浅蔵五十吉美術館 陶壁ビッグモニュメント

能美市九谷焼資料館と道路を挟んだお隣にあるのが、浅蔵五十吉美術館です。

二代・浅蔵五十吉は大正2年(1913年)、能美郡寺井町(現・能美市寺井)生まれ、戦後、現代九谷焼の旗手・トップを走り続けた人物です。昭和61年(1986年)に寺井町名誉町民、平成4年(1992年)に九谷焼作家としては初の文化功労者になったことを記念して、翌年に浅蔵五十吉美術館(能美市立)が開館しています。合わせて、同年には小松市からも小松市名誉市民を受けています。
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画像浅蔵五十吉美術館
斬新な立体造形の建物としても評価が高く、平成6年中部建築賞、翌年には建築業協会賞を受賞しています。
更に平成10年(1998年)10月に建設省(現・国土交通省)設立50周年記念の公共建築百選に選定されています。ちなみに石川関係では、石川県立歴史博物館・金沢市文化ホールがあります。当時の箱物行政批判の払拭を狙ったものですが、それだけに厳選された百選では大型建物が多い中、中小規模建築物としては稀少な存在です。ただ、入り口が登って奥まっているので入場するのを躊躇する人が多いようですが、池を配した直線と三角形を重視した建物を見るだけでも一見の価値があります。
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浅蔵五十吉略歴(パンフから)

二代 浅蔵五十吉(1913_1998年)
大正2年、石川県能美郡寺井町(現能美市)生まれ。小学校卒業後、父親(初代・磯吉)から陶技一般を習得。昭和3年(1928年、15歳)初代・徳田八十吉氏に師事、21年(1946年、33歳)に北出塔次郎氏に師事して色絵技術を学ぶ。同年の第1回日展に入選、以来連続入選。昭和59年(1984年、71歳)に県内の陶芸家として初の日本芸術院会員に就任。
受賞(章)歴は、昭和43年(1968年、55歳)北国文化賞、昭和52年(1977年、64歳)日本芸術院賞、昭和59年(1984年、71歳)勲四等旭日小授章を受け、昭和61年(1986年、73歳)に寺井町の名誉町民に選ばれた。平成4年(1992年、79歳)、九谷焼関係者で初めて文化功労者として顕彰された。平成5年(1993年、80歳)日展顧問となる。平成8年(1996年、83歳)文化勲章受章。


浅蔵五十吉(与作)が師事した初代・徳田八十吉は前回に少し書きましたが、古九谷・吉田屋の色にこだわり続けた、当時、古九谷・吉田屋の色を一番知る九谷焼の第一人者です。
北出塔次郎は青手九谷の伝統を残そうと大聖寺藩が作釜した松山窯から独立した窯元・北出窯の三代目になります。
画像浅蔵磯吉美術館 展示室 三角屋根がそのまま天井になるので広く見えます。
北出窯には色絵磁器・人間国宝・富本憲吉が昭和11年(1936年)に九谷の色絵研究のために滞在、作陶に励んでいます。この時に感化を受けて師事したのが窯元の北出塔次郎でした。ちなみに、富本憲吉は元々絵画を志していて、ウィリアムモリスに感化されてロンドン留学をしたり、バーナードリーチの影響を受けて楽焼を始めるなど、初期はデザイナー感覚の強い人物でした。特に小紋・羊歯紋様に定評があり色遣いにこだわったと云われます。後に金・銀を同時焼き付けする金銀彩を施す色絵磁器を完成しています。北出窯に滞在中は古九谷の青手にこだわったと云われています。これに感銘を受けた北出塔次郎は素地・錦(絵付け)窯の一貫生産に北出窯を変更し、自ら色絵の研究し名作を作り出しています。5年後に再訪した富本憲吉は、彼の努力に青泉窯の名を北出窯に贈っています。

       浅蔵五十吉作 紫陽彩松韻 (昭和61年(1986年、73歳)
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北出塔次郎は色絵研究については深く研究を続け、初代徳田八十吉と共に双璧と呼ばれています。数々の色絵作陶の傍ら、北出窯での後進指導だけでなく美術工芸大学教授も務め後進にも教授しています。つづく北出不二雄 (四代)は色絵と彩釉陶器の併立を目指し、後進指導は同じく強く金沢美術工芸大学の学長も務めています。北出昂太郎(不二雄 の長子、40歳没)は色絵に秀でていると期待された天才でした。現代九谷・江沼九谷では北出三代として知られた存在です。
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浅蔵五十吉作 残雪の松 飾瓶

近代九谷の第一人者とも云える徳田八十吉(初代)、(これは初代・浅蔵磯吉の意向だと思いますが、、)、北出塔次郎と九谷の色絵作り、色絵研究では当代第一人者と呼ばれた二人に師事していたわけです。二人の色にこだわる師匠の指導を受けた浅蔵五十吉は同じく色にこだわる作家でありながら、意匠・形・技法にも挑んだ作家でした。

パンフから・・・浅蔵五十吉は、長い歴史と伝統を誇る九谷焼の流れを受け継ぎながら、意匠、技法、形態それぞれに新たな工夫を重ね、現代感覚を生かした独自の作品世界を見事に切り拓きました。
その歩みは、初期から雄大な自然をテーマにした色絵で一貫していますが、一つの様式を完成すると次の段階でまったく斬新な色、形、技法に挑戦するといったバイタリティーに溢れています。
五十吉は自らの作品を振り返り、「10年の周期がある」という言葉を残しました。
昭和20年代は明るい黄色、30年代には渋い黄色、40年代にはグリーン系が目に付き、50年代には黄色がかった複合色へと変わって行きました。
そして60年代から平成に入っては、プラチナを用いた銀彩に転じます。
文化功労者顕彰と傘寿を節目に平成5年以降は「色無き色」、すなわち白釉の美へと挑戦はやむことを知りませんでした。
五十吉の作品を見て強く感じるのは、一つの小成に甘んずることなく常に新しい挑戦を続け、努力を惜しまない姿勢であり、そこには一人の作家としての確固たる意志が貫かれています。

画像浅蔵五十吉美術館ロビー&休憩スペース 二代・浅蔵五十吉作 松林ニ遊ブ

美術館の作品は昭和末から平成にかけての作品が中心になっています。その前の作品や大作が観たい方や作品を購入したい人にお勧めなのが、浅蔵五十吉深香陶窯(しんこうとうよう)です。

再興九谷の祖・本多貞吉が活躍した若杉窯は、花坂陶土の発見と共に文化8年(1811年)現在の小松市若杉町に開かれましたが、天保7年(1836年)に火災によって移転を余儀なくされています。その移転先が八幡村・現在の小松市八幡町でした。これ以降、八幡町は一大九谷産地と変わり、若杉窯が衰退、閉窯の前後にも、明治3年(1870年)素地専門窯の松原新助窯が作られ、分業が図られると、「置物」を作り始めます。明治・大正期には陶彫の技術を高めて「八幡の置きもん」と呼ばれ九谷の一大拠点でした。加賀手毬と獅子・仏像・香炉など床の間に置くものですが、大正期から戦前には八幡は置物九谷の中心地でした。
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当時は幾つもの登り窯が作られていましたが、現存するのは連房式の一基のみで、小松市指定文化財として小松市立登窯展示館に保存されています。その小松市立登窯展示館のすぐ近くに浅蔵五十吉深香陶窯があります。大正初期に初代・浅蔵磯吉が開いたものです。浅蔵磯吉は素地作りを専門とする職人で素地焼の製品には絵付師からも高い評価を受けていたと云われます。二代目の浅蔵五十吉は少年時代から五十吉に素地について教えられて育ったと云われます。

深香陶窯は現在、三代目・浅蔵五十吉(與成)さんが経営しています。三代目も日展評議員・日本現代工芸美術作家協会評議員などを努める現代九谷の名工の一人です。
体験作業もできる工房(要予約)の他に二代・三代の作品が展示されている展示館がありますが、これはなかなかの必見の展示館です。ギャラリー&喫茶「五十吉」も新設されたそうです。工房で造られた作品でコーヒーやケーキが食べられるそうです。 

八幡町は結構広いのですが国道8号線・八幡東で降りて小松市街に向かって左手に入ったところにあります。
八幡町の八幡温泉IC近辺にはメジャー時代の野茂英雄投手がオフにボディチェック・自主トレを行っていた八幡メディカルセンター、再興九谷の陶石の原点と言える花坂陶石の採石場・花坂九谷原石山(麓の九谷窯元会館許可要)があります。

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浅蔵磯吉美術館前の広場にある巨大な陶壁ビッグモニュメント「甦(そ)」世紀をこえて
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陶壁ビッグモニュメント 「甦(そ)」世紀をこえて

市内に国指定史跡能美古墳群があることから、銅鐸をモチーフとしたモニュメントには古代の森羅万象が表現されています。上部には宇宙と天体、中央部の左右には昼行性と夜行性の諸動物、また正面中心部には火、そして突起物は生命力を、下部の人間像は狩猟、収穫、工芸、戦いを、周囲の陶壁は大地と水を表現しています。

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● 竣工 1993年10月
● 鉄筋コンクリート造り 4階建
● 高さ 12.9m 幅11m 奥行5.5m
● 陶板 約6万枚 陶像 4体

陶壁ビッグモニュメント制作 日本芸術院会員 武腰 敏昭
人物陶像制作         日展会員     谷村 俊英


陶壁制作の武腰敏昭氏は、泰山窯の三代目になります。泰山窯は、九谷庄三の庄三風を実質引き継いだ義弟・武腰善平の三男に当たる田舎山水の名人・武腰泰山を初代にしています。武腰敏昭はこのモニュメント完成後、日工会展・日展で内閣総理大臣賞、日本芸術員賞・会員になっています。

人物陶像制作の谷村俊英氏については、、、彫刻とくに現代彫刻には詳しくないので、詳しくは知りませんが、日展特選受賞をはじめ石川県文化功労者にもなっています。

GW中の3日間に開催される「九谷茶碗祭り」では、前にステージが組まれライブ演奏が行われたりしています。
それにしても、間近で見ると本当に デカイ 前面陶板で覆われているので近寄ると、その凄さが解ります。。
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あまりの陽射しの強さに、2カ月近く家に引きこもりだった嫁さんもここまでが体力の限界
陶芸村や陶芸体験の出来る陶芸館はまたの機会に。。。次回は神社前の駐車場に嫁さんを置き去りにして、一回りした佐野町の狭野神社・陶祖神社に
                       九谷陶芸村 中央通り
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旅行日 2018.07.22

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この記事へのコメント

  • tor

    能美市九谷焼資料館と浅蔵五十吉美術館がすぐ近くにあるなんて…。一度に鑑賞できて良いですね。ますます行きたくなりました。建物の屋根も特徴がありますね。モニュメントも凄いですね。ありがとうございました。
    2018年08月06日 21:03
  • つとつと

    torさん
    この能美市の泉台には資料館・美術館・陶芸の体験館・店舗群・組合事務所・九谷焼の専門学校・ギャラリーが集まった複合施設なので、全部廻ると一日がかりになる所です。機会があったら、是非、焼き物に興味のある人には絶好のスポットですよ^^
    2018年08月07日 02:26
  • がにちゃん

    建物自体も見ごたえありそうですね  二つの館で九谷焼三昧ですね  いつかはいくぞぉ~と思っています
    2018年08月07日 15:10
  • つとつと

    がにちゃんさん
    前回にも書きましたが、九谷焼陶芸村は鉄道から離れているので、車がお薦めなんですが、能美根上駅からのみバスの循環バスに乗ると3.40分で着きます。
    温泉なら泉鏡花ゆかりの辰口温泉も近いですよ^^
    あと小松や大聖寺、山代も九谷焼のお薦め地です、
    2018年08月07日 20:51
  • 家ニスタ

    陶器の現代作家というのは、伝統的な部分だけではなく、現代美術としての感覚も身につけていなければならないので、大変だと思います。
    保守性と革新性を兼ね備えていないといけないんでしょうね。
    建物もモダンで、魅力的ですね。
    2018年08月07日 22:42
  • つとつと

    家ニスタさん
    現代美術と言っても、大胆さや創造性嶽では、ただの奇抜な作品になって、観る人からの「なにこれ?」になっちゃいますからね。やはり、ベースには伝統とか流れをとり入れなきゃいけないんですから、どんどん難しくなっていくんでしょうね。 現代展の陶器を見ると時々、綺麗だけど、これをどこに置くんだいというのがよく見られますから。やはり、テーマが観る人や買い手に伝わらないと難しいし、厳しい世界ですね。
    2018年08月08日 12:10
  • yasuhiko

    浅蔵五十吉美術館、素敵な建物ですね。
    とんがり屋根にしびれました。
    浅蔵五十吉さんのお名前は、初めて
    聞きましたが、富本健吉氏と同じ師匠に
    色絵の技術を学んだ共通点を持ってるんですね。
    その点で急に親しみを覚えました。
    富本健吉氏の作風は好きで、その昔、奈良の
    富本健吉記念館を訪ねた事があります。
    広場のビッグモニュメントは迫力満点ですね。
    2018年08月11日 11:51
  • イータン

    こんにちは~

    朝倉五十吉美術館 地元の誇りといえる人物 そして建物ですね。
    大正2年生まれでしたら結構時代を共にした人物だと思いました。
    ロビー&休息スペースの松林壁画と言えるのでしょうか
    素晴らしい色使いでびっくりです
    焼き物でこのような美しさをかもちだすことが可能なのかと考えてしまいました。
    陶壁ビッグモニュメントは洋を感じました。
    つとつとさんが綴っていらっしゃるように近寄って鑑賞するべきモニュメントですね。
    2018年08月11日 19:45
  • つとつと

    yasuhikoさん
    なかなか洒落た建物でしょ。この美術館で公共建物百選というのを知りました。
    とかく箱もの行政と批判を浴びる公共建物ですがリストを見ると、興味を引く個人記念館があるようです。富本憲吉氏が奈良の出身というのは知っていましたが、美術館があるんですねえ。機会があったら一度訪れてみたいものです。
    モニュメントも陶板を何枚も貼り合わせていて、近くで観るとド迫力の逸品です。
    2018年08月12日 03:24
  • つとつと

    イータンさん
    浅蔵五十吉氏は現代九谷では戦後から平成の頭まで、ずっとトップを走り続けた人物なんです。能美・小松市では偉人の一人ですが、地元のTVなどのドキュメントの放し方を見ても優しい人柄のようでした。
    九谷焼の命は色絵と云われるほど、特に作者は色の挑戦し続けた人です。この陶板壁画は40~50枚に分けて焼いています。1枚なら多少のごまかしも効くんでしょうが、枚数が増えればそれだけ焼き付けで変色しますから、揃えるのは多変だったと思います。 色に挑戦を続けた作者ですが、最期の4.5年は白地に陰影をつける作風に辿り着いたのは、やはりとも思わせてくれますねえ^^
    やはり焼き物は出来るなら手で触れないと解り難いですが、触れないなら間近で見るのが一番ですねえ。。
    2018年08月12日 03:40
  • ミクミティ

    浅蔵五十吉さんという名前も知りませんでした。こういう現代の名工がいたからこそ、全国的に九谷焼の評判が色褪せずむしろ高まったのでしょうね。もちろんもともと高かったでしょうけど。
    その名前を付けた美術館の存在が、その功績と地元の名士として活躍を感じさせます。もう現代アートの世界ですね~。
    九谷焼のマグカップを持っていますが、また普通のでいいので欲しくなります。
    2018年08月12日 23:52
  • つとつと

    ミクミティさん
    九谷焼は芸術面では現代アートだと思います。
    現代アートとしては、やはり新しい流れや技術の向上につながります。

    ただ商業面では昔のような大型作品が簡単に売れるような現状ではないんです。マグカップや絵皿や小皿、箸置きなど、絵柄や色合いのデザインが優先するのですが、これが意外と九谷の真髄に近いんですね。工房によって全く違った絵柄やデザインがありますから、見て回るのも面白いかも^^
    2018年08月13日 09:18

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