金沢城 鼠多門・鼠多門橋

尾山神社がある旧金谷出丸と金沢城の外丸の玉泉院丸を連結していた鼠多門橋。そして出入口となっていた鼠多門の復元が完成しました。
DSC_0029_3.JPG
鼠多門・鼠多門橋 同じく石垣を復元した北櫓跡から 往時は橋の幅いっぱいに堀となっていました。鼠多門は明治の写真2枚と遺構調査により忠実に再現されています。石垣部も残存石と3D加工石を組合せ、建物も釘を使わない伝統工法と、古式と現代建築の融合物です。橋は明治の老朽撤去の桁礎石を採用しています。
DSCPDC_0002_BURST20200727141640253.JPG
当初の計画では年末完成予定でしたが、東京五輪の開催に合わせた完成に修正していましたが、予定通り7月初旬に完成しました。
この完成によって金沢の顔となっている尾山神社から金沢城公園へ直接入れるようになりました。新しい観光コースと期待されています。7/18に一般公開と共に尾山神社・金沢城公園の共用が開始されたんですが、もう一つの朗報が外丸となる玉泉院丸庭園が無料開放になったこと^^
DSC_0024_6.JPG
DSC_0026_2.JPG
DSC_0023_5.JPG
国立工芸館正門&連結廊下
上:旧陸軍金沢偕行社
(明治42年(1909)築) 
右:旧陸軍第九師団司令部庁舎
(明治31年(1898)築)
以前までの建物を知るせいで、あまりの綺麗な色目に驚き@@ 移築時の調査で判明した新築時の色に塗り直したそうです。
DSC_0001_13.JPG
もう一つ目玉となる東京国立近代美術館工芸館が金沢に移転する国立工芸館も、旧第九師団司令部庁舎旧金沢偕行社の建物を移築改造して昨年秋には完成、建物および館内の完熟期間も終えて展示品が東京から搬入、ただ開館はコロナ対策もあって10月31日に延期となっています。それでも現在は目隠しとなったフェンスも取り外されて美しい姿を見せてくれています。

この二つの東西の文化施設の完成で尾山神社・金沢城・兼六園そして国立工芸館、県立美術館・修復センター本多の森県立歴史博物館・本多博物館三連レンガ倉庫・能楽堂・本多の森ホールなどの文化ゾーンが接続することになります。



******************************************
鼠多門の概要(石川県パンフ「金沢城鼠多門の復元」より引用)
DSC_6691.JPG
鼠多門(ねずみたもん)は、金沢城の西側の郭である玉泉院丸に位置し、水堀を跨ぐ木橋(鼠多門橋)により接続される金谷出丸(現在の尾山神社境内)からの出入口として機能していた二階建ての櫓門です。
創建年代は明らかになっていませんが、江戸時代前期には既に存在していたことが絵図等から判明しており、城内の多くの建物が失われた宝暦9年(1759)の大火でも焼失を免れ、修理等を経ながら明治期まで存在していました。
DSC_0019_8a.jpg
明治4年(1871)の廃藩後は旧陸軍の管轄におかれ、明治10年(1877)に鼠多門橋が老朽撤去された後も倉庫などに利用されていましたが、明治17年(1884)に火災により焼失し面影は失われていました。
2014年より復元に向けた発掘調査や絵図・文献等調査を行い、調査結果の基づき史実に沿った木造による復元を行うこととし、2018年6月に着工、2020年の完成を目指しています。
右上画像:明治初期にとられた鼠多門の写真2枚の内の1枚です。門の上部に見える建物は解り難いですが洋館で、明治4年(1871年)に金沢藩に招聘されたオランダ人医師・スロイスの為に建てた邸宅だそうです。(金沢市立玉川図書館蔵)
右下画像:同じく明治初期の写真。前写真と現存する鼠多門の写真です。鼠多門橋の復元はこの橋桁を採用しています。(金沢大学付属図書館蔵)
DSC_0006_11.JPG
鼠多門の特徴
鼠多門は石垣の上に二階建ての櫓を構えた構造となっており、門を抜け坂道を上ると玉泉院丸の敷地に至ります。
城内の他の城門と同じく、屋根は木型を鉛で覆う鉛瓦、外壁は白漆喰塗りで腰壁は海鼠壁仕上げとなっていますが、海鼠壁の瓦の目地には黒漆喰が用いられ、他の門とは異なる特徴的な外観であったと考えられます。
DSC_0014_9.JPG

鼠多門の構造・規模・仕上げ
構造…入母屋造・木造二階建て・門部分地階 規模…桁行22.03m・梁間7.35m・門扉部分高さ3.12m・櫓部高さ9.4m・建築面積198.62㎡・床面積323.84㎡ 仕上げ…櫓部外壁漆喰塗り・鉛瓦葺(本瓦葺型鉛板葺)
DSC_0006_11.JPG
DSC_0007_8.JPG
補足:鼠多門の創建は不明ですが、延宝年間(1673~1681年)と云われる奥村家由来の詳細図では、既に存在しており明治の写真のように門の左右には御土蔵が存在していました。

初期の金沢城(尾山城)の佐久間盛政・前田利家築城時は黒壁・黒板仕様、一部だけが白漆喰だったと云われ今と違って黒ベースと云われています。現在の白ベースの多用は寛永の大火以降と云われています。金沢城だけでなく全国でも珍しい黒海鼠壁を使用して黒っぽく見せているのは黒の金沢城時代ながら技術性が高いことから元和以降(1614年~)寛永初頭ではないかと予測されます。

そうすると北の丸にあった東照宮(現・尾﨑神社)と同時期もしくは前と予測されます。となれば、金沢城最古の建物として明治まで残っていたということで、二の丸御殿その他の金沢城の大部分を焼いた宝暦の大火(1759年)、明治14年(1881年)の陸軍の失火事件も掻い潜ぐりながら、3年後に焼失したことは非常に悔やまれます。
DSC_0030_3.JPG
DSC_0016_8a.jpg
創建年代も不明ですが、当初から名付けられた名前もなぜ鼠多門(ねずみたもん)なのかということ自体も解っていません。別に昔から言われたのが当地に鼠(ねずみ)が多く棲みついていたからというもの、加賀藩の治世が衰退傾向にあった18世紀後半もしくは19世紀初頭頃から金沢住民から「チューチュー門」とも揶揄されていたことからと云われています。しかし、3代利常の養母・玉泉院(2代利長正室・永姫)の隠居宅を置いた地に、そんな名前を付けるかという反論が多くありました。実際に文化13年(1816年)には玉泉院様丸門と加賀藩では公称しています。
しかし、発掘調査によって黒漆喰の焼材料が多数発見されたことで、門自体が白漆喰の上に黒漆喰を2~5mmで上塗りして海鼠塀を修飾していたことが判明しています。黒海鼠塀によって全体に鼠色に見えたことからという説が急浮上して来ています。
DSC_0024_7.JPG
DSC_0018_10.JPG
DSC_0023_6.JPG
DSC_0022_5.JPG
鼠多門二階部内部 階段は南北の両端に二箇所、手前は身障者併用で一般客用に緩い斜度にしていますが、奥北側の階段は本来の急角度になっています。
3年に渡る埋蔵文化財調査で礎石や側壁石垣の埋存が確認され、往時の姿が再現可能となり史実に忠実に再現が可能になったそうです。

この為に使用木材も史実に合わせており、一階部や門などの土台には関東産のケヤキ材・二階部の床梁及び上部の梁は東北産の松材・壁板や床材には能登ヒバ材・屋根及び屋根裏化粧板は石川産杉材を使用して、釘を使わない伝統工法によって建造されています。ちなみに前述のように使用建材は75%が石川県産で残りは関東・東北産木材を使用して純国産100%で出来ています。
DSC_0068_2.JPG
鼠多門 屋根部南側切り妻 屋根瓦は本瓦葺型鉛瓦葺
DSC_0011_9.JPG
鼠多門 通用門出口側壁石垣 鼠多門の通路両側の石垣は、明治17年(1884)に門が焼失した後に大部分が撤去された。発掘調査では数段分の石垣の残存が確認され、城内の多くの石垣と同様に戸室石が用いられたことや、石を隙間無く積む切石積みの技法で積まれていたことが明らかになった。また、大柱の礎石も2箇所で確認されている。
石垣の復元にあたっては、転用された石材の再利用や、損傷した石材の修理など、旧材を積極的に利用した。(案内板より)
石垣も調査結果により古石260個と新石340個の組合せで、玉泉院丸や鼠多門の石垣積みの復元・再整備が行われています。
DSC_0008_8.JPG
鼠多門 右正面石垣
ブログ最初の画像のように鼠多門と鼠多門橋の全景を撮れる北続櫓台跡も直線の石垣からせり出す形で整地されています。玉泉院丸の北外れで、人もあまり訪れませんが、一番のビューポイントかも^^
DSC_0027_3.JPG
丸の内園地石垣
金谷出丸と玉泉院丸の間には現在はお堀通り道路の名の通り、内堀があったのですが、江戸期にはこの北続櫓台を巻くように直角に折れて、旧丸の内園地(旧丸の内駐車場)の石垣に沿う形で堀が続いていました。丸の内の石垣は金沢城でも最初期に近い石垣(正保(1645~)~万治年間(1661年)に修理記録有)ですが、政庁となる二の丸御殿に直接面する内堀・石垣上の長櫓と共に重要守備の強い石垣になります。
DSC_0026_3.JPG
物見櫓台跡石垣 玉泉院丸から西郭・北の丸に向かう道筋にあります。
北続櫓台跡上部もお薦めですが、今回は画像がありませんが、旧丸の内園地前から見上げる北続櫓台の約10mの積上げ石垣は圧巻です。元和(1614~)から寛永(~1644)の鶴目積(丸石を多用して積み上げ、鑿(のみ)で表面を削って整えた)の作垣と云われますが、文化7年(1810年)に修築を担当した後藤小十郎の指図書が残っており、石垣勾配の設計法が解る貴重な存在と云われています。
金沢城内は石垣の博物館と云われるほど、多種多様の石垣積が見られますが、この玉泉院丸を囲む石垣群、通路から見える石垣の美しさでは城内でも群を抜いています。
DSC_0003_10.JPG
金谷出丸と鼠多門を繋いでいた鼠多門橋 新設された鼠多門橋は橋長32.6m・全幅5.5m(有効幅員4.3m)
鼠多門橋は江戸時代の橋長は29.2mで全幅5.5m、勾配も金谷出丸側の境内地に直接渡って低く、6本の橋桁等間隔に配置して木橋を支えていました。土台も礎石の上に橋桁が載るように支えていたそうです。木橋は老朽が激しいために架け替えが何度か行われていたようで古い礎石が出るなどで3.4度は架け替えられてきたようです。
DSC_0004_9.JPG
DSC_0021_6.JPG新しい鼠多門橋の作製に当たって、鼠多門金谷出丸の高さを同じにするために、金谷出丸東口から登り木道を設けて高さを平行にしています。この木道のおかげで尾山神社の木立の隙間ながら、これまで見られなかった玉垣や神廟が垣間見られるようになりました。
DSC_0005_9.JPG
新しい鼠多門橋橋桁位置は明治10年(1877年)に撤去された位置をベースにしています。しかし、現在のお堀通りは車道が通っているために本来の堀底に1~2mのエアモルタル処理を施し平行処理を施し、道路7m・歩行路2.5mX2を確保するために鼠多門から橋桁3-4・5-6を歩道幅に合わせ4-5の車道を広く取っています。1-2・2-3・6-7を江戸期の幅長位置に合わせています。
DSC_0028_3a.jpg
耐震対策として両端はコンクリート礎石で道路上は礎石の替わりにコンクリートブロック設置を使用、橋桁・橋本体・床板も鋼板仕様で一体化させています。鋼板・鋼材の上に能登ヒバ材で化粧被覆としています。つまり木橋に見えるけど、実はコンクリート土台と鉄鋼橋になります。画像で観ると木製に見えるでしょ^^;実際に渡っても気づかないと思う素晴らしい出来映えです。

旅行日 2020.07.27

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 48

なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた
ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス

この記事へのコメント

  • tor

    新たな観光名所の誕生ですね。
    今の時代は忠実に復元されているので
    これから時が経つともっと馴染んでくるのでしょうね。
    鼠多門は珍しいなと思いました。
    黒海鼠壁、黒漆喰珍しいですね。
    金沢の新しい顔となりましたね。
    また行きたくなりました。
    2020年08月11日 19:42
  • つとつと

    torさん
    この鼠多門と橋の完成で、玉泉院丸・金谷出丸といった周辺地、更に観光客がほとんど訪れなかった西の丸・北の丸が散策しやすくなりました。おかげでその気になれば金沢城内全てを廻れます^^V
    この日は雨ふりでしたが、僕も一度しか行ってなかった陸軍の第六旅団司令部の洋風建物を見てきました。また紹介しますね^^
    2020年08月12日 11:05
  • がにちゃん

    綺麗になってますねぇ 雨で光っている橋も・・・
    鼠が付く名前も珍しいなぁと思っていました
    鼠色・・・だったのですね
    尾山神社から行けるようになったのは、いいですね
    暫く行っていない金沢  
    また行かねばです
    2020年08月12日 16:32
  • 藍上雄

     鼠多門ブロックでも積んだかのような壁、なんだろうと思ったら、なまこ壁だったのですね。門全体に施されているのでとても豪華です。流石お金持ちの加賀藩です。鼠多門橋からの眺め本当に絵のようです。内部の材料も良い物が使われているようですね。本来の形の添って復元されているので、文化財的な意味合いでも立派だと思います。
     新しい観光名所。いつか訪れてみたいものです。
    2020年08月12日 19:52
  • 家ニスタ

    あああっ、そうでしたっけ?!
    鼠多門、今年の夏完成でしたっけ。
    すっかり失念していました。
    金沢には行ったのに、金沢城には行かずにスルーしてしまいました。
    鳥越城を優先してしまったもので・・・。
    でもこれで100名城も続100名城もスタンプを押し終えたので、次回から好きなときに好きな城をまわりたいと思います。
    北陸新幹線の敦賀延伸が2022年だと思いますので、まだ来年は北陸本線の命運は尽きないですよね。
    なんとしても来年また来たいと思います。
    2020年08月12日 23:34
  • つとつと

    がにちゃんさん
    雨降りで少し風があったせいか、観光客や訪れている人も少ないのでゆっくり観られました。
    この門が出来たおかげで、尾山神社を抜けて直接玉泉院丸に入れるようになりました。近くに住みながら、ついつい玉泉院丸はずっと未訪になっていたので、無料になった途端に入るというずっこい世界になっちゃいました^^;
    でもおかげとお言っては何ですが、久しぶりに西の丸の方を散策したのは久しぶりで、木陰が多くて桜や紅葉期もいいですが、新緑時も良いかもと^^
    やはり鼠多門の名称は色からのようです。よくぞ短期間でこれだけの物を造ったと思います。次は二の丸御殿だと県知事はぶち上げていますが、そちらは規模や装飾を考えると相当後になるんじゃないかと思います。
    2020年08月13日 19:07
  • つとつと

    藍上雄さん
    遠目に観ると確かにブロックづくりみたいに見えますねえ。まだ白漆喰が目立つので馴染んでくると、重厚感はもっと増すだろうと思います。
    予測される元和~寛永初期はまだまだ藩政の混乱期で以降の装飾飾りまでは、手が回らない時代ですが、それでもこれだけの技術を持っていたのは凄いことですね。
    なにせ、石川県と金沢市の構想では100年後の国宝・世界遺産を目指そうというのが目標ですから、できるだけ史実に沿った材料や研究に沿ったもので、文化財的には将来も見越しているようです。それは意義深いと僕も思っています。現在は二の丸御殿の調査。研究を進めているようですが、こちらは相当の時間と費用が掛かりそうです。
    2020年08月13日 19:17
  • つとつと

    家ニスタさん
    この夏は観光客も少なくて金沢城内を巡るには逆の意味で狙い目だったかもしれません。次回は是非、巡ってみてください^^
    北陸本線はまだまだ三県には貴重な脚ですから当分は大丈夫と信じているんですが。。
    鳥越の方に行かれたんですか@@記事楽しみにしています。僕もその後何度か行っているんですが、ついついアップしてなかったですから。。
    それにしても100名城・続100名城スタンプを終わったんですか@@すごいですねえ^^
    2020年08月13日 19:23
  • 家ニスタ

    すみません、誤解を招く書き方をしてしまいましたが、富山と石川で100名城&続100のスタンプが終わったという意味です。
    全国的には、100名城は終わりましたが、続100のほうは西日本にまだだいぶ残っています。
    ですが北陸に関しては、次回からはフリーハンドで城めぐりができると思います。
    2020年08月13日 22:36
  • つとつと

    家ニスタさん
    こちらこそ失礼しました。ということはまだまだ行かねばならない所があるということですねえ。
    北陸は大きな城は少ないですが、面白い山城がちょこちょこありますから、また遊びに来てください^^僕も秋になったら足慣らしに登りたいところがいくつあるんですが、体力がなあ^^;
    2020年08月14日 15:29
  • y&m

    写真の建物が皆、すごき綺麗ですね。
    一瞬CGなのかと思うほど美しいです。
    石垣の戸室石、これも美しいですね。
    お城の石垣のイメージを超えてますよ。(^^♪
    2020年08月16日 15:02
  • yasuhiko

    鼠多門・鼠多門橋、見事に復元されましたね。
    歴史遺産と言っても、建造物は手を加え続けることで、
    維持できるもの。きちんとした学術調査に基づく
    復元作業は、意義のある事だと思います。
    黒漆喰は川越の蔵造の店などにも見られますが、
    なまこ壁の目地に使うのは珍しいですね。
    独特の印象を受けるのは、そのせいかも知れません。
    工芸館の開館が10月末にずれ込んでしまいましたか。
    でも、きれいに建物の準備が整っているから、
    外から眺めるだけでも楽しいですね。
    2020年08月16日 21:51
  • ゆらり人

    鼠多門、も国立工芸館も素敵ですね。
    こんな興味深い建物があったのは知りませんでした。
    つとつとさんの画像は何時もすごいですから最大まで拡大して鑑賞しました。このデザインはどことなく中国的な雰囲気もありますね。
    洋館も素敵なデザインとバランス良いいですね。作ってみたいような気分になりました。
    門も素敵なデザインですね、感動しました。
    2020年08月17日 15:38
  • つとつと

    y&mさん
    もう出来立てのほやほやですからね^^それにしても黒海鼠仕様になると聞いていましたが、完成してみると美しいですねえ^^
    金沢城に使用されている石垣の多くは戸室石なんですが、加工のしやすい柔らかな赤戸室、固く堅固な青戸室をうまく使用していますし、この門に多用している切り込みの石垣の組合せも堅固に見えます。
    2020年08月18日 11:23
  • つとつと

    yasuhikoさん
    確かに建造物の復元は経過による風化と手入れによって維持されますから、このように美しく造ってもその後の補修や手入れが重要になってきます。
    黒海鼠と聞いてどのように再現されるのか期待していたのですが、このように灰色に美しく仕上がるとはとまじまじ見入ってしまいました。
    工芸館の移設前の二つの建物がクリームをベースにした地味な印象を持っていたのですが、色が復元されてみると、これほど鮮やかだとは思いませんでした。建物の前が広い広場なので、人の少ない今の時期は、建物の外観を見るには一番良い時期ですねえ内部も期待が膨らみます。
    2020年08月18日 11:32
  • つとつと

    ゆらり人さん
    鼠多門は明治の古い画像で存在や姿は知っていたんですが、復元された姿は予想を上回って、素晴らしいもので、黒海鼠壁の再現にも驚かされました。確かに中国の城門に雰囲気が似ていますねえ。
    洋館に関しては靖国神社の近くにあった頃、金沢市の分庁舎だった頃は、風化で装飾が外され、漆喰も黄みがかっていたので、地味な印象を持っていたので工芸館の印象に会うのかなと思っていたのですが往時の彩色に塗り替えられると、あまりに綺麗すぎて驚いてしまいました。内部も東京や香川の司令部を参考に改装したそうで、航海を楽しみにしています。
    金沢城内に軍施設の第六旅団司令部が唯一残っているんですが、同日に観ましたが、和洋折衷の白っぽい姿で新緑に映えて美しく、明治期の施設は洋式を取り入れても、和の雰囲気があって、城内の中でも違和感がなかったところが面白いですねえ^^
    2020年08月19日 13:00
  • ミクミティ

    金沢城の鼠多門と鼠多門橋の復元、とっても嬉しいニュースですね。
    真新しい門と橋は、地元の方も誇らしく感じるでしょう。
    しかも木製に見える造りにしたところも見事な計らいだと思います。
    観光の導線も便利になったのですね。いずれ行きたいと思っています。
    それにしても、その名前が面白いですよね。
    2020年08月22日 22:08
  • つとつと

    ミクミティさん
    6月頃まではまだカバーが掛かっていて、全貌が解らなかったんですが、出来上がるとやはり新品は輝いて見えますねえ^^橋の方はもうちょっと日焼けを待たないと綺麗すぎるかも^^
    お堀通りと呼ばれるこの導線は地元の人でもそうそう歩いていないと思いますが、これからは人も増えるでしょうねえ^^尾山神社の東神門は金沢城最古の門、で、鼠多門は最新復元、新旧一遍にみられます^^漢字だと何とも言えない名ですが、チュウチュウ門だと愛嬌ありすぎですかね^^;
    2020年08月23日 12:46

最近のコメント