百万石まつりでしたか・・・ 旅行客で金沢の街は繁盛 繁盛でしょうか
    2015年06月14日 10:51
  • 家ニスタ

    小松城築城は一国一城令に反しているような気がしますが、よく幕府の許可がおりましたね。
    しかも、利常の死後も城代をおいて城を存続させてるなんて・・・。
    もっとも、仙台藩や鹿児島藩でも一国一城令の例外は見られますから、幕府のしばりも、大藩に対してはゆるかったのかもしれませんね。
    2015年06月14日 11:50
  • つとつと

    メミコさん
    子供歌舞伎は東北・北陸・関西を中心に盛んなようです。曳山の上で歌舞伎を演じるのは富山の砺波の曳山くらいしか記憶にないんですが、長浜のような狂言は幾つかあるそうです。子供に礼儀作法から姿勢などを教えるには最適なんだそうです。
    相模人形芝居はTVか何かで観た記憶があるんですが、文楽に似ていると思った記憶が。。小松の曳山子供歌舞伎は舞台が狭いので、人形浄瑠璃の演目が自然に多くなる傾向があるみたいです。
    曳山は京都の祇園祭の影響が大きいんですが、旧加賀藩の小松・砺波(富山)の子供歌舞伎系、白山市美川・小矢部(富山)・富山の煌びな練歩き系、氷見(富山)みたいなぶつけ合うケンカ曳山なんてあります。機会が在ったら是非、開催日が近いのが難点ですが。。
    百万石祭りは先週5~7日に行われたんですが、金沢市の人口を越す観覧者だったそうです。6日の百万石行列は前田利家が奥様連に人気のある内藤剛志で42万人の観覧だったそうです。石川在住者はTV観戦でした^^;観光客が多すぎて、特に6日は地元民は参加関係者以外はTVになっちゃいます^^;
    2015年06月14日 18:04
  • つとつと

    家ニスタさん
    一国一城令に反するけど正式に認められた数少ない城ですね。
    加賀藩には前例があって、前田利長の隠居城として築城された高岡城。ところが、完成間近で利長が亡くなって廃城になりましたが、城内に奉行所が置かれ実質機能していました。これに倣ったようです。
    更に加賀藩から大聖寺・富山・七日市・小松を分離することで、加賀本藩は60万石と史上で最少となることが幕府には大きかったようです。利常死後に小松は復帰する約束が出来ていたようですが、大きな誤算は本藩を継いだ光高の急死。これによって隠居の利常が幼い藩主の後見で金沢小松の往復政治になって2首都機能が成立してしまったのが大きかったようです。確かに大藩に対する遠慮も大きかったですが、高岡城という見本があったのが大きかったようです。
    2015年06月14日 18:48
  • イータン

    つとつとさん こんばんは~

    すご~く珍しい「曳山子供歌舞伎」ですね
    このようなお祭りの有る事 初めて知りました。

    明治大正 10基あったのが8基と減ったのですね
    長年の時代と共に大火などのハプニング 残念ですね。

    近くでしたら是非お邪魔している所です。
    きっと目をまん丸くして背伸びしながら見学すると思います。

    前田家は代々今の時代にも名を残し興味深い人物です
    大河ドラマを書けそうなくらい詳しいつとつとさんにまたまたビックリしています。
    2015年06月14日 23:09
  • つとつと

    イータンさん
    加賀と富山西部の夏祭りはこの曳山と獅子舞、静かな神輿がほとんどです。
    勇壮な獅子舞に対して、雅な曳山と対照的な祭りになります。曳山子供歌舞伎を披露するのは富山の砺波にもあるんですが、小松の曳山は女の子が演じるので可愛さ満点です。男装の麗人とはいきませんが、クマどりしたり顔や衣装が冴えて、素晴らしい出来ですよ^^子役には誰も勝てないと云いますが、この歌舞伎もなるほどと感じられます。演目のために3.4年の準備期間を掛けて衣裳も揃えていますから各町会の力の入れようがよく解ります。

    転勤が激しかった前職時代、転勤前にその土地の歴史を調べるのが、素早く溶け込むことが出来るので習性になった所があるみたいです。中学の頃から地理・歴史だけは異常なくらい好きだったというのもありますけど^^;
    本当は加賀に関しては加賀藩時代より富樫時代や一向宗時代に興味があるんですが、加賀藩時代が長く定着して、なかなかその痕跡が少なくて不満も残ってるんですが。。。
    2015年06月15日 02:42
  • go

    お旅祭りに行かれたんですね、羨ましいです、私は毎年行こうと思っていて残念ながら未だ行けていません、曳山子供歌舞伎を見たくて家内に一緒に行こうとさそって居るんですが、うちの家内は出不精何でおいそれと行きません、そうしている間にお祭りが終わってしまうんです。
    来年こそはなんとか行きたいと思っていますが。
    2015年06月15日 07:53
  • つとつと

    goさん
    (笑)我が家と全く同じです。我が家でも嫁さんは出不精でなかなか了承が得られません^^;今回は藤の花が好きな嫁さんに藤を観に行こうと誘って、途中で予定変更^^V予定変更は僕のお得意行為ですから^^
    それで、嫁さんや娘が嫌がるんですが、今回はけっこう喜んでたみたいです。
    ただし、子供たちが演じる歌舞伎じゃなくて、屋台の方が興味を引いたみたいです
    曳山歌舞伎は、演目を観るなら金曜の市内で観るのがお奨めですが、やはりメインの八曳揃いは一度は観る価値があります。夏は陽が長く夕暮れより2幕目の頃がやはり綺麗で輝いて見えると思います。僕も夜の中で輝く檜山を来年見たいと思っています。
    2015年06月15日 08:20
  • がにちゃん

    こちらでもあるのですね 子供歌舞伎  一度見てみたいと思っていました
    豪華な曳山の勢揃い こちらも必見ですね
    2015年06月15日 17:55
  • つとつと

    がにちゃんさん
    元をただせば、前田利常や小松商人が祇園祭を観て、小松にももってきたいというのが始まり。。曳山は長浜のを引っ張ってきましたが、ルーツは祇園祭にあるんですから京都が始まりみたいなものですもん^^
    それが加賀の大工や細工師の手が入って豪華な曳山になっています。曳山歌舞伎は基本女の子が演じるんで、華やかさがありますよ^^
    2015年06月15日 21:19

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