妻沼(めぬま)聖天山・歓喜院(かんぎいん)本坊

葬儀や火葬と大伯母を見送ったのが午後4時過ぎ~~丸二日近く寝てないから途中から瞼が落ちそうに==とろ~~ん従兄弟やその他の顔見知りと少し会話して。。それにしてもみんなマスク姿なので顔が解らなくて、親しげに話しかけられても貴方・貴女はだ~れになっちゃいますねえ^^;なかなか面と向かって「あなたは誰ですか??」とは聞きづらいですもん^^;なかには「つとおじちゃん^^/」と可愛く声を掛けて来てくれた綺麗な女性にドギマギしたら、後から妹に「てるちゃん(従姉)の娘だよ」と教えられ、「え~~」最後にあったのは小学校の2.3年生以来、嫁さんと結婚する挨拶に大伯母の家に行ってあって以来だから、ん?ということは40歳@@「そうだよ、ついこないだ誕生日、私も歳とったあ^^V」 40には、み、見えない、娘より若く見える、、二度ビックリ@@そのお母さんも従兄弟の中では一番年上だけど20は若く見える、大伯母そっくりの性格^^血は争えぬ@@ と、しみじみ。。そうみると我が家系の女性陣はみんなハツラツ、男たちがしょぼくれてみんな頭が上がらないわけだ。。 見送られて会場を出て広い駐車場の片隅で、礼服やシャツネクタイを脱いでドライバーに戻るためにジーパン姿に変身。着替えている間に、みんな帰ってしまった後。。さて僕も帰るか。。とはいえ今からトンボ帰りでも家には午前様。。どうせ午前様なら1時間ほど寄り道してみるかと向かった先は妻沼聖天山。 若かりし頃に一二度見ていましたが、当時は建物も塗装が剥がれ剥げ禿…

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江馬白山神社 (カミオカラボ向かい)

8月末 昨昨年から体調を崩していると聞いていた大伯母が98歳で亡くなりました。僕には数少ない親戚筋の中でも一番頭のあがらない伯母だったのですが、昨年声を聴いたときにも相変わらず明るい声だったんですが。。最後に一目ぐらいということで、葬儀に行くということで、久しぶりに国道41号から飛騨越えで旧中山道経由で熊谷まで行くことにしました。 それなりに余裕をもって出発したのですが、いつもの国道359号からでなく国道8号から国道41号線と迂回して行ったのでいつもより手間取ってしまいました。山岳道路となる越中から飛騨越えの高原川沿いに41号から471号と進むのですが、この辺りから今回の道の選択に少し後悔が、すっかり失念していたのですが、岐阜から長野にかけては今年の梅雨に集中豪雨で崖崩れや道路の崩落が頻発していたために、道路の整備工事が多く片側通行でなんども停車することに。。速度も乗らないために前後にトレーラーに挟まれて走る緊張状態。。神岡町に入って、前の車が居なくなってアクセルを踏み込んだ途端、緊急事態 いきなり警告ランプとエンジンの異音が発生 慌ててハザード点けて道路の端に車を寄せて停車したのですが、後ろのトレーラーも慌てて避けて行きました。。車のトラブルは久しぶりだなあと、まだのんびり気味の僕は車のマニュアルをペラペラ・・排気系の過熱状態の警告で10分ほどエンジンを切って様子を見ろ、それでダメならディーラーまでというマニュア…

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安産(やすまる)日吉神社

安産日吉神社 白山市平加町鎮座、拝殿は平成12年(2000年)に大改築。参道沿いに狛犬が3対、灯篭が多いなど寄進物が多いのが特徴白山市を構成する平成の合併の際の旧市町村(松任市・鶴来町・美川町・河内村・鳥越村・吉野谷村・尾口村・白峰村)の一角を占める美川町。歴史を振り返ると古代には比楽河(ひらか・ひらかわ、手取川の先名称)の河口に比楽湊と呼ばれた港と駅が置かれたとされています。古代から明治にかけて手取川河口は重要港湾として知られた村でした。室町時代に編された廻船式目に記された十大港湾とされた三津七港の一つ・本吉湊を持つ本吉村となっていました。 三津七湊(さんしんななそう・ななみなと)は室町期に十大港湾都市とされた地を云います。三津は湾の交易都市で、安濃津(あのつ・伊勢、津市)・博多津(筑前、福岡市)・堺津(摂津和泉、堺市)、中国(明)書では坊津(薩摩川辺、南さつま市)が加わります。七湊は河口を港とした港湾都市で、三国湊(越前坂井、九頭竜川河口)・本吉湊(比楽湊)(加賀本吉、手取川河口)・輪島湊(能登鳳至、河原田川河口)・岩瀬湊(越中新川、神通川河口)・今町湊(直江津)(越後頚城、関川河口)・土崎湊(秋田湊)(出羽秋田、雄物川河口)・十三湊(陸奥津軽、岩木川河口) 明治2年(1869年)に石川郡本吉町と手取川対岸の能美郡湊村が合併し美川町となりましたが、わずか2年で分離して美川町と湊村に分かれています。明治5年(1872年)に廃藩置県で金沢藩が消滅し、美川町に県庁が置かれ石川郡の名から石川県とな…

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