井波彫刻の里

庄川水記念公園を後にして、家路につこうと思ったんですが、せっかく庄川まで来たんだからということで、お隣の井波町にも立ち寄ることにしました。
庄川町轆轤(ろくろ)の里なら、井波彫刻の里になります。井波の欄間といえば超一級品ですが、その他にも獅子頭、全国の寺社仏閣の彫刻など広く出回っていて、各名所のどこかに井波彫刻が施されています。
獅子頭は特に加賀・越中では各部落・村に一体あるのが当たり前ですが、僕の故郷の獅子頭も井波の職人が作製した物でした。また越中では天神信仰が盛んで、端午の節句には天神様の掛け軸を飾る家が多いのですが、井波木彫の天神像も良く見かけます。
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井波彫刻が発展したのは井波瑞泉寺に由来すると云われています。瑞泉寺の山門と本堂は北陸では最大規模と云われています。梵鐘は昭和の作ですが、これまた北陸最大級です。宝物殿の展示も素晴らしいし、聖徳太子絵図の絵解きをする太子伝会(7月末の10日間)、10月10日の連休の町アートの庭園解放は狙い目ですが、機会があったら必見のお寺です。
瑞泉寺は明徳元年(1390年)、浄土真宗五代法主・綽如(しょうにょ)上人によって開基建立されたそうです。中国からの難解な国書を読解した褒賞に、後小松天皇に勅許所として瑞泉寺の建立許可が下り、歓進状を書く料紙が下されています。綽如はこの料紙に歓進状をしたため有縁に送っています。この歓進状は瑞泉寺にあり明治に国宝指定(現在は国重文)を受けています。

北陸の浄土真宗は戦国期の加賀一向宗の印象が強く、八代・蓮如によって広まったと思われています。しかし北陸の地に浄土真宗寺院を建立して足場として、真宗王国の基盤を作ったのはこの綽如であり、その瑞泉寺二俣本泉寺を継いだ如乗(にょじょう)でした。ちなみに蓮如が八代法主の座に着けたのも、叔父にあたる如乗の後押しがあったおかげでした。衰退していた本願寺派内でも、別格の実力と地位が如乗及び瑞泉寺に在ったことを物語っています。 綽如・如乗に関しては以前にも書いているので、こちらをどうぞ ⇒ 二俣本泉寺

綽如はこの砺波地区や国道304号、県道27号の近在では根強い人気があり、由来地や所縁の地が点在しています。上記の二俣本泉寺もそうですが、庄川町から井波町に向かう途中にも所縁の地があります。
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今回、立ち寄ったのが「瓜裂清水(うりわりしょうず)」

案内板を転記すると・・・
今から600年前、杉谷山(岩黒の奥山)の庵から地方教化に出掛けられた綽如上人(本願寺五世のちに井波瑞泉寺開祖となる)が岩黒の、この地に休息された際、駒の蹄が突然陥没し、その跡から清水がこんこんと湧き出した
教化の徳に慕い寄る里人が献上した瓜を冷やしたところ、その冷たさに瓜は自然に裂け、そのおいしさは格別で上人はことのほか満足し、自らこの清水を「うりわりしょうず」と命名された。
その後、今日に至るも一度も枯渇することなく、地方まれにみる霊泉として地方民の憩いの場となっている。
昭和六十年三月、環境庁から「全国名水百選」の一つに、六十一年二月には「とやまの名水」に選ばれ、多くの人々から親しまれている。
周辺は大ヒサカキ、白コブシなど多くの樹木に恵まれている。
                                       昭和六十一年十月 砺波市 砺波市教育委員会

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文中の綽如が庵を結んだ地の杉谷山は、後に瑞泉寺の山号になっています。
最初は誰もいなかったんですが、我が家族がここにいる間に、ポツポツと人が訪れてペットボトルに水を入れては入れ替わり立ち代り。。結構人気の名水のようです(さすが、名水百選)。。嫁さんも車からペットボトルを持ってきて水を入れてました。家に帰ってから珈琲に使ってのんびり飲んでおりました。美味しかったあ

綽如が建立した瑞泉寺は越中真宗門徒の中核として存在していきました。加賀の一向宗が目立ちますが、越中の一向宗門徒も強い力を持っており、大小一揆では関係の深い本泉寺とは敵対して大一揆側につき勝利しています。大小一揆の後の加賀は本願寺の直接統治になっていますが、越中は瑞泉寺と安養寺(現・南砺市高窪)に在った勝興寺の両寺の共同経営で戦国末期まで続いています。その勢力は侮りがたく、瑞泉寺を攻めた福光城主・石黒光義を敗死させたり、上杉謙信の祖父・長尾能景(ながおよしかげ)を般若野で敗死させたりしています。

ちなみに、大河ドラマや小説の「天と地と」では、般若野の戦い(永正3年(1506年))で戦死したのは父親の長尾為景になっています。実際、戦死地と云われる所に伝為景塚があります(砺波市頼成新)。しかし、これは年代的にも文献的にも長尾能景と混同されていると思われます。謙信の生年は享禄3年(1530年)で、これが事実なら親子関係が無くなってしまいます。為景の墓は上越の林泉寺にあり、長男・晴景に総領を譲り隠居した天文5年(1536年)とも、隠居後も実権を握り天文11年(1542年)に亡くなったという2説ありますが、後説の方が有力視されています。

越中一向宗の勢力が弱まったのは、上杉謙信が侵攻した際の尻垂坂の戦(元亀3年(1572年))で大敗、上杉謙信と和睦し統治下に組み込まれたことからです。その後、佐々成政の侵攻・統治で扶持を受けた勝興寺は伏木に移転させられ、侵攻を受けた瑞泉寺は焼失破却となり、城端(じょうはな)に避難移転しています。
天正年間、加賀藩政期になり加賀藩から屋敷替えの許可を受け城端から井波に戻り、現在地に本堂伽藍を建立しています。

宝暦12年(1763年)井波大火の類焼によって土蔵を残して全焼失。翌年から半世紀をかけて大伽藍が再建されています。
この際に伽藍再建のために、京都本山(東本願寺)から派遣された笠井若狭守が設計図面を引き、同じくお抱え大工の柴田新八郎が現場棟梁として多くの職人が派遣されています。この中には御用彫刻師・前川三四郎が含まれていました。この寺院建築のスペシャリスト集団は井波に住み込んで、地元の大工職人や各種職人を監督指導して本堂・伽藍を再建していきます。この間に指導を受けた大工職人や各種職人に建築技法や装飾技法が伝わることになります。特に柴田新八郎柴田清右衛門番匠屋七左衛門松井角平などの地元大工に伝えた寺院建築の技法が井波大工となり、前川三四郎番匠屋七左衛門に伝承した彫刻技法が井波彫刻の発展に繋がっています。特に井波では前川三四郎井波彫刻の祖として尊称されています。
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安永3年(1774年)本堂が完成し遷仏式を終え、翌年には山門の建築に掛かったのですが、同年に東本願寺が火災で焼失し再建のために柴田新八郎・前川三四郎をはじめ京都の職人集団が京都に引き上げてしまいます。
この為、その後を引き継いだのが前述の柴田清右衛門、番匠屋七左衛門、松井角平などの地元大工でした。彼らは山門をはじめ大廊壁・太子堂と大伽藍を完成させます。
大廊壁は石垣を組み合わせた壁で瑞泉寺を囲んでいます。城壁のように見え、城好きの人などは防御施設としてお城紹介に載せる人もいますが、実際には大火の教訓として強風や類焼を防ぐための防壁として造られたものです。
京都の寺院建築のスペシャリストの実地教育と、その後の単独建築が井波の職人にとっては大きな財産となって後世に伝わることになります。実際、この後は井波大工の名は全国に知られ、全国の寺院建築・寺院彫刻・欄間彫刻に呼ばれています。

明治12年(1879年)寺内からの出火により山門・式台門(勅使門)・太鼓楼などを残して全焼します。再建には地元・井波の建築師、井波彫刻師、井波塗師などが総出で行っています。つまり、この時には単独で寺院建築を造る技術が備わっていたことになります。
本堂は明治18年に前述の松井角平の後裔・松井(角平)恒広を棟梁に再建され、畳数450畳と木造建築としては国内4位の大きさだそうです。現在は2年前に改修されて美しい姿になっています。
隣の太子堂は大正7年(1918年)にこれまた松井角平の後裔で松井(角平)恒信が棟梁として再建しています。約30年の開きがありますが、太子堂の彫刻は本堂の豪壮さと違い、細密なものが多く優美なものです。井波彫刻の進歩・洗練が覗われます。

井波彫刻の祖とされる前川三四郎の作は本堂が焼失して失われていますが、山門正面の彫刻「波に龍」があります。これは、前川三四郎が井波から京都に去って31年後、井波から京都在住の前川三四郎に注文、作製依頼したもので、京都から瀬戸内海、日本海を廻って三国湊(越前、現坂井市)から越前・加賀・越中と陸道で運ばれたものです。
明治の大火の折、この龍が近くの松の木に登り山門に水を吐き出して、火災から門を守ったという伝承が伝わっています。また式台門には前川三四郎から彫刻技術を習得した番匠屋七左衛門「獅子の子落とし」が施されています。この「獅子の子落とし」は井波彫刻の史上で最高傑作と云われています。

長々と瑞泉寺の説明をしてしまいましたが、今回は瑞泉寺に寄っていないので、興味のある人は以前(7年前のものですが)アップしたブログですが ⇒ 井波 瑞泉寺   瑞泉寺
                          井波瑞泉寺のHP

           
明治に入ると寺社建築とは別に家屋向けの物が多く出ています。もちろん欄間が主力ですが、獅子頭、衝立や置物・飾り物、仏壇の彫刻が発展して全国に発信していきます。更には近年では壁掛けとなるパネルや現代的な塑像も出ています。
我が家の近くにも「井波彫刻会館」という井波欄間の専門店があります。でも、美しいんですが、お高い@@憧れの一つですねえ。。
井波町も彫刻の町として、多くの工房や販売店舗の他、彫刻刀の専門店があり、彫刻の里に相応しいものです。瑞泉寺門前の八日町通は古風な町並みで工房が立ち並び木の香や音が聴かれる道として「日本の音百選」に選定されています。
その他にも井波町には井波彫刻の観られる施設も数多くあります。
今回立ち寄った「木彫りの里 創遊館」「井波彫刻総合会館」もそうです。

木彫りの里 創遊館」は井波町の道の駅的存在で、お土産品・物産品の販売所の他に、井波彫刻の専門店、井波彫刻や井波観光の紹介ブースがあります。販売品は観光客向けの天神像が多く観られますが、ゴジラとか木彫りの鳩時計など変わったものも多く観られるので観て歩くと楽しい施設です。
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井波彫刻総合会館」は井波彫刻の極み的な作品群が展示販売されています。井波彫刻協同組合に所属する作家の作品が200点以上展示されています。作品は芸術的な物が多く力作ぞろいです。値札を観ながら展示品を観るのも面白い所。もちろん非売品の井波彫刻の歴史を語るような作品も多く展示されています。
また、井波彫刻の歴史展示や瑞泉寺の設計図、彫刻や部材の下書きと云った貴重な物も展示されています。

残念なのは館内が撮影禁止なので観るだけになってしまうこと。
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館外には外壁に長大な十二支の欄間彫刻や、巨大な龍の彫刻があり、眼を惹く物だらけです。
会館の左隣には広い芝生がありますが、その一隅に井波彫刻の祖・前川三四郎の像があります。東本願寺から井波に派遣された当時の若い人物の彫像になっています。
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木彫りの里 創遊館 ⇒ HP
井波彫刻総合会館 ⇒ HP

旅行日 2015.09.26

瓜裂清水

                                 井波彫刻総合会館




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この記事へのコメント

  • まだこもよ

    「湧水」…家に持ち帰って 沸かしてから飲んだ方が安心ですよね! で…同じ珈琲でも 美味しくなるんですね!
    2015年11月02日 18:58
  • つとつと

    まだこもよさん
    湧水のある所によって衛生面の心配はありますから、沸かすのが一番です^O^
    湧水の質にもよるんでしょうが、富山の水はコーヒーに合うみたいです。そうそう、立山・黒部の深層水はコーヒーには最高です^^
    2015年11月02日 20:21
  • がにちゃん

    獅子頭 各村・部落にあるのですか 縁起物健康の為に一度頭をかぶっとかまれてみたいものですね(笑)
    龍の彫刻 素晴らしいですね また見たいものが増えました
    2015年11月04日 16:09
  • つとつと

    がにちゃんさん
    がぶっ^O^ 加賀の獅子舞はケンカ獅子と呼ばれてるんで、噛まれると危ないかも^m^
    加賀獅子舞は、武術教練も兼ねていたので、棒術や鎗術、刀やなぎなた、地区によって伝統の武術が出て勇壮ですよ^^
    会館の中に入ると、いろいろな木彫品が観られるんでお奨めです。瑞泉寺と併せてみると、なかなか出て来られなくなるほど見入ってしまいます^^東本願寺の木彫の多くは井波彫刻なんですが、北陸にいると京都の技術がこちらで発展したのがよく解ります^^
    2015年11月04日 17:44
  • 家ニスタ

    名水って飲んだことありません。
    なるほど、沸かして飲めばいいんですね。
    そのままじゃ、ちょっと怖いですもんね。
    僕も名水で珈琲を飲んでみたいです。
    2015年11月05日 22:31
  • つとつと

    家ニスタさん
    名水と云っても色々な場所にあるし、山の中とかならまだいいんですが、人通りの多い道端とか寺社内などはなかなかそのまま飲むのは躊躇しますね。時々、名水でも病原菌が発生したとか聞きますから。。
    名水もいろいろあるんですが、意外なお奨めが黒部や立山の名水に硬水があったりします^^生水なら軟水が良いんですがコーヒーは硬水の方が美味しいと僕は思います。是非試してみてください
    2015年11月06日 15:33

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