先々月(9月)の上旬に熊谷まで行ったんですが、車のトラブルで1時間半ほど途中でストップしたんですが、緊急事態も何とか回復して、その後は何事もなく無事に帰って来れました。ストップした原因は未だに解らないんですが、愛車のフィット君もその後も僕の酷使にめげずに走ってくれています。トラブルの時に、エンジンを止めれるようになって20分ほど冷却のつもりで、駐車したまま、真ん前にあった神社に参拝して、まさに神頼みをしたんです。
ご利益があったのか、フィット君のご機嫌も直ってエンジンも元に戻り、無事に動き始め(レッカーと代車手配のキャンセル電話をするのは恥ずかしかった^^;)、その後は新平湯迂回路や安房・上高地を横目に走る梓街道(あずさ、高山ー松本間の野麦街道と並ぶ難コース)、更には碓氷峠越えと起伏の激しい道を走り抜けて、無事熊谷に、そして帰りは雨の信越・北陸の高速道と無事に帰ってこられました。
帰ってからディーラーに点検もしてもらいましたが原因も解らないまま、ともあれ神社の参拝のご利益ということで、いつかお礼参りをしたいと思っていたんです。11/3久しぶりに嫁さんを連れて紅葉見ながら、神岡までお礼参りに
手前は安養寺集落、戦国期に西方に一向宗越中西勢力本拠地(勝興寺旧地、旧土山御坊移転地)がありました。山並みの左端が倶利伽羅峠。
奥の細道では芭蕉・曾良は江戸千住から奥州・北陸道をなぞるように美濃大垣まで、5カ月で総計2400キロ余りを踏破しています。小矢部では、芭蕉が同じ墓所に眠るほど好きだった源義仲の古跡・倶利伽羅峠があります。 義仲の 寝覚めの山か 月悲し 芭蕉
昭和63年(1988年)日本道路公団が芭蕉句碑巡りとして設置したものです。
嫁さんと一緒ということで、久しぶりに高速で富山ICまで直行で、残りは41号線で南下して神岡まで。。嫁さんもうつらうつらしながらも、久しぶりの遠出に窓からきょろきょろ@@高速に乗っている間は東の正面に立山や北アルプスの白い山峰がみえて、41号の県境の山並みもすっかり色づいていましたが、今年は赤が少なくて黄色と茶で染まっているように感じますねえ^^
前日に土砂降りで木々も洗われて綺麗でしたが、相変わらずの山伝いのカーブだらけ、そして道路の補修で交互通行が多いけど、そこは御愛嬌^^小矢部川のSAでトイレ休憩しましたが、あとはノンストップで一直線、立山連峰や紅葉の画像が無くて申し訳ありません・・
江馬白山神社 2か月前は木の葉は濃い緑でしたが、すっかり色も変わって散り始めていました。前回の様子はこちらをどうぞ ⇒ 2020.09.02 江馬白山神社
そして着いたのは2カ月ぶりの江馬白山神社 早速、拝殿にお礼詣でに
前回は午前4時とまだ暗い時間だったので煤煙で変色している狛犬なども、怖いくらいの印象を受けましたが、明るい時間に観ると子供を抱えた姿の顔もちょっと優しい印象を受けますね。
そうそう前回は狛犬の寄進年が見られなかったんですが、改めて確認すると昭和10年(1935年)でした。とすると神社は、精錬所のあった宮沢平から大正3年(1914年)に高原川南岸の野首に遷座しています。江馬に遷座した時期が解らないのですが、野首か江馬かどちらかで寄進されたようです。とすると精錬所の煤煙はこの辺りも覆ったということですか@@

神岡鉱山は世界規模の産出で、神岡に繁栄をもたらしましたが、精錬の煤煙、精錬屑の渓谷への廃棄体積、未処理水の廃水によって環境破壊と土壌・河川汚染の痛手をもたらしてしまいました。
鉱山の操業停止により、替わってニュートリノ研究施設や重力波望遠鏡KAGRAなど宇宙研究のメッカとして脚光を浴びつつありますが、神岡鉱山や山間の盛衰の歴史を忘れてはいけませんねえ。。
なにはともあれ、僕にとっては、熊谷への往復から無事に帰って来れたご利益があったのは確かなので丁重にお参りさせて頂きました。
江馬白山神社 鳥居 前回は暗くて鳥居も金属製だと思っていたら、改めてみると木製で、しかも表面を粗削りにした独特なものでした。やはり建物や構築物を見る時は灯りのない所では、夜間は駄目ですねえ^^;
ひだ宇宙科学館カミオカラボ&宙ドーム神岡 左の円形ドームがカミオカラボ、右は宙ドーム神岡、建物を挟んだ駐車場内の左端に地場野菜などの直売所があります。道路看板の向こうに見えるのが直売所「朝とれ野菜直売所(神岡朝市クラブ)」
江馬白山神社の向かいにあるのが、ひだ宇宙科学館カミオカラボと道の駅「宙(スカイ)ドーム神岡」
科学館の脇には神岡鉱山をカミオカンデとして研究に従事した博士たちの言葉のプレートとモニュメントがあります。前回は平成7年~13年(2001年)神岡宇宙素粒子研究施設長を努めた故・戸塚洋二博士、宇宙飛行士・毛利衛氏を載せたので、今回はカミオカンデの創始者・小柴昌俊博士。カミオカンデを模したモニュメント。

ひだ宇宙科学館 小柴昌俊博士モニュメント
神岡町の皆さんに、カミオカンデを可愛がって下さって有難うございます。小柴昌俊
小柴昌俊東京大学名誉教授略歴
1926年愛知県生まれ。1951年東京大学理学部教授、1987年東京大学名誉教授となる。カミオカンデにより、世界で初めて、超新星爆発からのニュートリノ天文学という新しい学問を切り開いた。
1985年のドイツ連邦共和国功労勲章大功労十字章受章をはじめ、仁科記念賞、朝日賞、文化勲章など、数多くの賞を受賞している。
2002年にはノーベル物理学賞受賞、2003年春の叙勲で勲一等旭日大綬章を受賞、岐阜県民栄誉大賞も受賞されており神岡町の名誉町民となっている。
ちなみに、富山市から名古屋までを繋げる国道41号線、僕たちも富山ICから神岡までこの道路を通ってきたんですが、、富山県や岐阜県では、富山から高山までの約90キロを別名・ノーベル街道と呼んでいます。富山-高山間には5人の受賞者の所縁の地になるためにそう呼ばれています。元は平成14年(2002年)に神岡のカミオカンデの小柴昌俊氏と富山市出身の田中耕一氏が物理学・化学賞を受賞してこの区間に4人の受賞者の所縁が集中したことで名付けられた経緯があります。
ノーベル街道に関連したノーベル賞受賞者
※利根川進氏・・・1987年医学・生理学賞、多様な抗体を生成する遺伝的原理を解明。富山県上新川郡大沢野町(現富山市大沢野)、小1から中1まで在住。
※白川英樹氏・・・2000年化学賞受賞、導電性高分子(電気を通すプラスチック)の開発。岐阜県高山市はお母さんの実家、幼稚園(4歳児)、小3から高3まで在住。
※田中耕一氏・・・2002年化学賞受賞、蛋白質等の生体高分子の同定と構造解析を特定する手法の開発。富山県富山市で生まれ高3まで在住。
※小柴昌俊氏・・・2002年物理学賞受賞、 天体物理学、宇宙ニュートリノの検出に対するパイオニア的貢献 。岐阜県吉城郡神岡町(現飛騨市神岡町)で1983年からカミオカンデ実験開始。
※梶田隆章氏・・・2015年物理学賞受賞、ニュートリノが質量を持つことを示すニュートリノ振動の発見。スーパーカミオカンデ完成と研究のために富山県富山市に5年在住、岐阜県飛騨市神岡町で1996年からスーパーカミオカンデ観測、現在はハイパーカミオカンデに着手。
スカイ地蔵尊 モニュメント群の中心的存在?!

画像は鉱山資料館で撮影
閉山した神岡鉱山は強固で堅牢な飛騨片麻岩に覆われ、純粋水の貯蔵に適した坑道と構内湧水、坑内気温の安定性から、観測・計測・精密機器の設置にむいていることから昭和58年(1983年)に地下1000mにカミオカンデが設置されたのを皮切りに、昭和62年(1987年)ニュートリノの検出に成功、この功績で平成14年(2002年)に小柴昌俊氏がノーベル物理学賞を受賞。この成功により大規模にしたスーパーカミオカンデⅠⅡⅢⅣやカムランドが完成。
平成8年(1996年)に完成したスパーカミオカンデⅠではニュートリノ振動の検証に成功し平成27年(2015年)梶田隆章氏がノーベル物理学賞を受賞しています。これらの成功で更に大規模なハイパーカミオカンデの建設計画が進んでいます。
カミオカンデに触発された反ニュートリノ検出装置のカムランド。ダークマター(暗黒物質)検出装置のXMASS。今年観測を開始した重力波望遠鏡のKAGRAと、すっかり宇宙研究・観測地となっています。またモビリティと神岡鉱山が提携して立ち上げた鉱山地下空間データセンター事業など鉱山空間の利用が進められています。
光電子倍増管
スーパーカミオカンデでは地下1000mに、5万トンの純水水槽に、直径50㎝(世界最大)の光電子倍増管が11,200本取り囲むように使用されているそう。
平成14年(2002年)小柴昌俊氏、平成27年(2015年)の梶田隆章氏のノーベル物理学賞受賞によって神岡町の(スーパー)カミオカンデが大注目を受けたわけですが、カミオカンデや後続のスーパーカミオカンデの施設や検出器を見たいという要望が強かったのですが、前述のようにとんでもない場所にあり見学会は年一回秋にツアーがありますが高倍率で人数制限(2020年は中止)
飛騨神岡ノーベル天(スカイドーム大黒天)
金銀を産出した宝の山に因んで福徳神の大黒天。そして星が綺麗に見える神岡の地で宇宙研究でノーベル賞を受賞した事に因んでノーベル天、小柴さんに似てるかも。。
その要望に応えて昨年春に開館したのがひだ宇宙科学館カミオカラボというわけです。建物自体は何年か前からあったんですが、飛騨市が企画、東京大学宇宙線研究所や東北大学ニュートリノ科学研究センターの研究者が協力して完成した科学館になります。一度は訪れたかったのですが、なかなか機会に恵まれず、、隣には道の駅・宙(スカイ)ドームが平成18年(2006年)からあり、駐車場共有で家族同伴向け。前述のように鉱山の町として発展した神岡町は全盛期2万7千人の人口がありましたが、閉山などにより山間地で不便ということもあって現在は1万1千人。国史跡・国名勝に指定された江馬氏城館・庭園跡と共に町おこしの起爆剤と期待されています。→ ひだ宇宙科学館 カミオカラボ

これがスパーカミオカンデでは11,200個も並んでいると云いますから物凄い施設ですねえ。年一回の秋の施設見学会、来年応募してみようかな。。
カミオカラボ 大型スクリーン
期待されたひだ宇宙科学館カミオカラボですが、展示物はそう多くはないですが館員や研究員の方が親切に説明してくれて、何といっても入館無料なんですから良質な展示館だと思います。これから施設維持と展示物の増設が課題かも。。
嫁さんに言われちゃいましたが「何なのか解んない??」。カミオカンデやニュートリノの予備知識を少しでも仕入れてから行かないと、年配者には子供向けのゲームや簡易展示に見えてしまうかも。。スーパーカミオカンデを模した大型スクリーンの映像は圧巻でした。
上:カミオカラボ展示 重力波望遠鏡KAGRA模型
右:スーパーカミオカンデ略配置模型

平成27年(2015年)にノーベル物理学賞を受賞。現在のカミオカンデ計画の顔になっています。
ここのところ、菅首相の任命拒否で物議をかもしている日本学術会議の会長さん。先日も首相訪問でインタビューを受けていましたが、痛々しかったですねえ。。本来の仕事や研究に専念させてほしいですねえ。。
組織の現状構成や立場や権威主義にも問題はありますが、元々は国が資金を拠出する機関とはいっても、日本の科学や学問を行政や産業・生活に反映させる独立機関。国が金を出しているとか公務員だとかいうのはいちゃもんとしか僕には思えません。
首相にしても学術会議会長にしても提言や意見の考慮はあっても共に頭越しは問題ありです。
僕が好きな宇宙系や歴史系、古い自動車などには全く興味のない母娘ですが、嫁さんは飛騨と言えば「さるぼぼ」は外せないと。。名産品とかマスコット的なモノには興味津々@@
だけど、嫁さんが最初に眼をつけたのは、ちりめんの鏡付きポーチ^^黒ベースに花柄^^値段もお手頃^^さっさと持って行ったので、画像は売場に残った明るいものばかり。。小物は地味目や黒グレー・薄色が好みで、お菓子はパッケージの明色や面白いのに傾くのが我が家の傾向^^;
黒毛和牛の飛騨牛の牛肉は有名ですが、北陸生まれの僕には飛騨牛乳はけっこう馴染みがあります。飛騨牛乳の始まりは薬用や栄養として広がって、自然味が高く濃厚で美味しいという定評があって、北陸でも隠れた人気があるんですよ^^
駐車場の外れにあるので、案外観光客も少ないようですが、朝採れ野菜や民芸品のある朝とれ野菜直売所では白菜と仏壇用の花もご購入、ついでに途中のおやつ用に甘柿もご購入^O^
駐車場の車を残して、次の目的地まで歩いていくことに。。次回は飛騨では唯一の国名勝指定地
旅行日 2020.11.03
この記事へのコメント
がにちゃん
スカイ地蔵尊 すごくかわいいですね 笑顔がいいなぁ 癒されますね
行っても理解できないかもと思いながら ちょっと興味のあるこの施設
です
つとつと
国道41号線はノーベル街道と云われていて、小柴さんと田中さんが受賞した時に話題になったんですが、梶田さんが受賞してまた一人増えてます。ほんとに凄い地域になってきましたねえ^^
可愛いでしょ、僕もこれみて、故障の時は少し癒されましたもん。
何でも通り抜けると思われた素粒子に重さがあって衝突もすると解ったのがニュートリノ。まだまだ解らないことだらけですが、なかなか面白い世界が体験できますよ^^
駐車場で後ろにいた人が、「わけわからんし、つまらんかった」とぼやいてましたが、連れていた子供さんは面白かったとニコニコしてました^^お孫さんが一番楽しむかも^^
tor
世の中には不思議な事多いですね。
今は車のコンピュータに記録されているので
何が起こったのか分かる時代ですが・・・
江馬白山神社の神様が
「ぜひまた来てね」とのことだったのでしょうね。
私もゆっくりお詣りや
ひだ宇宙科学館カミオカラボ&宙ドーム神岡
の見学したいですもの。
秋の一日楽しめましたね。
つとつと
故障履歴も残っていないということで不思議で、オイルが減り気味で交換補充はしましたが、その後も普通に走っているんです。意味不明でこりゃ行かんといけないなと。。
道沿いはもっと紅葉が濃いかと思ったんですが、どうも赤が少なかったのちょっと残念でした。今は山並みも色が濃くなっています。
久しぶりに江馬を歩けました。この後、江馬氏の館跡と、城跡まで歩きましたが、他県の町の公害を歩いたのは久しぶりでした。冬になると雪深い地で、屋根瓦が一切ない金属板の屋根ばかりの家々は興味深かったです。
ミクミティ
国道41号線の約90キロが、ノーベル街道とは面白いです。
確かに、なぜこの地に? 海が無いので、空や宇宙ばかり見ていた?
そんなことないですよね。
江馬白山神社の向かいにあるひだ宇宙科学館カミオカラボ、その新旧の存在が実に対照的で意外な感じに思えます。この地で、ますます科学が発展しそうですね。
つとつと
いやいや、飛騨や越中は山国の印象が強いですが、41号線は越中街道・飛騨街道と呼ばれて往古からの道で、別名では鰤(ぶり)街道と呼ばれていて、越中飛騨は密接な関係だったんです。越中の富山湾は深度の深い海で飛騨は山岳地帯、わずか100キロほどで両対称の地形で、まさに海幸山幸。そんな両方を感じられる自然が科学の自由発想に繋がったのかもしれません。
今年稼働したKAGRAやダークマター、計画中のハイパーカミオカンデとまだまだ新しい発見がこの地から出てきそうですね。
藍上雄
江馬白山神社、割りと新しい神社かと思いましたが結構歴史あるのですね。狛犬とか、個性的だと思います。
重力波望遠鏡やダークマターの存在、素人には難しいですが、興味はあります。
つとつと
正直、全く訳の分からない出来事だったんですが、なかなかの出会いが出来ました。神社は舎でも寄進物も近代の物ですが、歴史は古いし苦難を切り抜けてきた存在でもあるようです。重力波望遠鏡やダークマターと云われても細かいことは解りませんが、遠く未知なるものの探求はわくわくしますね。前に来た時には星空が綺麗でした。良い所ですよ^^
アルクノ
初耳です
オーバーヒートによる、自動停止かと思っていましたが、
原因不明なんですね。
歴史探索を交えた紅葉狩り、
文章も写真も見事デス
カミオカンデと言えば小柴昌俊博士ですが、
投稿された4日後、11月12日に老衰のため94歳で亡くなりました。
これは奇遇ですね。
ノーベル街道を知りませんでした。
四輪を持っておらず、
二輪を乗り回していた時に走れば良かったですが、
阪神大震災後に手放したので、平成14年以降だと無理でした^^;
小柴さんに似てるノーベル天ですか
七福神に加えて八福神?
難しい宇宙科学を解り易く展示しているようで、
素晴らしいです。
つとつと
小柴博士が亡くなったニュースには驚きました。嫁さんもついこの間、神岡に行った後でビックリしていました。94歳天寿を全うした年齢とも云われますが、今度は天に行って宇宙を飛び回っているかも。ノーベル天は本当にそっくり、その横に記帳所が造られたそうです。
国道41号線は新緑や紅葉の時期に行くと、本当に美しい街道です。お薦めの道になります。
家ニスタ
すごいですね、さして広くない地域にノーベル賞受賞者にゆかりの地がこれだけ密集しているとは・・・。
世界的にも類を見ないんじゃないでしょうか。
なにか要因があるんでしょうか、冬は雪に閉ざされて勉強する時間がいくらでもある、とか・・・?
小柴先生、お亡くなりになってしまいましたね。
つとつと
小柴さんと田中さんが受賞されて、その話を聞いたときに本当にこんなに固まってるというのには驚かされます。富山県や岐阜県の小中学のレベルは高いと云われていますし、でも子供時代を過ごした三人はそう天才というのでもなかったようです。環境は静かというのは確かですが。。富山県や飛騨人は素朴で集中力があるのは確かですが。。
小柴博士が亡くなったのには驚きました。TVで聞いたときには驚きました。でも後進が多く育って、ニュートリノ研究はまだまだ広がって行きそうです。
yasuhiko
坑道が紹介されました。それを見てすぐに、
つとつとさんのブログ記事を思い出しましたよ。
坑道内を車でずい分走った奥の方にあるんですね。
ガイドの方が、「ここはどういう所でしょう」と
クイズにするくらい、入り口が地味なことも
驚きです。小柴さんはお亡くなりになりましたが、
研究プロジェクトはしっかり受け継がれてるんですね。
つとつと
つい先日行ってきたばかりなのに、小柴博士の逝去の報には驚かされてしまいました。今頃は宙からスーパーカミオカンデを指揮した戸部さんと神岡をニコニコと見ていると思います。跡継ぎの梶田さんは学術会議に引っ張り出されて、苦労してますが、本来の仕事に専念したくてうずうずしてるでしょうね。
観られましたか、僕も観ていて、クスリと笑っちゃいました。ますます行動の中に入りたくなりますねえ。どこでも行けるタモリさんが羨ましい。。来年試しにツアーに応募してみようかな^^