安産(やすまる)日吉神社

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安産日吉神社 白山市平加町鎮座、拝殿は平成12年(2000年)に大改築。参道沿いに狛犬が3対、灯篭が多いなど寄進物が多いのが特徴
白山市を構成する平成の合併の際の旧市町村(松任市・鶴来町・美川町・河内村・鳥越村・吉野谷村・尾口村・白峰村)の一角を占める美川町
歴史を振り返ると古代には比楽河(ひらか・ひらかわ、手取川の先名称)の河口に比楽湊と呼ばれた港と駅が置かれたとされています。古代から明治にかけて手取川河口は重要港湾として知られた村でした。室町時代に編された廻船式目に記された十大港湾とされた三津七港の一つ・本吉湊を持つ本吉村となっていました。

三津七湊(さんしんななそう・ななみなと)は室町期に十大港湾都市とされた地を云います。
三津は湾の交易都市で、安濃津(あのつ・伊勢、津市)・博多津(筑前、福岡市)・堺津(摂津和泉、堺市)、中国(明)書では坊津(薩摩川辺、南さつま市)が加わります。
七湊は河口を港とした港湾都市で、三国湊(越前坂井、九頭竜川河口)・本吉湊(比楽湊)(加賀本吉、手取川河口)・輪島湊(能登鳳至、河原田川河口)・岩瀬湊(越中新川、神通川河口)・今町湊(直江津)(越後頚城、関川河口)・土崎湊(秋田湊)(出羽秋田、雄物川河口)・十三湊(陸奥津軽、岩木川河口)

明治2年(1869年)に石川郡本吉町と手取川対岸の能美郡湊村が合併し美川町となりましたが、わずか2年で分離して美川町と湊村に分かれています。
明治5年(1872年)に廃藩置県で金沢藩が消滅し、美川町に県庁が置かれ石川郡の名から石川県となります。当時、石川県は能登・加賀・越中・越前の一部を合わせた範囲が県域(一部本保県、旧天領地)でした。美川町が県庁所在地だったのは約1年間満たずの期間でした。県庁所在地跡は現在は美川の歴史資料館「石川ルーツ交流館」になります。
昭和29年(1954年)前述の能美郡湊村・石川郡蝶屋村・石川郡美川町で対等合併で石川郡美川町
平成17年(2005年)平成の大合併で白山市に合併編入

今回紹介する神社は美川町でも旧本吉村の産土神になりますので、旧本吉村に渡るお話が中心になります。
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やすまる銘水 安産川周辺の名水湧水の一つ、安産川親水公園にある銘水になります。夏場でも冷たい湧水が豊富に湧いています。ここから500m程、東に行くと美川あんずの家という敷地内にトミヨの増殖池があります。石川県内では志賀町末吉の鷺池・美川町の手取川対岸の熊田川とここ安産川でしか見られないトミヨの生息地です。
興味のある人はアップしてみて
手取川の名の先名称・比楽河(ひらか)の時代には本流や河口はもう少し北寄りで美川町の市街となる旧本吉地区にあったと云われています。その名残を残すのが、ほとんどの水が湧水から構成される細い川筋ながら安産(やすまる)川で本吉地区を囲むように流れています。
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上:やすまる銘水 源泉 右:安産川やすまる銘水東方向
海岸に近いために水の便に苦労すると見られがちな土地にみえますが、実際には豊富な水量の地下水が湧く美川伏流水群(平成の名水百選選定)の上にある街になります。石川県内でも珍しい河口の町ながら独自の伏流水を使用した上水道を美川町全体に供給しています。町のあちこちに点在していますが水道塔も町の名物の一つ。
数年前に撤去されてしまいましたが「美川 県一の町」大看板がありましたが、看板の下には下水処理場を持っていて上下水道の供給や処理も町単独で運営していました。下水処理場は看板の撤去と共に廃棄されており、現在は加賀沿岸流域下水道(梯川処理区)に接続委託しています。街並みや風景ではありふれた海辺の町に見えますが、意外なほどに水の豊かな町になります。
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湧水の多い美川町内には20~30ほどの認知された湧水の名所があるのですが、本吉地区の湧水はすべて安産川に流れ落ち、本吉地区はこの川に囲まれています。これら湧水の白山美川伏流水群の象徴ともいえる安産川の産土神の神社安産日吉神社になります。
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安産川親水公園 この公園の一番奥にやすまる銘水があります。
安産川(やすまるがわ)と白山美川伏流水群(安産日吉神社パンフより)・・・その川の水を飲むと安産子宝に恵まれると言われる。巣作り子育てをする、可愛い珍しい淡水魚トミヨが生息する湧水の川。
安産川は霊峰白山を源とする手取川の最下流部に合流する支流です。源流は河口より約3km上流の白山市水島地内で、河口は手取川の河口付近(白山市美川地域)で合流します。
流域は手取川扇状地の最も先端部に位置するため、過去よりその流れの殆どは地下水が湧き出たものです。流れの殆どが白山手取川の伏流水であるので、水温は冷たく、夏でも14~20度を上回ることはありません。生活に密着した信仰の川で、昔からの言い伝えでは「その川の水を飲むと諸病を癒し、子宝・安産に恵まれる。」と言われていました。
DSC_6701.JPG安産銘水 神社裏駐車場のカフェ&レストの脇にあり、男性の安全祈願、女性には出逢いと安産祈願にご利益があると古くから伝わる湧水
安産川は手取川扇状地の最下流でありながら、水が澄み切っており、低温であることから、梅花藻(ばいかも)やミクリ・フサモなどの水草が豊富で、湧水域に生息する淡水魚トミヨ(当地では通称「はりんこ」)やシマドジョウ・スナヤツメなどの魚類が生息しています。以前から地域住民の生活に密接に関わっていたこともあり、農業水・飲料水・洗濯・食品加工などに利用されています。
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安産日吉神社 一の鳥居 昭和6年(1931年)建立 後ろの標柱は明治41年(1908年)建立
安産日吉神社の由緒
当社祭神は大山咋命(おおやまくいのかみ)・大己貴命(おおなむちのみこと)の二柱を奉る。往古、比楽加と称し、安産川川上古宮と称する処に鎮祭し奉る。寿永二年(1183年)五月十一日、源義仲、平軍を追討、当社に参拝せられ表白文を捧げ、熱誠軍の勝利を祈願せらる。然るに其の後、安産川洪水の節、社も又水難に罹り、神器並宝物悉(ことごとく)皆流失せり。玆(これ)に土民力を合わせ現今の地を撰(えらび)、社殿を造営し移し奉る。現に右白文は稀有の宝物として伝来す。
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安産日吉神社 二の鳥居 平成6年(1994年)建立
安産日吉神社史
白山市平加町はその昔「比楽(ひらか)」と呼ばれ延喜式にも見える様に、大昔から知られている村でした。この村の守護神としての「安産日吉神社」の鎮座も極めて古いといわれています。
手取川が比楽河と言われて堂尻川の河口に注いでいた頃、比楽湊として北前船の重要な拠点として繁栄していて、安産日吉神社もこの地にあったといわれています。しかし、暴れ川であった比楽河の度重なる洪水により現在の地に建立されたといわれています。
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当時の拝殿は江戸末期に神殿は明治末期に改築されたものといわれています。その後、平成12年(2000年)9月に改築され現在に至っております。この社の東側にはかつて比楽河が流れていたこともあり、その伏流水の湧水が多く流れる安産川はとても澄み切ったきれいな川でした。
この水を汲み、口をそそぎ、手を洗い、身を清めて船人は安全を、百姓は五穀豊穣を、女性達は良き出会いと安産をお祈りしてお祭りが執り行われています。お宮の名の如く安産の神様として、記念し安産の水をいただいたものは難産しないといわれ、参拝者の多くは女性で占められていました。
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安産日吉神社 拝殿
又、他社に余り見られぬ女性からの絵馬や灯篭などの奉納品も少なくなく、安産日吉神社は女の神様といわれています。昔からの言い伝えでは、本吉日吉神社(藤塚神社)とは雄神、雌神の関係で、毎年春季例祭は、雄神が平加の雌神のもとを訪れるのだと言われる逸話があります。
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藤塚神社御旅所(旧本吉日吉神社跡地) 2015.03.20撮影 安産日吉神社から400m程南西にあります。おかえり祭はここから南西に800m程の藤塚神社からこの御旅所で一泊、町内を巡る祭りです。
右・下 山鉾の格納倉庫 表面に山鉾の絵があり13基が並びます。
藤塚神社の画像を探してたんですが見つかりませんでした。またの機会に。。
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補足:由緒にあるように祭神は近江の日吉大社(山王権現)の東本宮の大山咋神と西本宮の大己貴神を主祭神にした日吉大社を勧請した神社になります。手取川の先名・比楽河の時代、河口は現在地より北に1キロ余り北にある手取公園とアプリコット広場の間を流れる安産川分流・平瀬川・堂尻川の河口だったと云われています。

古代には同じ日吉大社を勧請した美川南町の藤塚神社(旧本吉日吉神社)も同じ場所だったと考えられ、遷座によって本吉地区の東西に分かれたと思われます。毎年5月に行われる美川最大の祭り「おかえり祭」山鉾巡行と神輿渡御は藤塚神社から北西の美川浜町の藤塚神社御旅所までですが、当初はその先の安産日吉神社まで会いに行く行事だと言い伝えられてもいます。この伝承からも元の手取公園もしくは銘水「蓮池の水」のある辺りから元々は一つだった日吉神社が、比楽河の名を引き継ぐ平加町安産日吉神社の地に遷座してから御旅所、藤塚神社(旧本吉日吉神社)と遷座を繰り返したと思われます。
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安産日吉神社 本殿&拝殿 
平成12年に大改築を施されたそうです。拝殿反対側と境内参道脇と三基の藤棚が設置されています。5月に綺麗な花が見れそうです。
訪問は8月半ばでしたが、咲き残りの花が見られました^^

前述のように手取川の河口が南下するごとに本吉湊も南下したことが考えられます。現在の河口右岸にある美川漁港は藤塚神社が近く、港の守り神としています。また前述の安産川は本吉地区を大きく迂回して藤塚神社付近で手取川に接続しています。すぐ側の隣地に明治初頭の県庁が置かれたこともあり、本吉地区の一ノ宮は自他ともに藤塚神社が現本宮となっています。前述のおかえり祭にしても主役は山鉾を引いたり、神輿を担ぐ港町の男衆です。
ところが安産日吉神社のある平加町は昔からの住宅地上の高台であり、高台には美川町役場や小中学校、図書館が置かれた文教地区でもあります。要は子供と女衆の町でした。しかも安産(やすまる)川が示すように名前が女性の出産に繋がる名前になります。町名が比楽河の名を冠する上に、伏流水を集める冷たく清涼な川名をも冠する神社。
手取川は白山を源にする河川になります。その源は加賀地区の住民が信奉する白山になります。白山の神と言えば菊理姫神(白山比咩大神)女神になります。近年はすっかり女性と子供の神社になっています。
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おかげと言っては何ですが、神社の周辺には図書館や児童クラブ、体育館など子供たちの施設が多く、安産日吉神社拝殿や本殿の横や裏には広い広場がとられて児童公園になっています。また子供向けの碑が多いのもご注目
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DSC_6714.JPG安産の狛犬 
左:対の狛犬 こちらがお父さん 加賀では珍しい顔が横長、九州型?
安産日吉神社には新旧・大小の三対六体の狛犬像が寄進されていますが、上画像の子持ちの狛犬が神社のシンボル「安産の狛犬」となっています。ちなみに母親やすちゃん子供まるちゃん。大正14年(1925年)寄進銘。

名前や銘水があることから、女性や子供の参拝が多かったのですが、この子持ち狛犬も女性人気からパワースポットとしてマスコットになったそうです。
訪れる参拝客は女性や子供が多いので、こういった女性向けの狛犬も登場するんですが、無住神社の哀しさでつい最近まで御祈祷や祭事も少なく、お守りやお札もなかったのです。
せめて御守りくらい作ってよ」の声を受けて、10年ほど前に神社の氏子会「安産比楽会」が兼務本社「若宮八幡宮」に作製を依頼。
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やすまるごはんカフェ
前述の安産日吉神社駐車場の「やすまるごはんカフェ」(めんちカツが絶品^O^)を始め美川町内氏子の南はちみつなど七店舗で販売・お渡ししています。ついでに神社所縁の新商品も。。月一度の祈祷申込もできるようにHPを開設しています。詳しくはこちらをどうぞ ⇒ 良き出会いと安産の杜 安産日吉神社
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扁額 少し色褪せてしまいましたが、以前は桟を青く塗っていたようです。
氏子会「安産比楽会」の名が示すように、それまでは手取川の旧名を取り入れているように手取川・安産川・美川伏流水群の神社として重要視していました。有力氏子には、フグの卵巣の糠漬け・粕漬けの老舗・あら与、御酒最中の御酒堂フタマサ、100%純粋蜂蜜の製造本舗・研究所・南ハチミツ、手打ちうどんのめん処一休どん、手作りパンの店・パンダフル、珈琲色の天然温泉・安産の湯など、安産の湯を除くといずれも食に清涼な伏流水の地下水を使う老舗ばかり、当然ながら水の神様として神社の氏子だったんですが、今は完全に方針転換で安産の名前を重視して、各店舗で安産所縁の特別商品を打ち出しています。いずれも味も歴史もあるお店ですから、機会があったら是非お試しを^^
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美川町は海岸の町なので砂系の泥土壌になります。境内には松が多く植えられていますが、海岸特有の根上りになった松が多く見られます。
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神社裏横駐車場から 手前は社務所、本殿を高めに設定しています。
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先にマスコットの狛犬(大正期、やすちゃん・まるちゃん))を載せましたが、他の二対もついでに。。
昭和後期から平成の狛犬は大小はあっても、どこに行っても似た形式が多いので見なれると面白みがないのですが。。小振りな方は眼と牙を白漆喰で塗っています。それだけで迫力感が変わるのは面白いですね。
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拝殿前狛犬 昭和63年(1988年)寄進年
狛犬が昭和後期以降の物が全国的に同じようなものになっているのには訳があります。
狛犬の歴史を書き出すととんでもないことになるので近世からということで、江戸期は幕藩体制で簡単に言えば地方は藩という独立国のようなもので、各地の風習や感覚が濃く根付いていて、狛犬も国が変われば全く別物という感じでした。そして、それを受け継ぐ石工という専門職もいたわけです。
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話が横道にずれてしまいますが、あくまで個人的意見ですが、僕個人は神社巡りを趣味にしていますから、簡単には参拝作法の決まり事などは心得ているつもりですが、どうしても神社を訪れると好きになれないことが幾つかあります。なかでも最たるものが拝殿にでかでかと張られた「二礼二拍手一礼」の強制の張り紙などですね。現在の年配の方で明治中期以前生まれの父母や祖父母に神社に連れて行かれた方の中で、二礼二拍手一礼ではない遣り方をしていた姿や、教えられた方が中にいると思います。僕もその一人なので、どうもあの張り紙には違和感を持ってしまうのです。神社に参拝した時は余程その神社の古代からの決まりごと(故事、例えば出雲大社・弥彦神社の四拍手、伊勢神宮の八拍手など)以外は、羽目を外さない限りは参拝は神対個人というのが基本で、ある程度個人の自由だと思っています。参道や石段も出入りは左側端通行なども人気神社や年中行事で参拝客が多い時は仕方ないにしても、誰もいない時には端を歩くのは当たり前でも、右左などと、そうこだわらなくてもいいんじゃないかと思っています。

明治になって進められた神仏分離と全国的な神道統一の一環で祭神の統一や導入、明治8年(1875年)の太政官神社祭式が創始とも云いますが、全国的には明治40年(1907年)前後に内務省が発布した神社祭式行事作法になります。ただこの公示は一般参拝客にではなく、あくまで神社の祭祀方法として出されたもので、一般民衆に出されたものではありませんでした。それまで地方や神社でバラバラだった祭祀方法などの格式なども統一化を図るものでした。
現在一般的な「二礼二拍手一礼(二拝二拍手拝)」の原点もこの時になり、当初は「再拝(二礼)→二拍手→押し合せ(合掌)→祝詞奏上→押し合せ(合掌)→二拍手→再拝(二礼)」と長いものでした。大正期に朝廷で行われた体操前行動(皇国運動、やまとばたらき)に二礼二拍手一礼を行うようになって祭祀にも使用したことから巷間に広まったと云われています。昭和初期には故事を持つ神社以外(申告制)は「二拝二拍手」を通常として「拝」「二拝二拍手一拝」の三種と定めて戦後まで続きます。戦後またしても廃止改定され、昭和23年(1948年)神社祭式行事作法がまたまた改定で故事神社以外「二礼二拍手一礼」と定めたわけです。但し誤解無きように、これは神主や祭祀参加者が祭祀に際しての礼法で、一般参拝者に定めたものでは無いのです。要は一般参拝者に決まりはないのが実情です。あくまで戦後の国推奨、神社、神社庁の押しつけ、もしくは基本動作とするのが正しいわけです。一部マスコミではこれが絶対みたいな番組がありますが、惑わされないように。。また細かいことを言えば、先に書かれた拝は90度、礼は0~45度なんて話もありますが、これも正式に定まったものではありません。
ちなみに僕が祖父母に教えられたのは一礼・二拍手・違い合掌(仏前(合掌)のように指を揃えない)・一拝でした。周りに家族や同伴が居ない時はこれで通しています。
DSC_6720.JPG拝殿前狛犬 平成12年(2000年)寄進年
拝殿・本殿の大改築と同時に寄進された狛犬
話が横道にそれてしまいましたが、狛犬は屋外に設置するためにどうしても破損や摩耗で崩れるために、作り直しや寄進が多くおこなわれたのが明治になります。更に神仏習合により神社が独立したり、合祀令などで近在の社を合祀するなどで神社が新調され、需要と供給がピークに達しています。各地方の特色とバラエティーに富んだのが明治の狛犬でした。

しかし前述の明治40年(1907年)の神社祭礼行事作法の発布には神社を国家神道の元に、統一画一化を図ろうという国の方針がありました。そこには当然ながら狛犬の形態も含まれていました。国は狛犬の形態を三河(現愛知県)の狛犬に形態を統一するように神社を指導したわけです。なぜに三河だったのかは不明。。ところが明治政府の変に柔軟な部分ともいえるのですが、新規製作の狛犬形態の統一を指示したものの、在庫品・在庫石に関してはそれ以降も寄進は認めていたのです。このため、昭和初期までは在庫処分と手彫り彫刻で地元色の強い狛犬が多く寄進されていました。
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当然ながら狛犬作りも伝統的な技術職だったために石工、寄進物の需要の多く、在庫を失った石材店はどんどん減少していきました。更に狛犬などの石工や石材店の苦境をさらに深めたのが、戦後の安価な輸入石が導入され石材店を減少させ、石材の加工も機械化されて行き石工の伝統芸・技術継承を困難にしてしまいました。
伝統的な狛犬製作の継承が難しくなり、画一的なモノになってしまったわけです。ほとんどが機械されたとはいえ、地方ごとに微妙な特色はあるのですが、同じ県内の昭和後期以降の狛犬は、市町村によって石や色、微妙な肉付けや装飾の違いがあるものの機械製作のために似たようなものに見えてしまうわけです。同じ地区内の神社を巡って狛犬探索をする愛好家にはだんだん辛いことになって行きますねえ。。

旅行日 安産日吉神社 2020.08.13
    やすまる銘水 2020.08.27

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この記事へのコメント

  • ゆらり人

    すごいですね。
    本殿が総ガラス張りなんて、それだけ重要な物なのですね、はたまた雪防止も兼ねているのでしょうか。
    だんじり?も沢山納められているのですね。
    一度に揃うとすごい迫力でしょうね。
    何時も狛犬が出て来るとその違いが分るのですがそんな歴史と思いがあったとは知りませんでした。作り手だけに物かと思っていましたよ。
    2020年09月07日 12:49
  • がにちゃん

    トミヨ・・・おお! イクメンパパですね
    水のきれいなところに住んでいるのですね
    付加した子供を見届けて 1年で・・・はかない魚ですね
    上水道が伏流水ですか 羨ましいですね 美味しそう
    安産日吉神社  時代が変わっても子供を産む大変さは変わりません
    ここの清らかな水で安産祈願 
    目と歯が白い狛犬さん  白い石が使われている? 色が塗ってある?
    目がそこへ行ってしまいますわぁ
    個性的な狛犬が無くなって行っているのですか
    残念ですね
    特色ある狛犬見るのも神社にお参りする楽しみの一つあったのに

    2020年09月07日 16:41
  • tor

    最初はガラス張りの神社には驚きましたが
    つとつと様のブログで見慣れてきましたが
    それでも不思議な気分です。
    白山市も湧水の里なのですね。
    こちらも上水道の水源は全て地下水ですよ。
    白山の伏流水、阿蘇山の伏流水。
    美味しい日本酒の造り酒屋さんがあるのでしょうね。
    「天狗舞」は知ってますよ。
    山鉾が巡幸する
    お祭は「おかえり祭り」?
    なにかいわれがと検索しました。
    にぎやかなラッパに先導されと・・・
    こちらの藤崎宮秋季大祭もラッパなのですよ。
    今年は新型コロナで中止です。
    お詣りの作法や狛犬など書きたいことはあるのですが
    長くなりましたので。
    今回もたのしく読ませていただきました。
    あっ!日吉神社といえば
    神猿をお見掛けするのですが?
    2020年09月07日 19:20
  • つとつと

    ゆらり人さん
    北陸の特に石川と富山には本殿や拝殿をガラス張りの囲いで覆っているところが多いのですよ。
    何といっても富山には立山アルミサッシやYKKという、強い味方がいますから、お察しの通り、風雨・雪の防御用に考案されたものです。昔は冬場になると板囲いを施していたんですが、それでは拝殿や本殿の建物が隠されて見えないので、ガラス張りのアルミサッシになったんです。もとは一般住宅の玄関の風防室が始まりなんです。欠点は一年中そのままになってしまうことです。
    美川では台車(だいぐるま)と呼んでいます。土地土地で呼び名が変わるんですが、この祭りでは初日の夜に御旅所に13台が並んで壮観です。
    狛犬は寄進する人の気持ちが大きいんですが、やはり個性的なモノは明治の物が一番好きですねえ@@
    2020年09月07日 19:45
  • つとつと

    がにちゃんさん
    トミヨ あれほど、卵から子供の成長を面倒見続ける魚も珍しいですね^^おかげで無理がたたるのか雄は雌の半分ほどしか生きられないそうです。トミヨは水温の低い淡水と水藻のある所に生息するので、北海道以外では、なかなか見られない貴重なもので、県内でも三カ所だけ。。
    眼と歯には白漆喰かセメントみたいなもので塗っていました。紅色で塗るのはたまに見かけるんですが白色というのは滅多に見なくて、ついつい見入っちゃいました。
    狛犬はやはりその土地土地の特色が出ますから、こうやって年代別にみると面白いですが、やはり江戸や明治期の手彫りが風情があって好きですねえ^^
    2020年09月07日 19:59
  • つとつと

    torさん
    北陸は風雨や風雪が厳しいですから、、雪は水分が強くて着雪が木壁を消耗させてしまうんです。そのために冬場には板壁や菰掛けで建物全体を囲ったり、入り口にも雪除けを設けたりしていたんですが、それでは建物が見られなくなるし、取り付けや取り外しもたいへんで、こういうガラス張り・アルミ、樹脂サッシが流行っているんです。なにせ富山にサッシのトップメーカーの立山アルミ・三協・YKKと揃ってますから、家屋から神社へと波及しています。
    おかえり祭は江戸時代から行われてきた祭りなんですが、資料が大火で焼けて謂れやその他が不明な部分が多いんです。明治以降には港は寂れたんですが、美川には古い船員養成学校があって、昭和初期から戦後の、貨物船や軍艦の船員は美川出身者が多く、特に貨物船は8割以上と云われていました。船員は一種の出稼ぎ者でこの祭りは神社の還幸の他に、船員や漁船員の戻りと無事を祝う行事でもあって、ラッパは海軍や海関係者の名残と言われています。ラッパは戦後にGHQから一度は禁止没収を告示されたんですが、交渉の末に存続させたそうです。
    白山伏流水を利用した日本酒は天狗舞の他に手取川・菊姫・萬歳楽・高砂などが酒造になっています。美川にはここにしかないと云われる河豚の卵巣の粕漬け・糠漬けがあるんですが、これも大量の伏流水を使用するそうです。
    ここの狛犬さんはtorさんの所で観る九州っぽい顔をしてますねえ^^
    2020年09月07日 20:33
  • ミクミティ

    比楽湊から本吉湊、古の時代からの重要な港だったのですね。
    その港のある美川町が明治初めの県庁所在地でしたか。当時さまざまな駆け引きや論争があったことでしょう。更に、平成の大合併でも大議論があったのではないでしょうか。
    安産の銘水、いい雰囲気ですね。水も綺麗でしょうが、名前も綺麗で優しい感じですね。そこに神社があったこともうなずけます。
    そこからの、参拝儀礼と狛犬のお話。非常に深いなと思いました。
    やはり明治政府は中央集権を強化するために、ちょっと強引だったのかなと思います。もちろんそれが功を奏した部分もあったと思いますが。
    2020年09月10日 21:37
  • つとつと

    ミクミティさん
    古代から続く港で明治までは北前船主の湊や寄港地とっして栄えた町です。室町には三津七湊に上げられたほどでしたが、現代の大型船時代になると水深が浅くのどかな漁港になっています。そういえば、三津七湊の半分近くは面影も感じられないものになっています。
    水はなんといってもその地の大事なもので、清涼な水は地元にとっては大事で人々の思い入れが感じられます。次回作は逆にその水が公害となった場所で清涼な水のありがたみはここに建つとよく解ります。
    明治の改革は行き過ぎも多かったですが、それでも近代化に貢献したものが多かったのは確かです。県庁が美川に置かれたのも、金沢藩の影響力を避けたかった外来の知事の想いがあったようです。旧県庁地を歩いてみると道元標などかすかな名残りが見られます。
    2020年09月11日 12:08
  • yasuhiko

    安産と書いて、「やすまる」と読ませるんですね。
    もとは、三津七港の重要な港町にあったという
    由緒ある神社。しかも、女性の信仰心が篤い
    という点にも興味を惹かれました。
    神田上水の水で産湯を浸かった…というのは、
    江戸っ子の決まり文句ですが、この神社で安産の水を
    戴いたというのは、土地の人々にとっても誇りなんでしょう。
    豊かな地下水に恵まれた土地柄が偲ばれますね。
    2020年09月12日 13:15
  • つとつと

    yasuhikoさん
    漢字だけだとそのものズバリで、男一人で境内をウロウロするにはなかなか勇気のいる神社でもありますね。。たしかに、美川の地は豊かな地下水で、美川の産湯に浸かってとなりますねえ^^美川は廻ってみると水を大量に使う名産がそこここにある町です。同じ白山市なんですが、全く水の味が違って感じます。
    2020年09月12日 16:41
  • 藍上雄

    安産日吉神社、やはり読んで字のごとくなんですね。安産の神様なんだ。水は生命の源なので、綺麗な湧水に恵まれた場所なんでしょうね。
    九州型?の狛犬どこか素朴で良い雰囲気、和みます。最近は中国製もあるので気を付けて見なければなりませんね。
    山車の動画、押して歩くお神輿ですが、立派な物ですね。
    トミヨ、大切に保護してもらいたいものです。
    2020年09月13日 17:09
  • つとつと

    藍上雄さん
    名前がまんまの神社ですから、男一人でウロウロすると、ちょっと気恥ずかしくなる神社ですね^^;
    白山から流れる手取川の水が地下水となった伏流水で、地元では千年の水と呼んで大事にされています。住民にとってはまさに命の水ですね。
    トミヨはきれいな水にしか生息できない魚ですから、清涼な水の証明ともいえますね。トミヨの生息地が多い北海道の藍上雄さんならご存知でしょうが、トミヨは冷たい水で生息して、高温の水には弱い魚です。本州以南では冷たく清涼な湧水のある場所は限られますから貴重な存在で、いつまでもいてもらいたい魚ですね。
    2020年09月13日 21:20

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