黒壁山薬王寺 九萬坊権現

ずいぶん前になりますが、金沢に伝わる天狗伝説を紹介しています。その天狗というのが九萬坊大権現。額団地の頂上にある満願寺山にある九萬坊権現が著名です。
他にも前田利家の墓守寺・桃雲寺。三代藩主・前田利常の正室・珠姫の菩提寺・天徳院。他にも利家の六女・菊姫の肖像画を伝える寺町の西方寺など、前田家所縁の寺院に伝えるものが多くあります。その主人公が九萬坊大権現という存在になります。
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九萬坊には幾つか逸話があるのですが加賀藩絡みでは、九萬坊は金沢城の本丸の森に住んで、辺り一帯に勢力を誇っていたと云われています。前田利家が金沢に入城した際に、九萬坊を追い出して金沢でも山間地の一つ黒壁山の奥地に封じ込めたと云われています。
九萬坊を追い出した利家は跡地を切り開いて、本丸御殿・天守台を築いたと云われています。ところが、九萬坊の怨念か、主には度重なる落雷によって天守・御殿は幾度も焼け落ちています。金沢城公園に訪れたことがある人には解ると思いますが、現在の金沢城の本丸は広い城域の中でも南面の高台で城内を見渡せる好位置に在りながら、何にもない場所で観光客の人もあまり滞留しない裏寂しい場所になっています。
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五層の天守が慶長7年(1602年)慶長の大火で焼け落ち、跡地に三階櫓が天守替わりに建てられたのですが、寛永8年(1631年)寛永の大火で三階櫓・殿様屋敷が焼失、ついにこの時で本丸が放置されて二の丸に御殿が移されています。以降、本丸には目立った建物は建てられず庭園となっていた時期もあったようですが、江戸期も城内の森として人が寄りつかない地になっていました。
前田家では本丸の伝説や不幸から九萬坊を怖れ敬い所縁の寺院にも九萬坊大権現を祀っていたと云われています。
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年表から振り返れば、金沢城(尾山城)の前身は金沢御堂(尾山御堂)と呼ばれた北陸真宗門徒の本城があった地です。金沢に浸出した佐久間盛政は、加賀での最大敵対勢力の尾山御堂を徹底的に破壊して尾山城を築いていますし、後に入城した前田利家も城周辺の真宗関連施設を破壊して、町並みを大きく変えて客将・高山右近に城の外構えを完成させています。
また白山麓を越える真宗勢力の拠点の医王山系の真宗寺院や他宗寺院を破却しています。唯一遺されたのが、九萬坊大権現の入り口になる薬王寺だったと云われています。真宗勢力の鎮撫・慰霊の意味もあったようです。ただ、仏教の真宗と山岳信仰の天狗が結びつくのには疑問が多く、真相は闇の中ですが。。。
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ちなみに、真宗の尾山御堂の前時代には、真宗勢力に潰された富樫氏が金沢寺という寺院を建立していたという伝承もあります。以前、紹介した満願寺山には富樫家武将が隠れ住んだ富樫大明神がありますが、黒壁山から金沢にやってくる九萬坊は満願寺山を越えて富樫の本拠(額・高尾・富樫地区)に降りていたと云われています。富樫家の残党・慰霊説も根強くあります。こちらの方が仏教の真宗門徒より説得力はあると思いますけどね。
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九萬坊に関してはもう一つ伝承がありまして山岳信仰に繋がるものです。北陸や岐阜の山々の開山伝承には必ず登場する泰澄上人(越の大徳)に関係するもの。
養老元年(717年)白山開山を行った泰澄が医王山登頂のために黒壁山で修行中に出会ったというものです。白山開山を祝うために泰澄の前に現れた三権現の一人とされています。卯辰山に九萬坊権現(金峰山寺)がありますが、寺の名の元の金峰山は役小角を祖にする修験本宗の総本山になります。三権現は吉野関連の山岳修験者だと云われています。三権現はたぶん吉野山関連の山岳修験者だと思うのですが、その後は医王山系を中心に多くの寺社が造営されて祀られていました。
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ちなみに金峰山寺は世界遺産の指定を受けている「紀伊山地の霊場と参詣道」の一角となる吉野山を構成する寺院です。今は分離していますが、江戸期までは山上の大峰山寺と一体で存在していた修験道のメッカ的存在です。今年(H28)、秘仏・蔵王権現像が10年振りに公開されるそうです。
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室町時代になると北陸に真宗が出てきて、教勢を広めたのが医王山系と砺波地区で、白山・医王の寺院と重なることになります。5代・棹如の頃には真宗も白山信仰と共生を図っていましたが、戦国期に差し掛かると真宗門徒が台頭し白山・医王門徒との反目が増え、争乱となって多くの寺院が破却や衰亡となってしまいます。
加賀藩時代には医王山寺・薬王寺などを除きほとんどが姿を消していました。と、いうのが現在の薬王寺の縁起になっています。
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黒壁山の近辺は江戸時代には不気味な現象が起こる魔所として近づいてはならないと言い伝えられていました。また九萬坊自体も魔物・妖怪の類として怖れられていました。元々、加賀藩では九萬坊を封じた南南東の方角は不吉な方角とされていました。これを祖先に防いでもらうために黒壁山の手前・野田山に墓所を置いたとも云われています。
ところが、伝承とは逆に前述した前田家所縁の寺院、額の九萬坊大権現、東山の金峰山寺など金沢には一般民衆にも、逆に信奉や愛着も受けていて謎の天狗・権現になっていました。
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ちなみに、金沢城の不吉な方角とされた南南東の線上にはもう一か所、江戸期に魔所とされていた知る人ぞ知る場所があります。それが笠舞にある猿丸神社になります。猿丸神社の由来は古今和歌集に載る三十六歌仙に数えられる猿丸太夫の住居があった場所と伝えられるところから名付けられたと云われています。ちなみに猿丸太夫は知られているわりには謎の多い人物で全国に由緒の場所があり、額田王との問答歌で有名な弓削皇子、山背大兄王の三男・弓削王、小野氏の祖・小野猿丸、弓削氏の由来で道鏡、更には柿本人麻呂などに同一視されています。正史に名が無くあだ名か別名と思われますが、古今和歌集の序文に当たる紀貫之が書いた真名序に出てくることから以前から知られていた歌人だと思われます。太夫は五位以上の高級官僚の別称の為、高位の人物なのは確かのようです。

現在の猿丸神社は、金沢の東郊外から片町のスクランブルに繋がる主要道路と金沢南から下菊橋を渡って鈴見に向かう道路が交差するため交通量が多く賑やかな通りですが、江戸期には荒涼とした荒野で、その中にぽつねんと社壕が存在した神社でした。しかもこの辺りでは珍しい白山神の化身とされた十一面観音像を本尊として伝える神仏混淆の地でもありました。
人家も少なく荒野の魔所として訪れる人も少なかったのですが、この神社は丑の刻参りの呪詛の効能があるとして古くから伝わっていました。杉や欅に人形を釘で打ち込んだ痕跡が今も残っています。近所の奥さんに聞いた話ですが、戦中後期にはスターリンの名を書いた藁人形に杭を打ち込んでいた人が居たそうです。
ちなみに九萬坊の奥の院や満願寺山の権現堂辺りも丑の刻参りが行われた地だと云われています。
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話が脱線してしまいましたが、一向一揆により白山信仰の寺院が破却や衰退を極めた後、加賀藩では金沢城本丸に在った九萬坊の祠を黒壁山の麓に遷したのですが、これが前田利家が封じ込めたと伝承になったと云われています。また、度重なる金沢の大火はこの地から富樫・満願寺山越えでやってくる九萬坊の魔力として怖れ、お留山として一般人の入山を禁止していました。しかし、九萬坊の魔力以上にその霊力を信じた人も多く、祠前で剣術の修行や刀の祓いをするとご利益があるとして多くの武士が訪れ、ついには年二度の武術大会が開催、前田家の祈願所にもなったとされ、霊水が病気平癒にも強いとして祠にまで多くの人が訪れていたと云われます。
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明治になり廃仏毀釈の嵐はこの地にも及び、祠は破却され、岩壁の巨大な権現像も削られたと云われています。
その間には泉鏡花の作品にも恐ろしい魔人として描かれるなど、再び九萬坊は邪神であり魔所として近寄ってはならないとされ人跡未踏の地になっていました。
明治31年前後にこの地に修行者として棲みついた松本某が、桃雲寺、満願寺山に権現堂を再建。明治36年(1903年)に黒壁山に祠を再建、参道の入り口に当たる現在地に天台宗・黒壁山薬王寺を再開山して現在に続いています。
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参道は金沢市の南部を流れる伏見川に沿って山間を縫うように進みます。当日はまだ雪が残っていて滑りやすく、雪に足を取られる道でしたが、思ったよりもすんなりと行けました。それにしても伏見川の流れの音以外何も聞こえない静寂は金沢最強の魔所と云われる所以ですねえ。。
奥の院の祠は参道から2.30m程上部の崖面に穿たれた洞窟のような場所になります。登りは大きな玉石が敷き詰められており滑りますから要注意!!ちなみに、雪が多くて登りませんでしたが、この祠の上部を更に登ると修行中の泰澄の前に、九萬坊・八萬坊・照若坊の三神が姿を現したという場所があります。

祠は毎日、薬王寺の住職や夫人によって清掃されています。祠内から外を観ると静寂な山並が迫ってくるように見え、柏手も祠によって大きく反響し自分で打ちながらもドキッとさせられます。まだまだ残雪だらけの冬場には祠は寒いの一言。。。以前来た時のように夏に来るべきだと、つくづく思った僕。。やはり、春夏の緑、秋の紅葉時が良いかも^^;それはまたの機会に^^;

追伸 これまた、2月に途中まで、下書きしていたものです。季節外れで申し訳ありません。

旅行日 2016.02.12








この記事へのコメント

  • がにちゃん

    金沢城に行っていつも思っていたのです ここの天守閣はきっとすごかったんだろうなぁって  九萬坊が・・・怨念ですか
    鞍馬山の天狗さんより凄い力持っていたのかなぁ
    2016年06月02日 11:45
  • つとつと

    がにちゃんさん
    築城時には五層の天守があったそうですが落雷で焼失。江戸期になって、計画はあったようですが、幕府に遠慮して三階櫓に留めたようです。ただその櫓も焼失。たぶん小松城の天守と同じようなものだったと想像されています。
    冬の落雷は北陸特有のものですから。。とにかく金沢城は火事に何度もあって焼失していて、正直呪われてるなと感じていたかもしれません。
    鞍馬の大天狗は天狗界の総元締。九萬坊は一匹狼。位なら確実に鞍馬ですねえ。霊力ははてさて。。
    2016年06月02日 12:30
  • go

    おはようございます、前田家が尾山城を築く前にそのに居た九萬坊を追い出して山奥に封じ込めたということは前にもつとつとさんの記事で見させていただきました。
    黒壁山の九萬坊権現には行ったことが有りますが、額の満願寺山にある九萬坊権現には行った見ようと思ってはいますが未だ行けていません。
    不吉な場所と云われればたしかに黒壁山の九萬坊にはあまり行く人が無いようです、諸説あるようですが九萬坊とは何だったのでしょうね?、神道か、佛教がらみの集団ではなかったかという思いは強いのですが、富樫一族の残党の説も捨てきれないですね。
    2016年06月05日 08:27
  • つとつと

    goさん
    額団地の九萬坊権現に行って観ると、高尾城からの位置関係、満願寺山の登山道を考えると富樫関係は捨て難いものになりますねえ。
    ただ、あの団地の天辺に登るのは車だと躊躇しちゃいます。冬場は団地の人は下に駐車場を借りて徒歩で上り下りしている人もいるそうですよ。
    でも、加賀平野の景色は素晴らしいですよ^^神社とお寺が融合したような珍しい形態でちょっと変わった雰囲気です。大乗寺の給料公園のアジサイ鑑賞のついでに立ち寄ってみるのも一興ですよ
    2016年06月05日 11:39
  • まだこもよ

    暑くなった頃に 「雪」を見るのも 涼しくなって いいのでは?(あまり気にしないで!)
    ちなみに…一枚目の写真が神秘的で いいですね!(偶然でしょうけど?)
    2016年06月07日 16:56
  • つとつと

    まだこもよさん
    鋭い^^;全くの偶然です^^
    でも陽気が漂ってるように見えるでしょ^^
    暑い日が続いているんですが、冬になると雪が積もるんだから北陸はやっぱり雪国
    でも、是でも少ない方で夏は水が大丈夫かなあ
    2016年06月07日 21:24
  • tor

    河童と天狗についてのネタがあり、つとつと様のブログを拝見していて辿り着きました。なるほど金沢城に天守閣がないのは、九萬坊の怨念ですか・・・?石川門とか立派な建造物が有るので天守閣はどうだったのだろうかと気になっていました。ちなみに加藤清正に熊本球磨川を追われ久留米筑後川へ移住した河童の親分は「九千坊」と言います。天狗の方が1桁上ですね(笑)。久留米市にはちょくちょく行っているのでそのうちご紹介しますね。
    2017年10月11日 22:02
  • つとつと

    torさん
    河童の親分で九千坊ですか@@ 一桁違いですねえ^^;何か所縁がありそうな名前ですねえ 云われて思い出したんですが、以前に焼酎で「河童九千坊」を嫁さんの実家で観たような。。九州の限定品だといってましたが、久留米だったんですねえ
    金沢最強の魔所と呼ばれているのがこの地なんですよ^^怖いもの見たさの時は是非^^
    2017年10月12日 06:28
  • tor

    麦焼酎「河童九千坊」ですね。久留米田主丸の紅乙女酒造の焼酎ですね。限定品みたいですね。九千坊は筑後川の田主丸辺りに移住したようで河童の町です。JRの駅舎も河童ですよ。蒸留所の背後にある耳納山地を越えると八女市星野村。私が登山の帰路見かけた「懐良親王御陵」がありますよ。九千坊は八代から田主丸へ、懐良親王も八代陥落後こちらへ移られたとの説も。
    2017年10月12日 22:12
  • つとつと

    torさん
    なるほど。。たまたま面白い名前だと記憶に残っていましたが、新潟でどこから久留米の酒を手に入れたんでしょうか^^;酒飲みの家は・・
    河童とか天狗、土蜘蛛などの妖怪伝説には、古くの抵抗勢力の存在を示すものが多いのですが。。ご当地でないとなかなかわからないようです。
    2017年10月14日 10:04

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