前田利家像(白鳥路) 竹下慶一作 広坂のカトリック金沢教会の高山右近像も竹下慶一の作品、厳つい人物像や置物に定評があります。
白鳥路を抜けると待っているのがこの人。金沢城と言えばこの人、前田利家公です。なかなか立派な前田利家像でしょ^^;
しかも金沢城の顔ともいえる石川門の石川櫓と共に並ぶようなアングルになる逸品です。
尾山神社 前田利家像 2019.11.23撮影
ところが意外なことにこの像の存在を知らない人のなんと多いことか。。
金沢に来た観光客や城マニアでよくブログをアップして、前田利家というと尾山神社の騎馬像を紹介しています。でも、この像をアップしてる人はほとんどいないんじゃないでしょうか。。
下手をすると石川県民でも知らない人が多いかも^^;かくいう我が家の女性陣もこの地に立ったこともないはずです。
前田利家像が怒っているように見えるのもそのせいかも^^;みんな自分を無視して頭の上を通り過ぎていくんですから。。
なにせ金沢観光をすると、みんな兼六園に行くんですが、そこから金沢城公園に行こうとすると、10人が10人、石川橋を渡って石川門を潜って行くわけです。そうなると、その足元の橋の下の広場に前田利家像があるなんて、誰も知らずに上を歩いて行ってしまうわけです。橋の下を気にするのは余程の城好きか、欄干に身を乗り出して高い所から下を覗くのが好きな人(たぶん、いないと思う)くらいかも。
かといって、前田利家像の前に立とうと思ったら、僕のように通常の逆方向に白鳥路を歩く人間くらい。広坂の方から歩いて石川橋下を潜るには、二車線を結構なスピードで走る車を背にしながらになるので躊躇します。結局、強いて言えば、前田利家像を見る人はバスに乗った人になるのですが、このバス停は乗る人がいても、皆さん東山茶屋街に行こうとする人たちで、降りる人はほとんどいません。
石川門・石川橋の下の庭園や百万石通りの道は百閒堀(蓮池堀)と白鳥堀と金沢城最大の外堀でした。石川門橋はその二つの外堀を南北で分ける地点で北が白鳥堀、南が百閒堀でした。
前田利家像の横に広がる池は、白鳥堀の名残を残していて、そこを庭園風に再整備したものです。この時季には、金沢城石川門櫓を背景に、北陸の風物詩とも云える雪吊りを配した池風景が見られます。
金沢城 石川門櫓
金沢城の石川門と兼六園を繋ぐ石川門橋は元々は土橋になっていました。
金沢御堂の時代から小立野台地の西端になる尾山御坊(後の金沢城)と千歳台(後の兼六園)は大規模な切岸となっていたと考えられ、すでに同位置に土橋が出来ていたようです。ただ、金沢御堂に関しては、未だに詳細は不明で御堂が本丸にあったのか千歳台にあったのかも不明になっていますが。。
石川門橋 白鳥堀側から
江戸期以前は石川橋は現在のアーチ型でなく、土橋に石垣を配したもので百閒堀・白鳥堀の分岐点になっていました。
前田利家が金沢城に入城以来、金沢城防衛の重点は南面と東面が重視されていました。前田利家時代には、南面に宮守堀と二段構えの高石垣が配され、東面も千歳台との同高度にあるため、広い堀を確保して連絡路としての土橋を再改修しています。利長時代には城の石垣を改修するとともに、利常時代には辰巳用水の水により堀の水が豊富になると土橋に石垣を施しはじめ、17世紀後半には、江戸期を通じる石垣造りの橋が完成したと云われています。
石川門橋 百閒堀側から
明治に架けられた石川門橋は約80年、金沢市民に親しまれてきました。道路の拡張工事に合わせて規模を大きくして架け替えられましたが、形状や欄干などはそのままの景観を踏襲しています。
明治となって、百閒堀と白鳥堀の南側の水が抜かれ埋め立てられて車道となると、明治42年(1909年)金沢城の連絡路として石川橋が建造、2年後に開通しています。橋長23.8m、鉄筋コンクリート(RC)橋としては日本最初期の本格的なものだったと云われています。現在の石川橋は平成7年(1995年)に下を通る百万石通りの拡幅工事により、橋長36.3m・橋幅10.5mの「新石川橋」として、明治の旧橋の景観と面影を継承してそのままに架け替えられています。石川県立歴史博物館・本多博物館の裏側駐車場に旧石川橋の欄干と街灯の一部が屋外展示されています。ついでなのでその時の文章を引用、日本最古の琵琶湖疎水のRC橋にも触れています。
兼六園のある千歳台は金沢城を挟んで小立野台地の西端にあるため、同高度以上に対峙する位置のために金沢城最大の弱点とも云える場所になります。この為に百閒堀と云われる最大の堀を置いて防御していました。明治になって金沢市街地の拡大と河北・金沢東部への連絡路・交通網の整備のために広坂から兼六園下の約1キロちょっとの百閒堀を埋め道路へと変貌させています。それまで大きな堀幅の上に懸っていた石川橋も、明治42年(1909年)にコンクリートの巨大な橋脚を持った現在の形態に架け替えられていました。鉄筋コンクリートの建築物としては全鉄筋コンクリートビルは大正2年(1913年)竣工の三井物産横浜ビル1号館が最初と云われています。大規模・鉄筋コンクリート構造物としては金沢市内はもちろん国内でも最初期のものと言えます。
旧石川橋欄干&街灯 本多博物館裏駐車場 2018.08.18撮影
最初の鉄筋コンクリート橋としては琵琶湖疎水の第一疎水に架かる明治36年(1903年)完成の第10・11号橋になるそうです。天智天皇陵の近くの第一疎水の第二トンネルの入り口が10号、トンネル出口にあるのが11号になります。11号は以前から石碑があり有名で天智天皇陵ついでに観に行った記憶があります。転落防止柵で見辛いし、渡るのが怖いくらいのちゃっちい橋、、そもそも、架けた当人が忘れていたくらいで、「そういえばあの橋が国内初の鉄筋コンクリート橋だったかも」で作られた石碑は昭和10年頃と30年も過ぎた頃、、10号が確認されたのは戦後になってからの関係者の指摘からという曰くつき。。10号は天皇陵から山科豊川稲荷に歩いて向かう近道(黒岩橋)に利用されているそうなので機会があったら見てみたいものです。その前に疎水散策でがにちゃんさんあたりが見せてくれるかも・・(暗にリクエスト♪)
石川橋の完成が明治42年ですから、わずか5.6年で、琵琶湖疎水の簡易な橋から石川橋のような巨大陸橋を完成させているんですから技術の進歩にはすごいものがありますねえ。本多博物館(第三棟)の裏側駐車場にあるのは、明治42年完成当時に使用されていた石川橋の欄干になります。
石川門 石垣下緑地庭園(沈床園) 往時、現在は埋立部もありますが、堀水の満水時には石川門橋下石垣のぎりぎりまで堀水がありました。
明治に百閒堀の水が抜かれ埋められたために、城壁の下に大きく緑地化された園地が造成され、桜が植樹されてきました。対岸の兼六園の坂道も桜並木となっており、古くから金沢随一の桜の名所となってきました。
ここ数年は石垣の補修工事やコロナ渦のために自粛や禁止されてきましたが、ここが金沢随一の桜の花見の宴会になってきました。近くに官公庁・企業の本店・支店が多く、宴会のために席取りに新人が駆り出され、シートで席取りが行われます。古くから花見の宴会が金沢の風物詩になってきました。
金沢城 石川門 沈床園の人が立っている位置が、石川門の太鼓塀・櫓・一の御門・二の御門長屋など全貌が観られる位置で、明治以降の金沢城の観光写真と言えばここからが多く使われていました。
何気に沈床園という言葉を使っていますが、この名称は正式名ではないようです。金沢市の正式表記では外濠公園(沈床園)としていますから、旧百閒堀・白鳥堀・大手堀の総称になるのかもしれません。
欧米の建築用語のサンクンガーデン(オープン地下道)の直訳:沈んだ庭からの沈床園のようです。
旅行日 2022.01.08
この記事へのコメント
アルクノ
橋の下の広場となると、なかなか行かないでしょう^^;
これは設置場所を考え直した方がいいですね。
神戸では湊川公園の隅っこに、
楠木正成が馬に乗った像がありましたが、
区役所の建て替え工事で場所を移動しました。
新開地商店街を上った所にある、湊川公園入口にデス!
そしたら、超目立つので、皆さん写真撮影をしておられますよ。
石川門、これは覚えています。
今でいう、インスタ映えする所ですね。
観光客は見た目第一なので、
これを重視する事が大事です
ミクミティ
そういう場合は、お城の近くに宿泊して2-3度訪れたりするのです。
私が金沢に行く時は、やはり金沢城の近郊のホテルを選んだ方が良さそうです。これだけ見所のあるお城ですから。
つとつと
白鳥路側の広場はほとんど観光の人が訪れない場所でちょっと寂しい場所なんです。せめて百間堀側にあればとも思うんですが。。ただこの彫像が出来た時、金沢城は石川門だけしか入れなかったんですね。せめて百間堀側にあればと思いますが、当時、石川門と前田利家を綺麗に撮れるとしたらここしかなかったと思います。今は中にも入れますから、一つくらい作ってもと思いますが。。
えっ湊川の楠木像の場所が変わったんですか、たしかに目立たたなかったですからねえ。印象が。。皇居外苑の騎馬像が有名ですが、僕はゆっくり静かな環境で観れた河内長野の騎馬像が好きです^^
つとつと
金沢城の石垣巡りで歩くと出逢える利家像です。個人的には金沢城は石垣の博物館として巡った方がいい城だと僕は思っています。となれば、外周を廻るので、今回のように右回りで行くと利家像にすんなりと出会えます。当時は観光で観られる金沢城は石川門だけでしたから、この場所は考えぬかれた場所だったんでしょうね。
金沢城近辺に留まるなら、場所的に尾山神社前のグランドホテルか、白鳥路の入口のホテル山楽がお薦めです。個人的には外装は古いですが、内装がリニューアルされてステンドガラスの綺麗な後者が好きです。
がにちゃん
こんな立派な利家さまの像があったとは・・・(#^^#)
石垣下の園地で花見 いいですねぇ
早く 何処へでも自由に行ける日が来てほしいですねぇ
立ち姿の利家さまに逢いに・・・(^^♪
つとつと
なかなか立派な利家像でしょ。次回、金沢に来られたら、立ち寄ってみてください。がにちゃんさんが前にいっていた金沢のホテル山楽の横から白鳥路の道を抜けると立っています。広坂通にあるカトリック教会には高山右近像があるし、祭壇のステンドグラスには右近やガラシャがいます。意外に知られていない芸術品です。
yasuhiko
今まで全く知りませんでした。果たして、
映像で見た事があったかどうか。あったとしても、
ほんの小さな記憶すら残さなかったんですね。
札幌ならクラーク像、仙台なら伊達政宗の
騎馬像、高知なら坂本龍馬像など、それぞれの
土地にシンボルとなる人物の像があって、
どれも有名なのに、金沢の場合はなぜ違うのか。
ちょっと不思議な気もしました。
つとつと
なんといっても場所の問題ですね。石川にいても映像で見ることは滅多にない銅像です。それでもなかなか立派な像で、石川櫓ともバッチリ合う場所なんですよ。なにせなかなか観光や私用でもなかなかこの像の前に立つことは少ないですから、バス停からも少し奥に行かないといけませんからね。金沢城の外石垣を巡る際には立ち寄ってみてください。
加賀藩の時代に、銅器製作が取り入れられて、現在では全国の銅像鋳造の8割を高岡市が占めていることや、兼六園のヤマトタケルが日本最古の銅像。銅像に関しては高岡や金沢はもっとアピールしてもいいと思うんですけどね。。
家ニスタ
それどころか、この前鼠多門へ行ったときに見てるはず(たぶん)なのに、尾山神社の騎馬像のほうも記憶がありません。
しかし橋の下にある像は、多くの人にスルーされても仕方がないかもしれませんね。
こんど金沢へ行くときには、前田利家像にも注意して見てこようかと思います。
つとつと
尾山神社の騎馬像はけっこう高い台座の上で、案外視界の外になってしまうようです。横の於松のレリーフの方が目立っているかもしれません。元々神社は利家一人の祭神だったのを大河に便乗してお松を持って来たレリーフ。。石川門下の利家像も意外に知られていないし、存外利家は影が薄いんですねえ^^;ちょっとかわいそうな気もしますね。
今年の百万石祭りは中止にならないといいなあ。。昨年予定の竹中直人さんが横滑りなんですが、この上中止だと益々影が薄くなりそうです。