実性院①

昨昨年、訪れるのが遅れて白い花を見られなかった実性院でしたが、昨年は予定が狂ってこられず、今年は大丈夫と思って伺いましたが、今度は逆に1.2週早すぎた1分咲きといった感じです。花の時季に合わせるのは本当に難しいですね。
画像
実性院は大聖寺藩主・前田家の菩提寺になります。本堂横には御霊屋に歴代当主(初代~14代)の位牌が納められ、左手の参道から裏山に登ると山頂付近に、歴代藩主の墓所があります。大聖寺藩は加賀藩主三代・前田利常が三男・前田利治を7万石で分藩したことから誕生したものです。
大聖寺藩は廃城だった大聖寺城を本城としては使用せず、麓の大聖寺川沿いに陣屋を構えて政庁としていました。
画像
文政4年(1821年)10万石に高直しを行い大聖寺10万石となり、陣屋持ち大名としては最大級になっています。ただ、高直しというのは、実質石高はそのままで表高を引き上げたもので、最後までこのギャップに苦しんだ藩でもありました。前回、実性院を紹介した時に大聖寺藩の歴代藩主を簡単に紹介していますので、興味のある方はどうぞ・・・ 山ノ下寺院群② 実性院(H27.11.03)
画像
実性院の前身は宗英寺という大聖寺家臣・玉井市正が建てた寺院でした。万治3年(1660年)初代藩主・前田利治が江戸屋敷で亡くなった際に遺体を大聖寺まで運んで荼毘に付したのですが、発足間もない大聖寺藩(寛永16年(1639年))では、まだ菩提寺がなく新しい曹洞宗寺院は宗英寺(正保元年(1644年))しかなく、仮安置という体裁をとっていました。翌万治4年、現在地に寺院を建立して寺名を利治の法名から実性院と改めています。
画像
現在の寺院建物は、本堂は創建当時のものですが何度も改修や修復の手が加えられているそうです。また曹洞宗特有の屋根付き回廊で結ばれた庫裏や書院は江戸後期の建物だそうです。。現在は左右に石柱が立っていますが、元は開創期の大掛かりな山門が建っていました。しかし、昭和23年(1948年)福井地震によって倒壊し、再建はされなかったそうです。



実性院の前庭園の萩は数株の赤もありますが、2000株の萩のほとんどが白になります。満開時には白い花の庭園になります。今回は前回とは逆に早すぎましたが。。。ちらほらとは咲いていましたのでその余韻を。。。
前庭園には、白漆喰の塀と西国三十三観音の石仏が配されていて、白の萩の花にマッチしています。できれば満開に訪れたかったなあ。。。
画像
画像
画像

画像
画像
画像

画像
画像

画像

萩の花の紋様は御霊屋の板戸にも配されています。ハートマークに観えますね
画像
画像
画像

画像
画像
画像
前回のブログでは、UP出来なかった裏庭の泉水庭園です。大書院の縁側から望むことができますが、座って眺めていると物音ひとつしない世界に、ついつい庭園の石塔などに引き込まれてしまいます。この縁側からも御霊屋が観られますが、この寺院が御霊屋を中心に建てられ庭園が浄土を表しているように思われます。
画像
画像
次回は、実性院の本堂・御霊屋の内部をご紹介します。江戸期の加賀・大聖寺藩の工芸が随所に垣間見られます。







旅行日 2017.09.12

この記事へのコメント

  • がにちゃん

    どっしりとした良い雰囲気のお寺ですね
    白萩の寺なのですね
    きれいですよね 白い萩

    2017年10月04日 15:19
  • つとつと

    がにちゃんさん
    9月に行くと見どころの多いお寺です。もう一週遅くいけば、満開だったようです。無、無念。。
    建物も江戸期の造りで、内部は特に重厚な造りです。九谷焼の地元ですから書院には明治期の再興九谷や近代の白磁を重視したものも観られます。
    次回にまたUPしますが、藩主の位牌も加賀蒔絵の豪華なものです。加賀温泉のついでに訪れると、とても良い場所ですよ^^
    2017年10月04日 17:29
  • tor

    何の花だろうと思っていました。萩の花だったですね。一斉に咲くと見事でしょうね。秋の七草。季節は秋てすね。今日は「中秋の名月」。本当にどっしりとした立派なお寺ですね。板戸のハートマークが良いですね。猪目がひっくり返ったハートに見えて…。先日ハートを探すと良縁に恵まれるという神社で猪目はハートにカウントすべきか迷いました。こちらはハートですね。地図に九谷焼美術館がありますね。
    2017年10月04日 22:20
  • つとつと

    torさん
    猪目は逆さまにすればハートマークですから数えてもいいんじゃないでしょうか^^昨晩、久しぶりに中秋の名月を綺麗に観ることが出来ました。何年ぶりだろうなどと^^
    大聖寺藩の初代が九谷で陶土を発見したのが古九谷の発祥になりますから、この九谷焼美術館は本地元といって良いものです。九谷焼は以前にも書きましたが、中絶した時代がありまして、その後復活が各地で施行されたので、場所によって微妙に変わります。この大聖寺を始めにして小松・能美寺井・金沢とみて歩くことをお勧めします。
    2017年10月05日 04:36
  • yasuhiko

    さすが藩主の菩提寺。
    本堂の建物、裏庭の泉水庭園など、
    落ち着きと風格を感じます。
    白萩が咲き乱れる頃の美しさが
    想像されますね。萩の紋様は初めて
    見ましたが、白萩の咲くお寺さんに
    ぴったりという気がしました。
    2017年10月07日 11:30
  • つとつと

    yasuhikoさん
    萩の花が満開の頃と思っていったんですが、1分咲きで翌々週に満開になったそうです。また見られずに終わってしまいました。
    先日の雨風でだいぶ建物が傷んだようで、あっちこっちに補修の痕がありましたが、重厚な造りは相変わらずでした。
    曹洞宗の寺院特有の各施設が屋根付き通路の回廊になっていますので、ゆっくりじっくりと廻って来れました。来年こそは花の咲き乱れる姿が観たいですねえ^^;
    2017年10月07日 14:43
  • 家ニスタ

    陣屋の大名で10万石とはすごいですね。
    しかし実質7万石で10万石の格式を維持するのは、大変だったでしょうね。
    名目10万石だったら、ぜひ大聖寺城を本城として使ってもらいたいところですが、財政的にはなかなかそうもいかないんでしょうね。
    まあ、大聖寺藩が城を使わなかったおかげで、遺構の残りがいいのかもしれませんが。
    2017年10月08日 11:40
  • つとつと

    家ニスタさん
    富山藩も10万石ですが、実高は30万と云われていました。それでも、藩の財政は火の車でした。大聖寺藩は実高に加賀藩の援助2万石、新田開発予定1万石を足して10万石にしていました。でも、加賀藩援助も最終的には金300両、新田開発は増えずで実高は7万石は変わっていません。格式を維持していくのがやっとで、とても城を作るなんて無理ですね。
    おかげでと言っては何ですが、家ニスタさんが観られたように大聖寺城も陣屋や居館のあった江沼神社の辺りは遺構が綺麗に残っています。次訪れた時は江沼神社の辺りも歩いてみてください^^江戸期の雰囲気が良く残っています^^
    2017年10月08日 15:05
  • ゆらり人

    とても風情のあるところですね。
    ここなら丸一日眺めて居られそうですし気持ちも穏やかになりそうです。
    今からの季節も色ずき始めると・・・・。
    何時もながらのきめこまかなレポートに感動しています。
    2017年10月13日 18:46
  • つとつと

    ゆらりさん
    ちょっと心残りは萩の花がまだまばらだだったことですねえ
    以前から何度か訪れているんで、いつもより分は抑えたんですが、その方が皆さんには読みやすいと思います。
    江戸時代から続く建物で、所々、ガタが来ているようですが、風情はとても良い場所です。歴史に関連した寺院が固まっていて、いずれも特徴的なもので、散策には打ってつけです^^
    2017年10月14日 21:36

最近のコメント