実性院②

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実性院は江戸期の建物ですが、内外部共に補修や改造の痕が多く観られますが、曹洞宗特有の屋根付通路の伽藍配置、本殿内の正側三方丈・広縁(大廊下)・露地(土間)は基本的な配置と景観を保っています。曹洞宗寺院は仏間・正方丈が派手なものが多いのですが、思ったよりも簡素な造りです。ただし、正方丈を仕切る柱、仏間の装飾柱は立派な木柱で側方丈、広縁から隔絶した雰囲気を感じます。

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曹洞宗は臨済宗・黄檗(おうばく)宗と並ぶ禅宗の一派ですが、禅宗は武家階層に広く広まっており大名家の菩提寺に広く広がっています。密教系の天台宗・真言宗や浄土系の法華宗・浄土宗・浄土真宗の内陣・外陣に比べるとはっきりと広間が区別されたものが多いのが特徴です。特に大名家が訪れる菩提寺には、この区割りが更にはっきりしてきます。法要や葬式では座る位置は身分や序列がはっきりしますから、正側三方丈の他に広縁・露地は更にこれを助長していると云われます。
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また、九谷焼の本家ともいえる大聖寺藩の菩提寺ですから、再興九谷・現代九谷の良品も展示されています。
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上:実性院門前 九谷絵皿参勤道中一里塚碑
中:再興九谷 赤絵大皿
下:実性院 九谷焼コレクション

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上:海部公子作 色絵水注ぎ 以前、ご紹介した洋画・陶芸家、硲伊之助(はざまいのすけ)氏の弟子に当たり、硲伊之助氏が作陶した吸坂窯を継いで、ご夫婦で製作活動を行っています。まだ嫁さんを連れて行っていないなあ。。あの美術館。
中:下:現代九谷 コーヒーカップ 古九谷が廃された原因の一つに、真っ白な磁器色が出せず傷つきやすいことがありました。この九谷の長年の悲願と言える限りない真白を基調にした色絵と、持ち易さを追求しているのが、大聖寺前田家が後援する現代九谷の一つ。。

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実性院の最大の見どころは、やはり歴代藩主の位牌が安置されている御霊屋と裏山の墓所になります。
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前田家は前田利家を祖にする加賀の前田本家、三代利常の次男・利次の富山藩、利常の三男・利治の大聖寺藩、利家の五男・利孝の上野(こうずけ)七日市藩の四家があります。


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この幕末まで続く四藩に共通することに、歴代藩主の墓所がまとまって存在することです。前田家は前田利家の意向もあったと思いますが、一族の連帯を重視した面が影響していると思います。ただし、七日市藩は定府大名の為、江戸の吉祥寺と上野・長楽寺に分かれています。



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本家の規模が突出していますが、四藩の連帯・親族関係は非常に強く、一例としては七日市藩祖・前田利孝は幼年期、芳春院が江戸に人質として入った際に同行し、成人後は大坂の陣の武功で七日市藩(1万石)を立ち上げた経緯があります。加賀本藩では七日市藩を本領安堵の功労者として尊重しており、参勤交代では必ず立ち寄り、敬意を表するのが決まりとしていました。
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本家・富山・大聖寺・七日市では血脈が途切れそうな際には、養子交換が行われており、本家16代当主は七日市12代の次男・利為。七日市11代は富山9代の八男・利豁(としあきら)。富山13代は本家13代の十一男・利同(これは政争からみですが。。)。大聖寺14代は本家13代の八男・利鬯(としか)、16代は本家16代利為の次男・利弘といった具合。本家は利為の先妻の子、大聖寺は後妻の子、両家の当主は同父の兄弟になります。ちなみにその前田利為は駒場の前田侯爵邸を建て、前田育徳会を設立して、戦後の前田家収蔵物の散逸を防いだ功績者として知られています。
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大聖寺藩は三代以降は藩主の江戸在府による領地不在、度重なる藩主の暗愚や若死、更には悪政により財政・政治には本藩に頼り切った面があり、四家の中では主従関係に近い関係から大聖寺では本家を重視しており、御霊屋には本家の歴代当主の位牌も安置されています。
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前田本家では墓所は野田山ですが、菩提寺(位牌所)は宝円寺と天徳院、更に二代・利長は瑞龍寺に分かれています。富山藩も墓所は長岡御廟ですが、菩提寺は富山市内の光厳寺と大法寺になります。
唯一、大聖寺藩のみが歴代藩主の位牌が御霊屋として一カ所に安置されています。
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前田家は明治になって曹洞宗から神道に宗旨替えしていますから菩提寺はともかく。。野田山の様に墓石や祠堂を取り除いたり、富山の長岡御廟のように仏式の法名を神式の宮銘に彫り直したりされていますが。。大聖寺では初代から14代まで藩主の位牌と墓所は手つかずのまま残っており、大名藩主の歴代位牌と墓所がセットで観られる貴重な存在です。 大聖寺藩主の簡単な略歴は前回に記していますので参照ください・・・山ノ下寺院群② 実性院
御霊屋の歴代藩主の位牌は、黒漆に金蒔絵を施した重厚なものです。五段作りの芸術性も高く一見の価値があります。
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絵画も時期的には俵屋宗雪(宗達の後継者)門下あるいは、その跡を継いだ喜多川相説門下と思われますが、金箔の上に描かれた鳳凰や獅子は、なかなかの迫力で、花鳥図は琳派の影響が窺えます。俵屋宗雪は狩野探幽と共に初代・前田利治の江戸屋敷の屏風絵を描いているそうです。ちなみに、加賀藩の江戸屋敷は本郷にあったことで有名ですが、大聖寺藩の江戸屋敷はこの加賀藩江戸屋敷の一部を間借りしていたと云われています。
修理の為か扉絵が一枚外してありました。前ブログに遠目ですがありますので、そちらを見てください。本来は緑の獅子が描かれていました。ストロボやライトを使えないので全体に暗い画像ですがご容赦を。。
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本堂須弥壇裏にも家臣団・子孫の位牌所がありますが、見事な紋所が眼を惹きます。

旅行日 2017.09.12

この記事へのコメント

  • がにちゃん

    前田家勢揃いですね   真っ白の九谷焼素敵ですね  古九谷も好きですね
    2017年10月08日 21:27
  • つとつと

    がにちゃんさん
    四藩出ましたねえ^^;後は、芳春院の化粧料だった近江塩津が出れば、全部埋まるんですがねえ^^滋賀にいた頃に何度か訪れているんですが、その頃は完全に忘れていて、あまり街中を散策していなかったんで、いつかゆっくり歩きたいと思ってるんですよ^^
    白を比べると、古九谷はちょっと黄味がかったもので、真っ白なキャンパスに色を書きたいという悲願が九谷にはあったようです^^
    2017年10月09日 10:29
  • tor

    実性院すごく立派な寺院ですね。宗派による違いも参考になります。歴代藩主の位牌と墓所が一か所にまとまってあるというのも結束の強さが分かりますね。白磁のカップは私のイメージする久谷と異なっていました。有田か?と一瞬思ってしまいました。
    2017年10月09日 21:02
  • つとつと

    torさん
    北陸は曹洞宗の永平寺・総持寺(明治初頭まで)という本山がありましたが、勢力が伸びたのはやはり前田家によるところが大きいようです。それでも、前田家の勢力圏が広がるほどに、曹洞宗寺院が広まっていますが、大聖寺には曹洞宗寺院の大きい物がなく、一から作成したために、基本に倣ったものが多いようです。加賀には浄土真宗が多いのですが、本堂の造りは両極端で内部に入ると一目瞭然の違いがあります。
    九谷は陶土の関係でしょうが、白身が薄いのが悩みだったようです。僕は真っ白より古九谷の色味は好きですけどねえ。。もともと有田と九谷は親子みたいな関係ですから似るのは仕方ないかと、、いまだに古九谷=有田焼説は根強く残っていますから。。と、言うより、強まっていますね。
    2017年10月10日 13:00
  • イータン

    こんにちは~
    実性院 立派な寺院なので驚きました。
    「実性院」に前田利家を粗とする四家がそうそうと勢揃いとは凄みを感じます 一族の結束力なのでしょうか。

    加賀は九谷焼きの伝展 再認識しました~
    イータンの頭の中には「九谷焼」=高価 そんなことがちらつきます。 
    2017年10月10日 15:43
  • つとつと

    イータンさん
    裏山に登ると藩主の墓地があるんですが、全国を探しても一つの寺院に歴代藩主の位牌と墓がセットで観られるのはここだけです。
    本当は萩の花を観に行ったんで、早すぎたので寺院と墓所を見て、山越えしてしまいました^^;
    九谷焼の発祥は加賀の奥九谷ですが、その後は加賀山中・山代・大聖寺の加賀地区、小松・能美地区、そして金沢と別れています。もちろん芸術品や缶商品は眼の玉が飛び出しますが、本来は日用品を手掛けるために始まったんですから。。。コーヒーカップや小皿の日用品は安価ですよ^^僕の灰皿なんか一応九谷焼ですが200円ですもん^^;
    2017年10月10日 16:50
  • yasuhiko

    曹洞宗のお寺の造りの特徴が
    よく分かって、興味深く思えました。
    以前、義父の葬式や法事が曹洞宗のお寺で
    行われたんですが、畳の広間がやけに広く、
    鳴り物入りのお経が、賑やかで
    派手だなという印象を持ちました。
    九谷焼きも色々ですね。作家さんの陶芸、
    現代九谷の作品などを見ていると、
    その大変モダンなスタイルに
    「九谷」である事を忘れそうです。
    2017年10月13日 14:00
  • つとつと

    yasuhikoさん
    同じ仏教でも宗派で微妙に本堂の造りは違ってきます。密教では須弥壇と祭壇以外は大きな広間ですし、浄土真宗は内陣と外陣の区別が薄いのが特徴です。
    禅宗は内陣を豪華にして柱で区分けしているのが特徴といえます。
    そうそう曹洞宗は鐘や銅鑼が打ち鳴らされますね。僕も祖父の時に、家は真宗でしたが、祖父の元は曹洞宗ということで両方の宗派が揃って(ああいうのはは後にも先にも一度だけ)、銅鑼の大きな音がなるごとにビクッとしました^^;まわりも真宗ばかりでザワザワ^^;たぶん、葬儀では曹洞宗が一番賑やかなようです。
    九谷焼は一度廃絶して、金沢・小松・能美・加賀と場所ごとに独自の再興と進化を遂げています。能美にはウルトラマンの絵皿やバルタンの置物までいますよ^^;
    2017年10月13日 23:06
  • go

    南の加賀方面へは深田久弥の山の記念館ぐらいしか行けていません、実性院は歴史的な物が沢山残っていて興味があります、大聖寺には藩政時代の歴史的な遺産も沢山ある様なので一度訪ねてみたいです。
    2017年10月14日 11:14
  • つとつと

    goさん
    石川県内でも加賀市は藩が違ったこともあり、独特な文化や遺構が残っています。更に山中・山代・片山津といった温泉郷を除けば、大聖寺の町は良い意味でも悪い意味でも江戸期の優雅さと古風さを持っています。
    特に山の下寺院群の一寺一寺にも興味深い歴史がありますよ^^ぜひ実証院横から登る墓所も観てください。野田山や長岡御廟と違った形態が観られます。
    そうそう墓所と言えば本光寺には深田久弥の墓もあります。ちょっと奥の方に行くと見られます。
    2017年10月14日 13:59

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