歴史の道百選 田近越・小原越・二俣越

10/30 先記事の殿様街道、別名・二俣越えを含む全国36件が文化庁から「歴史の道百選」が追加選定されました。
今回、砂子坂(二俣越)を書いていて、このニュースが入ってきて、えっ@@ でもね。。

文化庁は29日、歴史的・文化的な由緒を持つ「歴史の道百選」に全国36件の街道や運河を追加選定した。
平成8年(1996年)に78件を選んで以来23年ぶりの選定で、石川県関係では石川と富山を結ぶ「田近越・小原越・二俣越」が選ばれた。石川県内の歴史の道百選は計5件、全国で114件となった。
歴史の道百選は都道府県教育委員会の推薦に基づき、選定委員会が「当時の道筋良好な状態で残る」「複数の地域にまたがる」「明治時代以前に活用されていた」などを基準に選定。指定されると補修や説明板設置を国が補助する。石川県内では平成8年に北陸道ー倶利伽羅峠越、白ヶ峰往来、石動山道、白山禅定道の4件が選ばれた。
今回選ばれた田近越・小原越・二俣越は戦国時代以前の成立とされ、北国街道(北陸道)よりも加賀と越中間を早く往来でき、盛んに利用された。道筋には中世の山城が国境でにらみ合うように築かれ、その城跡が戦国末期の前田利家と佐々成政の攻防の緊張を伝える。百選には三つの道筋をまとめて1件として選定された。
小矢部市から津幡町を通り、金沢北部の森下川右岸に出る田近越は、道筋に一乗寺城跡と朝日山城跡がある。小原越は小矢部市から森下川沿いの谷に出て金沢に向かう道で、道筋に松根城跡と切山城跡があり、一部は国史跡「加越国境城跡群及び道」に指定。南砺市から山越えして金沢城下の東に出る二俣越は石川側で「三の坂越」、富山側で「朴坂(ほうさか)越」と呼ばれ、荒山城と高峠城の遺構がある。
今回の選定について金沢市の山野之義市長は「関係自治体と活用保全を図り、歴史資産を生かした金沢の魅力づくりに努めたい」とコメントした。津幡町の矢田富郎町長は「町にとっては倶利伽羅峠に続いての選定となった。魅力を町内外に発信したい」と喜んだ。(北国新聞第一面)

23年前に78件を選んだきり止まっていた文化庁の「歴史の道百選」が完結した。この間、途中経過の情報もほとんどなく、唐突感は否めない。同庁は「自治体の調査の進み具合にばらつきがあった」と責任を転嫁するが、地方からは「時間がかかりすぎて政策効果が薄まった」と戸惑いの声も。同庁は事業のPR強化に向け一層の取り組みが求められそうだ。
1996年の第1次選定では、各地の古道などのうちルートや価値説明が明確なものが選ばれた。ただ、「百選」には22件不足。追加選定の動きは20年以上にわたり途絶えた。
2017年、文化庁は突如「地方から一定数の申請が見込める状況になった」として、都道府県に申請希望を照会。昨年末に有識者委員会を設け、審査に着手した。
今回、新規選定されたある街道の地元自治体の担当者は「選定は喜ばしいが、23年は長すぎる。待たされた間、活用のチャンスをつかめなかった」とため息をつく。96年に選定された自治体の担当者も「街道目当てに訪れる観光客は皆無に近く、「百選効果」は薄れている。文化庁は事業の意義を周知するようもっと努力するべきだ」と厳しく注文した。(北国新聞第七面)

文部科学省のサイト見ても載っていないので、今回の選定対象を書き並べると、地元の方はハハ~~ンとわかる人もいると思いますが。。市町村名は省略しています。本当は市町村名を書いたほうが道としては解り易いんですが、、歴史好きで地図でなぞるのが好きな僕ですから名前だけなら8割は解るものなんですが。。
様似山道・猿留山道(北海道)、久慈・野田街道(岩手)、浜街道(岩手県)、仙北街道(岩手・秋田)、陸奥上街道(岩手)、会津・米沢街道ー桧原峠越(福島)、白河・会津街道(福島)、南郷道(茨城)、利根運河(千葉)、西五十里道・鶴子道(新潟佐渡)、会津街道ー六十里越(新潟)、田近越・小原越・二俣越(富山・石川)、青海街道(山梨)、甲州街道ー笹子峠越(山梨)、みのぶ道(山梨・静岡)、戸隠道(長野)、北国脇往還=善光寺道(長野)、信州飯田街道(愛知)、保津川水運(京都)、山陰道ー唐櫃越・老の坂(京都)、葛城修験の道(和歌山)、古座街道(和歌山)、山陰道ー鎌手峠越・徳城峠越・野坂峠越(島根)、岩国往来(山口)、四国遍路道ー阿波遍路道(徳島)・讃岐遍路道(香川)・伊予遍路道(愛媛)・土佐遍路道(高知)、八幡浜街道ー夜昼峠越・笠置峠越・三机往還道(愛媛)、土佐塩の道(高知)、堀川(福岡)、秋月街道(福岡)、筑後川水運(福岡・佐賀)、日向往還(熊本)、緑川水運(熊本)、六郷満山の峯入りの道(大分)、日向道ー三国峠越(大分)、薩摩街道ー東目筋(宮崎)、中城ハンタ道(沖縄)
平成8年 歴史の道百選 選定基準
(一)原則として、土道・石畳道・道形等が一定区間良好な状態で残っているものを選定する。
(二)他の地域との連続性を持っているものを選定する。
(三)単体または単独の交通遺跡は、選定の対象外とする。
(四)参詣道、信仰関係の道は、広域信仰圏(数か国規模)を有するもののみを選定する。
(五)原則として、現用の舗装道路は選定の対象外とするが、街道としての連続性を考慮する場合に限り含める。

日本遺産などの選定で味を占めたんでしょうが、どうも今の政権は思いつきで見切り発進してしまう傾向があります。北国新聞の七面の意見はある意味等を得ていると思います。20年もほったらかしていて思い付きで、現状確認や考証もなく蒸し返すのはどうかと思います。
そもそも平成8年の歴史の道にしても、前年に国土交通省が発表した「歴史国道」と重なりますし、中途半端で偏った選定基準でコマ切れ選定に結構批判が強かったものです。

ちなみに国土交通省の選定した歴史国道の主旨は「一里塚、関所、並木、宿場などの歴史的な面影を残していて、文献などによって歴史的評価が定まっている道」 文部科学省に比べれば、まだ具体的でまし。。そもそも省庁で重複するものを同時期に出すのもおかしい。。また重なったら統一するものです。
平成7年 歴史国道 選定基準
(一)地域において歴史・文化を活かした地域づくりの整備構想などがあり、地域の活性化に資するものであること。
(二)文献などで歴史的な評価が定まっており、原則として江戸時代以前において広域的なネットワークを形成していた道路の一部であること。
(三)地域間の交流に重要な役割を果たしていたことが明らかであること。
(四)一里塚、関所、並木、宿場などの歴史的な面影を一定の延長以上にわたって残していること。

歴史国道選定地 平成7年12件 平成8年12件選定
・赤松街道(札幌本道、北海道)日本初の西洋馬車道 ・奥州街道 七戸松並木(青森県) ・羽州街道 楢下宿(山形県) ・浜街道 木戸宿(福島県) ・三国街道 須川宿(群馬県) ・中山道 追分宿(長野県) ・北国街道 出雲崎宿(新潟県) ・北陸道 倶利伽羅峠(富山小矢部市ー石川県津幡町) ・東海道 岩渕間宿(蒲原~由比宿、静岡県) ・東海道 藤川宿(愛知県) ・東海道 関宿(三重県) ・中山道  妻籠宿・馬籠宿・落合宿(長野県・岐阜県) ・若狭街道 熊川宿(鯖街道、福井県) ・竹内街道 竹内峠(大阪府太子町ー奈良県當麻町)日本最古の国道(推古22年(613年)別名・大坂道) ・熊野古道 中辺路(和歌山県) ・出雲街道 新庄宿(岡山県) ・石見銀山街道 上下宿(広島県) ・石見銀山街  天領石見銀山(島根県) ・撫養街道 脇町(徳島県) ・梼原街道(別名・維新の道・龍馬脱藩道、高知県) ・日田往還(大分県) ・長崎街道 日見峠(長崎県) ・薩摩街道 大口筋・白銀坂(鹿児島県) ・国頭方西海道 仲泊(沖縄県)
というわけで、僕個人は歴史国道は復元整備に重きを置いおり観光や歴史スポットとして重視してますが、文科省の歴史の道百選はあくまで選定のみで名称や推定道筋は多少参考にするものの重視はしていませんでした。。実際その傾向は都道府県にもあるようで、能登・加賀と越中で道や街道を共有する石川と富山ではどちらを重視するかで温度差があります。
そもそも歴史の道とは言え、大道は現代でも生活道路や幹線道路になっているものも多く見られます。逆に道が消滅しているものもあります。水運、要は河川にしても改修などで変貌しているし、中には流れる場所自体が明治以前とは変わっているものもあります。また、遍路道などはお遍路がすべて同じ道を歩いていたわけでなく、禅定道と違い、それぞれに時代や道の整備、宿泊所の変遷などで辿る道筋が変わっており、特定するのは正直難しい状態。更に上記のような基準があって、歴史の道百選では国道・県道・市道・町道は避けて来た機来があります。更にこの基準も曖昧さは隠せませんよね。
歴史系の多いブログを書いていますから百選の道は端っこだけのものを含め、けっこう多くお世話になっていますが、今回の選定には大きな疑問を持っています。選定によって整備や研究・再発見につながる長所があることも確かですが。。。

今回の各道の選定理由を見ていないので個人的な見解で書かしてもらいます、あしからず。。
石川県関係の百選は、平成8年に選定されている北陸道ー倶利伽羅峠越臼ヶ峰往来石動山道白山禅定道、そして今回の田近越・小原越・二俣越 

最初の四道を見た時、臼ヶ峰往来@@「どこだそれは?」地元なのに正直な感想というより疑問でした。まあ、後で経路を聞いて大伴家持なども利用した越中国府・氷見から山越えで口能登・子浦(しお、志雄、現・宝達志水町子浦)に出る旧官道・志乎路(しおじ・志雄路)と聞いて納得したのですが、選定箇所は氷見側の日名田から志雄の下石の山間地のみ、選定後、山道が整備されましたが、経路(特に石川側)は、わざわざ本道が臼が峰山頂に寄り道的に通ったりと疑問あり。。道の途中には大伴家持の歌碑が多く見られます。画像を探したんですが見つからなかったので機会があったら。。
前述の越中国守時代の大伴家持が当時能登が越中国だったこともあり、この道を通って能登巡察を行ったと記録されています。寿永2年(1183年)砺波山(倶利伽羅峠)の合戦時、叔父の救援に通ったという伝承はともかく、承元元年(1207年)越後配流の親鸞が護送され氷見に向かったルートという伝承もあります。江戸期には街道整備の手が入り巡検使の通る道となっていました。
大伴家持の能登巡行については、歌と共に少し触れています。 ⇒ 2017.08.19 能登国総社

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2014.05.04撮影 大伴家持 砺波の関歌碑 
倶利伽羅峠は北陸道の難所で加賀と越中を結ぶ難所で北陸道の峠道。古代から北陸道の要衝として加賀(古代は越前)・越中の国境を扼す地として国見山(砺波山)を国境の地としていましたが、峠の東口に砺波の関が置かれていました。寿永2年(1183年)源平の明暗を分けた倶梨伽羅合戦の舞台になったことでも知られています。 2012.04.30撮影 倶利伽羅峠 
このカーブを降りたあたりが、砺波の関跡
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149597123078144382177_DSC_0003_4.jpg2017.05.26撮影 倶利伽羅峠天田峠道
明治天皇巡行による天田峠道の改修、昭和30年(1955年)北陸本線の新トンネル開通による倶利伽羅トンネルの自動車道変更によって国道8号から外れ、往古からの峠道が旧道となり環境が保存されてきたのが良かったと云われています。 ⇒ 2017.05.03 倶利伽羅峠 手向神社 倶利伽羅公園①
2011.11.02撮影 石動山天平寺跡134976135547113212502_36415_3.jpg
石動山(いするぎさん)道能登七尾・鹿島から荒山峠・天平寺を通って山岳路を抜け、富山湾の石川・富山県境に出る道。 ⇒ 2011.11.02石動山への道

石動山(標高564m、虚空蔵山)の開山は不明ながら隕石落下による鳴動が起源とされています。往時には白山と並ぶ山岳信仰の二大聖地とされていました。伊須流岐比古神社として能登二宮、後に山岳信仰と結びついて真言寺院・天平寺が創建されていました。院坊360余・衆徒3000余、中部7か国を歓心地として石動法師が歓心米の徴収と薬の配布を行って隆盛を極めていました。越中・能登の要地の為、南北朝・戦国期にも数々の戦乱に巻き込まれたり、積極的に参戦もしています。明治の廃仏毀釈で衆徒の全員還俗、施設が徹底的に破壊されています。携帯も棒が立たず、自衛隊のレンジャー訓練が行われる深山の地ですが遺構や広い寺域が国史跡になっています。
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2011.05.04撮影 石動山道
古くから能登国府(鹿島)から富山湾の能登・越中国境の氷見に出る道があり、石動山道として重要視されていた道でもありました。
有名な所では上杉謙信の七尾城攻めの主要進撃路であり、直江兼続が前述の石動山頂に七尾城攻めの前線基地となる虚空蔵山城を築いていました。但し険しい山を幾つも越える道で険しさは半端ないものがあります。前田利家の焼き討ちでは本尊の虚空蔵菩薩像が人質とされ、小矢部市石動の石動愛宕神社に移されています(現在は真宗・聖泉寺に移されています。)
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2019.10.20撮影 白山比咩神社拝殿
白山禅定道白山比咩神社から一里野から白山頂までの登拝道になります。
石川・福井・岐阜にまたがる白山には三つの番場(馬場、起点)がありました。各馬場を起点に白山頂までの登拝道が参道ありました。それが白山禅定道でした。加賀馬場(白山本宮(白山比咩神社))を起点にした加賀禅定道、越前馬場(平泉寺白山神社)を起点にした越前禅定道、美濃馬場(長滝寺白山神社)を起点にした美濃禅定道。この三禅定道はそれぞれに選定されています。白山記によれば、天長9年(832年)に成立したと云われています。ちなみに馬場の名の通り、ここからは白山の神域ということで本来はここで馬などの乗り物を降りて自分の足で歩く道になりますが、長く険しい道のりになります。僕の住む白山市は名前の通り、白山は身近な存在で多くのブログ記事を書いています。
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2015.09.14撮影 
白山中宮(笥笠中宮神社)
加賀禅定道白山比咩神社から国道157号線を進み、瀬戸野で一里野・ホワイトロード方向に直進し、古来は白山中宮(笥笠中宮神社)で葛籠渡で渓谷を渡り、岩間口からハライ谷で禊をして谷伝い(現在は新道)から檜新宮を経由して山頂に向かう道で参道では最長の距離になります。
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2015.05.11撮影 
田近越道 旧朝日小学校
田近越はJR北陸線・森本駅近く、堅田城麓不動寺小学校横から深谷温泉を経由して、朝日山城の朝日、内山峠手前を左折して津幡町の横根を経由して倶梨伽羅の南側、一乗寺城(枡山城)の北を抜けて小矢部市五郎丸に出る道。

戦国時代には前田方の村井長頼が、同じ尾根筋にあった松根城に対抗して朝日山城を築城整備中に佐々軍が攻略。村井長頼は後に風雨を突いて朝日山城を奪還、余勢をかって小原越の松根城も攻略しています。この功績で戦後、村井長頼は朝日山・一乗寺両城を支城に松根城主・領主となっています。
朝日山城は発掘で三曲輪・三空堀が確認されていましたが、土取り場で破壊を受け一部保存で草叢広場になっています。松根城は遺構が残存で国史跡に指定されています。一乗寺城は未訪。
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2012.04.21撮影 小原越道 松根城東道
小原越は田近越と同じく堅田から現在の国道304号を進み、切山城付近で山道に入り、松根城内を通って内山峠を越えて現在の359号で一乗寺城の南を小矢部に抜ける道です。三山越道の中では最古の整備された道と云われています。 松根城 本丸跡
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戦国時代には前田・佐々の主力が切山城・松根城で対峙していました。前田利家・佐々成政と越前府中三人衆となっていた不破光治の嫡子・不破直光が前田家家臣とし切山城主。前述の朝日山城落城時に村井長頼が入城して、朝日山奪還、松根城攻略を果たしています。松根城の佐々軍の城主は不明ながら大改修を施され主力を置いています。切山城は廃城となって調査も未了ですが、前田・佐々と織田家の赤・黒母衣衆出身同志の城で同じ構造の似た城になっていると云われています。松根城は街道を分断して存在、関所・国境遮断の役目も果たしていました。切山城も同じく街道を遮断していたと考えられます。
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小原越道 手前の上部の道が小原道
ちなみに府中三人衆の不破光治は美濃四人衆にも名が挙がる実力者で、三人の中では最年長・実績も上でしたが、本能寺の変前後に亡くなっています。嫡子・不破直光は賤ケ岳では佐久間盛政と共に大岩山砦攻撃に参戦しています。柴田勝家滅亡後、前田利家の家臣となって、後継は不破彦三家として続いています。近江町市場のある武蔵交差点から北に浅野川までの八筋の街並みの彦三(ひこそ)町は一~八番丁と8の道筋が南北に走る広い町でしたが不破家の上屋敷があったことから由来しています。
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2013.05.14撮影 二俣集落
左奥の赤茶瓦が二俣本泉寺 右の道が二俣越道
二俣越の今回の選定は小立野台地の石引から若松を経由して二俣本泉寺に至る道。その後県道27号で医王ダム方向で現在のダム湖手前に沿って進み、砂子坂を経由して県境で県道27号に合流、福光に至る道です。しかし起点については金沢北部も有力です。田近越・小原越と同じ堅田から国道304号を真っ直ぐ進み、宮野・高坂から南下して二俣本泉寺に至る道。もう一道が鳴和もしくは小坂町から御所・山王町を抜け夕日寺町・伝燈寺を進んで二俣本泉寺。時代の変遷もあり、どちらにしても正式な起点は今の所、二俣本泉寺の地としか言えません
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2013.06.18撮影 専徳寺旧若松本泉寺
三山越道をセットにするのは僕には異論が多いと思っています。
戦国時代以前から浄土真宗所縁の信仰の道となっていたようですし、戦国末期には佐々領として荒山城・土山城などが見張所的な砦があったものの二俣本泉寺が基地と云える前田軍も付近に柚木城・高峠城があるものの同じく見張所・砦規模、それ程の緊張状態ではなかったようです。途中に大きな谷や渓谷が連続し大軍の移動は難しく、参勤交代の実績は一部で本格的なモノは江戸後期で、街道の整備は江戸期後期と見られます。今回起点を金沢の小立野にしたのは、戦国初期に蓮悟(蓮如7男、次男蓮乗養子)が二俣本泉寺を金沢市街に近づけた若松本泉寺(加州三箇寺)を創建したことによることと、江戸最盛期には一般道として機能していたことによると思います。

北国新聞の報道を読むと三山越をセットにして選定されていますが、三道の構成時期や道筋も正確に判明しているわけではなく、共通するのは加賀・越中の連絡路ということだけ。。報道では前田・佐々の対峙を重視していますが。二俣越に関しては、双方監視・偵察のみで、軍隊の移動が出来たかも不明状態。更に言えば文化庁の基準に即した為にコマ切れの選定で、田近越は全体の1/3、小原越は約半分、二俣越は一番弱い経路小立野ー若松経由(県道27号線・金沢大学経由)を採用して選定しており、一番肝心な二俣から福光では肝心な山越えのほとんどが未選定で選定箇所は金沢市街と福光市街路。これでは基準にも合わないし歴史遺産や観光スポットにも適しません。
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上:2018.09.20撮影 椿原天満宮(旧椿原山砦跡) 参道前の急カーブは旧の県道27号線
右:2008.08.13撮影 井波瑞泉寺 山門 
先ブログに書きましたが、選定理由の前田・佐々対峙より北陸浄土真宗の信仰の道の方が強い道になります。それならば、二俣越えの道は田近越・小原越と切り離し、せめて金沢御堂(現・金沢城)から椿原山砦(現・椿原天満宮)・若松本泉寺(現・専徳寺)・二俣本泉寺・砂子坂道場(光徳寺・善徳寺跡)・井波瑞泉寺という県道27号線そのものの北陸真宗信仰の道とすべきと思います。

元々、前回の選定漏れの道には瑕疵があったからで、それを見直しや確認もせずに地方を解らない中央官庁(文科省)のみで決定する暴挙は、歴史を限定したり歪めたりの大問題になります。元の選定78道(多少問題あり)と今回の選定道には大きな格差がありすぎます。


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この記事へのコメント

  • tor

    「歴史の道百選」に追加選定の新聞記事
    私も読みました。
    長崎街道のうち
    諫早市-佐賀県太良町間の
    「多良通(たらみち)(多良海道)」も追加されたとか。

    長崎街道は走ったり歩いたりしていて好きな街道です。
    当時の街道をほぼ忠実にたどれるのですが
    長崎県で選定されているのはその一部なのですよね。

    今回追加の多良街道の起点は諫早神社だったりで
    単純に喜んでいます。
    石川県の「歴史の道」つとつと様の写真で
    初めて見ました。
    おそらく歩くことはないでしょうが・・・

    それぞれ思いがありますからね。
    こちらで選定されたものにも
    感覚的に違和感を感じるものもありますが・・・
    2019年11月05日 19:22
  • つとつと

    torさん
    今回の選定は聞いてみると、前回の落選したものに百選になりたいかと聞いて手を挙げたところに、戦功を加えたということで正確な検証は行っていないようです。そのため、二俣道のように確定していない道が成されたりしています。確定してしまうとなかなか修正が利きませんから、こういう強引なものは眉をひそめてしまいます。
    歴史国道と歴史の道では全く違う発想ですから。。観光スポットには難しいでしょうねえ。。
    歴史を築いてきた道ですが、地元の思い入れが強いですからなかなか観光には向かないと思いますねえ。。とはいえ、夏に計画して行けなかった竹内街道はいつかは再訪したいと思っています。
    歴史の道はほとんどが険しい山道ですから、なかなか他県の道を歩くのは厳しいですが、街道のスポットには行きたいところだらけです。
    2019年11月06日 08:46
  • 藍上雄

     「歴史の道百選」なんてあるのですね。北海道の赤松街道知らなかったです。函館から七飯町までの国道のようです。今度機会が有ったら良く見てこようと思っています。(寿命を迎えた赤松の植え替えも行われているので、保存しているのでしょうね。)
     歴史国道なので、昔の運河とかまだ残っている物も有りますが、きっとローカルだと選ばれないのでしょうね。
     神奈川県の名越切通なんかは、好きですが・・・。そういう道ではないのかな・・・。
     
    2019年11月10日 14:38
  • ミクミティ

    「歴史の道百選」というのがありましたか。恥ずかしながら初めて知りました。xxx百選って、一体いくつあるのでしょう。
    なんとなくその場所の価値や評価を確定させる効果はありますよね。ただ、専門家や地方政治家や業界団などの思惑が絡んだりして、その選定にはどうしてもあいまいな部分もあるのでしょう。政治決着もあったりして。
    それにしても、しっかりとご意見を持っておられ、地元の歴史の道「田近越・小原越・二俣越」について、すぐに語れる知識と経験がおありのが凄いなと思います。
    2019年11月10日 21:42
  • つとつと

    藍上雄さん
    本来は赤松の北限は青森と云われているのですが、安政期に佐渡から函館奉行が取寄せて、五稜郭周辺に植えたのが始まりで、明治になって七重官園への明治天皇の視察行幸に整備された馬車専用道に植樹したのが始まりだそうです。ですから150年以上の貴重な松なんだそうです。歴史国道で僕が注釈を入れたこの赤松街道と竹内街道(2回途中まで)は僕が歩いてみたいと切望している道なんです。
    やはり選定は江戸期以降の物が多いようで、なかなか地方は日の目を見ないようです。でも、藍上雄さんの名越切通は鎌倉七口として、百選にはH8の旧選定で一括選定されています。 
    2019年11月11日 18:25
  • つとつと

    ミクミティさん
    たまたま、二俣越えを書いている時にニュースに流れ、翌日の新聞で詳細を知ることが出来ました。本当にたまたまです。
    それとこの三つの道と倶利伽羅は小矢部や南砺に行くときには必ず通りますから、けっこう勝手知ったる道になるんです^^
    歴史国道に関してはその趣旨がはっきりしてスポット指定います。おかげで街並みや道並みの復元で人気スポットになっているところが多いのです。馬籠・妻籠宿などが良い例ですし、藍上雄さんがおっしゃっていた赤松の植樹もその一環です。
    百選は道その物を推定して選定するので、余程確定していないと、僕の様に文句を言う輩が出てくるのだと思います。
    今回は誰が言いだしたのかは知りませんが、選定があいまいだし、数合わせとしか思えない選定です。記事内のように道その物を見に来る、歩いてみるというのは余程でないとあり得ませんからねえ。。人気なのは奥の細道くらいじゃないですか。
    2019年11月11日 20:27
  • 家ニスタ

    思いつきで見切り発進・・・(苦笑)。
    たしかに現政権にありそうな話ですね。
    以前、地方創生大臣が「学芸員がいなくなれば文化財の観光利用が進む」といった趣旨の発言をしていて、「ああ、この人たちは本当に金儲けのことしか考えてないんだなあ」とあきれた記憶があります。
    「歴史の道百選」もなんだか同じようなにおいがしますね。
    文化財は保存と活用の両面から考えることが必要で、一方的に観光活用のことだけを論じるなどあり得ない・・・とは、現政権のおエライ方々に言ってもムダでしょうね。
    2019年11月14日 23:34
  • つとつと

    家ニスタさん
    百選と云いながら78選だったので、やっつけ仕事で100にしたという感じ、これでは先の78件が何だったのかという感じ。。
    いましたねえ^^;山本なにがし、単なる思い付きで口が滑る典型的な人^^;保存と活用は両面で計らないと肝心の文化財が消えて行ってしまいます。現在の文化財は保存が個人レベルにとどまるものが多く、活用に関しては躊躇しがち。。どちらもレベルを引き上げる必要がありますが、その為には保存と活用双方に費用と技術・研究の投入が必要ですが、あんな凝り固まった爺様たちではと。。。
    2019年11月16日 10:26

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