大乗寺丘陵公園

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ゴールデンウィークの真っ只中の貴重な平日 やっとこ、仕事のめどがつき始めた上天気のこの日
北金沢から小立野のお客さんを廻った帰り道、山側バイパスを通っての帰り道に立ち寄ったのが大乗寺丘陵公園。加賀藩前田家の墓所がある野田山の山稜を同じくする西端の丘陵地帯ですが、同じ丘陵に曹洞宗寺院・大乗寺があることからこの名称になっています。

東香山・大乗寺は、金沢では加賀藩主関係の宝円寺天徳院に規模は譲るものの、それ以上の歴史・地位・格式を持つ曹洞宗寺院です。加賀の曹洞宗総持寺派の旧本拠地・永光寺、総持寺の源といえる寺院です。
永平寺でも最高位とされる四門首の一つにも数えられています。ちなみに四門首は福井県大野市・宝慶(ほうきょう)寺、熊本県熊本市・大慈寺、京都府宇治市・興聖(こうしょう)寺とこの大乗寺なります。更に総持寺を開基した瑩山紹瑾(けいざんじょうきん)が二代目の住職になっており、近年では大乗寺山主だった板橋興宗(現・御誕生寺住職、ちなみにこの寺は近年、猫の寺として人気急上昇中の福井にある寺院です。)が、平成10年(1998年)総持寺貫主・曹洞宗管長になっており、永平寺・総持寺双方に重い関係を持った重要寺院です。
ちなみに管長は、二大本山(総持寺・永平寺)の貫主が2年交代で務めるもので、曹洞宗の実質的なトップになります。

大乗寺の開基は弘長3年(1263年)。安宅関の勧進帳における関守・富樫左衛門(泰家)の孫にあたる富樫家尚(いえひさ)が真言宗寺院として建立したのが始まりです。正応2年(1289年、他に1283・1291・1293など諸説があります)、家尚が永平寺三世・徹通義介(てっつうぎかい)を招いて禅宗に帰依、この時に大乗寺創建となったと云われています。
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ちなみに徹通義介は元々は日本達磨宗に属していましたが、道元が興聖寺で曹洞宗を開くと師と共に参加。日本達磨宗の合流は曹洞宗を大きく飛躍させています。その後は道元と行動を共にして永平寺(大仏寺)創建にも貢献しています。永平寺では開祖・道元、二世・孤雲懐奘(えじょう)を師と仰いでいます。道元の死後、入宋して各種儀式・清規(しんぎ、修行僧の行動規範)などを学んで帰国(懐奘の指示と云われています)。清規は修行僧の行動規範を定める規律と云えます。

帰国後に永平寺三世を継ぎ、道元とは別の儀式・清規を導入して現在にまで続く永平寺の規範を創成しています。しかし、布教方針による保守派と改革派の派閥抗争(三代相論)をまとめられず、師である中立派の懐奘が復帰、退去を余儀なくされます。(この時は、永平寺山下に庵を結んだと云われています。)懐奘死後に遺命により復帰していますが、再びまとめられず、加賀に改めて退去独立します。ちなみに保守派が残ったその後の永平寺は衰弱しますが、道元の兄弟弟子で永平寺第二道場の宝慶寺・寂円門下の義雲を五世貫主に迎えてから、方針転換、復興しています。この三代相論が現在の曹洞宗二本山制に至っているのです。

曹洞宗の二本山制を補完することになりますが、開祖・道元は純粋に正伝仏法を標榜して、禅修業の昇華と共に個人間の仏法伝授を旨としていて、教団を認めていたわけではありません。しかし、日本達磨宗の合流、永平寺という拠点を得てからは、個人修業をメインにした集団と教授を認めざる負えませんでした。とはいえ禅宗集団という呼称は認めず、とりあえず団体名を云う場合は「仏心宗」と呼称させていました。道元だけでなく他宗派の開祖と呼ばれる人たち(一遍・法然・親鸞・日蓮など他)も多少の考えの違いはありますが、自己の教義や修行を優先していて、個人的な弟子は持っていますが、あえて後継者や教団を造り上げようという意思はありませんでした。現在に残る教団というのは開祖の死後に排出された師の教えの後継を自称したり、宣伝活動に優れた者、曹洞宗でいえば瑩山・蛾山、真宗の蓮如といった布教や宣伝の天才の登場に寄ったものがほとんどです。曹洞宗の名も瑩山以降の名称です。
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開祖を失った集団は当然ながら、教義を残そうとすれば自らが後継として集団を残そうとします。集団を維持するには帰依者や収入を求める必要があります。永平寺でも道元の個人修業優先・外部との遮断を優先する本山保守派と修行の統一・外部布教を進める改革が衝突したわけです。改革派の代表が徹通義介だったわけです。あくまで両派は道元の教義や禅修業の考え方には同調するもので大きな差はありませんでした。ただ、個人修業優先か、布教や規範優先かの違いでした。

また前述の懐奘・義介の出身の日本達磨宗の本義は「禅修業の先に悟りの境地がある。」というもので、道元の考えは禅修業そのものが悟りだとしています。大きな隔たりは無かったのですが、道元の方が保守的と云えます。後を託された懐奘・義介は個人修業は重要だが、集団の維持には規律と布教が必要と考えたわけです。たったこれだけの差が、道元門下生の保守派と改革派の齟齬となって永平寺を分裂させてしまいました。しかし、曹洞宗に幸いしたのは、両寺の分裂後の二代目後継者に義雲・瑩山という人材教育と宣伝の天才が出現したということです。現在国内で最多の寺院数を誇る曹洞宗が二本山を維持して残った要因です。

最終的には永平寺も前述の義雲が本山重視ながら有力者や武家・貴族を中心にした外部布教に転じたのですが、結局は道元保守の永平寺派、市民や女性への布教拡大も図った総持寺派に分かれていました。この他に徹通義介と同時期に道元門下に参陣した寒巌義尹(かんげんぎいん)が独自に開山した九州本山・大慈寺 。総持寺の蛾山の弟子・無底良韶が創建した奥州本山・正法寺(岩手県奥州市)などが室町・戦国期に本山とされていますが、江戸初期に廃され、二本山制が現在に至っています。

徹通義介は通説では越前国・藤原氏出自と云われていますが、加賀国・富樫氏出自とも云われています。永平寺退去後、富樫氏の本拠地・加賀国野々市に迎えられた事情はこの辺りにあったと思われます。
徹通義介の跡を継いだのが弟子の瑩山紹瑾で、、瑩山はその後、中能登に永光(ようこう)寺、奥能登門前に総持寺(現・総持寺祖院)を創建、総持寺は明治に横浜鶴見に移転していますが、曹洞宗の大本山として永平寺と並ぶ総持寺派の本流の基盤を作っており、開祖(高祖)に対して太祖と称されています。曹洞宗寺院では祖院の左右に道元と瑩山が並べ尊ばれています。
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当時、大乗寺は野々市市の金沢工業大学正門を西に向かった北陸鉄道踏切右手前の墓地にありました。富樫本家があったと思われるところから北西500mと近接しています。
戦国時代、富樫氏が衰亡すると、戦国末期には戦乱に巻き込まれて焼亡。慶長初期に前田利長家臣によって木の新保(現・此花町?現・金沢駅西?、本町周辺?)に再興され移転。その後、江戸時代初期に加賀藩八家老の本多家の菩提寺となり現在の本多町に移転。元禄10年(1697年)に野田山の現在地に移転、現在に至っています。

元々、能登畠山家の菩提寺が先にあったようで、その寺域を利用したようです。見た人を惹きつけるような黒門と呼ばれる総門、壁面の赤が印象的な赤門と呼ばれる山門。総門は移転前の寛文5年(1665年)建立、山門は建立年は不明ですが江戸期初期の建立と云われています。前述の様に境内には、能登国守・畠山家、加賀藩家老・本多家の墓所があります。 東香山 大乗寺 H21.9.13
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曹洞宗を代表する大乗寺の名を冠した大乗寺丘陵公園。この公園は外環状道路(山側バイパう)沿いの斜面に13000㎡の広大な面積を誇ります。ここに13000株の躑躅の他に、桜・椿・紫陽花があり、広い芝生面と散策路が配されています。当サイトではブロ友のgoさんが登山や渓流釣りの足慣らしの鍛錬に利用している公園なので、詳しくはそちらを見てもらえると幸いです。なにせ、植物に関しては見るのは好きですが、全く名前などや種類は全く覚えられない僕ですから、、、ともかく金沢では卯辰山奥卯辰山公園に次ぐ広大な公園として人気があります。それと丘陵の斜面ですから天気の良い日は日本海まで見える金沢市街の眺望も美しい場所です。 goさんのブログ

この文を書いている合間に、yasuhikoさんのブログにアヤメ・花菖蒲・カキツバタ・ショウブの違いが書かれていました。僕も一度調べたんですが、前文の卯辰山をポッチンすると書いていましたが、すっきりくっきり、忘れていました。。トホッ  yasuhikoさん ⇒ 浮間公園の水辺と赤レンガ図書館

立ち寄ったのはGW真っ只中の5/1、躑躅の最盛期。陽の当たる斜面階段の躑躅は盛りを過ぎていましたが、公園内の躑躅は最盛期、GWの平日ということもあって、近くの保育園・小学校の園児・学童が先生に引率されて訪れて、芝生広場では走り回ったり、賑やかな歓声が聞こえていました。

躑躅のお花畑の中を歩くのは気分が華やぎますねえ^^
5種類と思われますが、色とりどりの花の色に囲まれると、ちょっとウキウキしちゃいます。ここからは無粋な宗教話はなし。。。躑躅の回廊をば。。
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躑躅が終わると、もうすぐ紫陽花の季節、大乗寺丘陵公園では林間にまだ小さいのがある程度でしたが。。。林道には他にも可愛い眼を惹く花が。。でも、植物の名に疎い僕としては、画像だけということで。。




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旅行日 2018.05.01






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この記事へのコメント

  • go

    つとつとさんこんにちは、大乗寺山の公園にツツジの花が咲いている頃に行かれたんですね、ツツジの花の写真が綺麗に撮れています、さすがつとつとさんの写真を写す技術には感服します!。
    紹介していただいた通り私はウォーキングで大乗寺山へは度々行っています、先週にも行って来ましたがアジサイの花には少し早いようでした、見晴らしが良い所でウォーキングをしていても気分爽快です、遊歩道を2まわりぐらいすると大分足の運動になりますよ。
    2018年05月30日 18:16
  • tor

    ツツジがきれいですね。気分転換できましたね。ところで「九州本山・大慈寺」って熊本市にある「大慈禅寺」のことですよね。何度か行ってますね。「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」の最強の柔道家木村政彦さんのお墓がありますよ。彼の出身地川尻も興味深い地ですのでそのうち紹介しますね。
    2018年05月30日 20:56
  • がにちゃん

    つつじ満開きれいですね  goさんのブログにもよってきました  機会があれば是非行ってみたい公園です  
    2018年05月30日 21:28
  • つとつと

    goさん
    いやいや、とてもとても褒められたものじゃないと思いますよ^^;
    久しぶりに大乗寺の公園の中を歩いてきました。goさんがいつも足慣らしに良いとおっしゃる通り、久しぶりに歩くと坂道がきつく感じましたが、見晴らしの良さには気分も良くなるの確かで。。goさんがいつも行かれるのがよく解る場所ですねえ。
    何日か雨の日が増えてきました。紫陽花ももうしばらくで色づくんでしょうねえ。。楽しみです。
    2018年05月31日 07:24
  • つとつと

    torさん
    記憶はあいまいなんですが、大慈寺の別称が大慈禅寺だったと思うんですが自信がありませんTT 開祖の義尹が順徳天皇の皇子だということで朝廷の厚遇が強かったそうです。木村正彦さんの墓所があるというのは知りませんでした。
    昨年、torさんが木村さんの道場跡をアップしていたのを覚えています。たしか川尻の名もその時見たような、僕の生家の近くに同名の地区があって印象に残っています。記事の方期待しています。torさんの地元だし両方期待して待ってます。
    2018年05月31日 07:51
  • つとつと

    がにちゃんさん
    goさんの家と僕とは1キロ以上もないだろうというご近所ブロガーなんですよ。おかげでお互いの記事を見てはお出かけの場所の参考にさせて頂いています。情報も豊かだし^^僕と違って植物や登山にはとても詳しいですからねえ^^
    ただ、登山や渓流になると僕のテリトリーからは遠い存在なので遠慮する場所も多いんですが。。。
    大乗寺公園はとても見晴らしがよくて、斜面の公園なので足腰にもすごく良いですよ。そういえばgoさん・torさん・がにちゃんさん、みんな健脚ぞろいですねえ。お薦めですよ^^
    野田山や大乗寺の側で歴史散策にも打ってつけです。金沢市の外縁になりますが、駅や中心街からもバスのアクセスしやすいのでお勧めスポットですよ^^
    2018年05月31日 08:09
  • ゆらり人

    こんにちわ。
    ブログを拝見してスマホを片手に読ませていただきますが、歴史に疎くすみません。
    永平寺は曹洞宗ですが4門主はここからの出なのですか。
    永平寺を頂点とした言わば部下ととらえればいいのでしょうか。
    これは中国の禅宗五家の一つですが日本にはあとの4宗派は日本に存在するのですか。
    これらのことが分りやすく書いている書物はあれば教えてください。
    元は同じところから始まっているのでしょうが複雑ですね。
    すみません深読みが出来なくて、でも興味は十分ありますので教えてくださいね。失礼します。
    しかし目を見張りばかりの規模と美しさに感動です。
    2018年06月02日 11:08
  • つとつと

    ゆらりさん
    あまり詳細なことは浅学なので詳しくありませんが、文中では永平寺派・総持寺派と書きましたが、公的には曹洞宗は認めていませんが、有志の会派に分かれています。垣根は低くて両寺に修行される方も多くいます。ただ四門首は永平寺の貫主を選ぶ際など重要事の発言力の大きい四つの寺院と思ってください。ただ四つの寺院の歴史を見ると文中にあるように永平寺と同格の支える同僚に近い存在です。
    中国の禅宗には詳しくないのですが、残りと云われれば臨済宗です。他は断絶したものや文革後変貌したり、少林寺のようなものもありますし、、ただ、中国では個人優先ですが日本はより大乗的な面が強く、どちらも似て非なるものというのが正直な所で国民性の違いなんでしょうね。途中で外来の清規が入ったり、独立などで流派が生じたりしますから‥
    曹洞宗の禅の関係なら達磨・道元・瑩山の伝記。読みやすいものには「わがやの宗教を知る」シリーズ。大谷哲夫の「よく解る仏事の本・曹洞宗」。山折哲雄「道元と曹洞宗」。 
    2018年06月02日 15:03
  • yasuhiko

    曹洞宗の保守派・改革派の争い、
    興味深く読ませて戴きました。
    若い内は、こういう派閥争いがよく
    理解できなかったんですが、この歳になると、
    よく分かるようになって来ますね。
    表面上は教義上の問題のように見えても、
    実は、教団をどう維持するか、集団をどうまとめるか、
    政治的な対立なんだろうなと思います。
    大乗寺丘陵公園は、ずい分広々とした
    気持ちのいい公園ですね。私のブログ記事を
    紹介して戴いて有難うございます。
    2018年06月02日 16:13
  • 家ニスタ

    躑躅の回廊、壮観ですね。
    わが家もようやく紫陽花がふくらんできました。
    近所ではもう咲いている家もあります。
    僕も植物には疎いのですが、BLOGをやっているとどうしても写真を載せなくてはならないときがあり、少しずつでも種類を覚えていこうと思っています。
    2018年06月02日 22:36
  • メミコ

    大乗寺は お参りした記憶があります
    でも こんなすてきな公園があるとは知りませんでした
    父が2年ほど暮らした場所が わりと大乗寺の近くでした
    ほんとに機会あれば訪ねてみたい エリアです
    2018年06月14日 09:20
  • つとつと

    yasuhikoさん
    永平寺と総持寺祖院・大乗寺と中心となる寺院があるので、親近感があるのですが、二派の違いはそう大きくなく、派閥抗争も対立までは行っていない不思議な関係です。よくもこんなに長く二本山制が続いているもんだとおもいますねえ。
    この公園は斜面にあるので、建物などはあまり適さないために躑躅・紫陽花や芝生など散策がメインの公園なんです、足腰にはとても答えますよ^^;
    2018年06月15日 06:11
  • つとつと

    家ニスタさん
    そうなんですよ^^;場所や風景を入れるとどうしても植物の木や花が入るんですが、悲しいかな名前や種類が解らなくておろおろになるんです。
    ちっとは憶えないとと思うんですが、これがなかなか調べて覚えたつもりでも、見事に忘れてるんですよ。
    2018年06月15日 06:15
  • つとつと

    メミコさん
    そうでしたか、この辺りに住んでいらっしゃったんですか^^
    メミコさんがおられた頃は、山側バイパスが無くて静かな郊外の住宅地だったんですが、今は交通量が一気に増えた場所です。
    元々長坂の道路を再利用して繋いだ道路なので、立地や周囲にはあまり多くは変わっていない場所で、バイパスから少し離れると閑静で、廻るには良い場所です。
    大乗寺から地続きなる公園なので参拝した後にゆっくり散策できる広い公園ですよ^^
    2018年06月15日 06:23

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