さざれ石公園

君が代は 千代に八千代に さざれ石の いわおとなりて 苔のむすまで ♪

御存じ 「君が代」の歌詞ですねえ。歴史の経過と共に、いろいろな論議を醸す歌なんですが、、、それはさておき国歌としては馴染み深いものがあります。あの独特なメロディーも僕は好きですねえ。。ただ、独唱となると非常に歌いにくい歌で、いきなり歌うと千代に八千代に↑↑で声が裏返っちゃう人が続出。。プロでも失敗は多々、それと、さざれ石は本来つなげて歌うのが本当なんですが、歌い難いので一度さざれと石を切る歌手も多いですねえ。

入学式や卒業式はもちろんですが、各種国際イベントのスポーツではいろいろな人が歌っていますが、僕はテレビで観ることが多いのですが、覚えているというか印象に残っているのは。。。ちょっと対照的ですが。。この二人

小柳ゆき 日米国歌 ポップス調 2000/11


小柳ゆき 2012/2 サッカーWC アジア予選 2012/2


野々村彩乃 選抜高校野球大会 2012/3


小柳ゆきさんは「あなたのキスを数えましょう~~」で、デビューして、「愛情」「be alive」といきなり連続ヒットしました。今はライブ中心ですが、僕は今でも好きで何枚かCDを持っています。

野々村彩乃さんはこの時高校生ですが、声楽コンクールでは名を知られていたようです。その後、プロのソプラノ歌手で活動しているそうです。2.3年前にTVで歌ってる姿を観ましたが、相変わらず耳を惹きつける歌声でした。

ついでに、斉唱と独唱の違いについて
貼付したYOUTUBEの題名 最初が斉唱 残り二つが独唱になっています。実際TVやイベントで「君が代」や賛歌・儀礼としてのものが歌われるとき、斉唱とか独唱とかバラバラで紹介されるのを観ます。独唱というのは一人で歌うこと、斉唱は二人以上で同じメロディーを歌うことを云います。ですから最初の動画は一人で2曲歌っていますが、独唱が正解ですね。観客も一緒に揃って歌うというならば斉唱かもしれませんが、大相撲の千秋楽はそうですね。。。ついでに、合唱は複数で声部を分けて2部とか3部合唱でメロディーを歌うこと、コーラスと言った方が解りやすいですね。。重唱は複数で違うメロディーを歌うこと。輪唱は複数でメロディーをずらして追いかけて歌うこと。あ~~日本語は難しい~~
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お客さんと待ち合わせした岐阜大学。初めて構内に入りました。
この日、仕事があって岐阜まで行ったのですが、早く済ませて岐阜市内を廻ろうと思っていたのですが、お客さんとの行き違いで思わぬ時間が掛かってしまい、終了したのは3時近く、仕方がないので帰路に就くことに。。
とはいえ、真っ直ぐ帰るのはやっぱりもったいないということで、久しぶりに揖斐川を越えて、粕川・長谷川伝いに山越えで関ケ原経由で国道21号で帰ることにしました。

この道を選んだのは、帰り道ついでに、久しぶりに「さざれ石公園」に行こうと考えたからです。以前訪れた時は関ケ原から逆に登ったんですが、登りはきついし、悪路だらけなので、公園からはせめて下りということで。。
石川を出てきたときは土砂降りでしたが、さすが光の国・岐阜と晴れ男^^まあ、木ノ本からはまた雨にたたられたけど。。
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上:さざれ石公園駐車場 数日前の崩落事故で駐車場が破損 現在復旧工事中
右:さざれ石公園登山口

さざれ石公園のある春日村は前述の粕川・長谷川の分岐点を中心にした山また山の村落です。
現在は平成17年(2005年)に合併して揖斐川町の最南部に位置しています。H13当時、村の98%が森林、人口1785人。前述、村中心部の分岐点を北上すると国見岳スキー場、南下するとさざれ石公園があります。
6.7キロ南下して伊吹山東登山道の笹又の川沿いに登ると公園の入り口があります。昨年の台風の影響で崩落があって公衆トイレ、駐車場の一部に被害があって工事中なのでご注意を。。礫岩帯は水に弱く崩れやすいのでここに来る際は天気や情報を確認してから来てください
予想はしてたんですが、駐車場に着いてみると、崩落した駐車場の整備工事の真っ最中@@ちょっと、入るのを躊躇しましたが、手招きしてくれた作業員の方がいて、停めることが出来ました。
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さざれ石のある場所は、駐車場から約200m程、林間の遊歩道を登った場所にあります。この遊歩道は伊吹山の登山道と途中まで共有しています。けっこう険しいので、登り易い格好をお勧めします。途中には湧水が勢いよく出ていますから顔を洗うと冷たくて気持ちいい^^
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さざれ石公園 公園には二個の大岩があります。どちらも注連縄が張られ、左には岩上に祠堂が置かれています。実はわずかなスペースのこの場所がメインで。。。正直、これだけ
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君が代」に出てくる「さざれ石」というのは、小さく細かい石のこと。漢字なら細石。この小石が寄り集まって大きな岩(巌)となって苔が生すほどになるというもの。まあ、今では大岩の方を挿して「さざれ石」とみなさん呼んでいます。ただし、さざれ石に限定しなくても、巨石や奇岩を磐座としてしていた古代から、石が成長するように大きくなっていくという信仰はあったとも思われます。

敗戦国として日本が嫌われていた頃、石は河川を流れるなどしてだんだん小さくなって河口に達する頃には砂になるものだ、そんな岩などあるもんかと、諸外国(特に欧米)や一般からやっかみを云われた時代がありましたが、こういう石があると対抗で出されたのが岐阜春日のさざれ石でした。

今では全国の神社やお寺などにこの石や似た物が置かれていたりします。お土産店でも見かけますが正直高==その多くは岐阜のこの地から献上されたものが多いのですが、独自・不明のものでは鹿島神宮・下鴨神社・北野天満宮などが有名どころ。。石川だと小松市の安宅住吉神社の表参道入口で観ました。安宅住吉神社の石は岐阜県との友好関係でこの地から頂いたものだそうです
他にも近年になりますがH15(2003年)に宮崎県日向市のドラゴンボールで人気の大御(おおみ)神社の境内拡大工事で大規模な「さざれ石群脈」が発見され、単独の岩もここが日本最大の物のようです。
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さざれ石の正式な名前は石灰質角礫岩。火山岩質もありますが多くは堆積岩の一種、礫岩のうち角ばったものが角礫岩で、石灰質の頻度が高いものが石灰質角礫岩になります。礫岩は詳しい方はご存知でしょうが礫(つぶて、小石)が寄り集まって出来た石なんですが、更に石灰質が溶けて角礫岩が寄り集まって石灰セメントで固められたものです。簡単に言ってしまえば小石混じりの自然造成ののコンクリートだと思えば良いかも。。。こう言っちゃうと味も素っ気もないんですが。。。
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さざれ石 国歌発祥の地碑 この時点では君が代は国家じゃなかった・・ 記銘は当時の内閣総理大臣・中曽根康弘 中曽根氏は今年で100歳、あまり知られていない記録ですが、内閣総理大臣経験者の長寿記録現在2位、あの元気さなら記録更新できるでしょう、2年ちょっと
日本には肝心なところで曖昧な部分が多くありますが、国歌もそのひとつでした。君が代が正式な国歌の位置づけになったのは平成11年(1999年)になります。同時に国旗の日章旗もこの時に正式に制定されています。えっ?この法案が出た時、君が代も日章旗も国歌・国旗じゃなかったのと思った人のなんと多かったことか。。実はそれまでは国家の儀典用唱歌の位置づけだったんですねえ。

起源については諸説あるんですが、概略としては、明治2年(1869年)薩摩の大山巌が和漢朗詠集から短歌を選択、明治13年に宮内省雅楽課が旋律をつけ、ドイツ人音楽教師・エッケルトが西洋和声に編曲、明治26年に文部省が儀典用唱歌として公示しています。その後、曖昧なまま国歌として定着していました。
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これまた諸説あるんですが、和漢朗詠集に載っていた短歌の元は古今和歌集からと云われています。
古今和歌集では最初の「君が代は」が「我が君は」に始まります。ただ、その後の写本や文献では「君が代は」に置き換わって行き主流になった経緯があります。

我が君は 千代にやちよに さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで ♪

この和歌は古今和歌集、第七、賀歌22首の筆頭に置かれた歌になります。勅撰和歌集ではテーマ別に分けられていて、賀歌(がか)は寿歌(ほぎうた)から引き継がれたもので、長寿・繁栄を寿ぐ(ことほぐ)、つまり祝ったり願ったりする歌になります。現在ではこの君が天皇を指すものだと、論議を呼ぶのですが、作者の意図はさておき勅撰集に選ぶんですから、選者は天皇を念頭に置いていると思います。紀貫之が古今集の序文と言える仮名序に「きみをおもひ、ひとをもいはひ」と説明され 真名序では「陛下の御字・・・砂長じて巌となるの頌(しょう、いわい)」と注釈していますから。。。
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論議を呼ぶのを助長しているのが、古今集ではこの和歌が「読人知らず・題しらず」になっていることもあるようですが・・・初の勅撰和歌集ということもあって、本当に読人知らずもあるでしょうが、位の低い人や平民なども読人知らずになっていると云われ、全二十巻中の四割以上が読人知らずになっています。
撰者は紀友則・紀貫之・凡河内躬恒・壬生忠岑ですが、彼らもそれほどの位階は持っていませんでしたが、4人の歌が2割に昇って明記されています。この内、紀友則・壬生忠岑は古今和歌集の完成を観ずに死去しています。
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紀貫之は御存じのように「土佐日記」の作者として知られますが、仮名序・真名序に書かれた六歌仙の文を読む通り一家言も百家言も持った人物で、歌聖・柿本人麿と山部赤人以降で当時の歌人で批評に値するのが六歌仙で、その他は語るに落ちずで切り捨てているくらい歌人としての自負を持っていたようです。また、当時の歌は霊力或いは言霊という力があると信じられていました。貫之には彼の歌で多くの幸運をもたらしたという歌徳の説話が多く残っており、後世まで歌人の大家の評価があります。
そんな自他ともに認められる紀貫之が、古今和歌集の賀歌の筆頭に持って来た和歌であるという事実は重要なんです。
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読人知らずになってはいますが・・・この春日村のさざれ石に絡んだ伝承が、この歌には残されています。

さざれ石公園説明板から~~

さざれ石(天然記念物)

この石は、学名、石灰質角礫岩と言い、石灰石が長い年月の間に雨水で溶解し、その粘着力の強い乳状液(鍾乳石と同室)が、次第に小石を凝結、だんだん巨巌となり河川の浸食により地表に露出、苔むしたものである。
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この石にまつわる郷土の伝承として 平安時代、文徳天皇(在位八五〇~八五八年)の皇子惟喬親王(木地師の祖神)に仕えた藤原朝臣石位左衛門(歌人)が、江州(滋賀県)君ヶ畑から木地椀の良材を求め春日村に移り住み、江州の君ヶ畑へ通う途中、自然に凝結、苔むして巨巌になっている珍しい石の状態を見て、ありのまま、「わが君は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで 」と詠んだのが、この石であり千代に栄えることを希った。めでたい石であるという。

献上
昭和三十七年十一月二十六日 皇居・明治神宮                      約三屯 各一個
                     文部省・池田隼人元首相・吉田茂元首相    各 約一屯
昭和三十八年 四月 九日    伊勢神宮内宮・外宮                 各約三屯 各一個
                     供膳所床飾用                             一個
昭和五十二年 十月二十七日 天皇皇后両陛下・皇太子皇太子妃両陛下           各二個
昭和五十九年 四月 五日   中曽根康弘首相                            一個

文化財を大切にしましょう 春日村

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さざれ石 後方崖面 この辺りが岩石帯に土が覆った地形だということが解ります。さざれ石も元はこの土に埋もれていたようです。

惟喬(これたか)親王は文徳天皇の第一皇子で、文徳天皇自身、皇子の聡明を愛でて後継者にしたかったと云われます。しかし、承和の変で他家の有力者を排斥して大功を挙げた藤原良房が権力を確立した勢いで、わずか生後8カ月の第四王子・惟仁親王(清和天皇、9歳で即位)を皇太子に擁立します。その後は文徳に譲位を迫る良房は嫌がらせの連続で、結局、文徳は本来天皇が居住する内裏正殿に足を踏み入れられず、失意のうちに逝去しています。死因は脳卒中と云われますが暗殺説が根強く残っています。清和天皇即位で良房は初の人臣摂政・太政大臣として権力を掌握し、応天門の変で最後の敵対者・伴氏、紀氏を排斥して摂関政治を確立します。                                     さざれ石公園 笹又川上流
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ちなみに惟仁親王(清和天皇)の母親は藤原良房の娘・明子、惟喬親王の母親は紀名虎(きのなとら)の娘・静子でした。当然ながら藤原良房と紀名虎は正妃・皇太子争いで暗闘を続けたのですが、双方、有名僧を招聘して修法(呪法)まで応酬しあったと云われます。これは逸話ですが、良房と名虎は最終的に大将同士で相撲で決着をつけたなどと云われています。結局、紀名虎は惟喬親王弱冠のうちに逝去。。後ろ盾の無くなった惟喬親王には為すすべもありませんでした。
応天門の変でも伴氏に連座する形で有力者の紀豊城・紀夏井が流罪。。三連敗した紀氏は、ここで出世は望めない一族として没落してしまいます。

天皇位を逃した惟喬親王は文徳天皇の手で元服後は、太宰権師を皮切りに親王領である常陸・上野太守などを歴任、28歳で病のために素覚と号して比叡山麓の小野に隠棲閑居します。このため、小野宮とも呼ばれます。ただ、この小野の里に関しては二説あっていずれの地でも惟喬親王や小野妹子を祖にする小野氏の伝承があります。比叡山西麓の大原の愛宕小野郷(現・大原上野町)、もう一つは比叡山の反対側の東麓の近江小野の里(真野や和邇の辺り)があります。前者には小野妹子の子・毛人(えみし)の墓、後者は小野神社などがあり小野氏・小野氏の祖・和邇氏出自の場所と云われています。伊勢物語では惟喬親王は山崎・水無瀬に別邸があり、小野と水無瀬を行き来していたようです。晩年には存在が忘れられたように転居し伝承地が多く残されていますが、その多くが小野氏に係る地が多く観られます。                                  さざれ石公園 砂防ダム
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この晩年にかけて木地師との係わりが出来たようで、惟喬親王が木地師に轆轤(ろくろ)技術を伝えたとされています。この伝承から、木地師、現在でも木工製作の地では惟喬親王は木地師の祖として敬われています。
しかし、木地師は良材を求めて渡り歩く山の民のため、当時は賤民扱いを受けていました。これに対抗するための格付けで惟喬親王に結びつけたのだとも云われていますが。。。

当然ながら、山の民には正式な「藤原朝臣石位左衛門」などという立派な名前はなく無名の山の民もしくは親王の使用人だったようです。ともかく伝承では鈴鹿山脈の北部の山中・君が畑(現・滋賀県東近江市君ヶ畑町)に棲んでいた惟喬親王の元に仕えていた彼は本業の木地師として良材を求めて春日村に移り住み、伊吹山越えで惟喬親王の元に往還していました。その際に笹又の地でこのさざれ石を発見して、この歌を詠んだと云われています。伝承通りなら、わが君惟喬親王ということになりますね。

古今和歌集では平民以下のために読人知らずになってしまいましたが、後に朝廷から「藤原朝臣石位左衛門」という「さざれ石」に因んだ名が下賜され、その後は藤原石位左衛門は代々、藤原姓と木地師を受け継いでいったと云われます。ちなみに現在の春日村には藤原姓の家が90戸以上あるそうです。
伝承の真偽はともかくとして、このさざれ石の地はこの歌によって知られた存在になっていたようです。
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これは私見と想像ですが、、、紀貫之は名前が示すように、皇太子争いに敗れた紀氏の一族です。歌人としては当代の筆頭人として、全宮廷・朝廷からの尊宗を受けていました。敵役だった藤原良房の曾孫・師輔(後の右大臣、冷泉・円融天皇の外父)が父への手紙の代筆を頼みに、従五位下の中級貴族の紀貫之の家に訪問したほどです。しかし、身分的には恵まれず殿上人の基準とされる前述の従五位に昇段したのは50歳を過ぎてからです。このため、プライドの高い彼は不満を覚えても、出世には無関心を装っていたようです。
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半面、原因となった惟喬親王への追慕は強かったようです。惟喬親王の子・兼覧(かねみ)王が世に出た時は、真っ先にお祝いに駆け付けたと云われます。ついでに、紀貫之は「土佐日記」が有名ですが、紀氏に同情的で紀氏と係わりの深い惟喬親王や在原業平を持ち上げる文章から「伊勢物語」の作者の第一候補とも云われています。そんな紀貫之ですから、君が代の歌の選定から、その後に続く「藤原朝臣石位左衛門」の話を創作するのは、お茶の子さいさいだったかも。。

紀貫之が追慕した惟喬親王の歌、古今和歌集に撰定した和歌二首です

題名: 僧正遍照によみておくりける   桜花散らばちらなむ散らずとてふるさと人の来ても見なくに

題しらず                    白雲のたえずたなびく峯にだにすめばすみぬる世にこそありけれ


遍照(遍昭)は、桓武天皇の孫(父は臣籍降下した良岑安世(よしみねのやすよ)に当たり、六歌仙の一人。仁明天皇の寵臣で累進、天皇の逝去と共に出家していました。同じ六歌仙の小野小町や惟喬親王との親交が深かったと云われています。古今集には20首入選しています。
百人一首の 天つかぜ 雲の通ひ路 ふきとぢよ をとめの姿 しばしとどめむ は、人気のある歌です。
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時おり、駐車場の工事の音はしましたが、後は静かな川の流れや砂防ダムを流れる水音だけの世界
川沿いに広場が整備されているので、家族で来るのも良いかもしれません。赤屋根の建物は「さざれ石の家」という休憩所兼コミュニティ
緑の広場は画像では芝生広場のように見えますが、実際には苔の絨毯で歩くとふかふかします^^
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さざれ公園 砂防ダム 
さざれ石が示すように土石流が起こりそうな地形のために、昭和49年(1974年)に造られた砂防ダムで、高さ8m・全長68.5m。壁画が描かれています。岐阜市出身、現岐阜美術館・館長、日比野克彦氏の作品。1988年製作。現代美術で段ボール作品が有名ですねえ。。
消えかけた説明板には・・・春日村村民憲章の五本の柱を基に、五人の女神が一つの空間の中で調和を図り、21世紀への飛躍を望んでいる。
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砂防工事はこんな作品まで残してくれていますが、駐車場からも多段式の堰堤が観られました。
さざれ石を見るのも良いですが、こうした砂防ダムや堰堤は人口の構築物も目を惹きつけますねえ。。

旅行日 2018.06.12


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この記事へのコメント

  • まだこもよ

    よく 学生のころ 歌わされたけど・・・今って歌わないのかな???
    2018年06月18日 07:27
  • つとつと

    まだこもよさん
    お久しぶりです^^お元気でしたか^^地震の方大丈夫でしたか?
    僕らの時代はよく歌わされましたが、今は逆に国家に決められたので決定事項で逆に歌わなきゃいけないみたいですよ。
    2018年06月18日 14:43
  • tor

    今回いつもと違う切り口ですね。岐阜に行かれるとコメントされてましたが…。こちらでしたか。「さざれ石なら日向の…」と思ったところで、さすがですね。大御神社の巨大なさざれ石、ずいぶん前に見てきました。その時不思議な事に…。さざれ石を撮った写真の真中辺りに一筋の白い光が写り込んでいました。太陽光って感じでもなく…。凶兆なのか吉兆なのか、光が入った偶然か…?現在まで特別良いことも悪いことも起こっていませんが。思い出しました。
    2018年06月18日 21:20
  • つとつと

    torさん
    ホントは時間があったら、金華山(岐阜城)に登ろう、ついでに本巣をウロウロしようと思ってたんですが、時間がなくてまたの機会にしようということに。。
    大御神社は亀岩やドラゴンに見える洞窟があると聞いています。巨大さざれ石もみたいなあと、そんなことが。。。僕もここのさざれ石を見た後は、仕事の方で不測の出来事で一日は人間不信、まあ今は切り替えてますが。。。ご利益なかったなあと
    帰り道は慣れた裏街道を走ってきました。日本で二番目に古い現役の旧鉄道トンネルを7.8年ぶりに通りました。次回書きますねえ。。最古の方も行きたかったけど、時間なくてまたの機会に。。。
    2018年06月19日 08:25
  • がにちゃん

    さざれ石公園 こんなところがあったのですね  伊吹さんも何度も登りましたが、この方面からは登った事が無いですね  さざれ石の小さなものは見ましたが、こんなに翁立派なものがあったのですね
    2018年06月19日 15:25
  • がにちゃん

    野々村彩乃さん すごい 感激の声量ですね  
    2018年06月19日 15:33
  • つとつと

    がにちゃんさん
    伊吹山登山は米原から登るのが普通で麓に施設が多いですからね。
    行くまでが大変ですが、粕川の流れに沿った山村や天空の茶畑も観られる隠れた好スポットなんですよ。
    そうそう、かすがもりもり村という薬膳料理や薬草風呂に入れる施設もあるんで、一度は訪れてよい場所かも^^

    高校野球 毎年君が代の独唱がありますが、この人は圧巻でした^^
    2018年06月19日 19:49
  • go

    残念ながらさざれ石公園には未だ行ったことがありません、諏訪大社下社秋宮で大きなさざれ石が奉納されているのを見たことがあります、あれは何処から産出されたものか知りませんが小さな石がお菓子の雷おこしのように固まったものでした。
    石には興味がありますのでさざれ石公園に行きたいと思いました。
    2018年06月20日 10:17
  • つとつと

    goさん
    美濃でも一番の山村と言っても良い場所です。行けそうで行けない場所で僕も10何年振りの2度目でした。
    離れると大きな岩なんですが、近づくと細かい石が固まったものだとわかります。がにちゃんさんへのコメントにも書きましたが、近くに天空の茶畑と呼ばれる古来からの在来種のお茶を栽培しているんですが、山上からの眺めは壮観です。機会があったら是非立ち寄ってみてください。逆方向にある明神の森も素晴らしい眺望です。
    2018年06月20日 11:33

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  • 帰り道 明神の森 ~ 柳ケ瀬トンネル
  • Excerpt: さざれ石公園からの帰り道は狭い林道の序盤戦と、明神山の登りはありますが、その多くは急激な下り坂の約15キロ。。
  • Weblog: つとつとのブログ
  • Tracked: 2018-06-21 14:40

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