日本自動車博物館 名車・歴史車

日本自動車博物館には多くの国内外の有名車や歴史的な車が並んでいます。歴史的な車には技術の創始的なモノはもちろん、映画やドラマに登場したり、有名人が使用して話題になった車。。挙げればきりがないほどです。
それでも、あちこちで名車と呼ばれるものも多いですが、名車の基準てなんだろうと思えば、個人的意見ですが、やはり個人々々の思い入れになるんだろうかとも思います。初めて乗った車、初めて運転した車、いつかは運転したり持ち主になって見たい車、思い入れの愛車、人それぞれで違ってくると思います。とはいっても消耗品の自動車は手放したり廃車にしてしまうと、なかなか見られなくなってしまいます。この博物館を作った石黒産業は自動車を扱うことが多く、またそういう会社ですから社員も凝った車を好む傾向があって、初期にはそういう会社や社員の車で譲渡・廃車寸前の物をメンテして蒐集したことから始まっていますから、希少なものを含め、大衆車も観られます。博物館や展示館に訪れて、昔の愛車や憧れた車に再会できる可能性も高くて、ついつい見入ってしまいます。というわけで、今回は歴史的な車や、僕の懐かしい思いが乗る名車で締めくくるということで。。
近年、環境回復・対策のためにソーラー自動車・電気自動車・水素自動車(自動車博物館にも展示されています)が話題になって来ていますが、歴史を辿ると自力で発動して自走運転する自動車の創始は1769年フランスのニコラ・ジョゼフ・キュニョーの砲台運送の蒸気自動車とされています。ちなみにこの車は時速10km満たずでしたが、実験走行でハンドルを切り損ねて石壁に衝突、人類初の交通衝突事故も起こしています。昨昨年、大泉洋主演で三井住友海上保険のCMで「時空保険探査部」篇がありましたが、最初の自動車事故として登場していましたね。
とはいえ僕たちが歴史の教科書で習ったワット/マードックの蒸気動力機関の発明(1776年)とは用途構造が違いますが、実質の蒸気機関の創始でもあったわけです。ついでに、トレビシックの蒸気機関車(1802年)・スティーブンソンの公共鉄道初の蒸気機関車(1829年)よりも自動車の方が先行していたわけです。
電気自動車は1777年ボルタの電池発明、1823年ファラデーのモーターの発明で、1873年に電気式四輪トラックが実用化されており、1898年スピードコンテストでペダル・チェーンを導入して高速化していた自転車(時速55km)を抜いて63kmを記録し、翌年には105.9kmと人類初の100km越えを記録しています。
誰よりも速く遠くにをめざすのは、いつの時代にも同じで、エンジンの発達もありますが、重量を支えたり操舵性を保つステアリング・空気入りタイヤなどの発達も相まって、時速200kmをオーバーしたのは1906年蒸気自動車で205.4kmに達していました。
先行した蒸気・電気自動車ですが大きな課題を抱えていました。蒸気機関は蒸気を発生させるために運転手とボイラーマンを必要としますし、速度と継続距離を求めると蒸気機関と燃焼室が大型化するしかありませんでした。また、蒸気が起こるまで発進できません。電気自動車はシステムは簡易ながらも現在のようなリチウム電池などありませんから、蓄電能力が弱いですからコイル巻や電池が複雑になっていき故障やトラブルが頻発し、航続能力に問題が多発しました。

ガソリン車が登場するのは蒸気自動車から120年、電気自動車から10年以上遅れた1885年になります。
ドイツのゴットリープ・ダイムラーが4ストロークエンジンを開発、1885年に木製二輪車にエンジンを取り付けた試験走行に成功、つまりオートバイクの始まりでもあったわけです。翌年にはカール・ベンツガソリンエンジン三輪車を完成販売します。これが正式なガソリン自動車の始まりというわけです。フランスではダイムラーエンジンの製造ライセンスを得ていたパナール社がクラッチ・トランスミッションをデフを介したFR を開発して、1891年にパナール・ルヴァソールを販売しています。1900年までには空気入タイヤ・丸ハンドル(円形ステアリング)が開発導入され現在のガソリン自動車の基本形が完成し、電気点火が開発されて発進も改善され、故障やトラブルの少なさから一気に広がって行ったわけです。

その契機となったのが世界初の自動車レースでした。1894年、場所はフランスパリ=ルアン126kmで行われました。
自動車が登場したとはいえ、開発先進国と云えるイギリス・ドイツでは貴族の嗜好品で偏見が強いものがありました。ナポレオンによってパリから道路網が整備されていたフランスでは、蒸気自動車が発明されたように、逆に蒸気自動車の普及が早い段階で進んでいました。当時フランスは自動車の先鞭を取った先端国だったのです。しかし大きな悩みは自動車の車体や維持費が高額になること、走り出すまでにかかる起動時間が長いことや航続距離の短さ、水の補充などの短所、故障やトラブルの多発でした。
しかし前述のように電気・ガソリン自動車など多種の自動車の登場により、安全性と信頼性が議論されるようになり、「自動車を安全に最も費用をかけずに走らせたドライバーとメカニックに優勝賞金5000フラン」という安全性・信頼性・快適性・経済性を比べることで新聞社主催で募集され102台がエントリー、事前審査などによって21台が選抜され開催されたわけです。エントリーの中には書類段階でガス・圧縮空気・水力・電気空気圧などが見られ様々な試行錯誤が自動車製作に試みられていたことが窺われます。内訳では蒸気自動車8台、その他13台でした。内容や結果が解るのはダイムラー親子が観戦記を残してくれたおかげなのですが、非常に不透明な内容でした。出場した車も大小様々、排気量もバラバラで、信頼性重視で、順次スタートで休憩まで考慮したレースというより試走でしたが、走り出せばやはり競争になってしまい、多くの脱落車の中、最初にゴールしたのがド・ディオン(ブートン)伯爵の大型20馬力で客車を引いた蒸気自動車で平均時速18.7km。2.3着がダイムラーエンジンを積んだ四人乗自動車プジョーで2着は18.5km、4.5着が市販のガソリン車パナール・ルヴァソールでした。しかし、前述のような大会要旨から審査員の評議で、1位には到着2着のプジョーと4着のルヴァソールが同点首位、2位が1着の蒸気自動車とされる不透明な結果となっています。観戦記を書いたパウル・ダイムラーによれば2位の蒸気自動車は大きさ・重さに加えてボイラーマンの重労働がマイナスだったようです。ちなみに優勝したプジョーはこの時点ではまだ金属製造業とイギリスからの輸入自転車販売業で、個人的に親交のあったパナールとルヴァソールに紹介されてダイムラーの車を持ち込んでいたようです。アルマン・プジョーは翌年に自転車自主製造に乗り出し、1899年に自動車製造販売に参入、翌年ダイムラーエンジンを導入して発展します。このレースでは蒸気自動車の半数がリタイアし、ガソリン車が完走したこともあり、ガソリン車への注目が集まったきっかけになっています。

しかし、このような中途半端な結果では誰もが納得しなかったようで、大会後にすぐフランス自動車クラブ(FIA(国際自動車連盟)の祖)を立ち上げ会長に納まって、すぐに次の企画を提案したのが2位にされてしまったド・ディオン伯爵で、翌1895年、今度はパリ=ボルドー往復1178km期間3日間耐久レースを企画したわけです。いきなり距離を10倍にしたんですから、よほど悔しかったんでしょうね^^;前回が安全運転試行でしたが、今度はボルドーで折返し手続きをして、運転手も交代で戻るというラリーの世界初レース。
出走したのは22台、蒸気自動車6台、電気自動車1台、オートバイク3台、残りがガソリン自動車で12台。ガソリン車の中には空気入りタイヤを発明したミシュラン兄弟がダイムラーエンジン車に装着(荷台に予備タイヤ満載)して出場完走しています(但し、悪路に20回以上パンクで時間オーバー失格でしたが評判を呼んで普及します。)。

このレースで圧倒的な強さを発揮したのが、前年優勝を分けたパナール・ルヴァソールでした。ちなみにこの会社名は技術・経営のルネ・パナールと、主任技術者として中途加入しダイムラーエンジンのライセンスを持っていた創業者夫人と再婚してオーナーになった運転手エミール・ルヴァソールの二人を冠した名称になります。木工会社からの発展ですが、紆余曲折を経て先進的な技術発展を遂げて、特にルヴァソールの存在が急進的に飛躍させたものです。もちろん、そこにはパナールの地味で落ち着いた経営手腕が硬軟揃ったおかげと云えます。自動車の前部エンジン・後部駆動、トランスミッション、ラジエター、丸ハンドルを開発して、パナールシステムと呼ばれ、この後も数々の試走やレースで名を高めていますが、このレース(丸ハンドルはこの時点で間に合わずバーハンドル)で頂点に至ったと云えます。

往路の段階で10台以上がリタイアする中で、スタートからしばらくでド・ディオンブートンを抜いたパナール・ルヴァソールドライバーはエミール・ルヴァソール、当時52歳)は独走を続け、予定より大幅に早く折返しのボルドーに到着したのが深夜。。レース前の予想ではトップの到着は早朝と予想されていて、レースの審査員も車の交代運転手も寝静まった後。。到着したエミールは審査員を叩き起こして到着手続きを済ますと、紅茶とサンドイッチで食事をとって、散歩をして足慣らし、寝ている交代運転手はそのままに、途中で助手だけ交代させると不眠不休で出発、一人で走り切っています。エミールはこの時相当入れ込んだようで、ゴール後に「パリに50km手前で高級レストランに寄って来たよ」と冗談を云いながら「「深夜のレースは危険だから避けた方がいい。。」と本音も語っています。勢いに乗っていたとはいえ、50時間近くの連続運転の上に、当時は自走ライトはまだで石油ランプの灯りで走ったそうで相当な集中と無茶を強いられたようです。
パリに独走でゴールしたパナール・ルヴァソールのタイム48時間48分。平均速度24.1km。2番で到着したプジョーに10時間の差をつける圧勝で、大会側が予測していた優勝タイム60時間から70時間を大幅に上回る驚異的なタイムでした。

ところがこのレースでも、結果はまたまた修正されています。大会規定に4人乗り座席の規定があり、二座だった1.2位が降格、3位の11時間以上遅れた四座プジョーが繰上げ1位となっています。ルヴァソールプジョーも承知のうえで、記録を狙って2座使用のまま走ったようです。
6台出場した蒸気自動車5台が脱落、1台のみが9位(平均時速10km)で完走しています。重量3トン・6人乗りバス、15年前に造られたアメデ・ボレーのバスでした。ちなみにアメデ・ボレーはル・マンの鐘造りの鍛冶屋でしたがパリ万博で出品されたイギリス製蒸気バス(ロンドン運航が排ガスと騒音で禁止され衰退)に刺激され、1875年にルマン=パリ200kmを12人乗りバスを運行させていました。

たぶん、中学1年の頃だったと思いますが、このレースとルヴァソールの半生をを題材にした映画をTVで観ていて記憶に残っていたのですが、どうしても題名が出て来なくて、残念に思っています。知っている人は是非教えて欲しいものです。ついでに日本本土を初めて走った自動車は様々の研究や発見の上で明治31年(1898年)にフランス人技師・テブネが販売用で持ち込んで、築地=上野間を試走したパナール・ルヴァソールMP4と云われています。商談は成立しなかったようですがMP4は丸ハンドル・空気入りタイヤを装着し、優勝機を改造した最新型だったと云われています。この試走のおかげで、将来の自動車走行の為に東京の道路が整備を急がれたそうです。
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ロコモービル(アメリカ) 蒸気自動車
日本人が購入して初めて走った自動車で現存するのは明治35年(1902年)アメリカのロコモービル蒸気自動車8台が輸入されているそうです。自動車博物館にも展示されていますが、撮り損ねていました。一応画像処理で切り取って見ましたが荒い画像で申し訳ありません。またの機会に。。他で観られるのは今の所、自動車博物館と北海道北斗市当別の男爵資料館で横浜を走った車が観られるそうです。
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ド・ディオン・ブートン初期四輪車 ガソリン車に切り替えたド・ディオンの最初期の四輪ガソリン自動車、自動車博物館内で一番古い自動車。総排気量250㏄、総出力2.25㎰(馬力)。ド・ディオン・ブートン社はフランスのベルギー系貴族アルベール・ド・ディオン伯爵が創始者で、ド・ディオン伯爵はドイツで蒸気機関の教学を受けていて、精巧な玩具の蒸気機関車を見て感動してスカウトした元玩具職人が技術者で、技術製作ジョルジュ・ブートン、技術開発シャルル・トレパルドゥー(ブートンの妹婿)によるものでした。陸・道路を走る機関車から発想スタートした自動車産業のパイオニア的存在です。
首位を逃がしたとはいえ、ルヴァソールの快勝はフランスだけでなくアメリカで半年後にレースが開催されるほど、世界で自動車レースを盛んにしただけでなく、自動車が産業としてガソリン車を主流にしてハード・ソフト両面で進化して行くきっかけになったと云えます。翌翌年に自動車レースの事故で頭に後遺症を受けてエミール・エヴァンソールは亡くなりますが、ルイ・パナールパナールを引き継ぎ保守的な高級路線を取りながらも大メーカーとして君臨していきました。他のメーカーにも大きな影響を与えて自動車の草分けと云えるド・ディオン・ブートンは主力の蒸気自動車からレース後にはガソリン車開発に切り替え、同年に三輪自動車を開発、その後は独自のドディオンアスクルと呼ばれるサスペンションを生かして四輪車に切り替え、排気量をアップして三輪に負けない軽快性・接地性を強め、一時は世界一のメーカーとなっています。ドディオンアスクル(固定車軸懸架)はその後も受け継がれ、日本でも車高の低い小型4WDに受け継がれています。
プジョーもこの翌年にアルマン・プジョーが一族から独立して自動車製造に専念、1900年には独自の自動車でレース界を席巻します。フランス自動車のエンジンを提供し、ガソリンエンジンの祖と云えるダイムラーは、ルヴァソールの運転手前にエンジンを置く直列式を採用し、メルセデスを生み出しています。
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日本のエンジン付自転車 日本で戦後になって軍から放出された発電エンジンを取り付けるのが流行ったのが始まりと云われます。日本の自動車開発が半世紀以上出遅れた上に敗戦による資源欠乏を表すともいえますが、逆に日本の復活の礎になったものです。
まさに原動機付自転車というわけで昭和23年(1948年)に専用エンジンが開発されてから流行して昭和30年中旬まで多く販売されました。当初はバタバタとか呼ばれましたが後述のミニバイクやスクーターとの区別で国際共通語のモペッドと呼ばれます。
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上:ホンダ・スーパーカブ 
右:第一次のスクーターの数々
ホンダは前述のバタバタ時代に創業した会社でバイクと共に成長しています。昭和23年(1948年)に自転車用取付エンジン・ホンダA(50㏄)、昭和27年(1952年)にF型エンジンを発売しています。このF型がカブの名を冠していました。昭和33年(1958年)にスーパーカブC100が発売、前述のペダル付エンジン自転車、スクーターを凌駕圧倒する存在となり、現在までに世界最多量産オートバイとなっています。

スクーターは昭和23年(1948年)富士産業(現スバル)が発売したラビットが日本最初のスクーターとされ、50年代まで庶民の足となっていました。前述のスーパーカブの誕生と四輪車の普及で一時姿を消しましたが、昭和51年(1976年)ホンダのラッタッタ、ヤマハのパッソルの登場ヒットで復活、80年代には大型のビッグスクーターが登場して大小で地位を築いています。
昭和33年(1958年)にスーパーカブの登場、35年の道交法施行で免許が必要になり(16歳以上)、ペダルなしのビジネスオートバイクが主流となり、さらにスクーター(ステップに両足を乗せるタイプ)の登場で大きく数を減らしました。
ちなみにモペッドは海外では小排気量の原動機付自転車はペダルあるなしに関係なくバイクもスクーターも関係なく総称になります。日本だけがペダル付きモペッドとして、ミニバイク・スクーターを分けています。おかげで各種の分野として発展を遂げ、中大型バイクでも技術が波及して、日本は二輪大国になったわけです。
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住江製作所 フライングフェザー 道交法施行前は小排気量車は免許なしで乗れたので、昭和25年(1950年)から免許なしで乗れる四輪自動車を目指して造られた車。その為にデザイン優先でひたすら軽量化が図られた自動車です。
薄鋼板を手叩き、タイヤはバイク用19インチ、ブレーキは後輪のみのドラムブレーキ、その分サスペンションを強化して一部の海外高級車にしか仕様されていなかった独立懸架。排気量350㏄、車重400㎏、速度60~70km、燃費25kmを実現していました。ただ企業規模の小ささとあまりに装備に凝り過ぎた造り、ハンドメイドが災い、ブレーキが油圧でなくドラムなど一般や業界に受け入れられず5年48台で姿を消した幻の名車。四輪自動車になるかバイクになるかは難しい所。。
ちなみに、住江製作所は内装材大手の住江織物が作った子会社・住江木工が独立した会社で、当時はダットサンのボディを製作していました。現在は鉄道からバス・乗用車・船舶の車両座席の製作の大手メーカーになっています。
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富士自動車 富士キャビン 
左はドイツのメッサーシュミットのモノコック・スクーター
フライングフェザーのデザインは富谷隆一で後に富士自動車でモノコックボディのスクーター・富士キャビン学研メカモシリーズ・海洋博の機械生物メカニカルを作製したことで知られています。当時メカモは欲しかったけど、買って貰えなかったなあTT
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上:ローマの休日 下:ルパン三世カリオストロの城 
この二つの映画に共通するのが登場する自動車の名前フィアット500。実際には全く違うコンセプトですが、ローマの休日は初代トッポリーノ(和名:はつかねずみ)、ルパン三世は二代目のNOUVA500(和名:新フィアット500・新はつかねずみ)の黄色。博物館にはオレンジがありますが、撮り損ねてしまいましたTT
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FIAT500トッポリーノ(イタリア) 
映画では新聞記者ジョー・ブラッドレー(グレゴリー・ペック)の友人で相棒カメラマンのアーヴィング(エディ・アルヴァート)の車として登場しています。
戦前から廉価な大衆車としてベストセラーになったので数多く生産され、実際にイタリアの大衆車として道路にも走っていました。出会い後の車、最後の別れの車も同じ車でしたが、夜のシーンでほとんど判別できません。昼のシーンとしてはアン(オードリー・ヘップバーン)とジョーがベスパ(イタリア産スクーター、探偵物語で松田優作が乗っていました)で市内を走るのを前からアーヴィングがカメラで撮るシーンがハイライト。動画の4”20くらい。。
ローマの休日、ティファニーで朝食を、オードリー・ヘップバーンにはすっかり虜で、名画座やTVで何度見たことか。今でも一番魅力的な女優さんだったと思っています。
ハリーポッターと秘密の部屋 空飛ぶ車
この作品ではハリーが帰省中のダーズリー家の部屋に監禁された際に、ロンと双子の兄フレッドとジョージが乗って助けに来た時、ホグワーツ行き列車に乗れなかったロンとハリーがホグワーツにこの車で向かうとき、禁じられた森でアクロマンチュラに囲まれたロンとハリーを救うシーン。と、計三度登場しています。元はロンの父・アーサーウィーズリーが所有の車で、奥さんに黙って空を飛べるように魔法で違法改造したもの。後にロンとハリーの二度目の使用で母親や当局にばれて、ロンは魔法の杖を折れたまま使う羽目に、父アーサーは魔法局から罰金を科せられています。
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ブリティッシュフォード・アングリア105E
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ブリティッシュフォードは、フォードモータースの傘下現地法人として1909年に設立、1967年のドイツフォードとの併合でヨーロッパフォードに設立統合されています。
各現地法人では独自に当国向け車種を製造していましたが、アングリア105Eは1963年から製造されましたが、併合によりアングリアをベースにしたアスコートに転換されています。

館内を廻ってみると、ドラマや映画に出てきた車も他にも多々。。
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個人の異論はあると思いますが、僕がディーラー名を聴くと連想する代表車・名車
上:トヨタ2000GT 日本初の本格的スポーツカー、トヨタのプレミアム的な存在
中:プリンススカイライン2000GT 手前がGTA、奥がGTB。GTBが初めて「羊の皮を被った狼」というスカイラインの代名詞を冠した最初の車。ちなみにこの車を販売した2年後にプリンスは日産と合併しています。
右:マツダ コスモスポーツ 世界初の多気筒ロータリーエンジン搭載車、ロータリーエンジン搭載車ではサバンナRXシリーズがいますが、やはりコスモの名は不滅。個人的にも小学生のころ、初めて触ったスポーツカーとして思い入れがあります。隣の黄色は漫画「サーキットの狼」で人気を集めたロータスヨーロッパTC
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右上:いすゞ117クーペ いすゞは平成14年(2002年)に乗用車から完全撤退したために乗用車の印象は薄いですが、長くいすゞ乗用車のフラッグシップとなっていました。ハンドメイドに近い造りでデザイン(エンジンもデザイナー仕様)と丈夫さが身上。隠れた名車です。トラックのいすゞエルフもいいですねえ^^;歌うヘッドライト、前職時代に車移動でよく聞きました。左上:ホンダNSX 実は僕はホンダならS600にしたかったんですが、画像が残っていなかったので2番目に思いつくものを。。関越道で観たパトカーは当時斬新でした。左下:富士重工業(現SUBARU) スバル360 別名:テントウムシ、車姿から言わずもがなの1960年代を代表する大衆軽自動車
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上:三菱ジープJ55 三菱ジープの生産終了記念車として生産された300台の一台。三菱にもランサーエボリューションなどスポーツカーの名車がいますが、僕にはジープの印象が強いですねえ。戦後の警察予備隊(後の自衛隊)へのトラック増車で米ウィリスの供給を受けて着手したのが始まりで、昭和29年(1954年)からエンジン国産化、翌翌年に完全国産となっていました。ウィリス社の商標Jeep を名乗れたのはアメリカ以外では日本だけでした。平成13年(2001年)に販売終了。三菱のオフロード車はパジェロに引き継がれています。
右の画像はジープ系オフロード車の数々、左から日産パトロール・三菱ジープデリバリワゴン(三菱ジープで最大型、この2トーンが懐かしい)・英ランドローバーⅡ88・米ウィリス、ステーションワゴン・ソ連ガズ69Aなど
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ダイハツ・ミゼット
ダイハツでは前々回ブログのミゼットやハイゼットの軽トラが思い浮かびますが、耐久・ラリーで活躍したシャレードがいました。ダイハツは個性があって昔から好印象。。
画像が残っていなくてごめんなさい。

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日本内燃機 くろがね四起 軍の要望から作製された小型オフロード車。現存はこの車両を含めて四台のみ。。ノモンハンでソ連軍に鹵獲されたロシア、アメリカ、国内ではこれ一台だけと云われていましたが平成25年(2013年)に初期ロードスター型が静岡で発見されて、リストア発表されたそうです。
日本自動車博物館のくろがね四起は後期型で、一番目立つ天井ギリギリに高く展示する程、博物館の象徴としている自動車がくろがね四起(九五式小型自動車)
前述の三菱ジープの起源を米ウィリスのジープとしましたが、くろがね四起は昭和4年(1934年)に研究開発され、翌翌年に量産開始された世界初のジープ系オフロード車になります。ウィリスのジープより6年も早く造られています。開発・設計は日本初の輸出車で小型乗用車「オートモ号」、国内初生産の三輪貨物車「ニューエラ(くろがね)」に携わった豊川順彌。それまで自動車を作っても海外の物まね扱いされた日本車が初めて新規の車種を出して海外に認められた記念碑的存在です。くろがね四起の名の由来は。ニューエラの後の名・くろがねに起因して四輪となったことから、博物館にはオートモ号・ニューエラ、更に日本軍に開発された九四式六輪自動貨車(トラック)も展示されています。
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メルセデスベンツ300SL ガルウィング(カモメの翼)ドアを最初に取り入れ、同じく初の燃料直噴エンジンを使用して当時の最高速260kmを記録した高級車。世界でもメルセデス・ベンツの中で一番知られるスポーツカーモデル。
レーシングカーとして製作されたためにサイドのサイドシルが高くなるために乗り降りのためにガルウィングになり、レースを速度のUPと完走するためにオイルを直接噴射し続けますが、停車してもしばらく噴射するので、オイルが溜まり、オイル交換を頻繁に行わねばならない、クラッチが非常に重い、スカートの女性が乗りにくい(女性をエスコートできない)という欠点がありましたが、それまでにないスタイリッシュとレースの活躍で多くの有名人が購入して話題となり、世界でも五指に入るスポーツカーの有名車。日本人ではラリーレーサー・俳優の夏木陽介が最初の購入者で、力道山・石原裕次郎(石原裕次郎の車は後期ロードスター)の愛車として名前を知られる車になりました。
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ロールスロイス シルバースパーⅡ ダイアナ妃が来日時の公用車として使用された実車。
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紅旗(ホンチー)A770 第一汽車 中華人民共和国の指導者の公式車両として昭和40年(1965年)~平成10年(1998年)まで、このシリーズが防弾仕様やリムジンなど改良を加えられながらベースとして使用されていました。現在の中国の盛況の基礎を築いたと云われる鄧小平が来日時に公有車として使用した実車。

車マニアだろうが、そうじゃなかろうが、車を見るのが好きな男の子は多く、オモチャやミニカーなどで遊んだ人は多いと思います。車を見るのが好きなのは時代を経てもそれは変わらないと思います。我が家でも嫁さんや娘の女性陣は一度しか付き合ってくれない場所ですが、、、だって、いつまで待ってもお父さんおんなじ場所から動かないんだもん。。ハイハイ

最期に嫁さんが独身の頃から乗りたかったのがこれ、、、博物館内では唯一、足を止めてじっと見てた自動車。車は興味がないのになぜかVWが好きな嫁さんいわく、今のVW(ゴルフとかポロetc)ではなくて、この頃までの形が好きだったんだとのこと。。でも、一度お愛想に、結婚当初に中古車(当時、最終の新型(ニュービートル)は嫌いだったよう)を買おうかと云ったら、中古ほど高いし、頑丈だけど新潟(当時の話です。)には修理できるところがない、どう見ても雪道に弱そうと一蹴しておきながら今でも未練を残しているよう。。最後の新型は嫌いということで、30年近く以上前の車は今更無理
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フォルクスワーゲンタイプ1 日本での通称はビートル、かぶとむし、ちなみに海外だと本国ドイツはケーファー(甲虫類全般)、英語圏はビートルまたはバグ(虫)、ブラジルはフスカ(大型ゴキブリ)、タイではタオ(亀)なんだそうな。。 
ビートルは生産開始(1938年)、本格生産を開始した1945年から2003年まで、小さな改良が毎年行われており、嫁さんいわく手前から4台目の70年代のが一番好みなんだそうです。ヘッドライトの角度くらいで違いがよく解らない僕^^;

旅行日 2020.11.09

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この記事へのコメント

  • tor

    いやー凄いですね。
    自動車の歴史をたどりながら
    名車の数々や懐かしい車を見る。
    いくら時間が有っても足りませんね。
    今の若い方の車離れが言われていますが
    私には眺めて飽きない世界です。
    奥様はビートルでしたか。
    私の妻はシビック。
    新婚時代最初に中古で購入しました。
    行田市を中心に関東を走り回りました。
    2020年12月22日 19:25
  • つとつと

    torさん
    昔見たルヴァソールの映画は、よく覚えていて、楽しくも悲しい映画でした。でもいろいろ捜したんですが、解らなかったのが残念です。今回は敵役にしてしまいましたが、ド・ディヨンとブートンの出会いも面白い逸話になっています。
    ここのところ、若い人の車離れが言われますが、都市圏にいると車は逆に邪魔になってしまいますから。。ちょっと寂しいですね。実際この博物館にいると時間のたつのがあっという間になっちゃいます。
    シビック@@若い人には人気ありましたねえ。馬力の割に車体が軽くて、加速が良かったですからねえ^^我が家はずっとカリーナが多かったです。
    2020年12月22日 22:03
  • がにちゃん

    電気自動車の歴史は意外に古いのですね
    そのまま進んでいたら公害もなかったかもぉ~です
    ハリーポッター 何編かの映画見ましたが・・・これ見てない
    TVで放映されたら見てみよう
    自動車のことはあまりわかりませんが、これだけのコレクションが揃っているだけでも見ごたえありますね
    ちょっと変わった好みの車を探してみよう・・・遊び心がうずうず(^_-)-☆
    2020年12月22日 22:21
  • つとつと

    がにちゃんさん
    もし、電気自動車が今のような小型で高出力の電池が出来ていればとも思いますね。でも、電気の蓄電にはまだまだ発電という課題が残されていて、更に安全性にも課題が残っています。これからですがインフラなど課題は多いと思います。でも、車自体はもっと簡易なシステムで安価で公害も少なかったと思いますよ。
    こういった博物館は楽しいですよ。面白いのだとソーラーカーのドラえもんとか、金箔仕様の車も^^それからトイレは世界の便器が揃っていて面白いですよ^^ちゃんと喫茶やレストランもあるし^^旦那さんを待つにはいいかも^^;
    2020年12月23日 01:55
  • ミクミティ

    自動車の歴史も、なかなか奥深い。読み応えのある記事でした。
    日本の明治時代に、ヨーロッパで熾烈な開発競争があったのですね。今でも名の知られた伝統メーカーの中には、この頃生まれたものがあるのですか。興味深いです。
    その開発競争が、途中からアメリカへ行って生産革新が起こり、また自動車の時代と一大産業を作ったのでしょう。それが、更に日本やアジアに到来。世界の産業の発展へと繋がるのですね。
    私の自動車との出会いは、スバル360、テントウムシですね。おじいさんに乗せてもらったのを思い出します。そんな時代があったことが、今は歴史に感じます。
    2020年12月23日 21:23
  • つとつと

    ミクミティさん
    中学生の頃に観たルヴァソール映画が自動車w見るのが好きになった原点ですねえ。。面白い映画だったんですが、題名や出演者の名が出て来なくて解らずじまい。。
    草創期の自動車メーカーの多くがこの頃から登場しています。それにしても、みんな前職は違う分野からの参入というのが面白いですねえ^^ドディオンは玩具製造、パナールは木工製作、プジョーは金属加工でコーヒー機器、本当に面白いですねえ^^アメリカも蒸気中心からガソリンに替わっていますが、フォードを除けば、やはり大型、大排気量に固執して、人気車が少ないのが短所ですね。
    スバル360、三丁目の夕陽で走ってましたねえ^^そうそう映画で走ったボンネットバスの方もこの博物館に展示されています。
    2020年12月23日 23:12
  • yasuhiko

    トーマス・エジソンも、電気自動車こそが
    輸送機関の未来形と考えて、開発に熱心だった
    みたいですね。一時はガソリン車に
    完全に負けた電気自動車が今はまた希望の星に…。
    歴史は巡るということなんでしょうか。
    繰り返しの挨拶になってしまいますが、
    どうぞよい年をお迎えください。
    2020年12月27日 17:19
  • つとつと

    yasuhikoさん
    電気自動車は有力候補でしたが、蓄電能力に欠けたのが痛く、一世を風靡した蒸気自動車と共に、鉄道の方に流れてしまいました。それが今では脚光を浴びつつあります。
    博物館にも棟列されているんですが、他ではソーラーと水素自動車が注目を集めています。ただ、電気は発電と送電に課題があるし、水素はハード面とスタンドの拡充、ソーラーも蓄電の課題とまだまだ問題が多いようです。
    でも歴史は巡るはたしかで、大きく進歩してくるんでしょうね。。
    yasuhikoさんも良い年をお迎えください。来年は自由にあっちこっちで歩ける年になって欲しいものです。
    2020年12月28日 19:35
  • 家ニスタ

    僕の世代はなんといってもやはり『カリオストロの城』ですね。
    アニメファンの友だちが「これは傑作だ!」と興奮していたのを思いだします。
    僕は劇場での公開時は見なかったのですが、あとでテレビで見てやっぱり面白かったですね。
    劇場用映画としては宮崎駿さんの初監督作品なのに、当初の興行成績はぱっとしなかったようですね。
    でも随所に宮崎さんらしい要素がちりばめられていて、何度見ても飽きない作品です。
    2021年01月15日 22:40
  • つとつと

    家ニスタさん
    云われてみれば、僕も映画館で見ずに、TV放映を見たくちですが、あの作品は良かったです。まだまだ、アニメ映画が大人の世界に確立していない時代でしたから、多くの人がTV放映やビデオ・DVDで観た人が多かったんじゃないでしょうか^^;確かに面白い作品でした。
    宇宙戦艦ヤマトなども先にありましたが、どちらかと云えば男性中心。。男女関係なく大人も子供も観るアニメ映画作品はやはりこの作品からと言っていいんじゃないでしょうか。
    2021年01月19日 19:22

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