菟橋神社(うはしじんじゃ)

お旅祭りの橋北側の祭礼を司る菟橋(うはし)神社にも参拝してきました。この神社もよく前を通っていながら、素通りしてしまっていた神社でした。初めて境内に入りましたがなかなか立派な社殿でした。
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菟橋神社の社歴によれば、創建は慶雲元年(702年)以前となっています。しかし、慶雲元年は704年、702年なら大宝2年になります。ただ、以前にも書いたことがありますが有力神社を初めて書き記した神社の本籍帳とも云える延喜式内神名帳に「加賀国能美郡八座 莵橋神社」と記されており、古くから存在したことは確かです。ちなみに延喜式内神名帳は延長5年(927年)に記されたものです。

菟橋神社は名前から、当初は加賀国府が置かれた能美郡菟橋郷(現在の小松市小野町、古府町)の古府台地の周辺に平安初期にはあったと推定されています。その後、地名の漢字が変遷を重ねて最終的に得橋郷(読みは同じです)、桃山期の丹羽氏の前の村上義明の領主時代に小松城近くに移転したとなっていますが、その頃は得橋神社となっていたそうです。





ちなみに加賀国が成立し加賀国府が置かれたのは弘仁14年(823年)越前から分離したものです。当時の加賀国は加賀郡・石川郡・能美郡・江沼郡によって構成されていました。
北陸を越の国と古来呼んでいたのに、福井=越前、富山=越中、新潟=越後となるのに、どうして石川だけが能登・加賀なのか疑問を持つ人が多いのですが、元は石川福井は越前だったんです。ついでながら、能登は養老3年(718年)に分離独立、天平元年(742年)越中に併合、天平宝宇元年(757年)に再分離独立で能登国となっています。つまり能登に遅れること70~100年、加賀国は日本で一番最後に成立した国になります。

その後、国府の衰退や鎌倉期には守護・富樫氏が更迭されるなどで衰退、移転を繰り返し、一向一揆時代には荒廃したと云われていますが、加賀藩初期に前田長種が小松城主になると、城内に境内地を与えた記述があります。更に前田利常が小松城を隠居城とすると、慶安4年(1651年)金沢・小松城の鎮護の社として現在地に遷座させ社殿を建立しています。この際に本来の漢字に戻して「菟橋神社」に戻ったようです。ところが明治8年(1875年)に主祭神が諏訪神ということで「諏訪神社」に改称され、明治15年に菟橋神と諏訪神を併立して「菟橋神社」に戻って現代に続いています。
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社殿は「一間社隅木附き春日造り」。隅木は墨木とも云われますが屋根と屋根が交わる部分に勾配をつけるための部品なんだそうです。この形式の春日造りは県内の神社ではここだけだそうです。

製作施工は加賀藩お抱えの御大工・山上善右衛門嘉広山上善右衛門は建仁寺流の流れを汲む人物で、寛永5年(1628年)から父の後をついで御大工となっていました。その後、御大工として多くの寺院建築に携わっています。国宝・重文指定を受けている建築物が多くない北陸の中で、国宝の瑞龍寺を初め、羽咋の妙成寺気多大社小松天満宮那谷寺など、北陸の多くの重要寺院建築に携わっています。ちなみに、息子・吉永も御大工に任命され天徳院を建築しています。天徳院は残念ながら焼失し吉永の作としては山門が残っています。
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嘉広以降、山上家当主は善右衛門を踏襲して明治まで御大工の家系が続いています。この間に加賀藩建築集団の御大工にも何名か輩出しています。

加賀藩の寺院建築は山上家を代表にする建仁寺流とは別に四天王寺流があり、この流派を代表するのが松井角右衛門。松井角右衛門の代表作としては井波の瑞泉寺が示すように、華麗な井波彫刻を施した寺院建築が特徴です。この松井角右衛門を祖にするのが、金沢城の菱櫓・五十間長屋の復元建築を初め、築地本願寺本堂、中尊寺経蔵の保存復元など寺院建築や復元修復の第一人者集団と云われる松井建設になります。
山上善右衛門の代表作・瑞龍寺の修復も松井建設が手掛けています。
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山上・松井家の他にも、山上家の本家と云える坂上家(初代善右衛門嘉広は坂上家から婿養子に入っています。)、加賀藩御大工頭を史上最長に努め、天徳院の綱紀(父親・光高のものとも云われています)の御霊堂(現金沢市佐奇森町の佐奇神社拝殿)や石川門続櫓(金沢城)を作った清水峯充を輩出した清水家、中村家、蔦家他にも多くの御大工に採用されています。
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またまた横道に逸れてしまいましたが、境内は人人人でゆっくり出来ませんでしたが、本殿裏の摂社や最終日に出される神輿なども観てきました。神輿の前には寺宝の「栄爵授与勅許状(たぶん写し)」、明和四年(1767年)に朝廷から菟橋神社の宮司家の上田越後守正祐に贈られたもの。



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菟橋神社の祭神は地場の産土神の菟橋神諏訪神になります。菟橋大神については詳しいことは解りませんが、加賀国府の鎮守の杜に置かれたということで、加賀の守り神とされています。
諏訪大神は越の国を勢力圏に治めたとされる大国主の息子・建御名方命(たけみなかた)。建御名方命は出雲から派遣もしくは東方への撤退抗戦、北陸を転戦しながら諏訪まで逃亡したとも云われていますが、、、

社伝によれば・・・太古悠遠の昔、大国主命が北陸地方経営に際して父神と共にこの加賀の地に到り、先ず洪水を治め暴風を防ぎ凶暴を平らげ国土を開拓し農耕、機械、殖産の道を教え民衆の生業を助け給い、やがてその業成るや自らの御魂をこの地に留められ国魂の神として永く莵橋郷の鎮守の神となられし後に信濃国諏訪の地へ赴かれたという。  

となっています。。。菟橋大神と同神だとも考えられます。
必勝必達、勝負の神として古くから武家に信奉され、地元民には国土開拓・農産業殖産の神、陸路海路空路の交通安全・旅行安全、八方除け、災難除けの神として崇められ「お諏訪さん」と親しまれています。

菟橋神社を訪れた有名人としては、伝承ですが逃避行中の源義経一向が安宅関に向かう前に無事通過の祈願をしたというもの。境内に義経の腰掛石があり、本殿裏に以前まで牛若松と弁慶松の2本の大木があったそうです。この2本の松は長く旅行者の目印の役目をしていましたが、現在は弁慶松は台風で倒れて無く、牛若松だけが残っています。画像は撮ったんですが消えてました><
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江戸期には奥の細道で小松に投宿した松尾芭蕉も立ち寄っており、曽良の随行日記に「七月二十七日快晴、所ノ諏訪宮祭ノ由聞テ詣」との記載があるそうです。   「しほらしき 名や小松ふく 萩すすき」
この芭蕉の句はこの神社を訪れた際に作ったものとして句碑が境内にあります。

久しぶりにお旅祭りを満喫して早めに家路につきましたが、細工町から市役所に向かう京町や中町の辺りは、格子や板塀の古風な町並みが多くあります。景観保全で店舗などや新しい家も、木格子や色調を合わせています。そぞろ歩きにはうってつけ、小松に来た際のお奨めの通りです。
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旅行日 2015.05.09

この記事へのコメント

  • メミコ

    ご紹介の神社も初めて知りました  たしかに小松は思っていた以上に歴史のある町なんですね 北陸 加賀の国はまだまだ知らない事尽くしです  記事がとても参考になります
    2015年06月18日 09:28
  • つとつと

    メミコさん
    元々、小松に国府があったように、守護の富樫家が野々市に本拠を移したり一向門徒が尾山御坊を築く前は、加賀の中心地は小松だったんです。古代の古墳の集積も能美や小松に多くあります。僕も何年か前までは何故、加越能で加賀とか能登になるのか疑問がありましたが、歴史を調べると、加賀が国内で一番新しい国名だと知ったくらいですから。。。
    2015年06月18日 15:09
  • イータン

    こんばんは~

    菟橋神社は歴史が古く立派な社殿ですね
    観光客でしょうか かなりの列をなしたお参り客ですね。

    ず~と読みふけりながら ふと思いました。
    芭蕉はあらゆる所に句を残していますが、日本全国トータルするといかほどの句と石像があるのだろうかと。

    つい先日 山形 山寺立石寺に行って来ましたがやはり句と石像が建っていました。
    本筋からそれてしまったでしょうか。
    2015年06月20日 19:31
  • つとつと

    イータンさん
    前回の曳山子供歌舞伎はこの神社の祭礼なんですよ。祭礼当日は会場からこの神社まで夜店がずらりと並んでいて、夜店に釣られてこの神社にも多くの人が訪れるんですよ^^
    芭蕉は「のざらし紀行」や「奥の細道」などで旅をしながら読んだ俳句は有名で、その地で読んだものが句碑になっている物が多く有るんです。特に江戸から東北・北陸を巡って大垣までを綴った「奥の細道」は有名で、立石寺もそうですし、この神社の句も「奥の細道」の途次に作られたものなんですよ。奥の細道では加賀での逗留が一番長く逗留していて、句も多く残しています。
    2015年06月20日 21:34
  • がにちゃん

    にぎやかなお祭りですね   本殿も立派  
    修復するにも大切な技術  引き継ぐことも大切ですね  宮大工さんの技術はすごいといつも思います 
    2015年06月22日 14:25
  • つとつと

    がにちゃんさん
    木造建築は補修や修復が絶対条件。宮大工の技術は凄いですよね。
    昨年、がにちゃんさんが富山・能登を巡っていましたが、山上善右衛門の製作した瑞龍寺、妙成寺、気多大社と廻っていましたねえ。次は是非小松の天満宮、那谷寺を観て下さい。なかなかのお奨めですよ^^
    2015年06月22日 20:35
  • 金沢城調査研究所

     「山上家は最高位と云える御大工頭を初代善右衛門嘉広・吉永親子をはじめ何名も輩出しています。」とは、どこからの引用でしょうか?
     初代嘉広の頃には加賀藩に御大工頭の役職はまだ制定されておらず、吉永も御大工頭にはなっていません。さらに、山上家はたった1名しか御大工頭に輩出しておりません。なお、松井家は藩のお抱えではなく町大工ですので、四天王寺流を代表する家でもありません。
    2016年05月10日 16:20
  • 金沢城調査研究所

    すみません、ちょっと補足します。
    松井家が四天王寺流を標榜しているのは確かですが、町(村)大工なので
    加賀藩内の四天王寺流を流派を代表できる家ではないとことです。
    2016年05月10日 16:36
  • つとつと

    松井家は拝領地(御帳面)大工になって加賀藩御用を受けて各地に出ていますから、町大工とは違うでしょう。また、四天王寺流代表に関しては、金沢では黒田家がありますが、松井家の方がその後の実績を考えれば、個人的に松井家を押したものです。
    ご指摘は真摯に受け止めます。山上家の御大工頭については大工頭との記憶違いかもしれませんし、勉強不足は否めません。古い記憶で書いた部分が多くあります。
    勉強し直しで、修正または書き直しを考えています。一週間後にこの記事はいったん閉じます。
    金沢城調査研究所さんが県関係組織で資料研究、調査研究、資料公開を手掛けることは聞いています。ただ、石川県が今までこういったことに本気になっていなかったのが残念でしたが、本腰が入るようで喜ばしく今後の発展、成果を願っています。
    金沢城の復元も観光優先に偏らず、全体の復元年代の設定など慎重にお願いします。
    個人的には金谷御殿に興味を持っています。
    2016年05月10日 22:11

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