延喜式神名帳

久しぶりに式内論社の神社を書こうと思ったのですが、そういえば、ここのところ一般神社ばかり書いていたのと、現代(戦後)は伊勢神宮を除いてすべての神社は同格として、神社庁が一部を特別な存在として別表神社としているくらいです。式内論社と云われても、一般人には縁が薄いというより、何のことともいえます。式内論社 神田神社 標柱には「式内郷社神田神社」 白山市吉田町 2020.3.25撮影画像をよく見ると郷社は後で書き直しているのが解ります。元は小社或いは論社となっていたと思われます。たぶん論社が有力だと思います。神田神社は位置的にも式内社・神田神社の有力地なのに、神田神社の歴史を綴る宮司家の資料の年号誤りなど確実性を疑問視され、他の候補神社も名乗りを上げていて論社に甘んじているという思いの強い神社です。どうにも論社という文字が我慢できなかったようです。郷社は明治の近代社格制度の一環で定められたもので、府県社>郷社>村社という諸社の分類によるものです。ちなみに府社は東京・大阪・京都。北海道は県社になります。神社によってはこの諸社下位の村社を削ったり、書き直しているものもいます。それほど神社にとっては表札以上の意味が込められています。あまりに久しぶりなので、まずは復習の意味でご説明を。。古い由緒ある神社に行くと、古い標柱や案内板に誇るように旧位階の他に、式内・式内社・式内論社・論社・式外社・国史見在社(国史現在社)・国幣大(小)社・官幣大(小)社などと表記しているものがあります。明治の近代社格も同じ名称(国幣・…

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河北潟干拓地② メタセコイア並木

非常に広い河北潟干拓地には農園地や直売所や牧地が広がりますが、だだっ広い平地ということで防風林として植林が施されています。その中で、人気を集めるのが河北潟との堤防伝いに、内灘町から津幡町にかけて干拓地の南面と東面にかけて約9キロ・1550本の桜並木。そしてもうひとつが、今回のメタセコイアの並木道になります。韓流ドラマの火付け役となったドラマ「冬のソナタ」 平成15年(2003年)BS、16年NHK地上波 日本初放映ペ・ヨンジュンの微笑み、泣きのチェ・ジウ、一途で報われないパク・ヨンハと一大ブームを起こしたドラマでした。当時、日本のドラマにはこんな心情的なものが減っていた時代、ちょっと首を傾げる場面転換や時間変換はありましたが、音楽も景色もどこか懐かしさを感じさせるものがありました。おかげさまで、我が家でも嫁さんがすっかり嵌って観ていました。僕も時間が合えばご相伴させられました。以来、今でも韓流ドラマはよく見ている嫁さん曰く・・「冬ソナ」と「パスタ」それと「主君の太陽」は傑作だとのたまっております。 冬ソナの中でも、印象に残るのが整然と並ぶメタセコイアの並木道、二人の出会いから重要シーンとしてロケ地になっていました。韓国のナミソム(南怡島)という北漢江の清平(ピョンチョン)ダムによって出来た島周6キロほどの島にあるそうです。四季それぞれに美しいロマンの島だそうですが、印象的だった冬はマイナス20度にもなる寒い所だそうですが。。河北潟干拓地 メタセコイアの並木道実は河北潟のメタセコイアの並木は昭和6…

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河北潟干拓地 だいこんの花

今年はゆっくりと花見が出来なかったので、ずっと残念に思っていました。ゴールデンウィークも外出自粛で、人が集う花の名所にもいかずじまい、、今年の春はお花見なんて無理だなと思っていたのですが、ゴールデンウィークはせめて2.3度でも実家の草刈りをせねばならないし、ここ何年か夏になってからだったので草というより草叢・草木になっていましたから・・今年は少し心を入れ替えて、頑張ってみようと思ったんです。 今年のコロナ騒ぎでは各種のイベントが中止されていますが、河北潟の干拓地でも平成7年(1995年)から続けられてきた35万本の向日葵が咲き、大きな迷路を作る「ひまわり村」の種植えが今年はまだ行えずにいます。毎年、保育園児や小学生が種植えに多く参加しているのですが、なにせ今年のコロナ騒動では感染率の高い石川県では、現在のところ様々なイベントが中止・順延となっています。今回の危険宣言も延長になったことで、ひまわり村も難しくなったと云わざる負えません。 草刈りの帰り道、嫁さんとドライブがてら河北潟の干拓地を通って自宅に戻ることにしたんですが、そこで思い出したのが花畑。今年は春になってから、前述のように梅も桜も、そして藤も牡丹も観ていないんです。我が家では嫁さんが喘息持ちということもあって、例年花粉症もあって外出は避け気味ですが、今年は完全に人混みは避けていましたから^^;でも僕の知る干拓地の一隅なら、そもそも人がいるのはまれな場所^^と、いうわけで少し寄り道してみました。河北潟干拓地 津幡町 小麦畑河北潟は昭和3…

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六郎塚(六郎杉) 伝・林六郎光明墓所

日御子神社から西に500mほど行くと、六郎杉と呼ばれる大きな杉の木の繁茂するところがあります。谷崎潤一郎賞を受賞した高樹のぶ子の小説「透光の樹」、秋吉久美子主演で映画化もされていますが、この六郎杉が透光の樹のモデルで、鶴来の町が舞台になっています。まあ谷崎賞ですから、四十路男女の恋愛を官能的に描いていますが、高樹のぶ子特有の流れるような旅情感が冒頭に書かれています。映画の方は一部映像賞や音楽賞を獲得していますが、萩原健一の途中降板や裁判沙汰でスキャンダルが表立って残念な結果でしたが。。 そしてこの六郎杉のある場所は、古くから六郎塚とも呼ばれ、林六郎光明という平安末期から鎌倉初期にかけての武士の墓所跡と伝承され、地元の保護や崇敬を受けて来た土地になります。義経記 巻第七 五 平泉寺御見物の事から引用判官其日篠原に泊り給ひけり。明けければ齋藤別当実盛が手塚太郎光盛に討たれける、あいの池を見て、安宅の渡を越えて、根上の松に著き給ふ。是は白山〔の〕権現に、法施を手向くる所なり。いざや白山を拝まんとて、岩本の十一面観音に御通夜あり。明くれば白山に参りて、女体后の宮を拝み奉らせて、其日は劔の権現の御前に参り給ひて、御通夜ありて、終夜御神楽参らせて、明くれば林六郎光明が背戸を通り給ひて、加賀國富樫と云ふ所も近くなり、富樫介と申すは当國の大名なり。鎌倉殿より仰せは蒙らねども、内々用心して、判官殿を待ち奉るとぞ聞えける。2008.03.02撮影 金剣宮境内 義経腰掛石短いくだりですが、この中に出てくる場所は僕のブ…

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