菅生石部(すごういそべ)神社 加賀二の宮

前回紹介した大聖寺関所から東に向かうと、菅生交差点で三叉路になります。南に向かうと加賀温泉郷の山中温泉や山代温泉への街道だった国道364号線になり、北に向かうと北国街道の本道となる県道145号線になります。市街地から北にこの街道を進んで大聖寺川を渡ると、山腹に突き当たり街道が直角に東に伸びて行きます。

この山腹にあるのが「菅生石部(すごういそべ)神社」になります。別名は敷地(しきぢ)天神
敷地は敷地村の村名からですが、「神が敷きます地なる」からと云われています。
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創建は古く用明天皇元年(31代、585年)。用明天皇はかの有名な聖徳太子のお父さんになります。在位2年、疫病による病死とされています。天皇が疫病で病死するほど、用明天皇が即位した当時は全国各地で疫病発生が頻発していました。当時は仏教伝来が示すように、朝鮮・大陸からの文化の流入、渡来人の渡来・帰化が活発化してきた時代で、疫病もこの影響が大きかったようです。当時は越前国だったこの地でも疫病が発生し大変な被害を出したそうです。
当時の越前国は敦賀から北の福井県と石川県の大国で朝鮮からの入国ルートの一つであり、都から近からず遠からずの大国で、現在の天皇家の祖とも云える継体天皇(26代)の出身国・勢力母体(生まれは近江と云われています。)であり重要視されていました。

疫病発生を憂い、宮中で祀られていた菅生石部神を遷座して、疫病鎮護と五穀豊穣を祈願したのが始まりとされています。菅生石部神は、医術の神とされる少彦名神(すくなひこな)三神を総称した総称神の二説ありますが、神社や史学では後者が有力とされています。
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菅生石部神の三神は、、、、
日子穂穂出見命(ひこほほでみのみこと)  ・・・古代神話の海幸山幸(うみさちやまさち)の山幸彦になります。天孫降臨の邇邇芸命(ニニギ)と木花開耶姫(このはなさくやひめ)の間に生まれた三兄弟の三男。日向に住み高千穂を治めていたと云われています。このため正式な名は天津日高(あまつひたか)日子穂穂手見命。でも山幸彦、火遠理命(ほおりのみこと)の名で知られています。

豊玉毘賣命(とよたまびめのみこと)      ・・・海神の娘。鰐鮫、龍の化身。海で兄の釣り針を失くした山幸彦を助け、その縁から妻となって、鵜葺草葺不含命を産んでいます。見ないという約束を破られ山幸彦に出産での正体をみられ、父の海神オオワダツミの元に子供を残して帰っています。豊玉姫(トヨタマヒメ)

鵜葺草葺不含命(うがやふきあえずのみこと)・・・山幸彦豊玉姫の間に生まれた子。海に帰った豊玉姫にかわり、姫の妹の玉依姫(たまよりひめ)によって育てられます。ニニギ・ホオリの跡を継いで日向(日高)、高千穂を治めたと云われています。育ての親である玉依姫と結婚して4人の子を生しています。その末子が神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)。長じて東征を行い大和に移って初代天皇となった神武天皇になります。
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つまり、菅生石部神は天皇家で祀られていた先祖神ということになります。このため朝廷からの信奉も厚く正親町天皇(安土桃山期)の代まで、年二度の勅使参向、御衣神宝の奉納が行われていたそうです(旧国宝・重文、正親町天皇宸翰)。
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越前国時代は越前三の宮とされていました。ちなみに、現在の越前一の宮は気比神宮、二の宮は剣神社(織田剣神社)、大塩八幡宮が主張しています。
弘仁14年 (823年)に加賀国が立国した際に、加賀二の宮になったとされています。ちなみに以前ブログで書きましたが、一宮制は多分に時の流れという由緒や神社の勢いが影響します。加賀国では、一の宮は白山市の白山比咩神社と小松市の石部神社が双方主張、二の宮にも金沢市粟崎の小濱神社が主張しています。しかし、由緒、規模ともに菅生石部神社が一の宮をも上回るものもあり、個人的にはこちらが今も昔も二の宮として有力だと思います。
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平安末期以降に神社の在った敷地村は北野天満宮の社領地となっていました。このため神社には菅原社が置かれ別名で敷地天神(しきぢてんじん)とも呼ばれていました。江戸時代になると菅原道真を祖先と尊称する加賀前田家が統治するようになると、ますます天神社として発展します。
元和5年(1619年)三代加賀藩主・前田利常は愛妻・珠姫が産んだ三男・利治の成長祈願に、珠姫の嫁入道具調度品の蒔絵角赤手筥(重文)・黒地葵紋散蒔絵雛道具を寄進しています。このことから、利常が息子たちへの分藩を前々から考えていたのではないかと推測されています。利治が大聖寺藩主となった際には形見分けとして、珠姫の菩提寺・天徳院から寺宝が贈られたことが伝わっています。また大聖寺藩からの寄進も多く、寺宝が多いことでも知られています。
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ちなみに寛永16年(1639年)、大聖寺藩が成立して利治が初代藩主になった際には、利常は能衣装を贈っています。大野湊神社に舞殿を造った兄・利長の影響か利常は能・狂言にも造詣が深く、金沢城内や隠居城・小松城の北に創建した小松天満宮にも舞殿を設けています。この影響もありこの神社にも舞殿があります。
金沢ではその後(5代綱紀以降)も能・狂言師を抱え、町役者も保護育成していました。これが現代能楽の加賀宝生流や狂言の野村万蔵家に繋がっています。そして、ここ大聖寺でも能楽が親しまれています。
天神講の時には舞殿で稚児の蝶の舞と共に、能も披露されています。昨年(H27)ですが江沼・大聖寺に所縁の能「敷地物狂」「実盛」「ゆみづき」が演じられていました。
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大聖寺藩となってからは一層大聖寺前田家からの崇敬を受け、7月24~26日の三日間行われる天神講では、藩祭として中日には藩内を仕事休みとして、江沼郡内の住民全員を参拝させていました。ちなみに現在でも人気を集める菅生石部神社天神講は天神信仰以前から行われている行事が名称を変えた物と云われていますが、神社では初日のマコモで作った茅の輪を潜る「夏越えの祓」で始まり、マコモで作った竈に悪霊を封じる「疫神塚神事」、最終日に釜湯で清める「湯の花神事」が行われ、期間中に訪れる人は人形(ひとがた)を修めることが習わしになっています。
このように江戸時代には前田家の保護により神社が賑わい、それと共に神社門前の街道の両側に木綿商店や
菓子店が立ち並び「敷地茶屋」と呼ばれて賑わったそうです。
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先日(2/10)、TVの全国版に菅生石部神社の祭礼が流されていました。御願神事(ごんがんしんじ)、別名、竹割り神事と呼ばれています。。こちらも石川県無形文化財指定の変わった祭礼です。社伝によれば。。

白鳳5年(677年)、宝祚窮国家安泰御立願により、治世にも乱を忘れないようにと、山幸彦の炎出見尊(ほほでみのみこと)と、兄で海幸彦の酢芹尊(すせりみこと)の神軍(たたかい)にならい、尚武の道を忘れぬための行事とされています。

青壮年、数十人が2メートル余りの竹、約300本を境内で地面に叩きつけるというものです。なかなか勇壮で激しい神事で人気があります。叩きつけて割れた竹は、縁起物として持ち帰る人が多くいます。天井裏に置けば雷除け、玄関先ならば魔除け、箸にすれば身体健康・病気平癒・虫歯予防の御利益があるそうです。
更に長さ20メートル・太さ30センチ・重さ180キロの大蛇に擬した長縄を境内で引き回し、最後は敷地橋から大聖寺川に放り込み流すという、これまた荒っぽい祭礼が続きます。
昔は二組に分かれて竹で殴り合ったり、長縄で綱引きをして勝敗を決めていたそうですが、今は勝敗の優劣はありません。これも時代の流れですねえ。。

他にも、境内の舞殿では、天神講の三日間、少年稚児が華麗な蝶の姿に扮装して「蝶の舞」を舞ったり、全国的にも珍しい祭礼があります。2月、7月に機会があればぜひ観て欲しい神事です。僕も2.3度しか観ていませんが、また訪れたいと思っています。
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参拝は夕方の陽の沈む寸前に訪れたため、薄暗い感じですが。。。。
街道から石段を登ると立派な神門が迎えてくれます。この神門は文政8年(1825年)に完成したものです。
大聖寺藩主を始め、有力町人、あらゆる階層の大聖寺藩内からの寄進を集め、加賀・大聖寺両藩の大工棟梁を集めて3年の歳月をかけて完成したものです。設計・施工は、江戸期の加賀藩の有名寺社の建築を手がけた山上善右衛門嘉広の系統で、七代目山上善右衛門吉順。
ちなみに山上善右衛門嘉広は以前のブログにも紹介していますが、北陸唯一の国宝建築・瑞龍寺をはじめ、妙成寺気多大社小松天満宮那谷寺など北陸を代表する寺院建築を手掛けています。七代目吉順は、この神門の他に高岡の瑞龍寺の総門や伽藍の再建を手掛けています。
神門は総欅造りの二層楼門。屋根は完成当初は桟瓦葺きでしたが、昭和5年(1930年)の総修理で銅板葺に替えられています。

菅生石部神社社殿は神門の修理と並行して、10年がかりで昭和13年(1938年)にi新築・改築されたと伝わっています。神門を潜ると左手に手水舎、右手に舞殿を観ながら参道を進むと正面に拝殿があります。拝殿左手(西側)に稲荷社、右手(東側)に白山社(鎮座社、江戸期には菅原社が並立していたようです。)が置かれています。この両社があるように中世から五穀豊穣と武運長久ということで、篠原の戦いで平家軍を破り京へ進軍した源義仲・加賀守護職の富樫昌家・昌家が仕えた室町幕府2代将軍の足利義持・佐々討伐に向かった豊臣秀吉・大聖寺城主の山口玄蕃、そして加賀藩前田家、大聖寺藩前田家の尊宗や寄進を受けていますが。。
創建の第一理由の疫病退散、病気平癒の御利益は一般市民にまで知られていました。江戸期には神門から入って真直ぐに拝殿に参拝して一切振り返らずに、東門を潜って帰ると、病が癒えると云われていたそうです。
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もう一つの五穀豊穣を司る稲荷社。拝殿と社務所を繋ぐ空中回廊の下を潜っていきます。チョット背の高い人は頭に気をつけましょう。稲荷社は社内でも一番古い造りかも。。特有の赤鳥居、社殿も趣があります。
神社としての敷地面積は県内でも白山比咩神社に次ぐ広さを誇っています。暗くならなかったら、もっと長居をしたんだけどなあ。。
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長く日本の首都だった京都には多くの寺社仏閣があり、それぞれに伝統と歴史を刻んできています。寺院で観れば本山となっているものが数多く存在します。これは寺院が布教や人との係わりが多く、人の集まる場所に移動するためともいえます。
神社も長い伝統と歴史を伝えていますが本社・本宮となると、発生場所が本社になることが多いことから。各地に広がる神社の本社・本宮は京都では意外に少なくなります。思いつくところでは、貴船神社、八坂神社、稲荷社(伏見稲荷)、愛宕神社くらいですかねえ。他に北野天満宮や出雲大神宮が本宮になっていますが、一般には大宰府、出雲大社という本来の本宮が在ったりします。
平安京以前からの本社・本宮となると古代の九州・出雲、ついで大和王朝に絡んで大和・大阪・滋賀・三重などの関西圏が多くなります。もちろん、信濃の諏訪大社、常陸の鹿島神宮他などが中部や関東にありますが、こちらも元はともかく、主祭神は日本神話の出雲や九州にルーツがあるのが多いですね。
こうしてみると、京都にある大きな神社に関しては、地方に伝播したものも多いのですが、多くが地方から移って来たものや分祀されたものが多いわけです。
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中世以前の京都から北陸を観ると、現在の敦賀以北は異国のような遠隔の地でした。時代と共にその距離は縮まっていましたが、南北朝・戦国期になってもせいぜい越前までが身近になった感じだったと思われます。
平安時代の弘仁14年 (823年)に最後の令制国として加賀国が分離独立したのですが、これも越前国府から遠隔すぎて行政が滞ったためと云われています。田地と人口が多く2年後に令制等級(大国13、上国35、中国11、下国8)も上国に格上げしていますが、遠国の感覚は変わっていませんでした。

そんな遠国の加賀に本社がある京都の神社と言えば白山神社が挙げられ、総本社は白山比咩神社になります。このブログでは何度も登場していますが、京都にある白山神社は安元事件(安元2年(1176年))の置き捨てられた白山神輿が発祥のルーツになっています。

この白山神社よりも古い歴史を持つ加賀が本社の京都の神社がもう一つあります。その本社は今回の菅生石部神社になり、北山の金閣寺の入り口近くにある敷地神社がこれに当ります。
敷地神社は別名・わら天神宮と呼ばれて、京都では安産の神様として知られているそうです。安産御守の藁(わら)で男女を占うことから前述のわら天神宮の名の由来があるそうです。
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天長8年(831年)、北山に氷室が造営されたのですが、その夫役に加賀の住人達が移住していました。その住人達が地元の菅生石部神社を分霊勧請して分社(敷地社)を氏神として北山の西麓(旧衣笠村・現衣笠氷室町)に祀ったのが始まりでした。その後、応永4年(1397年)、室町幕府三代将軍・足利義満が北山に北山第を造営する際に、参内の邪魔になるということで、同地に在った地元信仰の天神地祇社と敷地社を合祀して敷地神社として、現在地に遷座させたものです。

菅生石部神は前述の山幸彦・豊玉姫夫婦とその息子ですが、敷地神社では山幸彦の母・木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)を主祭神と改めています。木花開耶姫命は、夫ニニギに対する疑惑解消・誓約のために海幸彦・火須勢理命(ほすせりのみこと)・山幸彦の三人を火中出産で産んだとして知られています。木花開耶姫は富士山信仰の浅間神社の主祭神ですが、移住した住民たちの子孫繁栄を願ったためとも、氷室管理から火山を鎮める水や氷の神として崇拝したとも推測されます。



旅行日 2015.11.20

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この記事へのコメント

  • がにちゃん

    海彦 山彦 懐かしい 小学3年 学芸会の劇でした 私はその他大勢のお魚さん(笑) その頃は大きな声が出せなくて 役降ろされましてん(^_^;)  
    菅生石部神社 とても読めませんね  古くからの神社や地名は本当に読めない・・・(^_^メ)   
    でも、なんだか雰囲気のある神社ですね
    2016年02月19日 18:49
  • つとつと

    がにちゃんさん
    学芸会。。そういえば、僕もキノコや木の役が多かったような。人見知りでしたからねえ。。娘は保育園の時おばあさん役で長いセリフだったなあ。。しっかり、言えてて驚いちゃった@@
    ばらばらだと菅生、石部ともに地方ではあるんですけどねえ^^2.7月の祭礼は特殊でにぎやかです。機会があったら楽しいですよ^^
    2016年02月20日 16:04
  • まだこもよ

    前は(若い頃は?) そんな事を思わなかったけど 最近このような歴史がある神社仏閣を見ると 「魂」を感じるような気持ちになりますね。だから しっかり手を合わせて頭を下げてしまいます。
    2016年02月21日 08:49
  • つとつと

    まだこもよさん
    子どもの頃は神社は探検ごっこや忍者遊びや、虫取りとかかっこうの遊び場で、神殿や拝殿の屋根に登ったり、狛犬に跨ったり、好き勝手に遊んでいましたねえ。
    で、中学、高校と歴史が好きで、神社仏閣に触れるようになると建物や神像、仏像を観るようになって、子供が出来た頃からですかね。。手を合わせて頭下げるようになったのは^^
    2016年02月21日 10:49
  • minoc

    京都では安産の神様として知られている「敷地神社」は
    別名・わら天神宮と呼ばれるそうですが、安産御守の藁で
    占うことに由来するとか。
    そういえば、昔話に藁から生まれた男の子のことを、
    なにかで読んだことがあります。
    朱塗りの鳥居に、巻物を咥えたコンコンさま。
    こどものころ見た絵本が懐かしくよみがえります。
    2016年02月24日 15:17
  • つとつと

    minocさん
    全国にはいろいろな神社があって、いろいろな特色が見られます。
    その神社がその地域や地区に根づいたものが多くあります。僕の住む北信越にも神社の数が非常に多く残っていて、旧の村や部落ごとに残っています。その一つ一つに逸話や伝話が残っています。子供のころ聴いていた話も、大人になってその地に立ってみるとまた違った感慨が浮かびますねえ。
    昔話の絵本は、今でも覚えています。飴買い幽霊や猫の化け鼠退治は、特に印象的で金沢に戻った際に何度か舞台に行ってます^^ちょっとしたミーハーですね^^;
    2016年02月24日 20:38
  • まだこもよ

    ブログの内容と 関係無いですけど
    私のブログに コメントを いただいていたのを
    見落としていて お返事が大変おくれてしまいすみませんでした。お返事書いておきましたので
    よろしくお願いします🙇⤵
    2016年03月20日 12:57
  • soma上越

    久しぶりに拝見させていただきました!
    寺社仏閣巡りは好きでしたが最近行けていないのでまた巡りたくなりました!
    端末から自分のブログを管理するのが難しくなってしまい随分と放置してしまって…
    パソコンが使えるようになったらまた管理しようと思います!
    コメント失礼しました( ˇωˇ )
    2016年04月04日 09:36
  • go

    つとつとさん、おはようございます、林道情報ですが、犀鶴線の鶴来上水道の上から獅子吼峠までは通行できますよ。
    昨日、峠の頂上まで行って来ました、途中の路上には小石がパラパラと落ちていますがそれを避けながら通行できました。
    峠から先は土砂崩れで通行不能ですので通り抜けは出来ません、友人からの情報で菊水側から入ろうとしたら犀川ダムのバックウオーターの発電所の近くでゲートが有って入れないそうです、つとつとさんはすでにご存じで私の情報は古いかも。
    2016年04月14日 06:43

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