山ノ下寺院群① 全昌寺

寛永16年(1639年)加賀藩から分藩されて大聖寺藩が誕生した際に、藩祖・前田利治に従って多くの家臣が加賀藩から移籍したのですが、同時に寺院もこの際に移されています。
これらの寺院の多くは、大聖寺の南端の山裾に集められ山ノ下寺院群と呼ばれていますが、南端の大聖寺藩主の菩提寺・実性院から神明宮までの約1キロ弱の山裾に沿って各宗派の寺院が並んでいます。その数は大きい物で7寺院・1神社。宗派がバラバラなのが大きな特徴です。

南から順番に云うと。。。
    ☆実性院・・・曹洞宗・大聖寺藩主菩提寺   ☆久法寺・・・法華宗   ☆蓮光寺・・・日蓮宗
    ☆全昌寺・・・曹洞宗・山口宗永菩提寺     ☆正覚寺・・・浄土宗   ☆宗寿寺・・・日蓮宗
    ☆本光寺・・・法華宗                 ☆神明宮・・・藩政期は真言宗・慈光院
      
大聖寺藩の創立目的の一つには、徳川親藩で越前松平家の福井藩に対する最前線防波堤の役目を担っていました。このため旧来の敵対勢力でまだまだ監視体制に在った浄土真宗の寺院だけは除かれていました。
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山ノ下寺院群の中に全昌寺という寺院があります。正式には「熊谷山・全昌寺」と云い曹洞宗の寺院です。
天正4年(1576年)に創建された曹洞宗寺院ですが、元は山代(加賀市山代温泉)に在ったと云われています。慶長2年(1598年)に大聖寺城主となった山口宗永の信仰を受けて大聖寺に移されたと伝わっています。この為、山口宗永・修弘親子の菩提寺となっています。
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本堂横の墓地に山口宗永の墓として招魂碑が建立されています。これは明治になって、松江藩に仕えた子孫が建立したものです。銘には山口玄蕃頭宗永・山口○右衛門宗春・山口右京亮修弘とあります。修弘(ながひろ)宗永の長男で、豊臣秀吉に仕え越前で1万3千石を領して父から独立していましたが、父親と同じ江沼に同石高で移封されていました。長刀の達人として知られ、大聖寺城では戦闘の主導になって討ち死にしています。宗春に関しては勉強不足で、よく解りません。。ただ、宗永の次に名が来るので有力な人物とは思うのですが。。

招魂碑の後ろには山口宗永首塚がありますが、この首塚は新町の旧大聖寺川の福田橋詰めに在った物を移設したそうです。古い記憶で、写真で観たのか実物だったか定かでないのですが、福田橋に在った頃は木に囲まれて石塔もあって立派だったと思うのですが、、、、一度、福田橋に行って確認せねば、、、子供の頃の記憶であいまいなので。。。
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その他にも羅漢堂の前に9代藩主・前田利之が娘の供養のために寄進した石塔。墓地には4代藩主・前田利章が娘のために建立した供養塔がありますが、上部に菩薩・如来像を内蔵する特殊な造りで興味深い物があります。
駄目藩主が多い大聖寺藩主の中でも、悪政・悪名が高い殿さまに挙げられる利之ですが子煩悩だったようです。でも、この凝った造りの石塔は見栄っ張りの面目躍如の一面が観られるかも・・でも、墓地内に4代藩主・利章が娘の供養塔として如意輪観音内蔵の供養塔を建立しています。ちなみに大聖寺藩史上で最低最悪のお殿様が利章だと思われます。う~~ん、類は類を呼ぶかも。。










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江戸期には全昌寺の辺りは下級武士や商家が多く集まっており、熱い信仰と寄進を受けていたようです。
墓地も境内だけでなく、裏山に入った地にも多く有り、山に入ると古い年代の墓石が多く見受けられます。さすがに江戸初期の物などは崩れている物も多くありますが、墓碑を観ると末森城に籠城した奥村家に繋がるというものも見受けられました。ただ、この山の墓地は同じ並びの寺院の墓地に繋がっているんで、境界が解りにくくなっています。
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全昌寺が庶民から熱い信仰を受けていたのを示すものに羅漢堂があります。
羅漢堂内に入ると中央の祭壇と、壁面にずらりと置かれた極彩色の五百羅漢像に驚かされます。
釈迦三尊像(釈迦如来、普賢・文殊菩薩像)、四天王像(持国天・増長天・広目天・多聞天)、十大弟子像、五百羅漢像517体の像が納められています。
堂内の中央の祭壇に正面中央に釈迦三尊像を中心に四隅に邪鬼を踏んだ四天王像があり、左右に十大弟子立像が5体ずつ配されています。中央祭壇を囲むように500体の羅漢坐像が五段に堂内の壁面に飾られています。
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ちなみに十大弟子釈迦の元にいた弟子の内の主要10人の弟子たちです。仏典によって多少変わりますが、釈迦入滅後に布教と弟子たちの先達として指導に当たった人たちです。
羅漢は同じく釈迦の弟子たちで、釈迦に従って歩いた者や入滅後の第一回の仏典編集(結集)に集まった者(比丘)を指します。
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この517体の尊像は、幕末に全昌寺十二世住職・良牛和尚が願主、檀家総代の吉野家喜兵衛が世話方となり、大聖寺・加賀藩の御広敷(奥室関係)、武士、町人等の寄進で完成したものです。製作は京都の仏工・山本茂祐で慶応3年(1867年)に200体、明治初年(1868年)に300体を完成させています。
尊像一体ごとに尊像名、施主の寄進者名、家名や家紋が記されています。これとは別に寺には仏工の仕様書、寄進者を記録した台帳があります。仏像や尊像の出処、仕様まで明確に記録されているのは珍しい物です。

ご住職が庭園と羅漢堂まで案内してくれて「ゆっくり拝観してください^^出るときに電気消してくださいね^^」と扉を閉めて行ってしまいました。おかげでといっては何ですが、のんびりゆっくり一体一体拝観させて戴きました。
ただ、画像は明度を上げて明るく修正しましたが、実際には薄暗い灯りでストロボやライトは使用していないので、ちょっと画像が荒くなっています。中央に立つと1000以上の眼に見つめられているような気分になっちゃいました。

この全昌寺の名が知られるようになったのは、元禄2年(1689年)奥の細道の途上の松尾芭蕉・曽良が一日違いで泊まったことからです。
旅の疲れを癒すために山中温泉に逗留した芭蕉一行でしたが、病を得てしまった曽良は病気治療のために伊勢に向かい、芭蕉と別れて先に旅立っています。

大聖持の城外、全昌寺といふ寺にとまる。猶、加賀の地也り。曽良も前の夜、此の寺に泊りて、
  終宵(よもすがら) 秋風聞や うらの山
と残す。一夜の隔(へだたり)、千里に同じ。吾も秋風を聞て衆寮に臥せば、明ぼのゝ空近う、読経声すむまゝに、鐘板鳴りて食堂に入。けふは越前の国へと、心早卒(そうそつ)にして堂下に下るを、若き僧ども紙・硯をかゝえ、階(きざはし)のもとまで追い来る。折節庭中の柳散れば、 
  庭掃て 出ばや寺に 散る柳
とりあへぬさまして草鞋ながら書き捨つ。     奥の細道 全昌寺の章段
 

山中温泉で曽良と別れた芭蕉大聖寺のここ全昌寺に泊まります。この寺には別れた曽良が前夜泊まっていました。曽良の残した句を読み、同じ部屋に泊まった芭蕉も寂寥感に包まれて眠れぬ夜を過ごしたようです。
「一夜の隔(へだたり)、千里に同じ。」は、同行の友を失ない、その友と一日違いで同じ部屋に泊まった思いは、これまでの旅や曽良の顔や言葉が思い出されて、横になっても眠れずに、外の風音だけが耳に入って来たのでしょう。夜明けを眠れぬままに迎えてしまったようです。
眠れぬ夜を過ごしてしまった芭蕉は朝食を済ますと、逃げるように旅立とうとしますが、寺僧に残句を頼まれて「庭掃て・・・」の句を残して旅立っています。
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境内の前庭園に芭蕉の句碑曽良の句碑が並んであります。この句碑は明治中頃、大聖寺の俳人・二宮木圭(にのみやぼっけい)によって建立されたと云われています。
芭蕉の句碑の正面には「者勢越(はせを)塚」と書かれており、側面に「庭掃て・・・」が書かれているそうですが、摩耗で見えませんでした。ちなみに「はせを」は、植物のバショウの和名・発勢乎波(はせをは)から来ているようです。つまりはせを塚=芭蕉塚。この文字は松尾芭蕉の自筆を写したものだそうです。
左手には、句碑を建立した木圭の句碑があります。 爪枝は 如意のことなり 柳蔭

句碑の側に柳があります。しかし、この柳は芭蕉が観た物とは違いますが、同じ位置の三代目の柳になるそうで、まだまだ若木のようです。画像も撮ったはずなんですが抜けていました。句碑の画像をアップすると句碑の上にチラリと柳の枝が観えます^^; 
と、思ったら、山門の画像に柳がありました^^
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芭蕉と曽良の句碑の奥に在る句碑は、大聖寺城址の東丸で書きましたが、「日本百名山」の作者・深田久弥(九山)全昌寺で行われた芭蕉忌に詠んだものだそうです。翁忌や 師をつぐ故に 師を模さず
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実は本堂内から寺院内も拝観できるんですが、この日は曽良が詠んだ裏山に登ったりしていて、すっかり時間を失ってしまいました。本堂内には豊臣秀吉が九州名護屋城在陣中に母親の大政所(なか)の危篤を聞いて関白秀次に指示をした書状(朱印状)、東福寺の大涅槃図の作者で室町期の兆殿司(明兆)が描いたと伝わる涅槃図、新田1万石の藩主になりながら織田秀親を刺殺して切腹した前田利昌の甲冑木製芭蕉坐像、復元された芭蕉・曽良が泊まった部屋(茶室・芭蕉庵)など、見所満載の寺院です。一度見たことはあるんですが、また来たいと思っています。次回には。。。

旅行日 2015.10.03



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この記事へのコメント

  • go

    山ノ下寺院群に7寺院、1神社が集められてから、すでに350年以上たっていますが、各寺院や神社はそこに来る前の歴史もあったでしょうから、随分歴史の古い寺社ですね、
    全昌寺の羅漢堂は五百羅漢や釈迦三尊像など見る価値の高いものですね、また全昌寺が山ノ下寺院群に移転してから約50年ほどたってから松尾芭蕉や曽良が泊まっていた記録もあって興味を引きます、つとつとさんの記事を見ていると訪ねてみたいところが増えてきますね。
    2015年11月24日 16:32
  • つとつと

    goさん
    山ノ下寺院群の寺院は一つ一つに特徴や墓所があって興味深い物が多くお奨めですよ。大聖寺藩主の菩提寺や墓所の実性院、冬の荒水行の蓮光寺、日本初の国産鉛筆・工場の創始者・柿澤理平の墓所の久法寺、仏御前所縁のクツを履いた阿弥陀如来像の正覚寺、大聖寺藩の関所門と7種類の木が寄生するスダジイの宗寿寺、深田久弥の墓所がある本光寺、熊坂川に大鳥居がある神明宮。もう見所満載です^^実性院と全昌寺の駐車場に停めると便利ですよ^^これだけ接近して並んでいると、お寺巡り散策にはばっちりです^^お試しあれ^^/
    2015年11月24日 17:50
  • がにちゃん

    まさしく 神様仏様の世界ですね すべての宗教に守ってもらいたい心境???
    カラフルな羅漢さんですね  うす暗い所で・・・ちょっと怖いかも
    2015年11月24日 21:25
  • つとつと

    がにちゃんさん
    越前と加賀の国境の防衛地点、加賀藩は防衛地点に寺院を配置するので、その伝統があるみたいです。
    これだけの像に囲まれると、ちょっと怖いくらい、でも一体ずつ見るとユニークなお顔が多いんですよ。ついつい1番から500番まで順番に捜しちゃいました^^;
    2015年11月25日 14:33
  • 家ニスタ

    大聖寺藩は駄目藩主揃いなんですか。
    面白いですね。
    金沢の本藩は、外様最大の大名でありながら、維新まで家を永らえたのですから、優秀な藩主ばかりだったの思うのですが、本藩と支藩でもやっぱり違うのですね。
    2015年11月25日 22:04
  • つとつと

    家ニスタさん
    大聖寺藩は初代二代と名君と呼ばれたんですが、3.4代で身上をつぶして、本藩と同じく呪われてるんじゃないかというくらいお殿様の早死にが続いたんです。本藩から養子に入ったお殿様が4.5人います。次々回に大聖寺藩の菩提寺で書こうと思っているんですが、浮沈にかかわる事態もあるんですよ^^;230年の藩政は波瀾万丈で興味深いですよ^^
    2015年11月26日 12:25
  • メミコ

    お久しぶりです
    父が金沢に単身赴任していた頃 大聖寺にお参りしたとかいっていたのを うろ覚えに覚えていました  今回はっきりしました
    金沢市内じゃないんですね  石川県はまだまだ知らない所多しです
    2015年11月26日 17:38
  • まだこもよ

    尊像が 「色鮮やか」なんですけど…「元々の色」なんですかね?(「元々の色」だったら 凄いなぁ〜!
    2015年11月26日 17:39
  • つとつと

    メミコさん
    いやいや、、メミコさんのお父さんが行かれたのは、もしかしたら金沢なら大乗寺(だいじょうじ)かも知れませんよ。北陸では永平寺に次ぐ曹洞宗の歴史のお寺です。前田家墓所の野田山にある寺院です。そうそう、本木雅弘主演の映画「ファンシーダンス」の舞台・ロケ地になってます。http://72469241.at.webry.info/201208/article_50.html 混乱させるみたいですが、どちらも良いお寺ですよ^^
    2015年11月26日 17:55
  • つとつと

    まだこもよさん
    羅漢像は元々の色で並んでいるんですよ^^130年以上とは思えない彩色でしょ^^ カメラの明度を上げたんで輝いてますが、ホントは薄暗いんですが、現職の濃い色が多いんで、色ははっきり残ってるものが多いようです。
    2015年11月26日 17:58

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