桑島の大栃

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白山麓には前回紹介した日本最大の栃ノ木太田の大栃のような、栃ノ木の巨樹が幾つか点在していますが、そのほとんどが山間の険しい位置にあります。ただ、唯一の例外が今回の「桑島の大栃」になります。
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案内板から・・・ 『桑島の大栃』 推定樹齢・約400年 幹周り・615㎝ 幹高・23m 所在地・石川県白山市桑島10号4番地13号 標高・465m 

昭和50年の手取川ダム建設事業に伴う、桑島住宅地や道路の整備により、白峰地域では唯一身近に見られるようになった大栃です。
栃の実は、古くから先人を支え、特産品『とち餅』を育みました。これからもこの巨樹が、多くの人々に末永く見守られる事を願います。 桑島区 白峰観光協会

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案内板にあるように、本来この木のある場所は、水芭蕉の群生地のある大嵐山(1204m)の中腹に当たります。
元は山間だったところに、昭和50年(1975年)居住地や道路の造成整備によって、身近な位置で観られる巨木になったわけです。
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金沢方向からだと国道157号線で左手に手取川ダム湖を見ながら進むと、白峰村落の手前を左折した桑島大橋でダム湖を渡ったところ、ホテル八鵬を左手に曲がった先、百合谷橋のたもとに桑島の大栃が佇んでいます。
樹勢が強そうで、真っ直ぐで太い主幹が目前で枝分かれしており、葉も生い茂っています。横に停めた愛車フィット君と比べてもらうと大きさが解ると思います。白峰の名産品・とち餅や桑島地区のシンボル的存在です。
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百合谷と言えば、この谷川の上流域で中生代白亜紀の樹木化石(珪化木)が立木の状態で発見されるなど、この桑島の地は珪化木の一大産地として、昭和32年(1957年)に国指定天然記念物に指定されています。これに関しては最たるものを次回にアップしますね。こうご期待^^V

この桑島の大栃が普通に見られるようになった大きな原因は、前述の昭和50年の桑島住宅地と道路の造成なのですが、その緊急造成は手取川ダムの建設でした。
現在の桑島地区は国道157号の長い隧道を抜けた恐竜館あたりからの道沿いと桑島大橋を渡ってホテル八鵬を右折した辺りにあります。現在は白山市ですが、その前の自治村・白峰村は近在の村落(牛首・風嵐・島(桑島)・下田原)が合併して出来た村でした。山間の高台にある牛首を除けば、他の村落の多くは手取川(牛首川)の谷の岸辺に沿っていました。特に桑島村は227世帯が現在よりも400~500m下に集落があったのです。
桑島村には石川県内でも2番目に完成した、当時の近代型校舎といえる円筒型校舎もあり、白峰村の中心的存在だったのです。
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旧桑島集落の遠景(昭和40年代) 撮影地点は桑島の対岸 国道157号からと思われます。 桑島小学校の手前にある川が本来の手取川(牛首川)で、もう少し右の辺りで蛇行していて、学校前が白峰地区で一番川幅の広い所でした。 上部 山並みの白っぽい部分の右端が桑島の大栃のある辺り。標高が465mというのが納得いくかも 白峰村史から引用

ちなみに、円筒型校舎は1950年代に建築家・坂本鹿名夫(当初は大成建設技師))が考案したもので、全国でも100以上作られたと云われています。戦後、教育法が整備されたものの、校舎は間に合わず、緊急に鉄筋コンクリート製の校舎が検討され、国主導で建築学会に依頼したものです。コンセプトは「最も経済的で合理的な建物」。当時、画期的な建物として海外からも視察を多く受けたそうです。
設計としてはモデル校の東京・新宿の西戸山小学校(昭和22年)が最初ですが(完成・昭和32年)、実は最初の円筒校舎が完成開校したのは、昭和27年(1952年)金沢市の私立金城高校(現・遊学館高校)でした。
ところが、この校舎は設計段階では技師・坂本氏は西戸山小学校と同じ設計を提出していました。(校舎2棟、間に連結長方形体育館)。しかし、承認は円筒校舎1棟だけの採用でした。これが原因と云われますが大成建設を独立、建築綜合計画研究所を設立し、全国に100以上の円筒校舎を建築設計しています。坂本氏は金城高校の一件がよほど悔しかったのか、自身の第一作は昭和29年完成の東京練馬・山崎学園富士見中学高校の校舎としています。 桑島小学校の円筒校舎は昭和33年(1958年)に完成したものでした。

円筒形校舎は昭和40年頃まで多数の校舎が建築されましたが、その後は四角の校舎が主流になって行きました。円筒校舎の利点は教室が扇形になり、教師から観ると教室内が見やすいという利点がありました。しかし、窓が生徒には背面になり、閉塞感があるとも云われたようです。でも、平成21年に解体された金城高校の円筒校舎を見たことが有りますが、教室は多少暗く感じましたが授業には向いていると思いましたが。。ただ、上下の昇り降りは急ぐときは大変そうという印象 いけない^^;僕の年代はつい女子高時代の金城高校と言ってしまいますねえ^^今は男女共学の遊学館でした。。

日本最大級の流出石の百万貫岩が示すように「石をも転がす急流」として、石川県の名将の由来にもなっている手取川は、加賀平野の広大な扇状地を作り、なくてはならない存在です。ところが、名だたる急流は災害をもたらす暴れ川でもありました。昭和9年(1934年)の大洪水では、白山麓だけでなく下流域の能美・石川郡・松任・小松市にも大きな損害をもたらし、死者行方不明・112名、流失倒壊家屋235戸・建物200棟、床上浸水586戸、この他にも農耕地流失埋没2800町歩以上能美・石川鉄道・国鉄の鉄橋や線路が流失など未曽有の災害をもたらしています。その後も白山の崩落や第二室戸・ジェーン台風など大型台風ごとに氾濫を繰り返していました。転機は昭和41年、手取川が一級水系となって建設省の直接管理になってからと言えます。

翌年、それまでも国・県による白山上流部の堰堤などの砂防工事が進められましたが、国による予算や広範囲の直接改修が可能になったわけです。建設省北陸地方局は、手取川の防災上に氾濫調整用のダムの必要性を提案します。手取川は手取渓谷が示すように取水に苦労する地形もあり、白山麓の農業用水渇水に苦しんでいました。また金沢・小松の急激な人口増加、工業団地の進出によって、新しい水源を必要としていた石川県もこれに乗っかります。更に福井の九頭竜ダムなどの北陸地区の電力事業も頭打ちとなり北陸電力も大型ダム発電所に乗り出します。昭和45年、この三事業者の共通要望(治水・利水・水力発電)で手取川ダム建設を中心にした手取川総合開発計画が進められました。

手取川ダムは北陸では黒部ダムに次ぐ規模、ロックフィルダムとしては国内4位の規模を誇ります。手取川ダムの完成によって、手取川の氾濫量を2割以上抑えることができ、上水道は日量44万トン・工業用水5万トンが、加賀地方から中能登までの八市四町をカバーしています。加賀平野の耕地も3割も増えています。発電事業も第一・第二発電所合計35.7万KWを供給しています。更にダム工事の事前整備により道路が整備され、勝山=白峰=金沢の国道157号の整備やスノー隧道、尾口・中宮・尾添から白山スーパー林道(現・ホワイトロード)へのアクセスが整備されました。
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現在の桑島村のあったダム湖の風景 アップしてもらうと左端の大きな建物のある所が、前出の40年代の桑島村の遠景の撮影地点 桑島北端から撮影 画像にオニヤンマが移り込んでいました。静かで、のどかな場所です。村が一つ沈んでいるとは思えません。

手取川ダムは石川県に大きな役割を果たしてくれているのですが、光ある所には影がある。。手取川ダムのダム湖によって尾口村・白峰村合わせて6つの村落、322世帯330戸が湖底に沈んだのです。6つの村落の中でも一番規模の大きかったのが、桑島集落で224世帯227戸でした。
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移住交渉が難航することが予測されたため、国も水特法を成立させ補償を充実させた上に、特例9条ダムに指定するなど(150戸以上の場合、水特法以上の優遇措置(土地・家の移住補償を他市町まで広げた))の法整備をおこなっています。度重なる交渉によって生活基盤の補償、集落の発展補償などが議題に挙げられましたが、当時の県や北陸電力の交渉・補償能力も限界値で、住民の村愛と良心に頼った面が多々の妥結になっていました。それでも、建設計画発表から8年での妥結、ダム完成の12年は、これだけの大工事としては異常なほどの速さでした。
この辺りの桑島村の状況や交渉経緯は、桑島の大栃から少し行ったところに建てられた「手取川総合開発記念館」の展示でも見られます。今回は外通路の改装中で、またの機会に。。。ただ見上げるような施設の外観は桑島小学校校舎を模したようです。

補足ですが、白峰村では当初及び交渉段階での移住計画では、移住世帯の過半数が残ることを目論んでいました。実際、村残留手当も少ない予算ながら組んでいました。しかし残留した世帯は3割以下の60世帯に留まってしまいました。多くの世帯は将来の生活基盤の安定と子供たちの進学などを理由に村外の代替地や他地に移っています。当時はまだまだ出作りの家が多く、本宅を失い、低山の出作りの基盤を失ったことが大きかったようです。また白山麓には鶴来以外に高校が無く、それまでは白峰の高校生は寄宿や下宿だったという事情が重なったとも云われています。

移住先の内訳は白峰の代替地60・鶴来北部の代替地57・業者による移住者用住宅地・鶴来町内25・同松任、野々市20・同金沢56世帯でした。鶴来の代替地には旧名の桑島・深瀬など白山麓時代の村名を受け継いでいます。

旅行日 2018.10.13

次回は、この子の居るところと、住んでいた場所をご紹介します^^ ガオ~~ン!!
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この記事へのコメント

  • tor

    私には栃の木はあまりなじみがないのですが…。大木が多いのですね。それと円筒校舎懐かしいですね。熊本市の水前寺電停近くに昔高校の校舎としてありました。今は高校が少し奥へ移転したため現存していません。
    2018年10月23日 19:36
  • つとつと

    torさん
    日本固有種の栃ノ木は栃の実が縄文・弥生期に主食の保存食にされたこともあって、米を主食にした西日本より東日本に多く保存や植栽をされたようで、その影響もあって東日本に多いようです。また、実のことばかり書きましたが花の方も、ミツバチが好むとされる主要蜜源(シナノキ・キハダ・ニセアカシア・トチノキ・クローバー・ソバ・アザミ)の一つで養蜂家は花を求めて移動していました。白山麓ははちみつも主要産業の一つでした。ところがこちらでも低山は杉の植林が増えて、栃ノ木は奥地に追いやられて廃れてしまいました。近年、復活の兆しがありますが。。
    数少ない九州ですが、栃ノ木の巨樹ランキングを調べたら5メートルを超す巨樹が大分・竹田市2本、大分市高岩、宮崎東白杵の小原井、torさんの熊本では郡山都町の白谷神社(菅村阿蘇神社)にあるようです。
    円筒校舎は戦後、S30年代に多く作られたようですが老朽化して数が少ないようです。石川でも金城の校舎も解体されて見られなくなってしまいました。金城は女子高だったんで2.3度見ただけで、ちょっと心残り。。
    2018年10月24日 05:11
  • go

    桑島の大栃の場所が知らなかったのですが、ホテル八鵬の近くなんですね、知っていれば今年の春に釣りクラブのお楽しみ会でホテル八鵬に泊まった時に見てくれば、・・残念でした。
    今度近くに行った時の見てこようと思っています。
    2018年10月24日 12:01
  • つとつと

    goさん
    ちょうどこの橋を渡ったところが大嵐山の登山道への道になるんですが、通行止めになっていました><途中に立木の敬か僕があるんですが、観ることが出来ませんでした。今度は5.6月に行ってみようと思っています。久しぶりに水芭蕉の群生も観られると良いなと思っています。ここ何年も桑島大橋を渡っていなかったんで、ちょっと懐かしかったです。次回は大栃の先に進んでライントンネルを越えてみてください。素晴らしい岩壁が見られますよ。
    2018年10月24日 21:00
  • yasuhiko

    土地の歴史を長く見守って来た
    立派な巨樹、巨木というのは、
    本当に、思わず拝みたくなるような
    風格や威厳を備えてるもんですね。
    特に、栃の巨木は、実が食料になる点で、
    地元の人との深い関わりを想像させてくれます。
    この谷川は、樹木化石が多いんですか。
    以前、八王子方面にメタセコイアの樹木化石を
    見に行った事を思い出しました。
    2018年10月27日 13:18
  • つとつと

    yasuhikoさん
    栃ノ木は山岳地では貴重な食料をもたらしてくれますから、もうその土地の象徴のような存在です。白峰の家では巨樹や大樹の木から自宅に植樹していた家が多いそうです。
    上流域の谷川沿いに立木の珪化木が発見されているんですが、この辺り一帯は次回に紹介するつもりでしたが、ジュラ紀から白亜紀の地層帯で国内最古の珪化木産地になるんですよ。世界最古の種子化石も発見されています。日本地質学の発祥の地と云われています。ただ、ダム湖や崖の崩落で水没したところが多いのが残念なんですが、所々に真黒な珪化木が見られます。ちょっと重装備でないと見られない場所が多いんですが。。。
    2018年10月27日 20:38
  • 家ニスタ

    円筒形校舎・・・面白い発想ですね。
    ウチの近所では、見たことありません。
    たしかに、教室間の移動などでは、効率がいいのかもしれませんね。
    円は理想の形といいますからね。
    なんとなく、信玄が理想の縄張りを実現したという、田中城の円形縄張りを思いだしました。
    2018年10月27日 23:19
  • つとつと

    家ニスタさん
    円筒形校舎 外観もお洒落で、教室も教壇から扇形に広がるので集中しやすく教師も生徒を見やすいという利点があったそうです。大学などで流行ったホール型の教室はこれの発展形なんだそうです。廊下も二つの円形廊下で同じ階の移動は楽だったようです。その辺、田中城に通じますねえ^^ただ欠点は縦移動が複雑になりがちで、中には螺旋階段になっていたものもあるそうで、円筒ですから火災に弱く、移動や避難行動に問題があったようです。
    円筒校舎の全盛時代から60年でその多くが耐震問題で廃棄されているそうです。ニュースで観たんですが、倉吉の現存最古の校舎がフィギュアミュージアムになったそうですよ。https://enkei-museum.com/
    2018年10月28日 09:56
  • まだこもよ

    木の寿命は 長いですよね~ でも その場所から動けない・・。
    人間と どちらが幸せかな? 
    2018年10月29日 07:19
  • つとつと

    まだこもよさん
    う~~ん どうでしょうか。違う世界や場所を見られる日宇が僕は良いと思いますが。。人里から離れて地盤を荒らされない所にずっといられるなら、木も良いかも
    2018年10月29日 08:50

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