それが松任グリーンパークになります。水と緑のふれあい広場・いこいの広場、ラグビー・サッカー・ソフトボール使用のグラウンド、テニスコートのサンスポーツランド松任・ふれあい農場広場・ふれあい体験館など多目的な市民の憩いの場になっています。以前はゴルフの練習場もありましたが今は撤去されています。近年は周辺にIT・軽工業系の工場の進出も観られます。駐車場も広く、内面、外面合わせると360台分の駐車場があります。
冬の降雪時には外面駐車場は白山市近隣の雪捨て場になり、雪の多い年には巨大な雪山がよく観られます。
事務所がこの近くなので、このグリーンパークを横目に通り過ぎたり、御昼時ならお弁当やパンをもって駐車場や水辺でホッとしに立ち寄っています。ただ、駐車場には日影がないので、曇りに来てることが多いかも、、、でも水辺公園には晴れた日に。。。
子どもたちが走り回る傾斜の芝生広場がある「いこいの広場」ですが、子供を遊ばせて、お父さんは芝生の上で大の字というパターンでしたが、娘がでかくなってしまうとなかなか来る機会がなくて、すっかりご無沙汰してたら、60mのパイプスライダーが無くなってました。。いつの間に。。
白山市の南端れの為にバスか車でないと訪れづらいので、、、意外に訪問数が少ない公園なのですが、広い芝生公園があり家族連れ、保育園、小学生には隠れた人気があります。娘が幼かった頃にはよくここにきて遊ばせていました。GW前半には「緑と花のフェスティバル」と称した元々は植木・花苗市・園芸教室だったんですが、近年はフリーマーケット・物産市・屋台市などが増えて知名度が上がって大賑いになっています。このフェスティバルが終わると、咲き始めるのが藤棚になります。
そして、この土手に沿った曲線路と南東から北西に直線の藤棚が配されています。5月に入るとこの藤の花が満開になるんです。他にもサツキや黄菖蒲が一緒に咲くと美しい風景が見られます。石川県内には藤の名所が少ない中で。総延長310mの長大な藤棚が見られる名所の一つです。
10年程前に訪れた時は見事な藤棚になっていました。
H21.05.21 松任グリーンパーク
H22.05.14 松任グリーンパーク 藤棚
H23.05.14 藤の花
グリーンパークの藤棚の始まりは、、、白山市の前身・松任市が、姉妹都市・友好提携都市を結んでいた静岡県藤枝市から寄贈された藤ノ樹に藤棚を作製して植樹したものになります。製作・整備には藤枝市の大きな協力が当てられています。つまりこの藤の花は静岡県藤枝市の出身になるわけです。
藤枝市の名の由来は・・・源義家(八幡太郎)が奥州へ下る際に、若一王子神社(藤枝宿)に立ち寄った際に、裏山の古松に藤の蔓が絡まり、藤の花が咲き誇っているのを見て和歌を詠んだというもの・・・「松に花 咲く藤枝の 一王子 宮居ゆたかに いく千代をへん」 と、云われています。
全国に藤の名所は多々ありますが、名前も市花も藤の花で藤枝市。市内には藤まつりで知られた「蓮華寺公園」。近年には藤棚の延長工事で500mの藤棚が完成したそうです。他にも白藤の滝がある「白ふじの里」があるそうです。いつか行ってみたいとずっと思っています。。
松任市と藤枝市が姉妹友好都市を結んだのは昭和58年(1973年)。
平成の大合併で、松任市は他の二町五村(鶴来町・美川町・河内村・鳥越村・吉野谷村・尾口村・白峰村)と共に合併して白山市となり、藤枝市も岡部町を編入しています。平成の大合併では多くの市町村が合併によって市町村名が大きく変動し、市町村制の変換も迫られる事態を招きました。
当然ながらそれまでの友好市町村の提携実態も大きく見直し・変更されることになってしまいました。白山市では各市町村が結んでいた海外の友好姉妹都市とはすべて継承しています。
(国外) 姉妹・親善・友好都市 コロンビア市(アメリカ、松任市)・ 溧陽市(りつよう、中国、松任市)・ペンリス市(オーストラリア、松任市)・ラウンハイム市(ドイツ、白峰村)・ ボージャンシー市 (フランス、鶴来町)・ ボストン町 (イギリス、美川町)
国内に関しては、町名自体・区画が変更されていたりでそうはいかず、地区として友好関係を継続するという形になっています。その中で唯一、市全体での親善友好都市の関係を変更しなかった間柄が藤枝市というわけです。この藤棚は藤枝市との貴重な仲を示す存在になるわけです。
藤枝市との提携の謂れは知りませんが、この藤棚の存在のおかげで藤枝市、ひいては静岡県に親近感を持ってしまう僕なのです。(まあ、日本海と太平洋と正反対の場所ですが、逆さまに見れば、石川・富山と静岡はおんなじ形に見えませんか^^;)
ちなみに白山市の前身の一市二町五村として友好・姉妹・親善を交わしていた市町村は全体で10~20市町村だったと云われていますが、今でも定期交流を続けているのは、高知の大川村との旧河内村・県内の門前町(輪島市)と旧尾口村くらいになっています。
中には亀田町(現・新潟市南区)と旧鶴来町の鶴亀同盟。南有馬町(現・南島原市)と旧鳥越村の友好一揆、旧美川町が結んだ全国・みかわ(美川・三川・三加和など)友好ネットワークなど興味深い友好関係があったんですが。。。多くが自然消滅状態・解消状態・・・
現在も市町村合併や都構想・行政ブロック編成・選挙区編成などが騒がれていますが、安易な合併や編入編成は、全国の地域間交流や独立性を損なってしまい、ますます地域格差や消滅を招くことになることをお忘れなく。。
水と緑のふれあい広場の北側を流れている川は山島用水。
鶴来町の白山頭首工の取水口からの七ヶ(しちが)用水路から枝分かれした七つの用水路(富樫・郷・中村・山島・大慶寺・中島・新砂川用水)の一つになります。
白山を水源(2702m)とする手取川は、勾配は日本有数の川で石をも転がす川ということで、石川県の名の由来になっています。その急流は白山市全体に広がる勾配のある広大な扇状地と田園地帯を造成しています。古代には比楽河(ひらかがわ)とも呼ばれ、手取川の名は寿永2年(1183年)、倶利伽羅合戦に勝利した源(木曽)義仲軍が追討戦に移り、加賀篠原で最終決戦を図る平家軍に向かう際に、増水した急流を渡るために、手をつなぎながら渡河したという由来から名付けられたと云われています。


上:一の宮大橋下 白山頭首工への延長幹線水路
中:白山発電所 大水門口
下:幹線水路 郷・富樫用水分岐点
奥に観える水色の連続アーチ型パイプ橋は、対岸の能美市側を流れる宮竹用水への逆サイフォン導水管になります。
手取川は古代から何度も氾濫洪水を繰り返し、その流れも何度か変えていると伝えられています。白山比咩神社(白山寺、下白山、白山本宮)も発祥の舟岡山から遷座した十八構河原時代に洪水で流され、崖上の安久濤(あくど)の森(現・古宮公園)に遷座しています。
この時の洪水によって、手取川は安久濤ヶ淵の手前で急角度に曲がる流れになっています。
江戸末期から明治初期にかけて枝権兵衛・小山良左衛門によって、安久濤ヶ淵に富樫陽水取水口の隧道削掘を皮切りに、明治36年(1903年)に七ヶ用水の取水口となった大水門と幹線水路が完成し、幹線水路から現在の七つの用水が枝分かれする現在の姿の原型が出来ています。昭和37年(1962年)には、上流の直角に曲がる先に流れを堰き止める白山頭首工が完成して、幹線水路を延長して取水口として現在に至っています。
前述したように手取川は古代から何度か流れを変えていますが、その流れの痕跡が現在の七つの用水だと云われています。
黄門橋から手取渓谷(旧吉野谷村) H26.8.25撮影
手取川の上流部を見ればわかりますが、勾配のきつい手取川は氾濫を繰り返していますが、乾水期には高い崖下を流れ、取り水もままならないことになり、渇水や飢饉の元にもなりました。
白山麓や松任では、蕎麦やモミなど水力を利用して杵を動かし石臼を突く小屋が見られました。この水車小屋も完成当時には動く姿や杵打ちが見られましたが、近年は動く姿を観ていません。また動く水車を見たいものです。
水車の大きさは直径7m・幅60㎝・羽30枚・重量7t、長さ1.9m・重さ20キロの杵三基を動かします。
広い扇状地を流れる用水は、貴重な水源として古くから大事に維持されてきたわけで、安定した水量の維持は穀倉地帯となる扇状地にとっては絶対的な存在になるわけです。古代から中世、近代とこの扇状地となる加賀(金沢)平野はこの用水川を命の水として大事にしてきたのです。七ヶ用水の整備により水量安定供給によって、重要性は長らく地域生活に貢献してきたわけです。
この扇状地のど真ん中を通り、松任の市街地の南西部の一番の穀倉地帯をカバーするのが山島用水になり、その水量は七つの用水路でも屈指の物になります。グリーンパークは中村用水との分岐点から約1キロという出発地のような場所になり、その水量と流れは眼を見張るものがあります。内面駐車場から橋を渡る際に観られる流れは怖いくらいです。
とはいえ、この流れが公園の池の水にもなり、白山市の多くの支えと思えば、、、柵があるとはいえ落ちないように子供さんから眼を離さないように注意しましょう。。もちろん大人の人も。。
松任グリーンパークは3月のコブシや桜に始まって、サツキやツツジ、藤の花、アヤメや黄菖蒲など、この時季3月中旬から5月中旬が一番花が見られる時期になります。ここからは5/7、16日に撮った花の画像をどうぞ。。。花や樹木は好きなんですが、名前は苦手なんで、もし間違ってたらごめんなさい。
モッコウバラの一種
ツツジ
ツツジとモンキアゲハ
カツラの若葉樹
旅行日 2019.05.07 05.16
この記事へのコメント
tor
昼休みに気分転換で散歩したくなります。
藤棚も美しいしその由来も姉妹都市にあったのですね。
藤枝市や手取川の由来も初めて知りました。
子供の遊び場としても良さそうですが
これからの季節水の事故には注意したいですね。
花しょうぶの季節ですね。
つとつと
藤の花がある時期は多くの夫婦連れや各施設の子供や老人たちが訪れています。
僕を含めドライバーは駐車場でひっくり返ていることが多いですねえ^^;
でも、この藤の咲く頃は藤棚の下をついつい歩いちゃいます。
ここ数年で藤ノ木が成長しすぎて、棚上に繁茂するようになって、垂れ下がりが少し寂しくなっています。ぜひ専門家に棚の整理をしてもらいたいものです。
用水路は柵などが厳重になってはいますが、危険な場所には変わりありません。注意してほしいですねえ。。でもこの用水路のおかげで坊業や工場用水以外にもこのような公園や、生き物たちのうるおいにも貢献しています。白山市はこの用水で持っているようなものです。
tor
今度「疋野神社」へ久しぶりに行こうと思っています。
以前つとつと様の「芋掘り藤五郎」の話と
似ているとコメントした神社です。
ブログで「疋野神社」紹介する際に
つとつと様「芋掘り藤五郎」へ
リンクを張らせていただきたいのですが。
よろしいでしょうか?
つとつと
リンクに関しては全然問題なしですよ^^
芋ほり藤五郎に関しては続きを書こうとしてたんですが、どうも文章や事例がまとまらなくて、頭を冷やしたらまたチャレンジしようと思っています。
yasuhiko
藤枝市の協力で…というお話で
納得がいきました。藤枝はサッカーの
盛んなところですが、男子の藤枝東高校も、
女子の藤枝順心高校も、ユニホームが
薄紫の藤色。地名のいわれを教えて戴いて、
なるほど藤の花との繋がりが深くて、
今も栽培技術を持ってる土地柄なんだと分りました。
この公園、芝生のお山や、復元水車などもあって、
子供を遊ばせるにはちょうどいいですね。
go
白山の恵みで水が豊かで恵まれた穀倉地帯の白山市は恵まれていますね。
つとつと
藤と言えば藤枝という印象が僕には強いのですが、高校サッカーも静岡は強くて名門揃い、云われてみれば薄紫のユニフォームでしたねえ^^
いつか、本場のの蓮華寺公園に行ってみたいと思っているんです。
石川県内には藤の名所は小松の芦城公園くらいで、あまり名所と言えるところがないんですが、この公園はそういう意味で貴重な存在です。ただ、藤の育成維持に関して専門職が居ないせいか、成長と共に上部にせりあがって、垂れ下がりが寂しくなっています。
子ども連れにはとても良い公園なんですが、車でないとなかなか来られないのが難点かも。。手取川を渡ると動物園があるので、そのついでが多いようです。
つとつと
ここ何年かはこの時期に訪れることが出来なかったんですが、久しぶりに藤の花を観ることが出来ました。
昔に新潟から松任に、間をおいて松任に戻っても幼かった娘を遊ばせるところを探していたら、この公園があって、仕事場も近くになって本当に身近な存在になっています。振り返れば、20年近くのおつきあいかも、、これで自宅から近ければいうことなしなんですけどねえ。。GWの前半に園芸市が行われているんで、植物好きなgoさんには打ってつけかも^^お孫さん連れて行くと喜ぶと思いますよ^^
松任は住み始めた頃は平地だらけで何にもないなどと思ったことが有りましたが、これだけ水に恵まれた町も少ないと思います。
ミクミティ
市町村合併で、姉妹友好都市の関係が揺らいでいるとは知りませんでした。確かにそういうことは起こりえますね。
戦国時代の古戦場、手取川の名前の由来を知ってなるほどと思いました。
私も古戦場へ行ってきました。
がにちゃん
こんなところもあるのですね 旅のお疲れ休めにもなりそうだし 子供も喜びそうですね
家ニスタ
僕の地元の近くでも、筑西市、常総市、坂東市など、以前の市町村名と連続性のない名が多く採用され、伝統が失われるばかりか、どうにも重みがなく感じられます。
つくばみらい市なんて最悪ですね、イメージのみの名前ですから。
自治体の面積が大きくなりすぎると、場所によっては行政庁舎が遠くなりすぎるなどの弊害がありますし、本当に合併のメリットのほうが大きいのか、考えなおすべきだと思いますね。
つとつと
今年は全体に花の期間が短かったように感じますが、5月が一番花が多い時期で、山々も新緑で目に優しい気がします。手取川の用水も農地が減った分、役割を失ったものも多いのですが、水辺公園や水生動物の楽園になっているものも多いので、本当にありがたみが解ります。
地方の市町村合併では、どうしても名前自体が消えてしまい、中心地に行政が移り勝手な動きや予算が取れなくて、友好関係が保てなくなってしまうようです。手取川の別名を冠した比楽・石川村が合併ごとに消え、野々市が市になって、平安期以来の石川郡が消滅しています。古名を残すのも必要だと思います。金沢では旧町名の復活を行っていますが、あまりに遅きに逸した感も多いですねえ。
手取川合戦はこの山島からさらに西に10キロほどですが、今の川幅を見てもと加賀明暗を大きく左右しています。
つとつと
景色を見る公園も良いのですが、子供にはのびのびと駆け回る広場が一番ですねえ^^安心して駆け回れる広場の後援はなかなか貴重な存在ですからねえ。
憩いの広場などは全体を観られるんで、少々子供一人にしても安心してみていられますから^^本当に貴重な存在です。
つとつと
地名にはその地を顕すものが多く存在していますから、安易な命名は避けて欲しいですねえ^^僕の白山市も八つもの市町村が合併したために、面積では県内随一の広さになってしまいました。でもその為に、平安期からあった石川郡や伝統的な町村名が消えてしまいました。ただ逆に同名の字名があって、各地で苦労したようです。よくある本町・元町・今町などは旧町名で鶴来本町・美川本町とか。。。
もちろんメリットもあるんですが、すべてが平均化して逆に独立性や僻地化を加速させる面が多くなる傾向があります。地区の独立性へも目を向けないと結局は中心部の実などとなってしまう恐れ大です。
藍上雄
北海道の歴史は、深くないので、藤自体の樹齢も、長い物はありません。立派な内地の藤棚は、羨ましい限りですよ。
用水路が整備されていますね。最近の用水路は、直線的にコンクリートで整備されているので、趣もへったくれも有りません。キショウブが植えられていたリ、段差が有ったり、水路壁に石が埋め込まれていたリ、変化が有り、それなりの景観を作り出している所は、趣が有りますね。
水車小屋は、動かして欲しいですね。水車小屋で作られた、そば粉等、欲しい方多いかもしれませんね。
つとつと
金沢南、白山市、能美平野北部は手取川から引き入れた用水によって潤されてきました。コンクリートだけの用水路ももちろんそれなりに良いのですが、やはり用水は水棲生物や景観にも配慮してほしいというのはありますねえ^^また景観をよくすると、自己も逆に少なくなりますから。。。
昔に比べ、農業用地が減った分、用水路の役目が減った部分にはせせらぎ公園が、下流部に見られるようになってきました。この用水の水量は七つの用水でも上位のもので、この少し下流域には人家の少ない場所では野鳥が集まっていたりします^^