白山市河内町(旧石川郡河内村)の風景 

日頃、だらだらして過ごしているのに、2~4月だけは別、毎年のことながら、相変わらずバタバタした日を過ごしていたんですが、部屋に籠って書類を作ったり、外回りなんてやってるうちにあっという間に桜の季節が終わってしまいました。それにしても今年は春があっという間に通り過ぎて、部屋の中や車の中ばかり、たまに車を降りても住宅地で、春を感じないうちに初夏を迎えたような気がします。ふと気づけば、季節感が早く感じていて気が付けば、田圃にも水を張ったところが増えています。 毎年桜の咲くのは遅くなってくれと願ってる僕なんですが、今年の桜の花は例年の2週間以上早く咲き、あっという間に終わってしまいました。。例年なら、今からでも白山麓や南砺との境界の山間の方に行けば遅い桜が見られたんですが、今年は山間でも道路沿いの山桜やソメイヨシノなどは全くダメで、可憐な桜の下に立つことなく終わってしまいました。 前回の金沢城シリーズの後、簡単なモノを書くつもりで10年ぶりに観た絵画のことを書いていたんですが、短い時間をつぎはぎで自分の覚えていたことや調べたことを書いていたら、まったくまとまらず。。支離滅裂で修復不能の状態に。。修復に係わることをかきながら、自分が修復不能になってしまいました。改めてチャレンジするつもりで、書き直していたんですが、ますます深みに嵌ってしまいました。。もう少しお時間をください。。一応、チャレンジ中なのはこのフレスコ画になります。聖十字架物語の第四場面になります。**********************…

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金沢城 河北門 菱櫓

延宝年間(1673~1681年)の金沢城図(下が北・上が南)寛永の大火後、本丸・東丸から拡張した二の丸にある二の丸御殿の表向が加賀藩の政庁になります。現在発掘・資料調査が行われ、次回の復元はここに決定しています。二の丸御殿表向に家臣団・使節が向かうのが尾坂口から新丸を経由する大手道、石川門橋を渡ってくるのが搦手道。この二筋の道が合流するのが三の丸の中心部で堀際を右に五十間長屋に見下ろされながら、渡し橋を渡って二の丸に至ります。この間には多くの門がありますが、その中で枡形を設けた門(河北門・石川門・橋爪門)を、金沢三門と呼んでいます。この三門の内、河北門と石川門が金沢城内への正式な入口になっていました。橋爪門は政庁でもあり殿様御殿への式台門の役割を果たしていました。金沢城 河北門 一の御門 石川門をご紹介した時にも書きましたが、河北門も石川門と同じく表門+枡形+櫓門の順で通行するもので、周囲を櫓・長屋・石垣で構成されています。この為に河北門の名もこれらの総称となります。 新丸が造成されて大手堀が外堀となったために、石垣下は第二の外堀兼内堀となっていました。明治の埋立でお堀通りやいもり堀という水源を失ったために荒れ地でしたが、発掘調査後に湿性池として往時の半分ほどですが湿性池として堀を復元しています。新丸側は往時の護岸を復元したそうです。本来は二の丸は現在の三分の一にも満たない広さで北側の多くは三の丸でした。本来はこの石垣は三の丸下石垣だったわけです。3代藩主・前田利常が二の丸御殿増設のために二の丸…

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