御誕生寺

毎年この時期は忙しいのですが、その分遠出が出来ず、ストレスをためまくる僕。
そういう時には仕事に眼をつむって、ひたすら遠くに逃避ドライブが発散方法。。ただその分、仕事をためるので後で四苦八苦。。そういう僕を知ってる嫁さんは嫌々ながら助手席にというのがいつものパターン
で、二人で久しぶりにやってきたのは越前市。。午後になって出て来たので、訪れたのは一カ所だけ。。もっと早くから来ていればいろいろ回れるんですが、毎度の思い付きでしたので、、、
画像御誕生寺の猫ハウスの窓辺にいた猫ちゃん
 
この日は寒いので体調がすぐれなかったり、猫風邪の猫ちゃんはハウスに隔離中。ハウスの猫ちゃんはみんな寝ていたけれど、この子だけは外に行きたくて、窓辺で行きたそうにウズウズ、窓の前を通る人を見つめていました@@眼の鋭さと鼻筋がハッキリしているのはチャトラの特徴


まあ、嫁さんをつきあわせるんですから多少後ろめたい僕は、嫁さんが喜びそうなところにしようというわけで、初訪問の御誕生寺に。。。平成生まれの寺院ながら大きな敷地と本堂を持つ寺院ですが、巷では知る人ぞ知るの猫寺でもあるのです。

嫁さんの近頃の趣味と言えば、スマフォやタブレットで、日がな猫の動画を観ること^^
一時期のペットのワンちゃん流行から、数年前からはすっかりニャンコに流行は移っていますが、そこは御多分に漏れず我が家の嫁さんと娘も猫にはハマりまくっています。実家の頃は母親が猫好きで、僕も好きな部類。。元々、キティちゃんグッズに嵌る嫁さん。そこへもってきて娘が2/22生まれの猫娘。当然の成り行きと言えば成り行き。。

しかし、世の中そんなに甘いものじゃありません。嫁さんの最大の弱点が気管支が弱い。。その上に花粉症やハウスダストや毛、果ては異臭などは厳禁物で、猫や犬は大好きだけど、室内で飼うなんてもってのほか、鳥もダメということで、我が家では昔、金魚さんを飼ったことが有るくらい。でも、ずぼらなお父さんと娘がいるので、その飼育だけで手いっぱい。。当然、金魚の世話から水替えや掃除も嫁さんまかせ。。さすが、それ以降、我が家にはペットなし状態に。。
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画像 駐車場から車をおりて最初に出会った子
慈仏堂の周りがテリトリーのようで、周辺をウロウロ、でも警戒心が強いみたいで、近くに人を見ると離れて行ってしまいます。


まだまだ寒い時期なので、それほど期待せずに御誕生寺で、猫を観させてやろうという優しい僕^^; と、いいながら、嫁さんをほったらかして、広い境内や墓地廻りをあっちウロウロ、こっちウロウロしてたんですけどね。ただ、平成に出来た新しい寺院ですから、そんなに期待していなかったんですが。。。
画像 人の相手に疲れてお休み中の黒猫ちゃん
黒猫は不吉だとか気が強いとか云われて嫌われることが多いのですが、嫁さんが一番好きなのが黒猫^^;僕も昔、実家に黒猫が居て好きな方^^
ちなみに黒猫も好きですが、僕が一番好きなのはよもぎ猫(サバトラ)と呼ばれる猫。


御誕生寺猫寺として知られるようになったのは近年ですが、始まりは御誕生寺建築中に建築現場に、ダンボールに入れられた4匹の捨て猫を保護してから始まったそうです。
画像 事務所内でお食事中
嫁さんが御神籤引いている時は、近くをウロウロ。。僕が事務所に入ったら一緒に入ってお食事開始^^;そのまま顔はお椀に埋まったまま^^;>


異常繁殖を防ぐため避妊手術も行い、猫の健康管理も僧侶の皆さんの努力、篤志家の援助、お守りや御朱印・御神籤などの篤志の収益で、最盛期には80匹以上の猫が境内などを歩き回っていました。現在は20数匹。。
画像 猫寺と言いつつワンちゃんも@@
事務室に入ったら、いきなり顔を出したワン子事務長^^;ゴールデンレトリバーのアンディ君。京都亀岡から盲導犬に向かないとダメ出し、行き先が無く御誕生寺が引き取ったセカンドキャリア犬。優しい性格で大人びて見えますが、まだ3.4歳の若さで猫たちを見つめる牧猫犬


癒しを求めてお寺のお参りよりも猫を観に触りに来る人が多いようです。寺への遺棄は禁止で、飼い主の死去や高齢他などの諸事情の猫たちを受け付けているそうです。一匹一匹に名前を付けて、猫ブログで紹介するなどして里親を探していましたが、人気と共に里親さんも増えたようで、優しい里親さんの元に巣立つ猫が増えたそうです。
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 猫寺ならではの招き猫おみくじに招き絵猫
御朱印帳も新しいものが出来ています。事務所内に、お守りや猫カレンダーも^^


とはいえ、不規則なブログ世界、ブログの閉鎖で引っ越し、約4年間の今年までは写真画像が扱いやすいYAHOOブログでしたが、今年の12月にYAHOOブログが終了予定で、FBを含め移転先を模索中のようです。LINKを設定してますので、なかなか楽しいブログです。
御誕生寺「ぬこでら」 ⇒ YAHOOブログ   御誕生寺 ⇒ FB御誕生寺 
画像 本堂内の猫の供養堂

訪れた日は天気はそこそこでしたが、夕方には肌寒く、猫風邪や体調の整っていない猫たちは飼育小屋の中でお寝んね。。境内には5.6匹しかいませんでしたが、、翌日の昼間は暖かく、FB写真は本堂前の陽当りの良い石段は猫たちが勢ぞろい@@ 今の時季はお昼が狙い目ですね。

けっこう撮ろうとは試みましたが、ソッポは向かれるし、撮ったはずの画像が消えているはで枚数が少なくて申し訳ない。。





元々、僕が御誕生寺を知っていたのはお客さんから、、、一人住まいのおばあちゃん、もといご婦人からだったんです。20年来、なぜか妙に仲良しになってしまい、近くに立ち寄って暇なときはお茶をしながら1.2時間、時には半日、仕事抜きでおしゃべりする仲でした。たまたま開創の半年くらい後、ご婦人が知り合いからこんな寺院が出来たから、寄付を頼まれた。解んないから寄付・寄進はなしで、月会報だけ購読することにしたという、なかなか良いことが書いてある云々。。又胡散臭い話だなあ、そういうのは係わらない方がいいと言ったんだけど、こんな会報だと見せてくれたわけです。つとつとさんなら、こういう寺院関係は詳しいでしょと。。いやいや買いかぶりですよ、福井の寺院なんて知らないとこばっかだもん。。と言いつつ観てみると、住職のお名前だけは実はよく知っていたわけです。へえ~~、今はここにいらっしゃったんだ。。この人なら大丈夫だよ。別にそこに墓を造る気もないんなら、会報だけは続けてていいんじゃないとなって、、ご婦人も昔は転勤族で一時、武生に住んだこともあって、その後も一度くらいお寺に行ってみたいなあと言っていたわけです。

その後、ご婦人も昨昨年心臓の関係で倒れ、今は介護施設に。。近くの買い物はOKですが、遠出なんてもってのほか、結局本人は一度も行けずじまい、先日TELで元気な声を聴いたんで、時間が出来たら顔を出さなきゃと思っていたんですが、その人のことを思い出して、ついでにお札か御守りでもあればお土産にという気持ちも。。
画像 御誕生寺 本堂
さて、他宗の僕が名前を知るほどの住職さんは板橋興宗(こうしゅう)師。曹洞宗の高僧です。たしか年齢は90代だと思います。
板橋興宗師は宮城県多賀城市生まれ。東北大学卒業と共に26歳で出家、総持寺(鶴見)で修業。師・渡辺玄宗(総持寺17世貫首)に招聘されて総持寺祖院(輪島市門前)で修業、師と共に大乗寺でも修行を積んでいます。ちなみに渡辺玄宗は昭和2年(1927年)に荒廃していた總持寺派の発祥とも云える金沢・大乗寺を復興した人物として知られています。
その後、瑞洞院(越前市)住職、鶴見總持寺講師・単頭(学校の主任教諭のような者)、総持寺祖院後堂(学校の教頭のような者)、昭和56年(1981年)金沢・大乗寺の山主に就任。
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大乗寺では伽藍を修繕するとともに、「椅子坐禅」を提唱して怪我人・患者・高齢者に座禅の門戸を広げ、金沢でも著名な曹洞宗寺院として名を高め、大乗寺中興の祖と呼ばれています。
僕が板橋氏を知ったのもこの頃で、前職時代に社外セミナーで講師として得度したばかりの松野宗純氏(元エッソ石油副社長、現・武生地蔵院住職)の講演と共に来賓で来られていた時からです。

その後、平成9年(1997年)総持寺副貫首、翌年総持寺貫首、曹洞宗管長と曹洞宗のトップになっています。平成14年、道元大遠忌(750回忌)を挙行後に、総持寺貫首を勇退して総持寺祖院住職に。そして御誕生寺の再建と共に移住して現在に至っています。

大乗寺は曹洞宗では初代・徹通義介(てっつうぎかい)、二代・瑩山紹瑾(けいざんじょうきん)と総持寺の発祥に繋がる古刹(当時は野々市)であり、永平寺の四門首に数えられる重要寺院で、能登守護家・畠山家、加賀八家老・本多家の菩提寺ですが、明治から昭和にかけては曹洞宗関係者や歴史好きな人以外にはそう知られた存在ではありませんでした。板橋師が山主となって「椅子坐禅」を広め、映画「ファンシーダンス」のロケ地にしたりで裾野を広げ、それまでは他宗の人に厄介者扱いされた「寒行托鉢」を金沢の風物詩にまで引き上げて大乗寺の地位・名声を高めたため、他宗派の石川県人にとっても板橋師の名前は知る人ぞ知るの存在になっていたのです。

御誕生寺のいわれ

曹洞宗には大本山永平寺と大本山總持寺の二大本山がある。永平寺の御開山・道元禅師の生誕地は京都の深草である。
總持寺の御開山・瑩山禅師の生誕地については、従来二カ所のいい伝えがあった。
一つは丸岡町であり、一つは越前市帆山町である。
昭和四十四年一月、大本山總持寺は御生誕七百年を記念し、帆山町に瑩山禅師.御生誕地顕彰碑を建てた。
瑩山禅師の母親である懐観大姉は子宝に恵まれず、帆山の中腹にある観音堂に日参し、授かったのが瑩山禅師である。
母の願い通りに成長した瑩山禅師は、現在の曹洞宗の基礎を築かれ、幾多の優れた禅師方を輩出された。宗門の開祖は道元禅師であるが、教団としての曹洞宗を盤石ならしめたのは、瑩山禅師の佛徳に他ならない。
昭和二十三年に帆山の地に上田全之師が御誕生寺を建てられた。現在は建物も境内も無くなっている。しかし御誕生寺の寺籍だけは登録されたままになっていた。
平成十一年一月、興宗和尚が大本山總持寺の貫首に就任したころより、宇野煕氏から御誕生寺の建設をすすめられた。そして現在の土地を寄進され、境内の整備工事や假(かり)本堂、庫裡の建設が始まった。
ところが平成十四年五月、宇野氏が急逝された。建設の将来も危ぶまれたが、全国各地の御寺院方や篤心者から絶大な御支援をいただき、建設は順調に進んだ。
更に専門僧堂として公認され、平成二十一年六月七日落慶法要が盛大に行われた。
瑩山禅師を御開山に勧請申し上げ、二世を上田全之師とし、開基に宇野煕氏をお迎えした。興宗和尚は大本山總持寺から中興の称号をいただき三世となった。
ここに御誕生寺は、名実ともに修行道場としての新たな一歩を踏み出すに至った。

平成二十一年仲秋 萬象山御誕生寺 雲海興宗 記

画像 御誕生寺 慈佛堂&鐘楼

曹洞宗には大本山が二箇所あり、一つは開祖・道元が開山した福井市と勝山市の間の永平寺町の永平寺。三代相論で永平寺を去った三世・ 徹通義介に従い大乗寺に移った瑩山紹瑾が能登・門前に建てた總持寺(現・総持寺祖院)になります。明治に門前での大火で被害を受けた總持寺は神奈川県横浜市鶴見に移転しています。

曹洞宗の道元というよりも、他宗の開祖にも言えるのですが、現在に伝わる各宗派の開祖は自身の修行や教義を優先するものがほとんどでした。道元もまた、修行道場としての永平寺を開創したとはいえ、自身の禅修業を優先し、弟子たちにも修行と教義を重視させたわけです。但し、それはそれで尊敬すべきものですが、残された教団を規律し発展させるには、布教による拡大と集団の規律を整備せねばなりません。その為後を受けた教団に宣伝と規律を進め格を一気に挙げたカリスマが登場します。現在につながる宗派には必ず中興の祖と言える人物が現れて後世に教団を残しています。時宗の他阿・浄土宗の源智・浄土真宗の蓮如などが集団をまとめ上げ教生を広げた基礎を構築した人物と言えます。

曹洞宗でも、道元の死によって、永平寺は保守派と開放派の対立で教団の危機感は高かったのですが、2世・孤雲懐奘(こうんえじょう)は、徹通義介(後の三世)を南宋に派遣して祈祷や清規(しんぎ・禅宗の集団規則)を学ばせ、永平寺に儀礼と規則を持ち込みます。これが現在の永平寺の規則や儀典に多く受け継がれたのですが、対立は根深く修まらず、教団分裂の責任を取って徹通義介は永平寺を去り、加賀富樫家の庇護の元に野々市に大乗寺を開いたのです。その際に補佐として全国行脚の旅から呼び寄せたのが瑩山紹瑾でした。瑩山は能登に教生を伸ばすと、 永光寺を基盤に總持寺を能登本山として創建。弟子の教育も怠らず四哲(明峰素哲、無涯智洪、峨山韶碩、壺庵至簡)や女性住職の抜擢を行っています。この後塵たちが全国に曹洞宗を広げていったわけです。永平寺とは別組織ともいえますが、永平寺は5世・義雲が立て直し後世に残したことと両山の交流が顕著で、珍しい二大本山制が成立したというです。曹洞宗では派閥は無いと云っていますが、現在も曹洞宗のトップ・管長は、永平寺・總持寺の貫首が2年交代で努めています。
画像 御誕生寺 本堂内
一仏両祖というように、中央に釈迦如来、左右に高祖・道元と太祖・瑩山の像が並びます。


現在の曹洞宗寺院は15000寺とも云われる発展を見せていますが、その多くの寺院(一説には8割)は瑩山門下の弟子から広がったと云われています。この辺りのことは以前にも書いています。 ⇒ H24.8.10 洞谷山 永光寺① 永光寺③ 
現在の曹洞宗寺院の多くが本堂や祖堂では、中央に本尊・釈迦如来、左右に開(高)祖・道元、太祖・瑩山を置いて祀っています。これを一仏両祖といいます。ちなみに浄土真宗でも中央に阿弥陀如来、左右に開祖・親鸞、八世・蓮如を祀る寺院が多く存在します。
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画像 御誕生寺 法転輪の庭
作庭は横浜市鶴見の建功寺住職であり多摩美術大学教授で、日本造園設計を主宰する枡野俊明氏。


曹洞宗の太祖・瑩山紹瑾生誕地は由来にもあるように二説あります。実は瑩山の生誕地は越前国多禰邑(たねむら)とされています。ところが困ったことに福井には多禰という地名が二箇所あるわけです。丸岡町の多禰神社近辺(現・坂井市(旧坂井郡)丸岡町山崎三ケ)、そしてもう一つの多禰邑が越前市帆山町の帆山公園近辺。どちらにも瑩山禅師生誕地の碑があります。個人的には位置的にも母親が帰依したという永平寺や信仰した白山神の豊原寺や平泉寺に近いといえば丸岡だと思うんですが、總持寺では現在は帆山説をとっています。ただ、これといった証明は示されていませんが。。。

この生誕地に関する出典は瑩山紹瑾の日誌とも云える「洞谷記」に載っているそうですが、この生誕地や生い立ちは瑩山の口述を後(室町期)に、弟子たちによって書き加えられた流布本の記述のようです。越前国多禰邑、後の種村瓜生家に生まれたとされています。

ちなみに瓜生家は、大江山の酒呑童子、土蜘蛛退治で有名な摂津源氏・源頼光の四天王(渡辺綱、坂田金時、碓井貞光、卜部季武)の筆頭・渡辺綱を祖にすると自称しています。坂田金時は御存じ金太郎さん。綱が酒呑童子退治や一条戻り橋で茨鬼童子の左腕を切り落とした名刀・髭切りの太刀は源氏重代の名刀として後世に伝わっています。渡辺氏の分流として越後三島郡瓜生(現・長岡市瓜生)に住まいして瓜生氏を名乗ったとされ、その分流が越前の杣山(そまやま)城近郷に移って治めたと云われています。瓜生家の有名人には、南北朝期、金ケ崎城を脱出した新田義貞が最初に再挙の旗揚げをしたのが杣山城で、この時の城主が瓜生保になります。再起した義貞は燈明寺畷で敗死するまで越前国内を席巻することになります。
たしかに杣山城近郷からなら帆山は10キロ弱、しかし、近くに白山信仰の有力神社や寺院を探せば、さらに倍以上、北上しなければなりません。

ちょっと横道に逸れましたが、瑩山の生誕に関する記述は、母親の名前や成り行きは修飾されていますが、種村・瓜生が固有名詞になって目立つのですが、この二つの地名や名称ならば、加賀から瑩山の終末までを過ごした永光寺の道筋には、津幡の加茂庄の近くに種(現津幡町種)、瑩山の直弟子の蛾山の生誕地・瓜生(永光寺とは宝達山を挟んで反対の麓)があります。まあ、はっきり解らないというのが正直な所。。

ついでなので、瑩山の生誕から幼少期の逸話を紹介すると…懐観大姉(瑩山の母、詳細不明)は子供がなかなかできなかったこともあり「妙法蓮華経」「普門品」を唱え、白山の千手観音に毎日礼拝(333拝、観音経を33度唱えたとも云われます)。その甲斐もあり、37歳で子供を授かりました。当時としても相当な高齢出産ですが、彼女は妊娠後もこの参拝を続けたと云われます。出産時には「子が観音様のように世間の為に尽くす貴きものになるならば無事に生ませていただきたい。そうでないならば、このまま流産して欲しい」、無事生まれてきたのが瑩山というわけです。幼名は行生(ぎょうしょう)。
母親の期待通り、利発な子として育ちましたが、智が先に立つ機来があり、怒鳴ったりはしませんが愚に出会うと顔に出るということがあり、母や祖母にたしなめられて、どんな相手にも聴くという素行を改めたと弟子に陳述しています。6歳の時に多禰観音に詣でた時に感得、出家を志しましたが両親は許さず、説得のために断食を行ない8歳で母親が帰依していた永平寺に登ります。瑩山の祖母(明智優婆夷?優婆夷は初期曹洞宗の在家女性信者のこと)は道元の弟子だったという関係からと云われます。永平寺では母親の伝手で徹通義介の沙弥(雛僧)となり、義介の推薦で永平寺二世・孤雲懐奘によって13歳で出家得度します。18歳で宝慶寺の寂円の薫陶を受け、比叡山で学び伊勢を巡り、21歳で再び寂円の薫陶を受け、全国行脚の旅に出ています。この間に阿波の城万寺を開創したと云います。


曹洞宗における開祖・道元に並び称される太祖・瑩山
その生誕地を称する越前市としては、やはりここがと主張するわけです。まあ、丸岡は白山信仰の発祥地とも云える豊原寺(旧丸岡城址)がある関係で、泰澄の方が知られていますから、それほどの主張もなかったようですが。。まあ、生誕地に由緒の異説がある場合はPRや構築物を造った者勝ちという所がありますから・・・何と言っても、福井の僧侶の二大巨頭の一人
・泰澄は生誕地は福井市(麻生津・三十八社町(泰澄寺))、墓所は越前町(大谷寺)ですから、瑩山だけは外せないという越前市の気持ちも解ります。越前国府の武生という大事な名を捨ててまで作った越前市としては、越前町や南越前町には負けられない事情があります。

昭和23年(1948年)、瑩山の生誕地候補の帆山に上田全之という人物が瑩山紹瑾の生誕地である帆山に小堂が建立します。しかしその後荒廃、小堂も消滅します。
昭和44年には總持寺が帆山町を瑩山の生誕地として認定。生誕地の顕彰碑を同地に建てます。
平成14年(2002年)、曹洞宗管長・総持寺貫首を勇退して総持寺祖院住職となった板橋興宗に寄進という形で広大な土地を提供して小堂を建立。
平成21年に本堂・座禅堂が落慶、総持寺の直末・中興の称号を得ます。直末は本山の直接末寺、中興は途絶したり衰退したものを復興させることを言い「中興の祖」と同じ意味。また、曹洞宗宗務庁より修行道場「専門僧堂」の認可も受けています。

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御誕生寺では瑩山を開祖上田全之を二世、板橋興宗を三世としています。
宇野酸素株式会社は大正13年(1924年)に北陸初の酸素ガス販売商として創業。高圧ガスの製造販売・溶接材関連機器の販売で成長してきた会社です。昭和56年に現在の社名になっています。前身の北陸工業瓦斯(ガス)と聞けば、北陸三県・滋賀県の人には馴染みがあるかも。。
曹洞宗が瑩山の誕生寺として認可した専門僧堂というのは、日本の禅宗の僧侶が住職の資格を得るために一定期間修行する研修機関をいいます。宗派や本山、有力寺院、形態、昇格で本山僧堂、特別僧堂、専門禅堂、専門尼僧堂などと呼び名が変わることが有りますが、実態に大差はありません。しかし、建立間もない寺院が指定されるのは珍しいことです。曹洞宗では28か寺32の専門僧堂(本山・特別・尼僧堂を含む)があると云われています。


専門僧堂のある寺院は、禅宗の住職や高僧への研修機関とも云えるわけで、その修行は厳しいものがあります。そんな寺院が猫寺として親しまれているのは面白いですね。
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墓所から裏を廻ると「ひの不動明王」の大きな立像がいました。ただ由緒を写して、後で調べようと思ったらピンボケ・・またの機会に。。

墓所地の最西部には加賀藩関係のお墓も発見@@ 小原惣左衛門家・・・加賀藩三代・前田利常の時代に仕え、150石ながら直接に藩主(利常・光高・綱紀)に太平記や軍学を講義した実績があります。江戸期には書物奉行・膳奉行・定番頭・騎馬衆を歴任、加増300石を受けていました。当代に後継者が無く、野町少林寺から御誕生寺に永代供養地として移ったようです。歴史的には寂しいですが、安住地を確保できて良かったのかも。。
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御誕生寺の入り口になる道路には大きな目印になる六地蔵が並んでいます。
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傍の石材店の作品のようですが、とにかく大きいけど可愛い。。すぐ眼に入る良い目印です。
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「ふくふく」「らくらく」「にこにこ」「いきいき」「すくすく」「ほかほか」の六地蔵。座禅を組んでいるのが、禅宗の曹洞宗寺院らしいところ。
約3mはあろうかという大きさが六体はなかなか壮観です。

旅行日 2019.03.02




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この記事へのコメント

  • tor

    こんばんは。
    今年は暖冬で昨年のような大雪ではないので…と思っていましたが
    年度末はお忙しいのですね。
    最近は猫ブームですね。
    熊本にも狛猫のいる猫寺があるようです。
    昨日ジョギングで寄った寺院の由緒に
    本山は永平寺と總持寺とあって読み流したのですが
    總持寺は火事で横浜へ移転したりですね。
    瑩山の誕生寺なのですね。
    2019年03月10日 19:42
  • つとつと

    torさん
    昨年は大変でした^^;とはいえ、僕の仕事は2月末から5月が掻き入れ時で、ここでさぼると無いことんでもないことに。。。
    今の猫ブームは凄いですが、家の中で過ごさせるんですから、やはり。。。家の中でストレスをためる猫もたいへんです。
    元々初期の曹洞宗は、道元の曹洞宗に似た考えの日本達磨宗が帰依して大きくなったものです。道元は小乗的な個人や修行の昇華を目指しますが、日本達磨宗は民衆への波及が主体。文中に登場する永平寺二世・孤雲懐奘、三世・徹通義介は日本達磨宗の出身で改革派と言えます。この二人に引き上げられた瑩山は改革派の後継者と言えます。ところが瑩山が成人後に薫陶を与えた寂園は同門の道元を慕って中国から渡来した僧。また懐奘も道元を厚く信奉していました。總持寺を開創した瑩山ですが、保守・改革双方から期待された人材で、曹洞宗が永平寺と総持寺に分かれても同方向に進んだ立役者でもあったようです。元は四本山なんですが、現在の二本山制が機能するところが、東西に分かれて反目する真宗、いろいろな分派になって過激な反目になった日蓮宗と大きく違う所です。
    2019年03月11日 12:51
  • イータン

    こんにちは~
    平成生まれの御誕生寺なのですか 猫寺とは珍しいですね。
    つとつとさんが一生懸命奥様にゴマ擦っていらっしゃる姿が浮かぶます〈冗談)
    いつも家族で出かける姿っていいな~と思います。
    私もつとつとさん家族と同じく、黒猫ちゃん大好きです。
    シッポだけ白の黒猫が毎日我が庭を横断して行きます。
    私はもったいないな~シッポまで黒に生まれたら良かったのになんて思いながら見ています。
    法転輪の庭 造園設計の庭園ならではの落ち着いた素晴らしい庭園ですね。
    2019年03月11日 16:52
  • ふーう

    平成生まれの寺院ですか。
    ニャンコがたくさんいるんですね。
    私もどちらかといえば、猫派なので
    行ってみたくなりました。
    大きな六地蔵様もびっくりですね。
    可愛いけど大き~~いのですね(笑)
    2019年03月11日 22:43
  • ミクミティ

    猫寺としての御誕生寺の紹介から始まって、曹洞宗寺院の歴史へと話が進展するなんて、さすがのストーリー展開ですね。曹洞宗のトップにまで昇りつめた方が、平成の寺院の住職になるということがあるのですね。
    大本山の一つが横浜にあるという歴史に、曹洞宗の柔軟性や時代への対応力を感じたりします。久しぶりに総持寺を訪ねてみようかなと思いました。
    2019年03月12日 21:59
  • がにちゃん

    猫寺 本当にすごい数に猫ちゃん達ですね  かわいい六地蔵さん  いいですね

    2/22 猫娘 姪っ子も猫娘ならぬ猫妻です

    この時代にこんなに立派なお寺が建ったのですね

    ニャーンと素敵な事でしょう  
    2019年03月12日 22:21
  • つとつと

    イータンさん
    (苦笑)なんだかんだ言っても我が家は嫁さんを中心に動いていますから、そこは上げ膳据え膳^^;
    そうですか、尻尾だけが白い黒猫ですか@@毎日、お庭に挨拶に来るなんて可愛いじゃないですか^^
    御誕生寺、たまたま、工事現場に捨てられてい四匹の子猫からだそうですから、約10年程でしょうか、でも總持寺にとっては太祖・瑩山の寺であり、管長・貫首の寺院ですから、重要寺の一つになりますね。造園設計をご存知でしたか^^さすがイータンさん、禅をテーマにした庭園の作品集「禅の庭」シリーズが知られていますねえ、
    2019年03月13日 14:55
  • つとつと

    ふーうさん
    新しい寺院ですが、曹洞宗の総持寺にとっては太祖・瑩山の誕生寺であり、現在の貫首を除いて管長も経験した元管首では唯一の生きた禅師在住の寺・専門僧堂ですから相当の重要寺になります。それでも創建当時から猫の棲む寺院ですから。。ほんとうに猫がメインの寺院です。
    僕も訪問は初めてでしたが道路からこの座禅を組む六体のおかげですぐ解りました。
    2019年03月13日 15:21
  • つとつと

    ミクミティさん
    板橋師の師匠になる渡辺玄宗も総持寺の貫首を引退した後は、輪島門前の総持寺祖院の住職として生涯を終えています。師の足跡をなぞって生涯を終えようと思っていたと思います。しかし、総持寺を創建した瑩山の誕生寺を建てるという偉業は、やはり貫首・管長に登り詰めたものでなければなしえません。そういう意味では新しい寺院ですが格式は高いと云えます。でも、訪れてみるとご主人は猫たちですが。。
    総持寺祖院を知る石川県人としては、横浜に總持寺が移ってちょっと寂しい気もしますが、横浜の総持寺の巨大さは常々見聞きします。僕も行ってみたいですねえ。
    そうそう、能登地震で損傷した祖院の山門も曳家工法で場所を移していましたが完成しています。横浜を観られたら、機会があれば奥能登観光ついでに門前の祖院を観れば新旧が見比べられますよ。そうそう瑩山の墓所のある永光寺もお薦めです。
    2019年03月13日 16:01
  • つとつと

    がにちゃんさん
    ちょっと場所は外れたところですが、逆に猫たちには喧噪も聞こえない静かな環境です。どの猫たちも辛い経験をしたものが多いですが、静かな寺院は安らぎの場所にもなりますね。厳しい専門僧堂の寺院ですが、そんなことを感じさせない猫や六地蔵はほっこりさせられます。
    それにしても、曹洞宗の寺院は散策すると飽きさせない魅力が満載ですねえ。。
    福井の曹洞宗寺院にまた名所が増えました。永平寺・宝慶寺・御誕生寺それぞれ違った味わいがあります。お薦めですよ^^
    2019年03月13日 16:12
  • yasuhiko

    猫寺訪問ですか。それは
    奥様孝行をなさいましたね。
    捨て猫を保護して、里親探しをする
    なんて、いかにもお寺さんに
    相応しい慈善行為だと思います。
    六地蔵さんも可愛くて面白いですね。
    2019年03月15日 16:21
  • 家ニスタ

    なるほど、ネコ寺ですか。
    昨今のネコブーム、参拝客がひきもきらないでしょうね。
    ネコを見守ってるイヌがほほえましいです。
    ネコとイヌって意外と共存できるんですよね。
    僕も以前はだんぜんイヌ派だったんですが、さいきんではネコもよくなってきました。
    家の事情で動物は飼えないので、ネコカフェにでも行っていやされてこようかと思います。
    2019年03月16日 06:08
  • 藍上雄

     御誕生寺って、捨て猫を保護しているのではなく、都合飼い主のいなくなった猫を保護しているのですね。なるほど…。ネットで里親探しも良いですね。高級志向の強い現代では、おいそれとは里親見つからないかもしれませんが、保険所に引き取って貰うのも可哀そうですね。
     事務長のアンディ君なかなかの男前ですね。
    2019年03月16日 14:56
  • つとつと

    yasuhikoさん
    この時季、花粉や黄砂に苦しむ嫁さんは、外に行くのを嫌がるんですが、久しぶりの福井と猫の言葉に釣られて同行を。。。^^;
    最初は捨て猫から始まりましたが、今は飼い主を失ったり、施設入居や転居で飼えなくなったりといった訳あり猫たち。。修行の厳しい専門僧堂ですが、修行僧の皆さんの癒しにもなっているようです。
    住職の人柄を示すように、楽しく、気軽に人が訪れるようにという、そのもの寺院が現れているようです。曹洞宗の寺院は外は質実剛健ですが、案外に内部に入ると豪華絢爛なモノやユニークなものが多く見られます。もし機会があれば本堂内は必見の所が多いですから面白いですよ^^
    2019年03月16日 20:24
  • つとつと

    家ニスタさん
    僕たちが着いたときは4時近くで帰りには、薄闇になり筒という感じでしたが、続々と家族連れの車が入って行きました。猫人気恐るべしですね。
    けっこう、大人しい犬は猫を見守る感じで、共存できるようです。そうそう、僕の実家では、十姉妹を大きな木箱で飼っていたんですが、猫君は木箱の上で野良猫やヘビが来るのを見張っていました。実際何度も撃退^^普通は猫が箱の上にいたら鳥は大騒ぎですが、その猫だけは受け入れていたみたいです。鶏も巣の上に来ても知らんぷり。。でも外に出すと鶏が猫を追っかけまわしていましたが。。^^;
    我が家もペット厳禁なので、残念なんですが、、たまにはこういう場所も良いかもですねえ^^;
    2019年03月16日 20:37
  • つとつと

    藍上雄さん
    当初はなかなか飼い主が見つからなくて、数年前には80匹の大所帯になってしまったようですが、猫寺と認識されるようになって人気が出てからは、意外に引き取り手が多くなったそうです。まあ、もちろん猫にも人気順はあるようですが。。。卒業していく猫は多いそうですよ^^ 僕や嫁さんのように、顔つきの鋭い方が好みの人もいれば、好みは変わると思いますが、お寺で修業した猫たちですから意外に躾が出来ているんですよ^^そこが人気の元。。でも、広い境内になれているから、室内猫になるのは本猫には辛いかもしれませんが。。。
    アンディー君 人間にしたら20歳前の若者ですが、落ち着いた雰囲気と猫たちを観る眼は優しさそのもの。。本当は雪の中を走るくらい元気なんですが、今年は雪が無くて寂しかったようです。
    2019年03月16日 20:53

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